ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2021年02月


A1i82ELd-YL

ヘーゼルといえばヘーゼルナッツを思い浮かべるが、そのヘーゼルとは榛のことだ。だからヘーゼルナッツとは榛の実のこと。本作ではこの「榛」は対中和平秘密交渉をする ルートの一つを指す。
 時は昭和、大戦前夜と云うべき時代だ。近衛文麿が重慶政府の蒋介石を相手にせずとの声明をだし、日独伊3国同盟を結ぶころまでの短い間の、和平交渉に参加した人々の群像を描く。
 日中間の小競り合いが続き泥沼の様相を呈していたころ(1939年)、多くの和平交渉ルートがあったという。その一つのルートが「榛」ルートである。これは蒋介石と直接交渉して、この膠着した状況を打開しようというもの。これは軍部の一部も支持していた交渉ルートだった。桐工作という。リーダーは一ノ瀬大佐、大使館の黒月書記官、後は民間人の森崎(上海自然研究所の生物学者)、倉田スミ(語学教師で通訳)、新居周治(上海自然研究所の料理人でボディーガード)、双見(邦明新聞社の記者)それと中国人のフェイ・チュンリンである。

 しかし一方日本政府・軍部は汪兆銘と組んで重慶とは別の中国政府を作りその政府と交渉しようとしていた。大きくいうと「桐工作」と「汪兆銘工作」が和平交渉の二本柱といえよう。

 交渉の中心は日本軍の撤退および満州国の取り扱いである。結局最後までこの二つがネックになり交渉が破局し、日中戦争から太平洋戦争の道を歩むのである。特に満州国については日本側はなぜ中国側が文句を言うのか全く理解できないという姿勢だった。日本の気持ちは、それだったら香港やインドからイギリスが撤退しないのはなぜか、アメリカがメキシコを奪ったのに、なぜ返さないのかと云う思いだったのに違いあるまい。日本はよく言われているように、欧米のやっていることをまねしただけなのに、なぜ日本だけが糾弾されねばならないのか?軍部も政府も国民も理解できなかったに違いあるまい。和平交渉はまとまりそうになるが結局日本軍の駐留と満州国がネックで決裂したのは歴史であきらかである。

 この流れの中で、「榛」チームはアメリカや経済人の宋子文ルートなどで道を切り開こうと模索する。その悪戦苦闘ぶりが本書のの中心であるが、しかしこれはただの歴史ストーリーではなく、その中で生きて行く若き人々の生きざまを描く小説なのだと云うのがミソだと思う。だから全体で300ページほどの作品ながら最初の100ページは主に「榛」チームに属す人々の生きざまの描写に終止するのである。ここをまだるっこしいと思うかどうかが本作の好悪の分かれ目と感じた。歴史小説の視点だけでなく戦争をまじかにした若者たちの群像劇と読めば、本作の新しい世界が開けてくるだろう。また中盤以降の交渉やもろもろの破壊工作はサスペンスとしても十分面白い。史実を織り交ぜながら、多面的な面白さを引き出す、読み応えのある作品といえよう。


ca6c24cdce038781c7b3292d8d4fb406-1

ナチのユダヤ人抹殺 計画の設計者といわれたアドルフ・アイヒマン(ベン・キングスレイ)のモサドによる拉致計画の全貌を描いた映画だ。

 1960年~のアイヒマン裁判はいくつかの映画でも紹介されていたが、アルゼンチンに名前を変えて潜んでいたアイヒマンをモサドの一団が拉致するプロセスを克明に描いた映画はおそらく初めてではないか?モサド側の主人公はピーター・マルキン(オスカー・アイザック)、妹と甥姪をナチスに惨殺された記憶がいまだに鮮明だ。その他のこの拉致劇に参加のモサドのメンバーもみなそういう過去を持つ。そして当初は誘拐などまだるこしいことをしないで、一気に殺してしまえという空気が強かった。ピーターは中でも直情径行の性格で今回の作戦に疑問を持っていた。彼は勇敢だったが1954年にオーストリーでナチの残党と間違えて、無実の民間人を惨殺した経歴もあり、トップも今一つ信を置いていなかった。
 しかし、誘拐して、ブエノスアイレスに飛行機を待つ間、アイヒマンとの交流でピーターの気持ちは少しづつ変化してゆく。アイヒマン自身は決して殺人鬼ではなく、1官僚として命令に従っただけだという立場を崩さなかったからである。そして彼も一人の人間として妻を愛し、息子を溺愛した男だったのである。

 戦争のせいでそうなったというにはあまりにもナチスのユダヤ人抹殺計画は残虐であり、責任者の罪は償わされるべきであるが、このアイヒマン裁判がその計画のプロセスを初めて明らかにしたことは歴史として重要だったといえよう。そういう意味でこの拉致に携わった人々の殺害を抑制した自制心と云うか、忍耐は驚嘆すべきことだ。

 それにしても1960年のブエノスアイレスでナチスの残党がネオナチ集会を開いているということは恐るべき話だ。「オデッサファイル」でもネオナチが描かれているが、いまもってくすぶっているのだろうか?

