ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2021年03月

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大河ドラマ主人公の吉沢 亮主演の青春ドラマ。
 電脳(AI)将棋対プロ棋士との対決をクライマックスにしている、将棋を題材にした映画である。実際に電脳対プロ棋士は2015年にこのドラマのタイトルとなっているAWAKEというソフトで対戦があったそうだが、それを題材にしたわけではなく、基本的には監督によるオリジナルストーリーだそうだ。

 2003年、将棋の奨励会に入会した数少ない少年たち、そのなかでも浅川(若葉竜也)と清田(吉沢亮)は注目されていた。60人の少年の中から1年に数人しかプロになれない狭き門。結局清田は競争に敗れ、別の道を歩むことないなる。
 浅川は順調に勝ち進み、プロ棋士となり最年少で新人王を獲得する。
 一方、清田は21歳で大学を受験し、入学するが、悶々とした学生生活を送っている。そんななか電子知能研究会と云う同好会のチラシを見つける。そこで磯野(落合モトキ)という電子オタクと知り合い、人工知能にはまり込む。やがてAWAKEという将棋ソフトを開発して、アマチュア棋士たちと対戦、無敵を誇るようになる。
 マスコミも注目し、プロの棋士との対戦を企画する。そして白羽の矢が当たったのは、なんとその当時7段になっていた浅川だった。この因縁の勝負に、大いに盛り上がるが、決着は思いがけない方向となった。

 吉沢亮は渋沢栄一役では大根かと思っていたが、この清田と云う、少々陰のある、ぶきっちょな男を好演している。時折光る彼のまなざしの鋭さは怖い。面白い映画だ。



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ネットフリックス配給の映画である。

 国連の高等弁務官、セルジオ・デメロの物語である。2003年、彼はブッシュ率いる多国籍軍が支配する、イラクのバクダッドへ入る。その当時バグダッドは混乱の極みで、多国籍軍(実際は米軍)がイラクの人々を抑圧し、反政府活動を取り締まった。あの悪名高いアルグレイブを復活させようとまでしていたのである。
 しかし、国連のセルジオ・デメロは東ティモールやカンボジアなどで数々の紛争を解決してきた男である。そういう軍の一方的の動きに対して、国連はアメリカ軍に従属するものでなく、独立する機関であると表明、軍と対立をする。そして8月19日を迎える。

 過去のセルジオの業績を、回顧するように東ティモールやカンボジアでの活動やラブ・ロマンスなどを、パッパと挿入するが、果たしてそれが生きたかどうか?私にはちらちらと煩わしい。特に経済顧問のカロリーナとのラブ・ロマンスはウイキペディアを見ればよくわかるが、どういう位置づけなのかさっぱりわからなく、2人の挿話が入るとドラマが止まり、しらける。

 これで、セルジオの英雄的行為を示せたのだろうか?疑問の残る作品だ。〆

2021年3月27日(於:サントリーホール)
指揮:井上道義
ピアノ:北村朋幹(ネルソン・ギルナーの代演)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第四番

ショスタコーヴィチ:交響曲第六番

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久しぶりの東響の定期公演である。客席(1階)はかなりの入りでイベントも、自粛解禁で少し緩んでいるのかもしれない。

 代演の北村はコンクールの入賞実績もある人のようだ。私は初めて聴く。
 さて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲四番、楽団員の入場前の楽器配置を見ると、随分と人数が少ない。席に着いた人数は低弦はコントラバス2,チェロ2、また第2ヴァイオリンは4と随分と少ない。管楽器は指定通りの2管編成である。はたしてどのようなサウンドが聴けるのか?

