2017年12月25日
オーディオ装置の大掃除のあと、聴きまくっている。しかしこんなに劣化しているのかと不思議に思うが、1年間は長いということだ。
昨日、今日と聴いて印象に残ったCDを紹介しよう。
まず、イザベルファウストのヴァイオリンのシューベルトの「ファンタジア」である。実はこのCDは2004年ころの録音だっと思うが、何となく冴えない演奏で、結局お蔵入りして、この曲はクレーメルの演奏ばかり聴いていたのだった。しかし先日ファウストの演奏したフランクの「ヴァイオリンソナタ」を聴いて、ありゃりゃ、この繊細な音はなんだと驚いてしまったのだ。もしかしたら掃除の効果かと思って、シューベルトを取り出して聴いたら、実に素晴らしい。これはクレーメルとは行き方が違うのである。やさしく繊細なこの演奏は、掃除の後のクリーンな装置でこそ味わえたのである。
1992年の録音でブルックナーの七番を聴いてみた。アバド/ウイーンフィルの演奏である。実はこれは初めて聴く演奏である。しかしどうもしっくりこない。2楽章のあの美しい緩徐楽章がなぜかもっさりと聴こえるのだ。これは演奏なのか、録音なのか判定できないので後日リターンマッチの予定だ。
ワーグナーの「神々の黄昏」1964年、ショルティ盤で第二幕を聴いてみた。SACD盤である。これはかなり驚いた。最初のアルベリヒとハーゲンの2重唱の空気感は久しぶりに味わった。そしてハーゲンの兵士たちを呼ぶ角笛、ハーゲンの歌、合唱の場面の音の広がりと定位の良さはお掃除の成果だろう。今秋ちょうど予習のためにこの録音を聴いたのだが、少し古めかしさを感じていたのだが、しかしそれは装置のせいだとわかった。
フランコ・コレルリのアリア集、1960年初めのもの。これは相当古い音であるが、今回聴きなおして驚いたのは、良い録音とそうでない録音との差がはっきりと感じられたことだ。61年にキングスウェイホールで録音された曲は不思議なことに63年ころに録音された演奏よりもずっと鮮度が良い。指揮者の左にすっくと立つコレルリの姿が眼前に浮かぶようだ。あの頃が全盛だったのだろうか?
実は1974年にメトロポリタンでコレルリのメット最後の演奏を聴いているのだ。カバレリアルスティカーナとトゥーランドットだった。私は感激して聴いていたけれど横のニューヨーカー(?)は叫んでるだけだと怒っていた。やはり盛りが過ぎていたのだろう。まあ余談です。
最新録音から、今、飛ぶ鳥を落とすクルレンティスの「悲愴」を聴いた。演奏は別としてとても疲れた。それはDレンジが途轍もなく広いためだろう。したがって冒頭の音は相当注意しないと聴こえない。ボリュームを上げすぎると主部に入るとびっくりするくらい大きな音になる。弦の細かな動きが精彩にとらえられていて少々煩わしいなどなど。批評家によると大絶賛であるが(演奏)私にはカラヤンのほうが安心して聴けると思った。保守的ですね。クルレンティス/コパティンスカヤのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も大変な評判をとった演奏だったが、正直言うと私は何度も聴くうちに飽きが来てしまった。でもクルレンティスのモーツアルトのダポンテ3部作は気に入っているのだから天邪鬼だと思う。特にドンジョバンニは素晴らしいを超えている。まあ余談でした。
明日は何を聴くか今から楽しみである。
〆
オーディオ装置の大掃除のあと、聴きまくっている。しかしこんなに劣化しているのかと不思議に思うが、1年間は長いということだ。
昨日、今日と聴いて印象に残ったCDを紹介しよう。
まず、イザベルファウストのヴァイオリンのシューベルトの「ファンタジア」である。実はこのCDは2004年ころの録音だっと思うが、何となく冴えない演奏で、結局お蔵入りして、この曲はクレーメルの演奏ばかり聴いていたのだった。しかし先日ファウストの演奏したフランクの「ヴァイオリンソナタ」を聴いて、ありゃりゃ、この繊細な音はなんだと驚いてしまったのだ。もしかしたら掃除の効果かと思って、シューベルトを取り出して聴いたら、実に素晴らしい。これはクレーメルとは行き方が違うのである。やさしく繊細なこの演奏は、掃除の後のクリーンな装置でこそ味わえたのである。
1992年の録音でブルックナーの七番を聴いてみた。アバド/ウイーンフィルの演奏である。実はこれは初めて聴く演奏である。しかしどうもしっくりこない。2楽章のあの美しい緩徐楽章がなぜかもっさりと聴こえるのだ。これは演奏なのか、録音なのか判定できないので後日リターンマッチの予定だ。
ワーグナーの「神々の黄昏」1964年、ショルティ盤で第二幕を聴いてみた。SACD盤である。これはかなり驚いた。最初のアルベリヒとハーゲンの2重唱の空気感は久しぶりに味わった。そしてハーゲンの兵士たちを呼ぶ角笛、ハーゲンの歌、合唱の場面の音の広がりと定位の良さはお掃除の成果だろう。今秋ちょうど予習のためにこの録音を聴いたのだが、少し古めかしさを感じていたのだが、しかしそれは装置のせいだとわかった。
フランコ・コレルリのアリア集、1960年初めのもの。これは相当古い音であるが、今回聴きなおして驚いたのは、良い録音とそうでない録音との差がはっきりと感じられたことだ。61年にキングスウェイホールで録音された曲は不思議なことに63年ころに録音された演奏よりもずっと鮮度が良い。指揮者の左にすっくと立つコレルリの姿が眼前に浮かぶようだ。あの頃が全盛だったのだろうか?
実は1974年にメトロポリタンでコレルリのメット最後の演奏を聴いているのだ。カバレリアルスティカーナとトゥーランドットだった。私は感激して聴いていたけれど横のニューヨーカー(?)は叫んでるだけだと怒っていた。やはり盛りが過ぎていたのだろう。まあ余談です。
最新録音から、今、飛ぶ鳥を落とすクルレンティスの「悲愴」を聴いた。演奏は別としてとても疲れた。それはDレンジが途轍もなく広いためだろう。したがって冒頭の音は相当注意しないと聴こえない。ボリュームを上げすぎると主部に入るとびっくりするくらい大きな音になる。弦の細かな動きが精彩にとらえられていて少々煩わしいなどなど。批評家によると大絶賛であるが(演奏)私にはカラヤンのほうが安心して聴けると思った。保守的ですね。クルレンティス/コパティンスカヤのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も大変な評判をとった演奏だったが、正直言うと私は何度も聴くうちに飽きが来てしまった。でもクルレンティスのモーツアルトのダポンテ3部作は気に入っているのだから天邪鬼だと思う。特にドンジョバンニは素晴らしいを超えている。まあ余談でした。
明日は何を聴くか今から楽しみである。
〆