2020年1月17日
於:NHKホール(1階18列中央ブロック)
N響、第1931回定期公演、HKホールCチクルス
指揮:クリストフ・エッシェンバッハ
ピアノ:ツィモン・バルト
ブラームス:ピアノ協奏曲第二番
ブラームス:ピアノ四重奏曲第一番(シェーンベルク編)
都合により1曲目の途中で退席してしまったので中途半端な内容になるが記録として書いておきたい。
ピアノ協奏曲第二番は私の青春の証明だ。20代前半、バックハウス/ベーム/ウイーンフィルで盤が擦り切れるくらい聴いてきた曲だ。今はバックハウスよりギレリス/ヨッフムの演奏を好む。ギレリスの男性的で、スパッと刃物で切るような鮮烈なピアノの音は何物にも代えられない。ロシア人だがヨッフムとの組み合わせで、ドイツ音楽を聴いたという気分にさせられる演奏だ。最初の主題がピアノで演奏されると背筋が伸びる。
若手で伸び盛りのグリモーの演奏を聴いてみたがこれはギレリスとはま反対のまったりした、まるで日向ぼっこをしているような音楽。悪い意味ではなく、居眠りがお迎えに来るような演奏である。したがって私には今はギレリス一途でこの曲を聴いている。
さて、今日のピアノはアメリカのフロリダ出身の人。巨漢であり見た目では年齢がわからない。豪快な演奏をするかと思ったら、1楽章の主題の入りなどなんとも繊細で面食らう。全体に緩急のギャップが大きい。駆け出したと思ったら、立ち止まり、そして駆け出す。そこにはなにか定まった考えがあるというより、感興のままに引き飛ばすという印象。しかし、例えば、1楽章では主題の提示の部分(展開部、再現部での主題の回帰も)では必ず立ち止まるような速度になり、そこからぴゅっと走り出すというワンパターンが次第に見えてくるのが興ざめだ。感興のままというよりわざとらしさのほうが気になってくる。
最もそういうやり方にフィットしているのは、2楽章。最初の情熱的な主題のばりばり進むさまはさすがに熱くなる。そしてその後の中間の部分のしっとりしたタッチはわざとらしさは皆無で、自然な感情が感じ取れる。
3楽章はエッシェンバッハとN響メンバーとのオーケストラの入りの(長大)部分がなんとも気持ちが良い。チェロのまろやかな音に木管が絡み極上の響きだ。しかし指揮者がそういう流れを作っているのに、ピアノは停滞感がはなはだしい。私はオーケストラの流れに乗って、さわやかに進めて欲しいのだが、ピアニストとしてここではねっとり表現しないときが収まらないらしい。
4楽章は1楽章と同じような趣。
エッシェンバッハとピアニストとは何度も共演しているらしく、呼吸はあっているはずだが、過去聴いたエッシェンバッハのブラームスとは随分と違った印象で、これは過去聴いたブラームスの二番の中でも相当ユニークな演奏であることは間違いがないだろう。ライブゆえ、このような演奏スタイルがあっても決してかまわないだろうし、こういう融通無碍な演奏を好む方を否定はしないが、この曲のもつロマンの香りやドイツ音楽的な部分が少し抜けているのではないかという疑問が最後まで残った演奏だった。
演奏時間は53分強。このような演奏スタイルだと曲が間延びするのは致し方あるまい。アンコールはなし。
所用で後半のプログラムはパス。
〆
於:NHKホール(1階18列中央ブロック)
N響、第1931回定期公演、HKホールCチクルス
指揮:クリストフ・エッシェンバッハ
ピアノ:ツィモン・バルト
ブラームス:ピアノ協奏曲第二番
ブラームス:ピアノ四重奏曲第一番(シェーンベルク編)
都合により1曲目の途中で退席してしまったので中途半端な内容になるが記録として書いておきたい。
ピアノ協奏曲第二番は私の青春の証明だ。20代前半、バックハウス/ベーム/ウイーンフィルで盤が擦り切れるくらい聴いてきた曲だ。今はバックハウスよりギレリス/ヨッフムの演奏を好む。ギレリスの男性的で、スパッと刃物で切るような鮮烈なピアノの音は何物にも代えられない。ロシア人だがヨッフムとの組み合わせで、ドイツ音楽を聴いたという気分にさせられる演奏だ。最初の主題がピアノで演奏されると背筋が伸びる。
若手で伸び盛りのグリモーの演奏を聴いてみたがこれはギレリスとはま反対のまったりした、まるで日向ぼっこをしているような音楽。悪い意味ではなく、居眠りがお迎えに来るような演奏である。したがって私には今はギレリス一途でこの曲を聴いている。
さて、今日のピアノはアメリカのフロリダ出身の人。巨漢であり見た目では年齢がわからない。豪快な演奏をするかと思ったら、1楽章の主題の入りなどなんとも繊細で面食らう。全体に緩急のギャップが大きい。駆け出したと思ったら、立ち止まり、そして駆け出す。そこにはなにか定まった考えがあるというより、感興のままに引き飛ばすという印象。しかし、例えば、1楽章では主題の提示の部分(展開部、再現部での主題の回帰も)では必ず立ち止まるような速度になり、そこからぴゅっと走り出すというワンパターンが次第に見えてくるのが興ざめだ。感興のままというよりわざとらしさのほうが気になってくる。
最もそういうやり方にフィットしているのは、2楽章。最初の情熱的な主題のばりばり進むさまはさすがに熱くなる。そしてその後の中間の部分のしっとりしたタッチはわざとらしさは皆無で、自然な感情が感じ取れる。
3楽章はエッシェンバッハとN響メンバーとのオーケストラの入りの(長大)部分がなんとも気持ちが良い。チェロのまろやかな音に木管が絡み極上の響きだ。しかし指揮者がそういう流れを作っているのに、ピアノは停滞感がはなはだしい。私はオーケストラの流れに乗って、さわやかに進めて欲しいのだが、ピアニストとしてここではねっとり表現しないときが収まらないらしい。
4楽章は1楽章と同じような趣。
エッシェンバッハとピアニストとは何度も共演しているらしく、呼吸はあっているはずだが、過去聴いたエッシェンバッハのブラームスとは随分と違った印象で、これは過去聴いたブラームスの二番の中でも相当ユニークな演奏であることは間違いがないだろう。ライブゆえ、このような演奏スタイルがあっても決してかまわないだろうし、こういう融通無碍な演奏を好む方を否定はしないが、この曲のもつロマンの香りやドイツ音楽的な部分が少し抜けているのではないかという疑問が最後まで残った演奏だった。
演奏時間は53分強。このような演奏スタイルだと曲が間延びするのは致し方あるまい。アンコールはなし。
所用で後半のプログラムはパス。
〆
コメント