 この協奏曲は英雄的な「三番」と「皇帝」にはさまれ、あたかも交響曲の「英雄」と「運命」に挟まれた四番の交響曲のようだ。そして今夜の演奏もそういうイメージを受けて、実にすがすがしい演奏だった。
 聴きものは3楽章の北村のピアノだろう。ここで聴くピアノは、もうベートーヴェンの枠にとらわれない、自由闊達なもの。音はひらひらとホールの中を舞い飛び、きらきらと美しいが、音楽の進め方が、あの小曽根真のモーツアルトのように、型通りにはすすまない。サーっと駆け出したり、少しためを作ったり、聴いていて、アドリブとは言わないが、初めて聴いた音楽のようだ。実に楽しい音楽を聴かせてもらった。2楽章も低減のゴリゴリいう部分が編成の少なさもあってやさしいので、北村のピアノの繊細さが生きる。ここも魅力的だ。

 1楽章はオーケストラに注目したい。冒頭のピアノのソロの後、オーケストラがたからかに主題を演奏するが、これは編成の薄さもあって、まるで古楽のようなすっきりとした音楽だ。あくがとれたスープのように、透明で実に美しい。そこはきらきらとピアノが加わるので、これは実に見事なサウンドだった。演奏時間は34分。

 ショスタコーヴィチは井上のお得意音楽らしい。今日聴いた六番は初めて聴いた曲だが、井上の指揮ぶりはそれゆえか余裕しゃくしゃくだ。まあこの人は大体こういう指揮をする。

 この曲も、ショスタコーヴィチの他の交響曲のように含みがありそうだが、今日のプログラムではあまりそれに触れてくれないのがものたりない。日ごろあまり演奏されない曲だけにもう少し丁寧に書いてもらいたいものだ。
 バーンスタインはこの曲の第六番、ロ短調と云う調性からチャイコフスキーの「悲愴」の延長だという。1楽章に緩徐楽章が来るのも珍しい。悲愴と同様深い悲しみや慟哭が感じられる楽章だが、2~3楽章の脳天気な音楽との結びつきが、この曲の意味深さを表しているようだ。初演は1939年のドイツがポーランドを侵攻したした時、しかし独ソ不可侵条約で、ソ連は侵入されていない、つかの間の平和、それが2~3楽章の性格らしい、というのはバースタインの受け売り。作曲家はなにも解説していないので真相は分からない。

 井上の指揮は力のこもったもので、特に1楽章の悲劇的な音楽は、共感を呼ぶ。私はヤンソンスの盤を日ごろは聴いているが、その音楽とは偉く違って聴こえるのでたまげてしまった。ヤンソンスは27分で演奏しているが、井上は34分の演奏時間。ヤンソンス盤はカットがあるのだろう。1楽章に差があるように思った。
 2~3楽章は実に脳天気な音楽に聴こえ、井上もそう指揮をしているから、脳天気な音楽なのだろう。特に3楽章の後半などは、まるでジャズか、ハリウッドの映画音楽の趣。音楽は野放図に盛り上がり、ホールは鳴動する。
 1楽章の井上の指揮ぶりは、いつもよりずっとおとなしく、真摯なもの、曲想にあっていたが、後半になるといつもの、動きの激しいタコ踊りになるのは、相変わらずとはいえ、見ていてあまり楽しいものではなかった。
 しかし、曲全体としては、指揮者の意図がよくわかり、この曲を再発見した思いが強い。

 なお、全体を通して、東響の木管部分の美しさを改めた感じた。


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1962年のキューバ危機の13日の展開の中のワンピースの活動になるドラマだ。

主人公は、元プリンストン大学の数学教授、マンスキー博士(ビル・プルマン)である。彼は数学とチェスの天才であり、オッペンハイマー計画にも参画していて、それがトラウマになっている。今は落ちぶれて、場末の酒場で、カード賭博のいかさまで小遣いを稼いでいる。彼は酒を切らすことができない。酒を飲まないと、頭の回転が速くなりすぎて、精神が異常になるという。

 そんな中、キューバ危機が起きる。そしてそのさなかにソ連対アメリカの選手による、チェスの世界選手権がワルシャワで行われることになった。しかしアメリカ側の代表のコニグスキーは毒殺されてしまう。しかしルールでアメリカ側は代役を選出することができる。そこで白羽の矢が立ったのは、かつてコニグスキーを破ったこともある、マンスキーだった。

