2019年9月20日
於:NHKホール(18列中央ブロック)
enukyou

NHK交響楽団第1919回定期公演
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ソプラノ:ヴァレンティーナ・ファルカシュ

リヒャルト・シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」から「最後の場」

マーラー:交響曲第五番

カプリッチョの最後の場は当たり前のことだがオペラの舞台を見たほうが一層その美しさを感じる音楽だ。2004年のカーセンの演出パリオペラ座の公演を見たことのある人(映像)はみなそう思うだろう。このDVDではルネ・フレミングが歌っていた。声の印象としては今日のファルカシュとはだいぶ異なる。フレミングはシュトラウスでも元帥夫人を歌う人だし、ファルカシュはどちらかというとデスピーナやスザンナ歌手なのだから異なって当たり前だ。しかしこのマドレーヌは鈴をころがしたようなころころいう声で誠に魅力的で、これはこれで素晴らしいマドレーヌだった。N響のサウンドもさいしょの月光からもうシュトラウスの豊潤な音の世界であった。

 次のマーラーはなかなか扱いにくい演奏だった。まるで顕微鏡で覗き込んだような実に微細な音楽を聴かせる。高級な細密画を見ているようだ。楽譜が読める人はおそらく、指揮者の細かい指示に狂喜乱舞するのではと思わせる演奏のようだ。しかし全体を通すと少し神経質すぎやしないだろうかとも思う。聴いていてとても疲れた。特に前半の3楽章はそうだ。2楽章の終わり方のいかにももったいぶった様子。3楽章のレントラー風のメロディーも素朴さよりも作為的なものを感じてしまう。その割には終結に近いところのホルンの掛け合い、そう奈落の底に落とされるような音楽は、あまり深刻には聴こえない。
 しかし、4楽章のアダジェットは素晴らしい。少しはやめのテンポでまるで一筆書きのように一気呵成に音楽が進む。ここではあまり作為的な部分は感じられず、音楽は自然に流れて今夜の白眉。わずかにクライマックスへむかう途中で揺らぎが出るが、これはかえって変化を与えて、音楽が膨らむ。見事な表現。オーケストラの透明感も引き立った。

 5楽章も素晴らしい。前半の3楽章と比べると音楽を自然に流しているように聴こえて、マーラーの持つオーケストラサウンドのパワフルさを引き出していたように思った。ヤルヴィはブラームスでも感じるのだが、時々楽章間のスタイルが変わるように思って、どうも全体の統一感にいつも物足りなさを感じるが今日の演奏も私にはそういう一面が出たような気がした。まあわたしの聴き方が固定観念にとらわれすぎているのでしょうね。
 N響後半2楽章のパフォーマンスはさすがと思わせるものを感じた