ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2019年12月

2019年12月17日

昨夜をもって私の今年の音楽会は終了。以下今年の音楽会を振り返りたい。ただし一部映像やライブビューイングも含んでいる。一言でいうと私のブログの総括である。

いつもベストテンで悩むので、今年ははなからあきらめて、ベスト3のあとは各ジャンル別に印象に残った演奏を列記してゆく。

ベスト3
まず第一位はボローニャ歌劇場公演である。6/22「リゴレット」及び6/25「セビリアの理髪師」。イタリアの中堅歌劇場の実力を思い知らされた公演だった。特にリゴレットは一人を除きすべてイタリア人でありインターナショナル化の中でこういうキャスティングをしたことに意義があると思う。歌手ではガザーレとランカトーレの二枚腰というか底力を感じた。例えばリゴレットがマントバ公爵への復讐を誓う2重唱などがその例だ。

第二位はロイヤルオペラ公演9/18「ファウスト」および9/24「オテロ」。こちらは世界のベスト3に入ろうかと云う、1流オペラハウスの最新の演出を引っ提げての公演だ。特にファウストは今年プルミエだけになんとも新鮮に思える。歌い手もグリゴーロやダルカンジェロなど取り揃え豪華な舞台だった。

第三位は並みいる来日海外オーケストラを蹴散らした、ロイヤル・コンセルトヘボウのブラームスの交響曲第四番。11/19の公演である。今年は特に秋に多くの海外オーケストラが来日し、それぞれ素晴らしい演奏を聴かせた。豊作だったといえよう。そのなかでもコンセルトヘボウの音色の美しさ、豊かさは群を抜いていた。あまり好きではないヤルヴィもここでは無駄な動きがなく、オーケストラの力量を引き出したベストパフォーマンスだった。

さて、以下は各分野ごとの印象に残った公演である。

まずオペラから。
 1/16の藤原歌劇団の公演。「椿姫」。海外の団体と比べると歌手は一段と小粒であるが、まとまりがいい。歌手間のアンバランスがないのだ。したがってここで聴けるのは超弩級の歌手の声と云うより繊細な人間ドラマだ。今月聴いたパパタナシュの椿姫(新国立)のようなスタイルとは対極の公演である。藤原歌劇でいうと9/6の「ランスの旅」、11/9「トスカ」が印象に残った。いずれもニッセイオペラである。ここでのよさもチームワークだ。歌手たちそれぞれが合唱を含めとても鍛錬されていた。演出も奇をてらわず日本人向きだと思う。

 少々不満だったのは二期会による「蝶々夫人」10/4。二期会の演出の欧州化はますます顕著になっている。蝶々さんは、伝統的な日本の美しさを生かした演出を私たちはもっているのに、それを捨てて欧州化に走ると云うのは理解できない。同じく二期会の「サロメ」、6/7公演も奇妙な演出について行けない。オペラは楽しく見たいものだ。このままではますます難解になり聴衆が離れてゆくのではあるまいか?

 新国立の公演もほぼ毎月聴いてきたが、さて、印象に残った公演はと云うとあまり思い浮かばないのだ。あえて挙げれば11/17の「ドン・パスクワーレ」、肝心のノリーナに代演とはがっくりだったが、交代者を含めても歌手にばらつきがなく、初めてこのオペラが人気者だということが分かった公演だった。期待の「トゥーランドット」7/21も演出がしっくりこないし、カラフが今一だったこともあり、がっかり公演だった。

 ライブではなく映像で見たいくつかの公演がとても印象的だった。今年のブレゲンツ音楽祭の「リゴレット」、クラシカジャパンの映像で見たがその装置の雄大さには目を見張る。見世物みたいにも感じるが、野外オペラにはこの程度やっても良いのではあるまいか?
 2019-2020のMETもスタートしたが、「マノン」が素晴らしい。オロペーサとファビアノの歌唱も一級品だ。それとオープニングの「トゥーランドット」はゼッフィレッリ追悼の意味もあったらしい。もうMETではおなじみの舞台だが何度見ても飽きない。新国立もこういう舞台を見習ってほしいものだ。

