2009年12月29日

我が家のスピーカーがタイトルの機種に変わった。
四半世紀以上にわたって愛用してきたタンノイ社のスピーカー(最初はアーデンそしてエディンバラ)を変えたのである。
タンノイの音にそう大きな不満があったわけではない。スーパーツイーターをつけCDプレーヤーもアキュフェーズに変えて、またエージングもかなり進んでこれ以上引き出せないレベルの音まで追い込んだつもりである。さてそうなるとタンノイ本来の持つ宿命的な音にわずかながら不満が出てきたのである。
それは第一に高音である。ヴァイオリンや弦楽合奏、オーケストラなどほぼ不満がないがピアノや人間の声に伸びが欠けるのである。人間の声のほうは伸びが欠けるというよりもソースによっては声がきつくなるのである。たとえばドミンゴやモナコ、コレルリなどのテノールやギャウロフのようなバスなどである。第二に低音である。低い音がどうしても明瞭度に欠けるのである。たとえばコントラバスのうねるような動き。ティンパニや大太鼓などに不満がでる。音のイメージはでるのだが実際の低音がでないので何かもどかしい。ピアノの左手の動きももどかしい。しかしこれでも自分でいうのもなんだがかなり自分のイメージに近い音、もっとずうずうしくいえばかなりハイレベルの音なのである。それはさておき、第三は音場である。最新のスピーカーに比べると音の広がりや奥行が物足りない。アキュフェーズのCDプレーヤーにしてかなり良くなったんだが!

ということで満足してはいるがもっと良い音の出るスピーカーがあるのではないかというオーディオ的ドンファンの気持ちになってしまったのである。しかしこのタンノイのイメージを残しなおかつ高音の伸びと低音の明瞭さ、さらには音場の改善を期待できるようなスピーカーがはたしてあるのだろうか?

2008年のインターナショナルオーディオフェアで初めてB&Wのシグネチャーダイアモンドを聴いたときにこれだと思ったのである。それ以前に2007年のステレオサウンド誌のグランプリもとっており、それよりなにより我がアンプの製作者である上杉氏が最後のスピーカーにしたいくらいだと絶賛していたので興味は以前からもっていたのである。しかしこれを聴いた時点ではまだタンノイが発展途上でありもう少し追い込みたいという気持ちもあり悩みながらも見送ったのである。といえばかっこいいが高すぎて手が出なかったのであるというのも見送った大きな理由であった。

さて、今年になって上記のようにタンノイの音の限界を感じるようになりいろいろスピーカーを試聴してまわったが結論的にいえばシグネチャーダイアモンドを凌ぐものはなかったのである。いやあることはあった。それはアメリカのアヴァロン社のタイムというスピーカーであった。しかしこれはめちゃくちゃ高い。それともう一つ部屋は6畳なので試聴室で良かったからといって自室に持ち込んでも良い結果がでるとは限らないからである。たとえばソナスファベール社のストラディヴァリなども良いとは思ったがでかいし試聴室でさえも低音過多でちょっと6畳では無理であった。

ということでシグネチャーダイアモンドへの思いは募ったがここで問題があった。それはこのスピーカーは限定1000台の記念モデルだったのである。2007年発売だから2009年の今年入手できるかという問題である。

そんなある日あるオーディオ専門店でシグネチャーダイアモンドが入荷するという記事をその店のホームページでみたのである。おりしもちょうど円高であり価格も手に入れやすいレベルまで下がるのではという期待もあり、早速試聴をかねてその店に赴いた。CDを20枚ほど持って!
音は期待通りである。特に声が素晴らしい。タンノイでは出切らないコレルリの声「誰も寝てはいけない」も実に美しいのである。その他オーケストラ、ピアノとも自分のイメージどおり。誤解を恐れずに言えばタンノイの延長線上にこのスピーカーがあるように思うのだ。価格は円高とタンノイの下取りで何とかなりそうであり即決で決めてしまった。正直タンノイの音には未練はあったのである。しかし6畳間に2台のスピーカーは無理である。泣く泣く下取りしていただいた。どうか良い方に巡り合えば良いなあと思う。

