2014年5月23日
於:浜離宮朝日ホール(1階19列中央ブロック)

ミハイル・プレトニョフ、来日ピアノリサイタル

モーツァルト:ピアノソナタk282(第4番)
モーツァルト:ピアノソナタk310(第8番)
シューマン:フモレスケ

ベートーベン:ピアノソナタ第五番
ベートーベン:ピアノソナタ第十番
ベートーベン:ピアノソナタ第17番「テンペスト」

ピアノリサイタルに来たのは何年振りだろう。調べたら2011/11/7の内田光子のシューベルト以来だ。別に差別主義者ではないのだが、この器楽のリサイタルにはピアノに限らず一種独特の雰囲気があって、それがたまらなく嫌な時がある。今日もそうで、まあ一言で言うとお嬢様のピアノ発表会の趣(失礼)で女性の数が圧倒的に多い。ざっと見て65:35といったところか?休憩時のトイレの行列を見たらもっと女性が多いかもしれない。バレエもそういうところがあって、男一人と言うのは、そうだなあ、夕食時に一人で定食屋で飯を食うような気分にさせられる時がある。最も音楽が始まればそういうことは吹っ飛んでしまうのが常であるのだが、始まる前が落ち着かない。私の後ろの女性もピアノの先生らしく大きな声で弟子か何かわからないが、会話をしていた、ただ音楽が始まったら鞄の中身をごそごそしたり、のどあめを出したりと騒がしいので、あれあれと思ってしまう。私の横の女性はプレトニョフが好きか、ピアノが好きかわからないが、休憩以外はほとんど身じろぎせず聴いていた。私の斜め前の女性はこれはプレトニョフのファンらしく万歳状態で神社の柏手の様な拍手をしていた。まあそんな雰囲気です。
 それと最近のコンサートはほとんどサントリーなどの大ホールが多い。あの大きな舞台にポツンとピアノが一台あってそれを何千人の人が聴くというのも何か異様な雰囲気を感じていた。そんなこんなで器楽の演奏会からは2年以上遠ざかっていたことになる。では今日なぜ行くことになったのか?別にチケットをもらったわけではありません。数ヶ月前自室でモーツァルトを聴いていたら、急にピアノを生で聴きたくなった、そういう衝動があったのです。そこで早速調べて買ったのが今夜と来月のアファナシエフのリサイタルであったというわけ。この二つにしたのは、大ホールで聴きたくなかっただけである。べつにプレトニョフだろうが、アファナシエフだろうが、だれでも良かったのだが、比較的小ぶりなホールでピアノを聴きたかったということだ。

 プレトニョフは才人でピアノだけでなく、指揮や作曲までしてしまうという、57歳だそうだが、舞台に登場した姿は猫背であまり元気がない。あれあれと思ったらピアノはそうではなかった。
 自分の好みもあろうが、モーツァルトの310とベートーベンのソナタ3曲がとても良かった。k310、8番のソナタはまだ20代前半のモーツァルトの作品だが悲愴感漂う姿が好きだ。プレトニョフの演奏はこれはあたかも後年の短調のピアノ協奏曲続く系譜の様な音楽だということを示しているようだ。2楽章などはまさにそうだった。4番のソナタも良かったが、これは牛刀をもって鶏を裂くが趣だった。

 素晴らしいのはベートーベンだった。5番の3楽章の若きベートーベンの覇気を感じるような演奏、10番の2楽章の変奏曲の自在の音楽運び、どれも魅力的だった。
 テンペストはまさに融通無碍。楷書のようなギレリスのCDを聴きなれている者にとっては、別音楽のように聴こえる。特に両端楽章は印象的。休止の時に手を口にあてて一瞬だが、考え込んでしまうような仕草をする時がある、その前後の音楽は止まってしまうようだが、またすぐ奔馬のように音楽が飛翔する。

 それにしても今夜のプログラムはてんこ盛りである。これに加えてフモレスケがあるのだから、凄いと云えば凄い。まあ一晩で聴くには私には重すぎるが!アンコールがあったかどうかはわからない。くたくただったので終わってすぐ退席してしまったから!
 久しぶりに聴いたピアノソロ、良かったとは思うが、自室で自堕落な格好で聴いていたほうが良いかなとも思った。今夜のピアノはカワイ(KAWAI shigeru-kawaiEX)だったが、浜離宮ホールでは響き過ぎの様な印象を受けた。特にモーツァルトはピュアな音楽の魅力を損ねているような印象を受けた。反面シューマンやベートーベンでは雄大な響きにつながり、音楽の魅力を引き出していたと思った。〆