2011年12月20日
於:サントリーホール(2階LCブロック)

東京都交響楽団第727回定期演奏会Bシリーズ
指揮:エリアフ・インバル
ヴァイオリン:ジュリアン・ラクリン

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第一番
           交響曲第十二番「1917年」

先週に続いてインバル/都響によるショスタコーヴィチの演奏。ヴァイオリン協奏曲は良く演奏されるポピュラーな曲で、CDでも時々聴くが、どうしても1楽章がつかみどころがなく困ってしまう。今夜もそうだった。2楽章以降はユーモラスな2楽章、冷たい美しさをたたえた3楽章、そして民族的な舞踊のような4楽章と、とても魅力的であるが、今夜の演奏は少し立ち位置が違うように感じた。
 3楽章はとても美しかった、このヴァイオリンの音は本当に魅力的だ。楽器はストラディヴァリ1704年「エクス・リービッグ」。先日のバティアシビりもストラディヴァリだった。いつも思うのだがちょっと名の知られたヴァイオリニストはみなストラディヴァリを使用しているが、一体世界に何丁あるんだろうなどとつまらんことを思ってしまう。まあ余談ですが。
 このラクリンというヴァイオリニストはリトアニア生まれの37歳、この3楽章を単に美しく弾くだけではなく深い悲しみを湛えたように聴こえた。特に変奏曲の前半は、五番の3楽章のように胸がかきむしられるような異様な気分にさせられた。そして前後するがユーモラスな2楽章はユーモラスというよりも、何か鬼気迫るような迫力があった。舞曲風の4楽章は超難度なのだろうが、軽がると弾くだけでなくオーケストラのコンサートマスターや首席第二ヴァイオリンに挑みかかるように弾く。時には観客席にも迫る勢いで弾く。実にアグレッシブでスリリングで手に汗を握るような演奏だった。これはライブでしか味わえない面白さだろう。都響/インバルももちろんそれに呼応していたのはいうまでもない。アンコールはバッハ無伴奏パルティータからサラバンド。これは少々甘めの、例えは悪いが、ムード音楽調だが、とてつもなく美しい。

 十二番の交響曲は1917年の10月革命の指導者レーニンの思い出に捧げる音楽。ショスタコーヴィチが共産党員として認められた1960年の翌年に初演されているところから、その代償ともみなされよう。音楽はそれに相応しく、特に両端楽章がそうだ、時には退屈になるくらい単調だが、オーケストラの妙技を楽しむなら最適だろう。主導動機が何度も出てきて辟易させられるが、最後はその凱歌のような音の洪水に巻き込まれ、興奮してしまった自分が不思議だ。作品の持つ力か、インバルの力技かどうかはわからない。ヤンソンス/バイエルンのCDを聴いた限りではそこまでは興奮しないので、やはりライブの力かもしれない。
 インバルの演奏は両曲とも少々速いテンポだったが全く違和感がなかった。都響の力演もめざましく、2曲目の交響曲の4楽章などはサントリーホールの天井が抜けそうなすさまじさで、まさに大編成のオーケストラを聴く醍醐味を味わうことができた。
                                            〆