ヘーゼルといえばヘーゼルナッツを思い浮かべるが、そのヘーゼルとは榛のことだ。だからヘーゼルナッツとは榛の実のこと。本作ではこの「榛」は対中和平秘密交渉をする ルートの一つを指す。
時は昭和、大戦前夜と云うべき時代だ。近衛文麿が重慶政府の蒋介石を相手にせずとの声明をだし、日独伊3国同盟を結ぶころまでの短い間の、和平交渉に参加した人々の群像を描く。
日中間の小競り合いが続き泥沼の様相を呈していたころ(1939年)、多くの和平交渉ルートがあったという。その一つのルートが「榛」ルートである。これは蒋介石と直接交渉して、この膠着した状況を打開しようというもの。これは軍部の一部も支持していた交渉ルートだった。桐工作という。リーダーは一ノ瀬大佐、大使館の黒月書記官、後は民間人の森崎(上海自然研究所の生物学者)、倉田スミ(語学教師で通訳)、新居周治(上海自然研究所の料理人でボディーガード)、双見(邦明新聞社の記者)それと中国人のフェイ・チュンリンである。
しかし一方日本政府・軍部は汪兆銘と組んで重慶とは別の中国政府を作りその政府と交渉しようとしていた。大きくいうと「桐工作」と「汪兆銘工作」が和平交渉の二本柱といえよう。
交渉の中心は日本軍の撤退および満州国の取り扱いである。結局最後までこの二つがネックになり交渉が破局し、日中戦争から太平洋戦争の道を歩むのである。特に満州国については日本側はなぜ中国側が文句を言うのか全く理解できないという姿勢だった。日本の気持ちは、それだったら香港やインドからイギリスが撤退しないのはなぜか、アメリカがメキシコを奪ったのに、なぜ返さないのかと云う思いだったのに違いあるまい。日本はよく言われているように、欧米のやっていることをまねしただけなのに、なぜ日本だけが糾弾されねばならないのか?軍部も政府も国民も理解できなかったに違いあるまい。和平交渉はまとまりそうになるが結局日本軍の駐留と満州国がネックで決裂したのは歴史であきらかである。
この流れの中で、「榛」チームはアメリカや経済人の宋子文ルートなどで道を切り開こうと模索する。その悪戦苦闘ぶりが本書のの中心であるが、しかしこれはただの歴史ストーリーではなく、その中で生きて行く若き人々の生きざまを描く小説なのだと云うのがミソだと思う。だから全体で300ページほどの作品ながら最初の100ページは主に「榛」チームに属す人々の生きざまの描写に終止するのである。ここをまだるっこしいと思うかどうかが本作の好悪の分かれ目と感じた。歴史小説の視点だけでなく戦争をまじかにした若者たちの群像劇と読めば、本作の新しい世界が開けてくるだろう。また中盤以降の交渉やもろもろの破壊工作はサスペンスとしても十分面白い。史実を織り交ぜながら、多面的な面白さを引き出す、読み応えのある作品といえよう。
〆