本作は週刊文春で連載された作品の単行本化である。初めは週刊誌の記事を毎週読んでいたが、そのうち1週間が待ちきれず、いずれ単行本になるだろうと思い、待ちわびていた作品である。期待にたがわず大変面白く読んだ。ただ600ページ近い大作であり、おちゃずけさらさらと云う具合には読めない。
ロッキード事件にはその当時の自分の境遇を含めていろいろと想い出があり、懐かしい。懐かしいといったら失礼になるかもしれないが、もう事件から半世紀もたつのだから仕方がないだろう。
その当時私はアメリカにいて経営学を勉強中だった。母親から送られた文芸春秋に立花隆の田中角栄の金脈について書かれた記事があり、興味深く読んだ。それは非常に緻密に事実を積みあげた内容で、すべての記事について、すべて裏付けの資料(EXHIBIT)がある。それもだれだれが云ったという2次資料だけでなく、1次資料で裏付けしてあるのだ。今までこのようなまるで建築物の構造のような論文にお目にかかったことがなかったので目からうろこだった。
そのころ英文で論文を定期的に書かされていたのだが、果たしてどうやったら言葉の障壁のある日本人がアメリカの教授を説得できる論文を書けるのか大いに悩んでいたのであったが、これだと思った。テーマを決めそのテーマにかかわるデータを集め分析をする。そういう方法で論文をまとめだした。その成果は成績にも出たのか、無事卒業して帰国できたのだった。しかしこの考え方はその後の自分の社会人として、また組織人として活動するうえで、大いに役立ったといえよう。想い出とはそういうことだ。
本作を読んだ印象は、結局闇は闇だということである。関係者の多くは亡くなっていて直接聞けず、海外の公文書には閲覧制限があり、そしておそらく国内にも、つまり1次資料ではそれほど新しいものが出てこないということである。結局伝聞やすでに発表されたものを丹念に読み解き、矛盾点を見出すというアプローチにしかならなかったと云うのは、著者としても悔いの残るところだろう。
田中角栄に関する記述はまだしも、児玉や元総理の佐藤、中曽根に関する記述は、憶測や推論が多いのが物足りないが、それは裏付け資料がない悲しさでやむを得ないところだろう。少なくても関係者がまだ存命の10数年前だったら違った作品になったかもしれない。
結局田中はロッキード以前に、立花隆の金脈研究で退任に追い込まれたといっても過言ではないだろうが、その金権体質がロッキードまでひきずってしまったということだろうか?同じころウッドワード&バーンスタインの記事で退任に追い込まれたニクソンとの相似形を感じてしまう。
歴史は繰り返す、ニクソンのようにトランプもニクソン同様身から出てさびでホワイトハウスを去った。
この二人、ニクソンがロッキードの購入を田中にせまったと同様に、トランプは安部にF-35を迫った。歴史は繰り返すのだ。そして2人のアメリカの大統領は消えてゆく。
日本も国家が議員活動の資金まで面倒を見てくれるというのに、まだ金の問題が付きまとう。もう死語と思っていた贈収賄と云う言葉が依然新聞記事として載るのだ。金権体質とまではいわないが、ここでも歴史は繰り返されているのであろうか?
日米関係も戦後の関係をいまだ引きずっている。ニクソンと田中、トランプと安部の関係には、アメリカ側の日本のアメリカへの従属と云う感覚が共通して残っているのだ。いつそれは消えるのか?
本書を読んで痛感したのはそういう「歴史は繰り返す」と云うことだった。そういう意味ではこれは過去を回顧する書としてではなく、未来を読み解く道しるべともいうべき読み方をせよと云うことを著者は語っているように感じられた。
これはロッキードを知らない多くの若い人に読まれる作品だと思う。大部でしんどいが、文章は平易であり読みやすいということは強調したい。〆