2014年4月20日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

東京交響楽団、第619回定期演奏会
指揮:ジョナサン・ノット
笙:宮田まゆみ

武満 徹:セレモニアルー秋の歌
マーラー:交響曲第九番

ジョナサン・ノットの東響音楽監督、就任披露演奏会である。まずはつつがなく終えたことを喜びたい。彼の演奏は何度か聴いている。何度も書いていることであるが、今まで聴いた中では、ドビュッシーの「海」が実にユニークな演奏で強く印象に残っている指揮者ある。スダーンの後継者として大いに期待したい。メッツマッハーが新日本フィルを鍛え上げたように、東響を更なるたかみに引き上げて欲しい。

 今日のマーラーを聴くと先日のヴォツェックを思い出す。わずか100年前の曲なのだが同時代感と云うより、普遍性により、もう古典になっているということを強く感じる。ノットはマーラーの録音をバンベルクと行っており、マーラーは彼の得意のレパートリーであり、今日はなんと暗譜で指揮をしていた。
 印象としては標題性はないにしても、この曲のもつ、死の影や世紀末の不安の様なものは極力排除された演奏のように聴こえた。正しい表現かどうかはわからないがシンフォニックな演奏だ。
 1楽章は死の影の濃い楽章だが今日の演奏では、例えば3分40秒あたりの主題が大きく盛り上がったり、盛り上がったと思ったら、急に沈み込む、まるで体が揺さぶられているような音楽は、決してそのようには聴こえない。もちろん音の上下はあるが、悪く云えばさらっと処理しているように思うのである。だから死の恐怖などは感じられないのである。先日のインバルのライブやバーンスタインやバルビローリの演奏とは随分印象が違うのである。よしあしではなく印象が違うということを強調したい。
 2楽章のレントラーは素朴な音楽のように聴こえるが、私にはグロテスクで不気味としか聴こえない。ノットは決して素朴でもグロテスクでもなく、実にスマートである。音楽の楽想の切り替えが素早く小気味よく、聴いていて痛快なくらいである。
 3楽章もスポーティなくらい痛快な演奏である。しかし手に汗握るほどの興奮は呼びこまない。中間の4楽章の主題の提示はいつも印象的だ。おそるおそるの救済を暗示しているかのごとき音楽であるが、ノットはあまりそういうことを意識していないように感じた。トランペットの技巧的な問題もあったのかもしれない。
 4楽章は今日の演奏ではもっとも美しく感動的である。しかし前の3楽章で死の暗示が明示的でないので、この楽章の持つ救済的な音楽の感興が薄れてしまうのは残念なことだが、おそらくノットはそういうことをあまり強調したくないのかもしれない。
全体の印象としては今まで聴いたことのないようなマーラーの九番だった。こういう演奏があったって決しておかしくない時代だと思うが、マーラーの音楽を聴いてはらはらしたりどきどきしたり、涙を流したりしたいものにとっては、対極的の演奏のように私は思った。ハーディングやティルソン・トーマスなどもその系統であり、一つの流れかもしれない。決して嫌いな演奏でなくCDでは、たまにはこういう系統のものを聴きたくなる時はあるのだ。演奏時間は85分。

武満の曲を最初に演奏した狙いはよくわからない。ノットの発案だとは思うが、私はこの大曲一曲で勝負すべきだと思う。以前アルミンクもこんなことをしていたがあまり成功していなかった。あの時はアルマ・マーラーの歌曲を冒頭にやっていたけれど!
 今日感じたが金管の精度は都響に比べるとわずかではあるが差があるように感じられた。ノットの手腕に期待したい。なお弦の編成はスダーンとは違って、コントラバスを左奥に並べていた。チェロとヴィオラは中央に並んで配置、第二ヴァイオリンは第一と対面で演奏されていた。
                                     〆