ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2021年05月

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最後まで、引っ張られる作品だ。最後の数十ページでやっと全貌が明らかになる。大体この手の作品は途中で先が見えてくるのが通例だが、そうはならない。

 柚木裕子「孤狼の血」の大上と日岡のコンビのごとく、2人の刑事が中心のクライムサスペンスだ。
1人は影山刑事、37歳、神奈川県警本部から最近所轄の川崎中央署刑事課に転任になった。本人が希望した異動だったらしい。10年前の通り魔による女性殺人事件を、刑事課の組織を無視して、独自に捜査をしている。
 もう一人は村上刑事。交番勤務を終え、昇格し、川崎中央署の刑事課に配属になって、1週間の新米刑事である。影山はこの村上に目をつけ、捜査の動向を強制する。周りから胡散臭い目で見られている影山との同行はいやいやながらだったが、次第に10年前の事件に不審を持つようになり、自らものめりこむようになる。
 そのような中、管内でまた殺人事件が起きる。村上はその捜査に忙殺されるようになる。10年前の殺人事件と起きたばかりの殺人事件の2つの狭間で、影山と村上のつながりは、次第に親密になってくる。

 コロナ禍で外出もままならない、今日この頃、のんびりと読書もよいのではないか、そのようなタイミングに最適な作品だ。書きたいことはいろいろあるが、ストーリーに触れることになり、興を削ぐだろうからやめた。日ごろの空間と異次元の世界を体験しよう。〆

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原題は「DESTROYER」。
 ロスアンジェルス市警、刑事のエリン・ベル(ニコール・キッドマン)が主人公である。最初の殺人現場での登場シーンが印象的である。まるで酔っぱらったみたいにふらふら、よろよろ、顔はくすんでしわが目立つ、老いの進んだ顔だが、年齢はよくわからない。体はマッチ棒のようにスリムである。彼女がベル刑事。彼女がニコール・キッドマンとは最初の30分くらいは全くわからない。それでも見ていると、どこかで見た女優だが、さて、だれだろう。そう思いながら見ていると、彼女の過去の映像が出てくる。しかしそれもそばかすだらけで、これだれ?といった印象だった。しかしあきらかにニコール・キッドマンだった。おそるべきメイク・アップ。

 ベル刑事はいまは殺人課の鼻つまみ者だ。誰もが相手にしない。相棒のアントニオが気遣うが、ベルは意に介さず、すべてマイペース。まさに組織のアウトロー。
 彼女は17年前、FBIのクリスと組んで、凶悪ギャング団に潜入捜査する、しかしギャング団の犯行の当日のミスが相棒の死と銀行員の死を招く。彼女はそのほか何やら暗い影を背負い生きている。

 そんな、彼女に対して、当時のギャング団のリーダーのサイラスがコンタクトしてくる。ずっと潜伏していた、亡霊がよみがえったのである。ベルの捜査は暴走する。
 このベルの人生は潜入捜査のミスで大きく狂ったが、この原因は果たして何か?この映画を見ている人に監督は問いかける。新米刑事にこのような大役を振ったFBIの責任か?相棒のクリスの責任か?銀行員の勇気ある行動が原因だったのか?
 しかし、サイラスはベルの性格の本質を見破っていた、彼女は野心的で上昇志向、つまり何か機会があれば、目立ちたいそういう女だった。果たしてそういう性格がベルを狂わせのか、人間の生きざまはなによって決まるのか?おそるべき問いを私たちに突き付ける映画だ。最後が怖いし、虚しいし、無である。

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2004年の湾岸戦争におけるアメリカの陰謀を暴いた女性の物語だ。キーラ・ナイトレイが好演。
 主人公はキャサリン・ガンという英国情報通信本部に勤める女性だ。この組織は諜報活動で手に入れた情報を翻訳することを主任務とした、いわゆる情報部である。彼女はある時、アメリカのNSCから入電したFAXを読んで愕然とする。それはアメリカが英国に宛てたもので、国連での多数派工作によって、イラクとの戦争を始めるという陰謀だった。米英が組んで湾岸戦争に突入するその直前だった。

 彼女の夫はクルド系のトルコ人でモスレムである。そういう立場をはねのけて、彼女はこの情報を、新聞社に告発する。結果的に戦争は始まってしまうが、それを阻止したいという思いが、国への反逆罪という恐れをはねのけて、彼女は勇気ある行動をとったのだ。

 彼女は起訴されるが、果たしてどうなるか?実話に基づく作品である。

 レイフ・ファインズ(弁護士)など脇役も良く、面白い作品に仕上がっている。大体こういう国家に反発するというストーリーは痛快であり、主人公の勇気に驚嘆し、共感する。それはほとんどの普通の人々には決してなしえないことだからだ。

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社会派ミステリーといえるだろう。
東京グランドアリーナのアニメコンベンションを待つ人々に、火炎瓶を投げつけた男がいた。犠牲者は8人、そして大勢の重軽傷者。犯人は斎木 均といい、その場で自ら火をかぶって、自殺する。犯人死亡で、この凄惨な事件を起こした斎木の動機が不明なままで時間が過ぎてゆく。

