2012年11月22日
於:明治座(1階17列右ブロック)
イメージ 1
11月花形歌舞伎昼の部
Ⅰ.傾城反魂香(作 近松門左衛門):3代目猿之助四十八選の内
  演出:市川猿翁
  浮世又平:市川右近
  女房おとく:市川笑也
  土佐将監光信:市川寿猿
  修理之助:市川猿紫
 
Ⅱ.蜘蛛の糸梓弦(市川猿之助六変化)
  源 頼光:市川門之助
  平井保昌:市川右近
  坂田金時:中村亀鶴
  渡辺 綱:市川猿弥
  碓井貞光:市川男女蔵
 
歌舞伎観劇3回目
 今回は明治座、猿之助が出ると云うことで場内はほぼ満席だった。今回の花形歌舞伎の売りはそういうことで昼の部は猿之助の6役早変わりである。蜘蛛糸梓弦(くものいとあずさのゆみはり)は源頼光の蜘蛛退治を舞踊劇にしたものである。だから話としては蜘蛛が6つ役に化けて(猿之助の早変わり)、頼光の家来たちと対決する場面の連続でしかない。早変りは工夫されていて、なんであんな所から出てくるのと驚かされるが、要はそれだけの話で楽しいことは楽しいが、正直いって途中で眠くなってしまった。やはり私は血も涙も流す生身の人間のでてくる芝居の方が好きなようだ。猿之助のファンの方にはたまらないでしょうが!
 従って、天の邪鬼のようだが私は前半の「傾城・・・・」のほうが共感をもって見ることができた。これは1708年に近松門左衛門によって作られた時代物浄瑠璃で3段から成るが、今の歌舞伎では今日演じられた「土佐将監閑居の場」のみが上演される。歌舞伎の古典である。今日の公演ではこの場に至る過程を紹介した序幕を追加してより話がわかるようになっている。
 絵師土佐将監の末弟子の又平(ども又)は吃音のためなかなか免許皆伝がもらえず、土佐の名前を名乗らせてもらえない。「閑居の場」でも妻おとくとともに、なかんばかりして土佐の名前を名乗らせて欲しいとおとくの通訳で訴える。この場面はおとくの夫を思う気持ち、そして又平は吃音のために差別され一人前の絵師として扱ってもらえない悔しさがあらわれて、彼らの気持ちをおもんぱかると胸が締め付けられるようだ。しかしどうしても認められない為、夫婦は自害を決意し、最後の絵を石手水場に書く。しかしその絵は又平の気迫をこめた筆致により石をも貫く迫真の自画像となった。それを見た将監は驚嘆し免許を与えると云う物語だ。吃音での右近の演技はユーモラスではあるが、一方差別されて人間としての尊厳を傷つけられた男の苦しさも表わして市川右近の演技は共感を呼ぶ。そしておとくの夫を思う演技、この夫婦愛も胸を打つ。ここには江戸時代の庶民層の共感を呼ぶ場面が多々あったのではなかろうか?ここには涙を流し、苦しむ、人間の生の姿があるからである。それゆえ今日まで古典として残ったのだと思った。それにしても18世紀の初頭の日本にこれだけの演劇があったということは驚嘆すべきことではないだろうか?
                                                        〆