次に海外オーケストラである。今年は特に豊作のようで、予算をはるかにオーバーしてしまった。
 まず、クルレンティス/ムジカエテルナの2/10の公演。コパチンスカヤとのヴァイオリン協奏曲と悲愴が今までのイメージを覆す演奏で驚嘆した。
 ついでネルソンズ/ゲヴァントハウスによるブルックナーの五番、5/31の公演。ネルソンズのブルックナーのスタイルを味わえた好演。来年は8番と9番を演奏するようだ。
 ティチアーティによるベルリンドイツ響の演奏も忘れられない。10/10、10/8
 ビシュコフ/チェコフィルによる「我が祖国」10/29.久しぶりにこの曲を聴いて大いに感動した。チェコフィルのサウンドも健在でありうれしい公演だった。
 ケルン放送交響楽団/ヤノフスキーのベートヴェンは近来まれにみる名演。久しぶりに精神が高揚をするようなベートーヴェンを聴かせてもらった。チョ・ソンジンを見直す公演でもあった。
 ケント・ナガノ/ハンブルグフィルのマーラーの五番は大変ユニークな演奏と云えるだろう。しかしこの演奏をよく聴くと、昨夜聴いたアラン・ギルバートのマーラーと同様、作曲家の心の中に入り込んだ演奏と云えまいか?私は大いに感動した名演だと思った。これに比べるとセガン/フィラデルフィアの演奏は騒々しいだけでさっぱり琴線に触れなかった。11/6

 ティーレマンのウイーンフィルとのブルックナーの8番は久しぶりに聴いたわけだけれど、あまりにスタイルが変貌しており、これをどう受け止めてよいのかわからぬままに時間が過ぎてゆくという演奏会になってしまった。マリンスキーのチャイコフスキーの交響曲は1番、5番、6番と聴いたが、特に後ろの2曲は演出過多のようでいこごちが悪かった。マリンスキーはオペラのほうがずっと良かった。
「スペードの女王」12/1

最後に国内オーケストラの公演から。
 都響は今年は特に絶好調のようだ。昨夜のマーラーも良かったが、最も印象に残ったのは小泉による「ブルックナーの七番」である。10/17.音色の美しさ群を抜いて素晴らしい。おそらく日本のオーケストラで聴ける最良のブルックナーであるまいか?美しさだけでなく深い感動を与える名演である。
 東フィルはチョ・ミュン・フンとバッティストーニとのニ枚看板が強力である。特にバッティストーニが熊川と組んだ「カルミナブラーナ」が秀逸である。音楽もバレエも一級品だ。9/15

 N響ではブロムシュテットのモーツアルトの交響曲36番が心に残る。枯れた演奏とも若々しい演奏ともとれようが、ギャラントさを排した厳しいモーツアルトが聴ける。11/23
 東響はノットの公演があるが、どうも記憶に残らない。あえて挙げれば5/26のショスタコーヴィチの交響曲五番だろうか!。

 その他バレエでは新国立の「ロミオとジュリエット」がマクミラン版で安定した公演だった。

来年はまたクルレンティスも来るしネルソンズも来るようだ。オペラではパレルモ・マッシモ劇場が強力な歌手を擁して来日する。大いに期待したい。

 

