黒い司法なんてまるでマフィア映画のようなタイトルだが、原題は「JUST MERCY」、正義の慈悲とも訳せるだろうが、私はほんの「ちょっとの慈悲」と訳したほうが良いように感じた。というのはこれは冤罪事件でもあるが、この作品の中のサイドストーリーを見ていると死刑制度に対する批判ともとれる。
だからちょっとの慈悲のではないか?
1987年アラバマ州モンロー郡でジョニー・Dと云う黒人が逮捕される。容疑は18歳の少女殺しである。ジョニーは製材をしながらパルプ業を営んでおり3人の子供との5人暮らし。ごく普通の黒人家族だった。しかしろくな裁判もなく、司法取引の証言ひとつで死刑を宣告される。
ブライアンはハーバードのロースクールを出たばかり、志があってあえてアラバマでEIJ(EQUAL JUSTICE INITIATIVE)という死刑囚相談所を開く、支援者は白人のエヴァと云う女性のみ。ブライアンは刑務所で面談を繰り返し、やがて、ジョニー・Dが冤罪であることを調べ上げる。事件はモンロー郡、あのアラバマ物語の舞台であるという。そこにはアラバマ物語博物館などというのもあり、ブライアンは検事秘書から博物館を見たらと云われる。
しかしそういう舞台でまたこのジョニー・Dのような冤罪事件が起きたのである。
本作は弁護士ブライアンの著書をもとにして作られており、事実に基づいた作品とされている。本作はこの冤罪事件を中心にブライアンやDの家族、エヴァなどの人間模様を絡めながら展開する。
サイドストーリーでヴェトナム帰りの死刑囚エバートの逸話が挿入される。彼はヴェトナムでの体験で精神を病み、いわゆるPTSDでしかるべき司法処置がとられていれば、死刑ではなく、病院おくりだったかもしれないが、死刑が執行されてしまう。少女を爆殺した罪は重いが、わずかな慈悲をブライアンは求める。しかし却下される。
このわずかな慈悲、直訳的に云えば正義の慈悲は果たして貧困の黒人に降りてくるのだろうか?それがこの作品の肝であろう。
ジョニー・Dは証拠はほとんどないのに、死刑宣告を受けた。あえていえばマイヤーズと云う囚人がDが現場にいたという証言だけである。それ以外一切物的証拠も含め、証拠はない。むしろ黒人側からのアリバイ証明など多数あったが、それらは証拠として採用されなかった。
トランプの云う法と秩序のアメリカでこういうことがわずか30年前にまだあったのである。オバマはこの映画を評価したらしいが、トランプははたしてどういうツイートをするだろうか?
ブライアンを演じたマイケル・B・ジョーダンの正義を貫く意思を感じさせる静かな演技は共感を呼ぶ、ジェーミー・フォックスはうまいが、演技をしているのがわかるうまさ。
それと驚くべきはジョニー・Dを死刑に導いた証言をしたマイヤーズを演じたティム・ブレイク・ネルソンの演技だろう。彼は多くの作品で脇を演じており、ここでも見事な脇でこの作品を締めていた。
おりしも全米は黒人差別に反対する運動が澎湃と沸き起こっているが、冷静になってこの作品を、黒人も白人も見て、トランプの云う「法と秩序」とはいかなる意味か、考えてもらいたいものだ。民主主義の先生であるアメリカで、いまだにこういう映画がつくられねばならないとは、なんと嘆かわしいことだろう。それに気づかないアメリカ人も悲しい。
〆