2019年11月26日
於:サントリーホール(1階18列右ブロック)

ケルン放送交響楽団/マレク・ヤノフスキ2019来日公演
ヤノフスキー

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第五番「皇帝」(ピアノ:チョ・ソンジン)

ベートーヴェン:交響曲第三番「英雄」

ヤノフスキの凄味を感じた公演。これは強力なベートーヴェンである。
 まず「英雄」から。ベートーヴェンの音楽的精神構造として、よく言われるのは苦悩の認識と勝利の達成という英雄的気質である。そして苦悩は光明を見出すための人生の必要条件であり、ベートーヴェンは個人的な体験を音楽で普遍的に表現している。
 英雄以前の1番や2番の交響曲はいわば音楽の「音」を追求したものでありあえて言えば純音楽的なものである。それに対して「英雄」は純音楽の対極的なもの、あえていえば標題音楽である。ただベートーヴェンの場合は具体的な事象や体験を音楽にしたのではなくあくまでも精神的な体験を音楽にしている。プロセスでいうとこうなる。苦悩→絶望→不屈のエネルギー→高揚である。(参照:ベートーヴェンの精神的発展・SULLIVAN)

 そして今夜のヤノフスキは私たちにそのベートーヴェンの心の旅路を体験させてくれたのである。こういうことを感じさせてくれる「英雄」の演奏と云うのはもうあまりお目にかかることはなくなっている。CDでは古くはフルトヴェングラー、カラヤン、ベームそして最近ではティーレマンくらいではないか?古楽派とその影響受けた指揮者が大勢を占める中で、ベートーヴェンも純音楽的に演奏されるのがスタイルになっている。ノリントンの演奏を最初に聴いたときは口もきけないほど驚いたが、しかし今聴いてみると決してベートーヴェンの心の旅を共体験させてくれる演奏のようには思えないのである。
 ヤノフスキの演奏は1楽章からベートーヴェンの苦悩と闘争を感じさせてくれる、最初の和音はあたりが優しくおやっと思ったが、第1主題の提示の激しさには圧倒されてしまった。音楽は怒涛のように迫り、聴き手を押しつぶしてゆく。展開部でしばしの安らぎは感じるが、決然としたホルンによる再現部のスタートともに私たちはまた戦場に駆り出される。コーダの緊迫感は形容しようがない。主題の反復もいれて、相当速い演奏時間だが(約16分)、古楽風のあわただしさがないのは時折ふっと息を抜くようなところがあるからだろうか?最後の和音のあたりもやさしい。
 2楽章は比較的あっさり目だが中間ではベートーヴェンの絶望感を共体験ができる。そしてスケルツオでは再び闘争心を燃やしてゆくそういう音楽が聴ける。最大の聴きどころは4楽章である。ここは全編輝かしく(きらびやかではない)、勝利を確信した英雄の雄大な音楽である。この高揚感、久しぶりに感じた。おそらくベーム/ウイーンフィルのCD以来だろう。
 ケルンの演奏はロイヤルコンセルトヘボウに比べると幾分荒削りのような気がする。弦は時折ささくれだった音を出す。しかし今夜の演奏のスタイルにはかえって緊迫感を出していたのではないかと、ついひいきをしてしまう。指揮者がいかに重要かがここに示されているのだ。演奏後の盛大な拍手とブラボーの嵐は、熱狂的なヤノフスキのファンがいることを物語っている。ベートーヴェン指揮者としてのヤノフスキの注目すべき演奏だ。演奏時間は48分。

 「皇帝」というとなにかきらびやかな音楽と云う印象で、私はむしろ3番や4番すきだ。しかし学生のころはこの曲が大好きで特にルービンシュタインの演奏を何度も何度もくり返して聴いたのを覚えている。ルービンシュタインが来日してなんと武道館で演奏したのを聴きに行ったくらいなのだった。
 さて、今夜のピアノは2015年ショパンコンクールの優勝者チョ・ソンジンである。直後にショパンのピアノ協奏曲を聴いたが正直あまりインパクトはなかった。
 しかし今夜の演奏は立派である。これは先日聴いたランラン/ヤルヴィの演奏の対極に位置するピアノである。曲は違うがあのときランランは同じベートーヴェンの二番の協奏曲を弾いた。これは自由奔放でまるで草書のようなピアノ、いままで聴いたことのない演奏だった。しかしチョ・ソンジンはそのように崩して演奏はしない。むしろ厳格といって良いだろう。そしてピアノの音も決してきらびやかにならず端正な響きでとてもよかった。これはチョ・ソンジンには申し訳ないがおそらくヤノフスキの考えも相当反映されていたのではないだろうか?事実ここでのオーケストラの響きは「皇帝」ではないような渋くて重厚もので、この二つの芸術家の醸し出す「皇帝」も唯一無二、彼らのコラボレイションでしか生み出しえない域に達していたと思う。これは近年最も感動した「皇帝」だった、演奏時間は37分。アンコールはブラームスの間奏曲118-2.これも落ち着いたピアノのサウンドが曲想にあっていてアンコールとしては珍しく聴きごたえがあった。