2013年6月22日
於:トリフォニーホール(2階3列中央ブロック)
 
新日本フィルハーモニー管弦楽団、トリフォニーシリーズ、第509回定期演奏会
指揮:ダニエル・ハーディング
 
マーラー:交響曲第六番「悲劇的」
 
新日本フィルは顧客志向が進んでいる。何よりうれしいのはオーケストラの演奏者の配置表がプログラムに挿入されていることだ。今日の様な大編成の場合や古楽出身者による指揮の場合など、特に便利である。先日の都響の「戦争レクイエム」などは必須だと思うのだが、都響側には残念ながらそういうセンスの人はいないようだ。
 今日の新日本フィルは弦がいつもと違って、左奥にコントラバス、ヴァイオリンは対面式、中央にチェロとヴィオラである。最後列にはおびただしい打楽器群、ティンパニが2セットある。ハンマーは右奥だ。チェレスタはCDなどではあまり気にならないが、ライブでは効果的に聴こえる。これは右の第二ヴァイオリンの後ろである。
 ハーディングのマーラーは五番、九番、一番そして今日の六番と聴いてきたが、昨年の一番がすこぶる存在感のある演奏だったので、今日の六番は期待の演奏会だった。聴いた印象は一番と同等の素晴らしい音楽だった。特に前半の3楽章は何も言うことがないくらいよかった。もちろんオーケストラの完成度は高いことはいうまでもない。もう日本のオーケストラはこんな曲は難曲でも何でもないのだろう。1楽章の展開部までは今までのハーディングのように、美しさの極み。この曲の持つ毒気はあまり感じないが、でもこの演奏は決して嫌ではない。ひたすら酔いしれればよいのである。しかし後半になると音楽のせいでもあるのだが、のんびり浸ってはいられない。音楽の起伏は急に大きくなり、劇的だ。終結部のたたみこみも強烈でハーディングの若々しさを感じる。素晴らしい音楽だ。
 2楽章にはアンダンテをおいている。この楽章は自分が好きなのもあるが、すこぶるつきの素晴らしさ。音楽はこれ以上ないくらいの美しさだが、あの美しい主題が最後に帰ってくる場面では肺腑をえぐるような感動をもたらす。同じ音楽を聴いていてこう感じさせるものと、感じさせないものとの違いはどこからきているのだろうか?よく説明はできないがこの演奏は前者を体感できる。3楽章はスケルツォが出だしから厳しい。五番や九番のころだったらこんなスケルツォにはならなかったような気がする。グロテスクと云っては怒られるかもしれないが、なにか醜悪なものをも見せつけるような音楽が感じられた。
 4楽章はどうもいつもハンマーがどうなっているのか、つまりどう叩いてくるのだろうか、どういう音になるのだろうか、ということが気になってしまう。これは個人的な事情だ。だから今少し、感情移入の度合いが、音楽的と云うよりも、オーディオ的な興味が先になってしまうのである。今日もそうで、気が散ってしまって、集中度を欠いてしまったような気がするので、演奏についてはコメントは控える。音響的には全く不満のないものであることは付け加えたい。なおハンマーは2回であった。演奏時間は82分。
 全体に聴いた印象は今一番嵌まっている、ティルソン・トーマス/サンフランシスコの演奏に近いように感じた。このCDはSACD盤ですこぶるつきの美しさである。マーラーのSACD録音の場合、ジンマン/チューリッヒのように美しいが力感に物足りなさが残る録音が散見されるが、トーマスの録音は力感も素晴らしい。特に金管群の定位の良さと力強さは特筆もの。今日のトリフォニーの席は2階だったが、トーマスの録音はまさに2階の良い座席で聴く音である。今日の新日本の演奏を聴いていて、まずティルソン・トーマスのCDを思い出した次第。彼のマーラーシリーズは未体験の方お薦めである。去年のライブで聴いた彼の五番の演奏は忘れられない。
 新日本フィルは好調のようだ、来シーズンのシーズンチケットを買おうと思ったらもう良い席は全くなかった。とにかくすみっこに1席は確保したが!メッツマーッハーとハーディングの2枚看板に、大野など若い日本の指揮者が入るという、在京オーケストラの中でも最強の指揮者構成であるからだろう。これからも注目すべきオーケストラである。                 〆