ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2020年04月

2020年4月30日
160

日中合作映画である。しかし役所広司もよくこんな映画に出演したものだとあきれてしまう。
役所はジアンという中国人(らしい)で、ウイングスというエベレストの私設の山岳救助隊である。パイロットと数人のクルーで構成している。赤字でうんうん言っているところにインド情報部と名乗る二人の男たちからエベレストの頂上付近に墜落した飛行機にある重要書類を取りに行きたいという依頼が来る。おりしもネパールでエベレストの関係国の連携会議が開催される。それに関わる書類らしい。大金を提示されたジアンはそれを受ける。そしてジアン、パイロット、カナダ人の3人に中国人の女性登山家のシャオタイズ、そしてインド情報部の男6人で6000m付近までヘリで飛ぶ。しかしそこでは驚愕の陰謀が渦巻いていた。
 とまあ、こういう筋立てだ。話としてはおかしくはないが、果たしてこの映画は登山の専門家の手がはいっているのかと思われる点が無数にあり、どうもそれが気になり、さいごまで話に入れなかった。
エベレストの頂上で書類を燃やしたり、酸素マスクもせず頂上に向かったり、それよりなにより、薄っぺらい登山服はいかにもインチキ臭い。その他もろもろ言い出したらいくらでも出てくるが、もう少し本当らしく作れなかったのだろうか?まあ、私も山は高尾山も登ったことがない程度だから、えらそうなことは言えないが、エベレスト登山と云うのはそんなものかと誤解を与えるように思うのだが?



2020年4月29日

かげふみ_

横山秀夫の小説の映画化である。原作を読んでいないので比較はできない。この作品だけで判断すると、「クライマースハイ」や「ロクヨン」のようなストレイトな面白さはない。最近の横山の作品の「ノースライト」もそうだが、横山も高村と同じようになってゆくのだろうか?つまり二人とも初期の警察小説のようなサスペンスやミステリーのジャンルでの抜きんでた面白みに欠けてきたように思う。それに反比例してドラマとしての面白み、重み、つまり人間の心の細やかな機微は、より一層丁寧に描かれてそれはそれで面白い。この影踏みも、主人公の真壁と安西の幼ななじみ同士の純愛(アラフォーなのに)、を衒いもなく描き切っているところは、もうメロドラマの領域かもしれない。しかしそういう作品は横山でなくても書けるはずなので、元の路線に是非戻ってほしいものだ。

 この作品でも、いくつかの殺人事件が起こるが、その謎解きが案外さらっとして、すぐ犯人がわかってしまうのが、全体として、ミステリーを薄味にしているような気がしてならない。もう少し主人公の真壁の犯人探しを見て見たいものだ。

 主人公の真壁修一(山崎まさよし)は国立大まで行っていながら、今は「のび師」として裏世界ではよく知られている。20年前に母親と弟(双子)をなくしており、それがトラウマになっている。いまでも頭の中には弟が生きていて、映画でもその役を北村匠海が演じている。さて、のび師とは要は空き巣である。金持ちを狙って現金だけを盗む。しかし県会の職員の神村邸を襲ったときに、警察に現行犯で捕まってしまう。ただその時に神村夫人が放火をするのを止めており、それが刑務所でも気になって、2年後に
刑務所から出たときに、真相を探る。しかし彼の周囲で殺人や傷害事件が起きてゆく。
 まあこの犯罪が本線であり、それに2組の一卵性双生児の男の兄弟をからめた愛憎を伏線にしている。一組はすでに述べた真壁兄弟である。もう一組は真壁兄弟の幼ななじみの安西久子(尾野真千子)とお見合いをした文具店の久能兄弟である。この双子の兄弟たちは兄の物を欲しがる弟、弟のまねをする兄など、違う二つの人格を同一化しようとすることで不幸が生まれている。このドラマでも久子と云う女性をつなぎにして見ず知らずの双子が接近する、つまり真壁と久能が近づき、一卵性双生児として、同じ苦悩を持っていることを知る。つまり弟は兄の影を踏み、兄は弟の影を踏む、「影踏み」である。この映画ではこの伏線の部分がどうもモチーフのようであり、それがミステリー性を弱めていると云うのはすでに述べたとおりである。じれったい修一と久子の愛は美しいが、それ程共感を呼ばないのはいかなるわけだろう。


 山崎の演技はほとんど棒立ちのようなものだが、尾野の演技は表情も含め、美しくヴィヴィッドである。滝藤の久能兄弟は演技は過剰。その他脇はとても充実していてもったいないくらいだ。

2020年4月28日

9784334913380

この奇妙なタイトルに惹かれ、読み始めたが,最初の数十ページで閉じてしまった。それはなんと、このコロナ禍のなか、このような話を読まねばならぬのかと云う気持ちになったからである。
 この話の骨は末期患者が感じるのは非常な苦痛であるが、それ以上に感じるのは死への恐怖である。いままで生きていてこの世界から自分が消えてしまうこの恐怖。それはほぼ多くの人間が共通に持つ思いだろう。その「死への恐怖」モチーフである。冷凍倉庫が火災になり、その中に冷凍された死体がさ6体あらわれた。発見者は調査を開始していた警察の矢島警部補である。読んでいるとわかるが彼は通常の人間と異なり痛みや恐怖をあまり感じない人間として描かれている。かれは普通の人間の対比として描かれている。