 しかし、このチェス大会はキューバ危機のさなかと云うこともあり、両国のスパイ活動の舞台ともなった。つまりアメリカ側はソ連に潜入しているモグラから核弾頭のデータを入手しようとし、一方ソ連側はアメリカ側に仕込んだモグラによってそれを阻止しようとする。スパイ戦争のさなか、アメリカ側の駒としてマンスキーは活用されたのである。

 13日間のケネディとその政権の苦悩とこのチェス大会との関係がもう少しジグソウのピースがはまるように、明確に描かれていれば、更に緊迫感がますだろうが、そうすると映画は2時間を超えてしまう。それゆえの、カットと思いたい。
 舞台はワルシャワであり、ポーランド人の面従腹背ぶりが描かれているのは興味深い。この作品はポーランド制作のためだろうか?
 マンスキーとオッペンハイマーとの関係はせりふでいえば1分もないが重たい。天才が落ちぶれたのは、原爆を広島と長崎に落とし多くの犠牲者を生んだことに自分が加担したことへの、こころの傷をさらっと触れている。その他枝葉にに仕掛けられたせりふの面白さは、政治ドラマとしての、センスを感じる。
100分強だが面白かった。
 脇ではよく見るが、ビル・プルマンも好演、ポーランド人の友人アルフレッドとの挿話は心が動かされる。ネットフリックス配給


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メル・ギブソンとショーン・ペンという2大オスカー俳優の共演によるドラマだ。19世紀半ば過ぎのイギリス。オックスフォード大学で英語辞典を編纂するという計画が持ち上がる。これは単なる言葉集めの辞書ではなく、映画の単語の解釈や引用が時代に応じて変化してゆく過程を記録するという膨大な作業が伴うものだった。白羽の矢が当たったのは、ドクターの資格もない、スコットランドの1学者、ジェームズ・マレー(メル・ギブソン)だった。

 しかしこれは予想通りの難行苦行だった。それをブレイクスルーしたのは、なんと、殺人犯で精神異常者の元米北軍の大尉ウイリアム・マイナー (ショーン・ペン)、軍医であり、外科医である。彼はライリーと云う因縁付きの男から追われている妄想を抱き、アメリカからイギリスへ逃げてくる。しかしそれでも妄想から逃れられない。そして、ライリーと間違えて、メレットという青年を射殺してしまい、刑務所の精神病棟に入ることになった。
 しかし、監房でマレー博士の研究のボランティアー募集の手紙を見て、マイナーの博識ぶりが発揮され、マイナーのサジェストは大いに、辞書編纂の進捗度を改善した。辞書編纂への参加と彼がメレットの未亡人の家族に示した贖罪の態度は彼の病状の回復をもたらした。

 しかし世の中はそう甘くなく、マイナーの方はオックスフォード大学の出版局の嫉妬に悩まされ、またマレーは院長の干渉に悩まされ、辞書の編纂は滞るようになるのだった。

 結局70年かかって完成するの。辞書編纂の苦難の道は見ていて息も詰まるようだが、マレーとマイナーの友情やメレット夫人とマイナーとの恋にも近い感情など、がその緊張を緩め、感動をもたらす。

 その潤滑油になる刑務所の看守のエディ・サーマンのひょうひょうとした演技が、うまいだろうと、いばっている、ショーン・ペンを食っているのがおかしい。メル・ギブソンははまり役。ショーン・ペンは相変わらず、演技過剰で私にはわざとらしいとしか思えない。なお、映画には内務大臣役で若きウインストン・チャーチルが登場するのも興味深い。

 日本でも「船を編む」という、大渡海と云う辞書編纂を描いた小説とそれをもとにした映画があったが、辞書の編纂と云うのは、事程左様に、ドラマになるのだろう。〆

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