2019年12月16日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

東京都交響楽団、第894回、定期演奏会Bシリーズ
指揮:アラン・ギルバート

ギルバート

私にとって、2019年最後のコンサートだ。そして最後にふさわしい熱演だった。その理由は2つ。
一つは都響の演奏、もう一つはギルバートの指揮だ。

 日本のオーケストラは開演前にはすべて団員は一度バックステージに戻り、団員が一斉に入場するというパターンを取る。しかし今夜は主に木管など管楽セクションはずっと舞台にいて音楽をさらっていた。そして開演前になってもぶたいにいたまま、そしてバックステージ組と舞台で合流と云うかたちである。参考までにアメリカのオーケストラは大体こうだ。欧州の場合は全員そろって登場するスタイルだ。
 まあそれはいいが、要は楽団の今夜の演奏にかける意気込みを大いに感じさせる公演前だった。そして本番。冒頭のあらあらしい低減と不気味な行進曲の弦楽部の凄味は今夜の意気込みの象徴だろう。低減だけでなく高弦の滑らかな美しさも特筆すべきだ。1楽章の第2主題の陶酔的な音楽、ヴァイオリンはいささかも音を荒立てることがない。
 さらには2楽章のクライマックス、大体ここは下手をやると、オーケストラは金切り声になるが、今夜の都響は実に美しい。
 管楽セクションや打楽器それぞれベストパフォーマンスに近いもの。ティンパニの強打などは日本のオーケストラでは珍しい迫力。4楽章でのコーダの部分のトロンボーンも印象的だった。
 日本で聴いたマーラーの六番の中で今夜の演奏は一二を争う素晴らしい音響美を味合わせてくれた。指揮者の指示だろうが、オーケストラが最大クライマックスになる部分でも金切り声にならないのは全体の音バランスをよくみているのではなかろうか?1楽章の終結の強烈な終わり方、4楽章のハンマー前後の盛り上がりなど、にもかかわらず、音楽の圧倒感は失われていない。そういう稀有なる音のバランスなのだ。オーディオマニアならのけぞるような音場の安定感と迫力の両立したオーケストラサウンドだった。

 ギルバートの今夜のマーラーは、作曲家の心の旅を追体験させてくれる。この曲はリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の対極になるマーラー版英雄の生涯である。しかしシュトラウスはハッピーリタイアメントだったが、マーラーの場合はそう単純にはいかない。ギルバートのハンマーの取り扱いがそう感じさせるのである。通常の公演ではハンマーは2回だが、今夜はコーダの直前にもう一度叩く。バースタインがそうだったらしいが、ニューヨークフィル時代の伝統なのかはよくわからない。しかしこれを聴くと、この英雄の生涯の最後は相当悲惨なようにすら感じられる。要するに心の旅とはいってもベートーヴェン的な、最後は勝利の凱歌と云うわけにはいかないのである。それをギルバートは演奏で示している。単純に言えばハンマーの叩く音量は3回目が一番小さいので、そういう意図が明らかになっているといえるだろう。ただ気のせいか、2回目は1回目より減量しているような気がするので、演奏としては一層、凱歌とはかけ離れた世界に漂いつくということが示されているように感じた。

 しかし、1~2楽章はベートーヴェン世界を感じさせる。1楽章の行進曲の暴力的な荒々しさは苦難と闘争を物語る。そして2主題で伴侶を描き、戦いの中のつかの間の慰藉を感じさせる。この2つの主題の対比はかなり明らかで、あざとさの一歩手前だが効果的である。
 2楽章は心の休息である。ここでのうねるような弦による滔々と流れる音楽はマーラーの描いた緩徐楽章の中でも最も美しいと思う。今夜はその美しさに溺れそうになるほど耽美的である。やりすぎかなと思うほどだが、これがスタイルなのだろう。
 余談だがケント・ナガノならこのようにはしないだろうなあと思いながら聴いていた。先日ヤンソンスが亡くなって、久しぶりにかれのCDを取り出し、この六番を聴いたが、彼はギルバートのようには演奏しない、もっとずっとシンプルであるが、味がある演奏だった。要するにギルバートとはスタイルが違うような気がする。どちらが良いとは言えないが、どちらのスタイルでもベストパフォーマンスならば聴き手に深い感動を与えるだろううことは云えるだろう。それだけこの曲の懐は深い。
 なお、今夜の演奏ではアンダンテは2楽章に置いている。上記の通りハンマーは3回たたかれる。
演奏時間は84分弱。




