2014年6月28日
於:新国立劇場(1階19列右ブロック)

プッチーニ「蝶々夫人」、藤原歌劇団公演
指揮:園田隆一郎
演出:粟國安彦

蝶々夫人:山口安紀子
ピンカートン:笛田博昭
シャープレス:谷 友博
スズキ:松浦 麗
ゴロー:小宮一浩
ボンゾ:安藤玄人
ヤマドリ:江原 実
ケイト:吉村 恵

合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

今年の4月に二期会の素晴らしい公演を聴いたばかりなのに、また蝶々さんを聴くなんて物好きだなあと思いつつチケットを買ってしまった。二期会×藤原の勝負いかに?ちょっと不謹慎でした。
 藤原の今回の公演は全て日本人による公演である。藤原はよくメインキャストに海外から人を呼ぶ。今年の後半にボエームをやるが、フリットリを呼んでいるのはその一例。今回の日本人たちによる公演、藤原歌劇団80周年記念公演で、藤原の看板の出し物の蝶々夫人、二期会と甲乙つけがたいできで、大いに感銘を受けた。敢えて云えば歌手のばらつきのなさでは藤原、指揮者の面白みでは二期会と言ったところだろうか?ただ決して園田の指揮が凡庸とは云っていない。スタイルの違いである。

 演出は1984年の粟國安彦のプロダクションで今日まで引き継がれている。二期会の栗山のものと同じくト書きをベースにきめ細かい日本風の演出である。美術の川口も非常に美しい舞台で、1幕の幕開けでは思わず観客からオーいう声がでたくらいである。二期会と同様舞台は桜で飾られていて華やか。左手に蝶々さんの新居の一部、右手には東屋、中央には朱塗りの橋。蝶々さんたちはこの橋を渡って登場。舞台中央には広い縁台のような舞台があり、1幕の大半はこの上で行われる。2幕は中央から右手に蝶々さんの居間、左手奥には渡り廊下があり、子供部屋、寝室などに通じている。ここも桜に彩られていて美しい。1,2幕とも舞台奥には大きな長崎港の絵図が壁画のように描かれている。2幕の花の2重唱からハミングコーラスまでの美しさは2期会同様。息をのむような照明効果。3人のシルエットが障子に移る姿も心に残る。幕切れの蝶々さんの自決シーンは子供を前に「可愛い坊や」を歌う。子供は人形と星状旗をもって、スズキに連れられて旗を振りながら自分の部屋に戻ってゆく。蝶々さんは衝立の蔭に隠れて自決。ピンカートンは声だけ聴こえ、蝶々さんはそれに応えるように、衝立にもたれるが、最後は力尽きて倒れる。この最後のシーンでは子供は出てこない。印象深い幕切れで、歌とともに感動を呼ぶ舞台だった。とにかく、読み替えもないまっとうな演出で、終始安心して音楽に浸れるこの安心感は何物にも代えがたい。

 歌手たちはばらつきがなく、非常に安定したキャスティングだった。
まず蝶々さん、1幕は抑え気味なのだろうか、登場の場面はさらっと終わり肩すかし。慣習的な最高音もカット。愛の2重唱も今一つ華やかさに欠けた。彼女の持ち味は他を圧する声ではなく、きめ細かな表現力だろう。そういう意味では2幕にこそ彼女の本領を感じた。特に1場ではシャープレスの手紙を読む場面や、子供を前に歌う「母さんはお前を抱いて」、「ある晴れた日に」など、細やかな表現が素晴らしい。1幕では抑え気味だったように感じた声も2幕では解き放たれたように伸びやかになったのも印象的。2場の可愛い坊やの歌唱も素晴らしい。これらの場面ではもう涙なしには聴けなかった。
 ピンカートンは朗々とした声で、他を圧した。しかも力みがなく軽やかに素晴らしい声がでてくるので驚きだ。1幕からエンジン全開で魅力的な声を聴かせた。ただ1幕では園田との呼吸が少しずれたように感じたし、素晴らしい声が全域ではなく、わずかながらばらつきを感じた。2幕2場の「さらば愛の家」は熱唱。1幕の愛の2重唱は蝶々さんが従かと思うくらい存在感があった。将来楽しみなテノールだ。
 シャープレスはまさにやさしい、温厚な性格そのものの歌唱で、2幕1場、2場とも感動的な歌唱。スズキは特に2幕2場の所作と歌唱が印象的。ゴローはちょっと演技がうるさいが、コミカルな役どころを無難に演じていたし、ヤマドリは如何にもお大尽風の歌唱で、主役から脇まで隙がなかった。

 園田はもう藤原の座付き指揮者の様で、おなじみである。彼の特質は歌手に歌わせるのがうまいということである。歌手に寄り添う指揮とも云えようか?1幕はそういう云う意味で少々大人しく、物足りない。合わせ過ぎか?もっともこの幕はイントロみたいなもので、あまりドラマがない。それに蝶々さんはまだ15歳ということもあって、全体に初々しさを出そうとしたのかもしれない。ただ好みを云えば蝶々さんの登場シーンは1幕の最大の見せ場。これが如何にも淡白で歌手ともども、さらさらさらと終わってしまったのは寂しかった。愛の2重唱も歌手の問題もあろうが、情熱のほとばしりの様なものはあまり感じられなかった。まあ全体に安全運転。
 しかし2幕になると、オーケストラは目を覚まし、存在感を発揮する。例えば蝶々さんが子供を抱いて登場する場面や、ピンカートンの船が入港したことを喜ぶ蝶々さんとスズキの場面の高揚感などがその例で、素晴らしい。ただ2場の間奏曲などは少々淡白、二期会のような泣き節も凄いが、もう少し身をよじるような切なさをオーケストラで表現してもらいたかった。2場全体は非常に劇的な表現が印象的だった。

 初台の駅はいつものオペラの公演時と違って、異様に人が少なく、時間を間違えたと思ったくらいだった。しかし開演直近にはほぼ満席。ただ私の周りの席はほぼ全員タダ券(招待券)客の様で眠らないか心配だとか、何時に終わるのだろうとかそんな話が飛び交っていた。まあいつものオペラの日とは異なる雰囲気で1幕は落ち着かなかった。2幕以降は作品に引きずられあまり気にならなかった。

 藤原の今日の公演はトリプルキャストの2セット目である。しかし蝶々さんが3人で、それぞれ一日しか歌わないというのはいかがなものだろうか?岡山藤原歌劇団総監督はこう云っている「今回はトリプルキャストなので三人の蝶々さんがどのように演じるかとても楽しみです」。これは何か変ではないだろうか?私たちは3日続けてこの公演を聴くということはできない、3日聴けるのは関係者くらいではないか?それなのに「どのように演じるか楽しみ」というのは、聴き手無視の発想ではないか。私たちは3人のうちの一人しか聴けないのである。今日の演奏より昨日のほうがよかったのかもしれないし、明日のほうがもっとよいかもしれない。でも私たちにはそれはわからない。これは何かおかしい発想だと思う。新国立はダブルキャストをやめてしまった。そろそろ藤原や二期会もこういう顔見せみたいな公演はやめたらどうだろう。〆