2019年9月23日
於:東京文化会館(1階14列中央ブロック)

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英国ロイヤルオペラ 2019年日本公演
 ヴェルディ「オテロ」

指揮:アントニオ・パッパーノ
演出:キース・ウォーナー

オテロ:グレゴリー・クンデ
ヤーゴ:ジェラルド・フィンリー
デズデモーナ:フラチュヒ・バセンツ
エミリア:カイ・リューテル
カッシオ:フレデリック・アンタウン
ロデリーゴ:グレゴリー・ボンファッティ
ロイヤルオペラ合唱団
ロイヤルオペラハウス管弦楽団
協力:東京バレエ学校

オテロは悲劇であることは誰でも知っていること。しかし今日の公演を聴いてこのオペラが聞くも涙。語るも涙の悲劇であることを改めて思い知らされた。
 第4幕、オテロとデズデモーナの寝室の場。デズデモーナは「柳の歌」を歌い「エミリアさようなら」と歌いながらエミリアと抱き合う。今日のこの場面、いつも以上に絶望的に感じた。悲劇の予感!
そして、デズデモーナの「アヴェ・マリア」、この静かな語るような歌い口はもう心が清められた達観したような心境すら感じられる。
 そしてデズデモーナは浅い眠りに落ちる。ベッドには横にならず、ベッドの端に体を預けている。そこへオテロが登場。湾曲した剣を持ちデズデモーナを刺そうとするが躊躇。耳元に唇を寄せるとデズデモーナが目を覚ます。オテロがデズデモーナを殺害する場面。ここでなぜオテロがいままであのような態度をとってきたのかがやっとデズデモーナにもわかったのだ。カッシオとデズデモーナは関係は何もなくとも、親しかったことは事実。第2幕でカッシオがデズデモーナに復職を頼む場面で、親しげに本を挟んで顔を寄せ合う場面がある。そう言う積み重ねにヤーゴの油。デズデモーナが死の瞬間、後悔しなかったとは思えない。そういう場面だ。
 オテロはデズデモーナを枕で窒息させる。この場面どこかで見たことがあると思ったら映画「天井桟敷の人々」でシェークスピア俳優になったフレデリックが映画のなかでオテロに扮しデズデモーナを殺害する場面とそっくり。
 しかしエミリアが登場して事の真相が明らかになる。オテロの胸によぎる深い悔恨。クンデの歌唱からはそれが痛いほどよくわかる。人は後悔をしながら生きているようなものだが、このドラマのように取り返しのつかない後悔もある。だから悲劇となるのだろう。
 オテロの死の場面、私たちはオテロの深い悔恨に大いに共感するのだ。この4幕の演出はもちろんウォーナーだけれど、この公演ではパッパーノやクンデそしてバセンツらの音楽がなければ成り立たない、まさにオペラらしいパフォーマンスといえよう。今日の公演については、もうこれ以上書くことはあまりないが、いくつか印象に残ったを点描する。

 パッパーノは「ファウスト」も素晴らしかったが、「オテロ」は、一層と言って良いかかわからないけれど、パッパーノらしい。1幕のオテロの登場や2幕のヤーゴの「クレド」、オテロの「清らかな思い出は遠いかなた」そして2幕の幕切れの2重唱など火を噴くような場面があったかと思うと、1幕の愛の2重唱や4幕全体の情緒的な進行、心の機微をしっとりと描く場面もある。この対比が、この悲劇のためには、決して不自然ではなく、かえってこれは必然と思わせるところがすごいところだ。

 クンデは昨年デグリューを日本で歌ったが、その時ははたしてオテロはどうかと思ったが全く杞憂に終わった。次第にエンジンがかかり2幕はベストの歌唱だろう。4幕は上記の通り。過去のモナコやドミンゴとはまた一味違った苦悩の人の歌唱を聴かせてもらった。
 デズデモーナは3幕のオテロに侮辱されるシーンから歌唱がガラッと変わる。単なるお嬢様ではないのだ。こういう造形のデズデモーナは過去ないとは言えないが、今日のデズデモーナのオテロの侮辱に対する反応は今までになく激しく、驚かされる。これも演出なのだろう。4幕の歌唱の素晴らしさは上記のとおりである。
 ヤーゴは裏表のないオテロとデズデモーナを引きずり回す役どころ、これはフィンリーの見事な歌唱で聴きとれる。ただよく言われるヤーゴがオテロを食ったとか、タイトルはヤーゴにしたほうが良いというような言い方はできないと思う。この公演ではあくまでも舞台回し。悲劇の主人公はオテロとデズデモーナなのだ。

 ウォーナーの演出は案外とまともだった。奇をてらったところはなく、音楽に和した演出だと思う。彼は日本では東京リングの演出で知られていると思うが、あのメルヘンチックなリングとはまるで違う、シェークスピアの地元の舞台にふさわしいと思われた。
 ただ、装置の類は随分とシンプルなもので昔スカラ座の公演で見た豪華な舞台が懐かしい。唯一迫力のある場面は第3幕のヴェネチアの使者たちの登場シーン。
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この獅子の像はかなり迫力があったが、ほんの数十秒しか出てこないのは寂しい。3幕の最後でオテロがヤーゴに踏みつけにされる場面にも登場するかと思ったら出てこなかった。使者たちの入場の場面だけだったのはもったいない。ただ4幕ではこの像はばらばらになって舞台の右上の中二階のような部屋の置かれていた。

 舞台の背景は奥にすぼまって並べられているパネルが壁のようになっている。ただこの壁の何枚かはスライドして動き、それが透かし彫りになり。明るい場面では、照明効果で美しくなるが、大体の場面では薄暗いといえよう。正面にはスクリーンがあり、例えば1幕の幕切れのように星を映し出したりする。
オテロ

この場面は1幕のカッシオが酔っぱらう場面だが、かくのごとく薄暗い。
また、例えばオテロが歌う「神よあなたは私に不幸のすべてを与えられた」は真っ暗な中、オテロにのみ照明を当てられる。ここも薄暗いのだがしかしこのオテロの心情を語るにはふさわしい舞台だと思った。なおこの演出は2017年初演のもの。あの時はヨナス・カウフマンがオテロを歌った。

 演奏時間141分の、久しぶりに興奮をしたオテロだった。