2019年12月8日
於:サントリーホール(1階11列右ブロック)

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東京交響楽団・第676回定期演奏会
指揮:マーク・ウィグルワース

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番(ピアノ:マーティン・ジェームズ・バートレット)

マーラー:交響曲第一番

京は大ポカをやってしまった。東京の定期はウイークデイは19時開演、その他週末は18時と思い込んでいたが、本日の公演は14時開演。気が付いたらもう13時半。慌てて出かけたが結局楽しみにしていたモーツァルトは聴けず、後半のみのコンサートになってしまった。もったいない。

 久しぶりに日本のオーケストラを聴いて、何やらとても懐かしい気がして仕方がなかった。どうしてなのかはよくわからないが演奏者の皆さんが日本人と云うだけで安心してしまうのだろうか?ただ言えるのは、海外のオーケストラやオペラの公演はやはり少し緊張するのは間違いない。

 さて、今日のマーラーは実に精気みなぎるもので、そのエネルギーには圧倒された。1楽章の終結部や2楽章、4楽章はそれぞれとてもテンポが速い。オーケストラをあおりに煽るという印象が強い。しかしだからといって、決して粗っぽいというようには感じない。これがこの指揮者のこの曲に対するアプローチなのだろう。特に4楽章は一気呵成感が強い。第1楽章の冒頭が戻ってきてから、終わりまでは息もつかせぬ怒涛の勢いだ。そしてこれに加えて緩急の幅も相当大きいので、これは一種独特の凄味のある「巨人」だった。ただ、それゆえか1,2,4楽章の「緩」に当たる部分があまり印象に残らなかったというのは致し方あるまい。

 しかし3楽章はその中でも静的に音楽が進む。ちょうどオアシスのような印象だ。それは行進曲風、レントラー舞曲、そして歌曲からの引用の歌と3つの楽想をうまく聴かせてくれた。全体に楽しい演奏かと云うとそうはいえまいが、なかなか面白く、疲れる演奏だった。
 演奏時間は50分。




2019年12月7日
於:東京文化会館(1階9列中央ブロック)
マリンスキー2019

マリンスキー歌劇場管弦楽団/ワレリー・ゲルギエフ2019来日公演
   チャイコフスキーフェスティバル

東京での最終日である

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第二番

         交響曲第五番(セルゲイ・ババヤン→代演藤田真央)

チャイコフスキーフェスティバルは彼のピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲の全曲を東京で3日間で演奏する。今夜はその最終日である。異例のことながら、今日は13時から1回目、16時から2回目の公演となる。つまりコンサートのダブルヘッダーなのである。12/5のプログラム量に感心したが、このダブルヘッダーでも感心した。水準はたもられるのだろうかという不安は、少なくとも私にはよくわからなかった。あくびしている人がいたり、ミスも散見されたりしたがそれとダブルヘッダーとの相関はわからない。そういうこともあってか、会場に着いたら開演20分前になっても会場の入り口が開かない。おそらく会場整備に時間がかかっているのだろうと拝察する。会場は12/5のサントリーに比べると1階席も満席にはならず、左右にはかなり空席が目立った。やはりダブルヘッダーの2試合目を嫌がったのだろうか?