 しかし、斎木の過去が暴かれる中で、30年前の小学校時代のいじめが取り上げられたのである。本書の主人公である、安達は斎木と同級生で次第に、その当時のいじめを思い出す。自らがいじめの加害者だった記憶がよみがえったのである。いじめが斎木の事件の引き金になったのではないかと云う、思いが黒雲のように、安達の胸の中に広がる。

 この作品の主題はいじめであることは読んでいてよくわかる。そして、それが大事件の原因になったことによる、いじめの当事者たちの、心理を微細に描いた作品である。しかし最後まで読んでも,結局それだけで、わずかに最後に変化はあるが、物語全体でいえば小波動のようなものであり、云って悪いが、とってつけたような結末は、この作品のクライマックスはどこなのだろうとおもわせる、つまり何となく平板に終わってしまう印象が強い。メッセージ性のみが印象に残り、ミステリーとしては未消化な印象を受けた。貫井氏の作品にしては、少々地味だが、かといって味があるわけでもないという作品だと思う。〆


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小説家と云うのは、本当の才能がなければ、面白い本が書けないのだ、と云うのが、本書を読んだ感想である。

 「泳ぐ者」など という奇妙なタイトルにどうしても目が行くが、それはそれとして、本小説の私がまず、感じた面白さはこの時代小説が醸し出す、時代感である。これが滅法面白いのだ。
 いろいろあるのできりがないが、一つはこの時代の人は実によく歩くということだ。本書の主人公の徒目付の片岡直人が江戸の町や近郊を探索で歩くわけだが、その時の道端や細い路地の描写などあたかも自分がその時代にワープした感がある。

 しかし、もっと面白いのは、主人公が「食う」食い物である。江戸時代の人々の食生活の一端が味わえるが、実に魅力的である。これは料亭の料理ではなく、居酒屋などで供されるのだから、おそらく、安く、庶民も手軽に食すことができた食い物なのだろう。

 例えば、3ページの神田多町の居酒屋、七五屋。店主は喜助。主人公の直人が「利休飯」を食べているところに、上役の内藤雅之(徒目付組頭)が登場する場面だ。さて、利休飯とは何だ。直人は胃の調子をおかしくしているという設定である。利休飯とは、ほうじ茶を炊き水に、吸い物よりうすくした出汁をかけ、笹掻き茗荷(茗荷を笹のように薄く削ぐ)と浅草海苔を散らしただけの飯だそうだ。胃に優しい飯のようだが、なんだかうまそうだ。喜助はそれに搔き鯛の小鉢を添えている。搔き鯛とは三枚におろした小鯛を出刃の刃先で削いだものである。これもさっぱりとしてうまそうで、喜助の直人への優しい気持ちが伝わるようだ。
 その後、雅之の食べる川鱚の料理もうまそうだが、割愛する。

 もう一つうまそうなのを紹介しよう。日本橋室町一丁目の高砂新町の押し寿司屋「岸福」。「鯛の香の物鮨」を食うという。なんだこの鮨は? これは酢飯に、皮を引いて薄切りにした鯛を、小口切りにしたたくあん漬けと混ぜ合わせ、半日ほど重しをかけてから、普通の飯のように椀に盛るのだそうだ。これもなんだかうまそうだ。鯛と沢庵なんて、ちょっとびっくりだが食べてみたい。食後のデザートは餅菓子屋に立ち寄り「饅頭の皮を薄くはいだ、朧饅頭」を食う。おしゃれだねえ。これもうまそうだ。饅頭屋と云うのが江戸市中にあるのがなんともスゴイではないか?
 もうひとつだけ、駒形町の川岸にある「墨屋」と云う蕎麦屋。そこで直人が食うのが「霰蕎麦」である。墨屋の評判メニューだそうで、貝の小柱を海苔の上に散らして、冬の「霰」にみたてたかけそばである。これも大した値段ではなさそうだ。直人が町人と食事する場面だ。二人は実にうまそうに食す。
 まあ、こんな風景が出てくると実に楽しく小説の筋などどうでもよくなるが、ところがこの小説も人情の機微や、江戸時代の官僚制度の実態やら、じつに多面的に描かれている。

 本作の本線は2つの殺人事件である。それを、直人が徒目付としてなぜ犯罪が起きたのかを調べるというものであるから推理小説としても面白いのだ。

 ご存知のように目付は監察であり、侍を取り締まる。目付はその部下に徒目付を置き、具体的な調査をさせる。江戸時代は自白主義だから自白してしまえばはいそれまでよだが、徒目付頭の雅之は、その事件の背後を、そのような調べに天分を示す、片岡直人に調べさせるという寸法だ。

 ちなみに、直人は御家人だが旗本ではない、彼はなんとか旗本に這い上がり、子孫にそれを世襲させるべく、江戸幕府の官僚のシステムの底辺から、一歩一歩這い上がる、今はまだ半席と云うポジション。あと一歩で旗本になるというところまできた。そういう設定である。

 本線の殺人事件の推理も面白いが、江戸時代の(19世紀初)の味わい、庶民の生活(食事)、江戸官僚システムの実態、更には、歴史的背景としては、長崎フェントン事件やら、ロシアの来航などをも織り込んで、1冊で、2つも3つも楽しめる、秀作である。これだけ重層的に描かれているのに、決して話はもたれないのは著者の才能だろう。歴史小説好きには必見の作品だ。〆

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