 なお。この映画の登場人物はほぼ実在した人物であり、かなり史実に近いと思われる作品である。

 ベン・キングスレイのアイヒマンは好演と云えようが、50歳代のアイヒマンにしては少々年を取りすぎてはいないだろうか?オスカー・アイザックははまりやく。


_ (1)

1934年、大不況のさなか、ボニーとクライドというギャング団が横行。銀行を襲って有名になるが、大不況と云う環境のなせる業か、大資本の銀行を襲ったということで、一種の義賊扱いをされ、マスコミなどにはヒーロー&ヒロインに祭り上げられた。しかし現実には警官などを無残に殺害した、凶悪犯だった。

 テキサス州では2年間も彼らを追うが、捕まらず、すでに解散していた、テキサスレンジャーズの歴史的なヒーロー、フランク・フラー(ケヴィン・コスナー)を採用する。フラーは成功して、テキサスの豪邸に住んでいたが、説得に応じてボニーとクライドを追跡する。相棒は昔の部下だった、メイニー(ウッディ・ハレルソン)だ。テキサス・レンジャーズはならず者部隊となってしまった時点で、時代遅れとなり解散させられたのだ。今回復活したが、過去の生き残りはこの二人だけだった。解散のいきさつもあり、テキサス・レンジャーズとはつけられず、二人はハイウエイマン(highwaymen)と呼ばれることになった。これがこの映画の原題である。

 ボニーとクライドは「俺たちに明日はない」と云う映画で衝撃的に描かれたので、もうその結末もプロセスも誰もが知っているわけだけれど、追跡した側のこの二人のレンジャーズたちの追跡劇と云う視点もまた非常に面白い。
 この時点では二人はもう70歳を超え、よたよたしているが、新時代の捜査方法などくそくらえで、彼ら流の捜査で若いFBIなどをけむに巻くシーンなどなかなか愉快である。結末も「俺たちに明日はない」と同じようだが、もっとずっと、リアルになっていて、こうだったのかと思わせる作りである。有名な題材だけに作りは難しかったろうが、面白く見た。

 評価は2人のレンジャーズの演技だろう。コスナーは流石に老化が進み、声も張りがなく、元気もないが、これはその当時の年齢相当だったのだろう、そういう演技と思いたい。
 むしろ私はハレルソンの演技を評価したい。冷酷非情なフランクに対して、ちょっとホットな昔気質の警官といった味が出ていた。これは演技だろう。

 


119819c44453a204

金融資本主義に呑み込まれた韓国社会を描く。実話をもとにしたフィクション。

 アメリカの大手ファンドが大韓銀行買収に動く。しかし買収額は2兆ウオンにも満たない金額だ。資産価値は70兆ウオンだという。なぜこんなことが起きたのか?それはBIS(自己資本比率)低いという内部資料が流出してしまったからである。果たしてその真偽はやぶの中で、金額だけが先走り。、もしこれが韓国の金融委員会を通ればファンドはぼろ儲けできる。つまり安値で買った銀行を、高値で売り戻せば巨大な差益が出るのである。

 一方、このBISを流出した男女が不審な死を遂げる。男は交通事故。女は自殺である。しかもその女の自殺前には交通事故に絡んで検察の尋問があり、それがセクハラだったという。そしてそのセクハラが自殺の原因だとマスコミに暴かれてしまう。その検事がこの映画の主人公ヤン(チョ・ジヌン)である。彼は定職の処分を受けるが、濡れ衣を着せた陰謀を暴くため、孤軍奮闘するという話だ。

 結局これは政治決着となってゆくのだが、政治から司法まで金融資本主義にずぶずぶになった韓国社会経済の一面を描いている。
〆 

51WnKRd0adL._SL160_ (1)

こひねりのきいたサスペンス。IQ167のシングルマザー・ラケル(エア・スアレス)は生活力がないとのことで6歳の娘の養育権を取り上げられる危機に陥った。それを逃れるのには35000ユーロが必要だという。彼女はそれを得るために、銀行詐欺を企てる。つまり偽造の住宅権利書をもとにしてローンを受けるというのだ。

 さて、手続きの当日、うまく支店長を説得し35000ユーロが自分の口座に転がり込む直前、なんと男女2人組の銀行強盗が侵入。ラケルは強盗犯に取り入り、交渉人の窓口になったりして手続きを進めようとするが失敗。途方に暮れてしまう。

 さて、IQ167の頭脳はどう動いたのだろうか?

 原題はDVDのディスクには「70big ones」(70枚の500ユーロ札ということ)印刷されていたが、映画をみるとタイトルには「70invisibles」となっていた。invisibleとは目に見えないものとか内密のとかいう意味だ。そこで登場するのは500ユーロ紙幣である。ラケルの欲しい35000ユーロは500ユーロ紙幣70枚である。
 さて、この500ユーロ紙幣と云うのはほとんどの人が見たことがない。それでこのinvisibleというのは500ユーロの隠語と云うことができるが、さらにこの映画ではこの500ユーロはおなじくinvisibleなUsama bin Ladenとかけて、binladensと呼ばれているとご丁寧にも解説している。だからこの映画のタイトルは「70binladens」ともいう(笑い)、らしい。
 もう10年以上前だがパリで100ユーロ札を出したら受け取ってもらえなかった。100ユーロ札でも珍しいのだろう、そしてあまりお目にかかったことがないので偽札かどうかわからないからだろうとガイドが云っていた。

 エア・スアレスの演技も面白いが、ちょっと間抜けだが、怖い銀行強盗コンビには笑わされるし、ぞっとさせられる。特に片目の女ギャング自称ローラは怖い。ちょっと抜けた公証人(でもほんとうはしっかりもの)の補佐のEVAのクレバーなサポートが小粋である。さすがヨーロッパ映画だ。こういうところのキャスティングも気が利いている。おもしろかった。


↑このページのトップヘ