 さて、1曲目は珍しいチャイコフスキーのピアノ協奏曲第二番。滅多に日本では聞けない。私はもちろんCDですら聴いた事がない。聴いて、この曲はなぜもう少し日本でも演奏されないのかという気持ちと、やはりこれは何度もプログラムに載せる曲ではないなあと云う気持ちが交錯した。
 この曲はおそらく技術的には相当のレベルをピアニストに要求することは間違いない。したがってピアニストはチャレンジ甲斐がある曲のはずだ。特に1楽章のカデンツァや3楽章の舞曲風の跳ね回る音楽などがそうだろう。しかし全編流れるこのなんとなく甘ったるいメロディには、最初は良くても次第に辟易してくるのは私だけだろうか?まるでムード音楽と紙一重なのだ。例えば2楽章、1楽章の2主題、3楽章の舞曲など。要するに同じ人の一番の有名な協奏曲は何度でも聴きたくなるが、この曲は1~2回聴いたらもういいやとなりかねない曲だと私には思える。もう一つ2楽章はピアノの出番がほとんどない。2/3はヴァイオリンソロ、そしてそれにチェロが加わった協奏曲になっていて、ピアニストはぼーっとしてみているだけ。ブラームスの協奏曲にもそういう場面があるがここまでひどくはない。
 終演後もピアニストとヴァイオリニストとチェリストが3人舞台前面であいさつさせられていたが、自尊心の高いピアニストは馬鹿にするなと怒るだろう。

 だからといって、ババヤンというベテランから若い藤田真央というピアニストに変更になったわけではあるまいが!このごろキャンセルの理由に本人の都合と云うのが多い。先日の新国立の椿姫のアルフレート役はそうだった。今回のババヤンもそうだ。個人情報も大事だろうが、何か月前から高い切符を買って会場に来たら演奏者が変わっていたなど、まるで詐欺まがいではあるまいか?以前は病気によりとかご家族の事情とか、それなりに聴衆は仕方がないなあと思ってしまったが、本人の都合と云うのは面妖な理由ではある。
 藤田は真央というから女性かと思ったら男性だった。今年のチャイコフスキーコンクールの第2位だそうで、今日の1楽章の長大なカデンツァを聴いているとその片りんを感じ取ることができる。激しい部分とチャイコフスキーの甘いメロディの繰り返しなので、切り替えが大変だったろうが、私にとって初めて聴く曲だったが案外楽しめたのは、彼のピアノのおかげかもしれない。
 アンコールはグリーグの抒情小曲集から愛の歌。なお、彼は来年も来日するマリインスキーと共演してこんどはチャイコフスキーの一番を弾く予定だ。

 五番の交響曲も先日の悲愴と並んでこのコンビでは何百回となく演奏しているはずだ。私は全曲を聴いて、これは先日の悲愴以上に外連味がたっぷりの演奏で、少々手あかが感じられた演奏のように思えた。まず緩急の幅がとても大きい。例えば1楽章の第1主題普通のテンポだが、第2主題がとても遅くなる、時には止まりそうになるのだ。こういう部分がこれからいたるところで出てくるがこれ、問題なのは、次に何をやるのかが予測がついてしまうがことだろう。ああここで遅くなるな、ああここでははやくなるな、ここでは音がでかくなるなという細かい指示が見えてくるから始末が悪い。だから次第に退屈になる。しかし4楽章はそういうきょろきょろしたスタイルではなく、一気に凱歌に駆け上がる潔さが颯爽として、これは聴きごたえがあった。しかし最後のだだだだだんは予想通り大げさだ。演奏時間は49分。ゲルギエフはここでは指揮棒を持たずに、指だけで指揮をした。また指揮台には乗らず、弦楽器群が彼を取り囲むように配置されていた。特に第2ヴァイオリンは完全に客席に左背中を見せて、つまりゲルギエフを内側に見て、囲むように配置されていた。
 アンコールは同じくチャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形から」アダージュ、これは実に劇的で素晴らしい演奏。くるみ割り人形の全曲と云うのは聴いた事がないので、このアダージユ、始めてだったが初めてのような気がしなかった。印象ではエウゲニオネーギンのモチーフが使われているように感じた。それはどうでもよくこれはもう一度聴きたいくらい素敵な演奏だった。
 こうしてみるとゲルギエフはやはりオペラやバレエなどの舞台芸樹の人ではあるまいか?今回オーケストラを2回とオペラ「スペードの女王」を聴いたが、印象に残ったのはスペードの女王だけであった。



 

