2009年7月16日

読売日本交響楽団第162回東京芸術劇場名曲シリーズ

指揮;尾高忠明
ヴァイオリン;戸田弥生

プログラム

オールメンデススゾーンプログラム

序曲「フィンガルの洞窟」
ヴァイオリン協奏曲
交響曲第三番

今夜は名曲シリーズ、定期は都合悪く行けなかったので、振り替えてもらった。メンデルスゾーン生誕200年プログラムの一環である。どれも名曲揃いでなじみの曲。

「フィンガルの洞窟」はワーグナーも絶賛したらしいがとてもわくわくするような曲である。これだけでなく今夜の曲は何か人をわくわくさせる雰囲気に満ち溢れた曲ばかりの様に思う。メンデルスゾーンの恵まれた人生のおこぼれの様な曲といったら怒られるかな?決してベートーベンのように人を鼓舞・叱咤激励するような音楽ではなく何か幸せな、気分を高揚させる音楽だ。ある本にベートーベンがあのような曲たちを書いたのは苦悩に満ち満ちた彼の人生と環境があったからだとあったが、メンデルスゾーンも裕福で金銭に苦労のない人生だったからこういう曲を書けたのだろうか?二人とも音楽の天才であったわけだが、ベートーベンメンデルスゾーンのような境遇だったらこのような曲は書いただろうか?メンデルスゾーンベートーベンのような境遇だったら「英雄」のような曲が生まれただろうか?などループにはいってしまう。

閑話休題、フィンガルの洞窟で聴き惚れたのは終結部近くで弦のトレモロをバックにクラリネットが印象的なメロディーをかなでるがここが実に気持ちが良かった。

ヴァイオリン協奏曲は古今の名曲である。高校生のころから聴いているが今はほとんど聴くことがない。高校一年のときにその当時のコロンビアの約4万円のステレオを買ってもらった。最初はレコードを買うお金がなくお金をためて少しずつ増やしていった。ポール・パレー/デトロイトのベルリオーズの幻想交響曲、バーンスタイン/ニューヨークのドボルザークの新世界交響曲、そしてメンチャイ(メンデルスゾーン・チャイコフスキー)のヴァイオリン交響曲などが極々初期のコレクションだったこれしかないので結局毎日同じような曲ばかり聴いていた。今夜の演奏を聴くとその当時を思い出す。その当時聴きこんだメンデルスゾーンは誰のヴァイオリンだったか残念ながら覚えていない。今はハイフェッツミュンシュ/ボストンのCDしか持っていない。今夜の演奏は時間的にはハイフェッツとほぼ同じの25分であったが一楽章はかなり緩やかに感じた、2楽章は予想に反して速めのテンポ。ヴァイオリンはグアルネリである。今夜は戸田のヴァイオリンの音色に参ってしまった。今はカルミニューラバティアシビリの二人がお気に入りのヴァイオリニストだが戸田のヴァイオリンも負けてはいない。本当に魅力的な音であった。

交響曲第3番は滅多に聴かないメンデルスゾーンの中ではもっとも聴くほうである。アバド/ロンドンを聴いている。クレンペラーが良いらしいがまだ聴いていない。アバドの演奏時間は42分でかなり遅い。尾高は35分であった。もしかしたら反復を省略したのかもしれない。それは別としてもかなり速い。特に一番好きな四楽章、アレグロ・ヴィヴァチッシモで盛り上がった後、休止があってアレグロ・マエストーソ・アッサイのコーダに入るその部分がかなり速くてせせこましい音楽でがっかりしてしまった。ヴァイオリン協奏曲で気分がよくなったところで水をさされてしまった感じだ。音楽は盛大に盛り上がっているのに何か凝縮しなくてせこせこと終わってしまった。ちょっとしりつぼみの夜であった。終わった後の拍手に応えるのも3-4回で「もう寝るから終わり」といった仕草で早々に帰ってしまった。尾高もこの曲では気合いが入らなかったのかもしれない。

2年ほど前彼がN響を振ってブルックナーの八番をやったが、実はあまり期待していなかった。しかし実際は実に立派な音楽でN響もそれに応えて聴きごたえがあった。決して重量級ではない、すっきりした音楽ではあったがブルックナーを堪能した記憶がある。それを聴いたので日本のオーケストラもこんなに立派になったのだと感じN響の定期の会員になったくらいである。今日の演奏も悪くはなかったがどうしても尾高でなくては駄目という演奏ではなかったように思う。悪いがこれなら我が家のタンノイでアバドの演奏を聴いたほうがずっと良いのである。戸田の音楽は今夜のこの場で戸田しかだせない音で作っていたから感動したのではあるまいか?

これで今年の前半の自分の音楽会は終わり秋シーズン(9月)までお休み。秋はスカラ座ありウイーンフィルあり、チェコフィル、ゲヴァントハウス、新国立は「オテッロ」で開幕など楽しみ満載である。
おわり