 6体のうちフリーターの如月がブログを残しておりそれにより、6体のうち1人は如月だということがわかり、やがて残りの遺体の名前もわかり、ブログにそれぞれの人物のプロフィールが次第に描かれてくる。

 終末期の患者が果たしてどのようにして、死の恐怖からのがれることができるか?
ここでは、クライオニクスという人体の凍結保存、つまりコールド・スリープであり、医学の進歩で現在の病が解決のできるときまで凍結しておくというもので、日本では安楽死すれすれの試みである。
はたして、いかなる経緯でこの6名の遺体が凍結されたのか、その恐怖は取り除けたのか?
6つのブログが次第に解きほぐしてくる。

 私のように心臓に不安があるものにとって、死への恐怖は通奏低音のように鳴り響く。ここで描く終末医療の苦しさは読むのに耐えられない。これが途中で読むのをやめた理由である。
 結局読み通した。はたしてこの患者たちはいかにして死の恐怖から逃れたのかを知りたかった。
しかし、読み終わったけれど、さらに恐怖が強まったという印象である。コロナが怖いなか、読むべき本ではなかった。


2020年5月26日
51nxBgL5iTL._SX339_BO1,204,203,200_

多くの著名人から、絶賛と驚愕を浴びた作品。作者はもともとメキシコの交換誘拐からヒントを得て、短編を書いたが、それを温めて今回長編にまとめたということだ。

 とにかくこれほど、残酷で恐ろしい犯罪は珍しい。そしてそれを作品にする作者のイマジネーションの豊かさ?まあそういっておこう。常人ではこんな話は書けない。

 主人公はレイチェル、哲学の教師、バツイチ、そして離婚し、今は愛する娘と二人暮らし。乳がんになったが、手術と放射線治療で今は元気である。その家族に恐怖が襲い掛かる。娘のカイリーが誘拐されたのである。しかしカイリーの解放の条件は奇妙なものでビットコインで金を納めろと云うのは良いが、レイチェル自身が新たに子供を誘拐しろというもの。その条件を提示したのはチェーンを運営する人物と、レイチェルに直接電話してきた女。実はその彼女自身も子供を誘拐されており、その子供の解放条件は自分らも子供、ここではカイリー、を誘拐してこいという条件を付けられているのである。つまりこの連鎖は永遠に続くのである。だれかがFBI にでもたれこまない限り!しかしチェーンの運営者は誘拐者に対して誘拐するターゲットの選別まで指導するのである。つまりそこそこお金があって、こういう危機に立ち回れる知恵があって、しかも子供を深く愛しており、FBIなどには決して電話しない人間を選別するのである。
 恐ろしいことに、レイチェルの次のチェーンが立ち切れたときにはレイチェルが誘拐した子供を殺し、また新しい子供を誘拐しなければならない。

 果たして、レイチェルはこの苦境をいかに脱出するか、そしてチェーンの運営者は果たして何者なのか?息もつかせぬサスペンス。途中でいやになる人もいるだろうが、独創的な話の結末を知りたい人がほとんどだろう。

2020年4月25日

aab5ea6f063bbe9f

1976年6月27日に起きたアールフランス機、ハイジャック事件の映画化である。パリ行きの飛行機はウガンダのエンテベ空港に着陸しそこで7日間、イスラエルと囚人解放の交渉を始める。ドイツ人2名、ブリギッテ(ロザムンド・パイク)とヴィルフリート(ダニエル・ブリュール)いずれもドイツのテロリストである。そして5名のパレスティナ解放戦線の分派PFLP-EOパレスティナ人である。人質は空港ロビーの劣悪な環境に置かれるが、やがて、交渉の期待から、イスラエル人・ユダヤ人以外は解放される。

 一方ラビン首相をリーダーにした、イスラエル政府は人質解放か、エンテベ襲撃か悩む。結局史実のように内閣の意思で襲撃が決定する。そして知られたように102名の人質がほぼ全員解放され、このエンテベ襲撃(サンダーボルト作戦)は成功裏に終わる。

 すでに何度も映画化され、だれもが知っている話だけに、映画化は難しかろうと思うが、知られる限りの史実に忠実にありたいという狙いは感じる。例えばエール・フランス機のクルーの残留や、フランスの尼僧の残留の意思、後のネタニヤフ首相の兄が襲撃の冒頭で戦死するなどの挿話も織り交ぜている。

 ただ107分の時間ではもう少し刈込をしないと肝心なところが欠落して歴史における意思決定の重みを感じないという印象を持った。多くのコメントではモダン・バレエの挿入の意味が不明とあったが、同感であるあの時間が全く無意味でありもったいない。

 ペレス国防相との確執の中ラビン首相が当初囚人解放をパレスティナ人との和解のきっかけにとおもっていたのが、なにゆえ突然急襲論に転換したのか、その緊迫のプロセスが欠落していて、サスペンスと云うよりも政治劇としての面白みに大いにかけた。
 キューバ危機を描いた「13デイズ」における、ケネディの苦悩はこの映画ではラビンからは伝わらない。
 もう一つ不満を言えば、テロリストは急襲を受けたときになぜ人質をひとりも処刑しなかったのか?
人道的な気持ちがよぎったのか?その瞬間の葛藤も描かれていない。せっかく作るのであれば新鮮味が欲しいのである。題材はよいのに使い切れていないもどかしさが残る映画だった。130分くらいに編集したらどうだったろうか?



↑このページのトップヘ