2019年12月6日
於:NHKホール(1階18列中央ブロック)
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NHK交響楽団・第1928回定期公演 Cシリーズ
指揮:ディエゴ・マティウス

メンデルスゾーン:真夏の夢・序曲
グラズーノフ:ヴァイオリン協奏曲

ベルリオーズ:幻想交響曲

幻想が相当見事な演奏だ。まず音の鳴らし方に驚いた。これだけの大編成、しかも金管が大活躍するこの曲だ、このホールではさぞやうるさい音がするだろうと思っていたが、それが意外にも素晴らしいバランスに聴こえる。久しぶりにN響でこのホールでよい音を聞いた。終楽章や断頭台の行進、1楽章の終結部などは相当な音量だが、音場はすべてきれいなピラミッドバランスに聴こえるのだ。そして時折鋭い音を出す高弦部も今夜はしなやかに聴こえもうそれだけで今夜は大満足だ。
 このマティウスという指揮者はヴェネズエラ出身、まだ36歳である。あのシモン・ボリヴァル交響楽団の前身のオーケストラのコンサートマスターをやったそうだ。プログラムにはラテンの熱が感じられるとか、ゴージャスに鳴らされる幻想に期待などと、紋切的な言葉が並べてあったが、聴いた印象は全くそうではない。むしろ無数にある幻想の演奏の中で、私が聴いた範囲でいうと、これは至極まっとうで、むしろおとなしいという印象に近い。それは無暗なテンポ変動や強弱変動を抑えていることからきているのだろう。だからといって無味乾燥な幻想ではない。うまいのはどの楽章もゆったりと入って旋律をたっぷり味合わせてから、次第に勢いをつけてゆき、最後には大きくクライマックスを設定する。3楽章ですらそういうスタイルである。しかもそれは全くあざとくなく、ごくごく自然の音楽の流れのように聴こえるのである。どの楽章も素晴らしいが、1楽章がそういうスタイルで大きな効果をあげていた。恋人のテーマを大きくゆったりと演奏していたと思ったら、後半では知らない間にテンポは上がっており、気が付いたら音の渦の中にいたという体験はなかなかいこごちが良かった。
 3楽章はN響の木管群と打楽器群のコラボのような演奏。標題と軌を一にする音楽の進め方が妥当だ。4楽章は後半テンポを上げるが、節度がある。5楽章は大いに荒れ狂うが、オーケストラのバランスに耳が行き届いているせいか、音楽に圧倒感がなく、曲のすみずみまで味合わせてくれるところが良い。
 2楽章では緩やかなワルツの部分でトランペットがワルツに合わせて連呼していたが、こういう強調は初めてで驚いた。楽譜通りなのだろうか?まるでサーカス小屋か、ドゥルカマーラの登場を思わせる音楽で面白かった。演奏時間は52分。
 このマティアスと云う指揮者はまたどこかで、違うオーケストラで聴くような気がしてならない。

 グラズーノフはほぼ初めて聴く曲だ。3楽章だがほぼ切れ目がなく演奏される。ボリソグレブスキーうヴァイオリニストはロシアの人で、マティアスと同年代だ。シベリウス国際コンクールなどの優勝や入賞を果たしている。この人のヴァイオリンの滑らかなサウンドは言葉で表せない。このホールで聴いたヴァイオリンの中では1,2を争う美しさだ。しかも浸透力や力強さもあり、この人ももし私が長生きしていたら、またどこかでお目にかかる人だろう。特に1楽章モデラートが彼の特質を生かしていたような気がした。アンコールはウィニャフスキーのエチュード・カプリス4番。

 メンデルスゾーンは楷書で書いたような印象だ。もう少し浮き浮きしても良かろうと思うが、これが彼のスタイルなのだろう。
 オーケストラの配置は弦をステージの前面に平らに並べて、木管あ金管打楽器は後方に並べていた。金管や打楽器は相当高いところに位置していたような気がする。そのことと今夜の音との相関はよくわからない。







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