このシグネチャーダイアモンドはB&W社(BOWERS&WILKINS)というイギリスのスピーカーメーカーの40周年記念モデルで上記のとおり1000セット限定である。500セットは白で、500セットはWAKAMEといって黒に近い。本当は白が欲しかったのだが白のほうが先に完売してしまったそうだ。おそらくこれをデザインしたケネス・グランジ氏も白をイメージしてデザインしたというから見た目はそのほうがよいのだろう。
構成は実にシンプルでツイーターと18センチの中低音用との組み合わせである。なんのことはないこの構成は自分が学生のころ初めてまともなスピーカーとして買い求めたパイオニアの同軸型PAX20Fと同じ構成であった。ほぼ半世紀後に祖先がえりではないが振り出しに戻ってしまったようだ。
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2009年12月15日に納入された。それから二週間シグネチャーダイアモンドはもう何年も前から我が家にあるかのような涼やかな音をだしている。当初はエージングにはかなり時間がかかるのではないかと心配した。最初の何日間はちょっときつい音かなと思ったが今ではエージングがすんだような音の様に思える。おそらくエージングが進めばもっと滑らかな音になるような予感がしている。スピーカーのセッティングはB&Wの取扱説明書通りに自分の試聴位置の前をふたつのスピーカーがクロスするようにかなり内振りにした。これによる効果は絶大で定位はタンノイ以上である。またB&W社にスパイク使用について確認したところ使用すべきとの指示があり現在はスパイクをつけて聴いている。ただしスピーカーベースに傷をつけたくないので二種類のスパイクのうちゴムでコーティングされたほうを使っている。正直言ってこの二種類のスパイクの差は聴いてもあまり分からない。なお書き忘れたがこのスピーカーの製作の総責任者は元タンノイ社に勤めていてかの有名なウエストミンスターの製作にかかわったのだそうである。(スピーカーのデザインは上記のとおり)それでこの音なんだと納得した。

さて、音はどうか?まだそれほど聴いていないがいくつか列記する。
ホーネック/ピッツバーグのマーラーの一番は実にスケールが大きくヴォリュームをいくら大きくしてもうるさくならない。四楽章の大太鼓がすさまじい。
クライバー/ウイーンのベートーベンの七番は音の奥行もさることながら高さもしっかり出ていて感動的な音。
ショルティ/シカゴのマーラーの五番はかなり古い録音だがデッカの良き時代のサウンドが味わえる。豪快な音。
アンセルメ/スイスロマンドによるサンサーンスの三番はオルガンの録音で有名だがあまりヴォリュームをあげなくても部屋がふるえそうな低音で充満した。ちょっと怖いくらいの低音だ。
カラヤン/ベルリン(61年)のベートーベンの二番と九番はオーケストラの弦がヴォリュームを上げるとちょっときつくなるところが録音の古さを感じるが適正のレベルで聴く分には不満はない。
エソテリックによってSACD化されたショルティによるワーグナーのニーベルンクの指輪はラインの黄金ジークフリートしか聴いていないがこれは本当に素晴らしく、歌手の動きがト書き通りであるし、それよりなにより目の前に舞台があって、それも前から17番目くらいの席で聴くような、歌手が歌っているようにさえ聴こえるのである。音は重厚かつ華麗で昔オルトフォンのSPU-GTでこの曲を聴いていたがそれを彷彿とさせる。97年リマスターのCDと一部聴き比べて見ると97年のほうが何かさらっとしていてこれはこれでもいいかなという印象だがエソテリックを聴いてしまったらもう戻れないだろう。
ユベール・スダーン/東京交響楽団のシューベルトの五番のライブ録音はちょっと近いが生のリアリティーがでているし六番はサントリーホールで聴いているがティンパニの音がすさまじい。
セラフィン/モナコによる道化師はかなり古い録音だがそれでも舞台を彷彿とさせる音場設計がよくわかり感動が伝わる。
パッパーノ/サンタチェチーリアによるベルディのレクイエムはややデッドな録音ながら一つ一つの音が実に新鮮で新しい録音だということがよくわかる。
ホロヴィッツによるスカルラッティのピアノソナタは古い録音だが粒立ちも良く見違えるよう。
菊池洋子によるモーツァルトの12番のピアノソナタは新しい録音らしく左手、右手の動きが明瞭でピアノの音を楽しめる。
内田光子/ジェフリーテイトによるモーツァルトの23番のピアノ協奏曲はオーケストラの編成が少ないので弦の再生がなかなか難しいがここではなめらかな音。ピアノもころころと美しい。3楽章の冒頭の管楽器が沸き立つような部分は素晴らしい。
カルミニョーラ他のバロックのヴァイオリン協奏曲群だけはタンノイのふかぶかした音のほうが懐かしい。これはエージングで解決するだろう。その他きりがない。

このスピーカーは非常にヴォリュームに対する反応が敏感でソースごとの最適ヴォリュームを見つけるのがクリティカルな作業になる。たとえばヴォリュームのつまみを1ミリ動かしただけで音がかなり変化するのである。上杉のアンプの出力は40wであり、B&W社の推奨アンプ出力は50W以上なので心配したが全く問題なかった。ヴォリュームについてさらに言えばいくら大きくしてもうるさくならないので新しい良い録音のものなどは野放図にヴォリュームを上げてしまう。それゆえ適正ヴォリュームを見つける作業がクリティカルなのである。たとえばホーネックによるマーラーなぞはそうである。     今の様にぽんと指示通りにおいただけでもこのような音を出すのだからこの後さらに追い込んだらどうなるか空恐ろしいスピーカーである。これが最後のスピーカーになると思うので墓場へ持って行くつもりで聴きこみたい。
                               終わり