2016年11月29日
「1941・決意なき開戦」堀田江里、人文書院
日本が対米開戦を決意し、真珠湾攻撃を開始したのは、いかなるプロセスで行われたのか?、今まで不思議でならなかったことに対する答えを期待して読んだ作品ある。
1941年の春から12月までの間の政治、外交、軍事、社会のその時代の資料を丹念に読み込んで描いた力作である。
多くの識者、軍人そして政治家、だれもがアメリカと戦争なんて無謀とは知りつつ、突入した戦争。そこには今の日本社会にも残滓が残る自己保身や組織防衛があり、その行くつく先が大ばくちに近い開戦と云う本作の結論は、残念ながら求める解ではないような気がする。結局このような日本の昭和史の一瞬(といっても8カ月だが)を切り取ったアプローチでは答えは得られないのではないかと思う。
この作品はもともとはアメリカ人のために書かれたそうだ。従って原文は英語であり、本書はそれを邦訳したものである。率直に云えばそういうことが関係しているかどうかはわからないが、本書はアメリカは正義で日本は悪者というスタンスの様に感じられて仕方がなかった。感覚的で申し訳ないと思うが!
私はここでは日米双方向から歴史を大きく見たヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡、日本」のようなアプローチが求められるのではないかと読後感じた次第。もう一度読み直してみよう。
「戦国無頼」垣根涼介著、新潮社
室町末期という今まであまりクローズアップされていない時代の断片に焦点ををあてた時代小説であり、剣豪小説でもある。面白く読んだ。
時は将軍義政の時代、15世紀半ばを過ぎたころ。もうまもなく応仁の乱が始まる。
登場人物は多彩である。まず骨皮道賢、ふざけた名前だが実在の人物である。このあと応仁の乱で活躍。野武士の走りの様な人物だが人望が厚く一勢力を築いている。
もう一人は蓮田兵衛、彼も実在の人物である。大規模な土一揆を最初に指揮した人物、道賢と同じく人望厚くリーダー的存在。その他これも実在だが馬切衛門太郎、比叡山の法師の暁信、遊女芳王子などがからむ。
主人公はそういう人物に囲まれ成長して棒使いの達人となる吹き流し才蔵である。彼は実在かどうかは不明。本書はこの人物を少年時代からスポットをあて、その成長物語として描いてゆく。これが読み物としての本線になるが、ここではむしろ伏線と云うべき室町末期の時代の描写が面白い。飢饉がつづき、農民や商人たちは疲弊する。一方では大名や大商人、僧侶には冨が集中する。極端な格差社会が生み出されるのである。この視点は今日的でもある。
そういう時代に一石を投じる蓮田の生きざまが読んでいて痛快。クライマックスは彼が指導する土一揆である。この時代から100年もすると信長や秀吉がでてくる。また本書では集団戦法の先駆けとしての一揆勢の戦い方も描いており、そういう意味でも面白い一作。著者の目の付けどころが良いと思った。
「ドナ・ビボラの爪」宮本昌孝著、中央公論社
本書も目の付けどころのよさが魅力である。戦国無頼もそうだが、史実とフィクションをうまくミックスする本書の描き方はストーリーに重みをもたせ、単なる読みもの以上のものを読者に与えるような気がする。
本書はそういう実在の人物が実に生き生きと描かれている。特に上巻の帰蝶姫、彼女は斎藤道三の娘、不器量なため男の子の様に育てられる、道三から溺愛される。彼女のキャラクターはまことに魅力的で読んでいて本当に魅かれた。次いで光秀の妻、煕子、彼女は帰蝶のお付の侍女としてと云うより母親代りとして仕える。彼女の如何にも武士の女房としての立ち居振る舞いが素敵である。光秀の信長討ちのキーウーマンである。
そしてこの二人の女性を取り囲む武将たち。特に信長と光秀の描き方は史実とは違うかもしれないにしても興味深い解釈である。
ドナ・ビボラとは誰かはなかなか種明かしされないが、それは読んでのお楽しみである。著者のトリックの様な卓抜のアイディアが随所にあり、一気読み必至の一冊である。特に上巻が素晴らしい。下巻は信長の天下取りを一気に描くので、少し説明的になるのが残念と云えば残念である。ただ下巻ではドナ・ビボラが登場するのが待ち遠しくてページを繰る手が止まらなくなるだろう。
「11/22/63」スティーブン・キング著、文春文庫
ケネディ暗殺と時間旅行(タイムトラベル)をミックスしたSFサスペンスである。凄いアイディアだと思ったら、こういうネタの本は何冊もあるようだ。
主人公のジェイク・エピングはリスボン・フィールズというメイン州の小さな町の高校教師。ハンバーガー屋のアルから1958年に移動できる「穴」引き継ぐことになる。アルは何度も1958年に移動し1963年のケネディ暗殺を阻止しようと試みるが、自分が癌になり続けられなくなり、ジェイクに託したのである。そしてジェイクはそれを引き継いだのである。
果たして過去に行った人間の行動が未来にどのような影響を与えるのか?スケールの大きな物語である。ラブロマンスもはさみ、これは冗長であるが、キイになる話であるので仕方がない。
この小説のもう一つの面白さは1950~60年代のアメリカ社会の描写である、著者の目には21世紀の今日よりも豊かでより幸せな社会に描かれているが、アメリカ人の共通の思いかもしれない。
本書で納得できないところが一つある。この時間旅行の穴から、つまり過去から戻って来た時、過去で行われたことはリセットされてしまうということである。それはあたかもゲーム感覚で、死んだ人間が何度も生き返るということになりかねない。人生がそう簡単にリセットされてよいのかと思うのだが!もっともそれには大きなしっぺ返しがあるので、それは読んでのお楽しみである。
「孤独な祝祭」追分日出子著、文芸春秋
東京バレエの創始者で数々の海外の団体の日本での引っ越し公演をプロモートした佐々木忠次の評伝である。彼はまたNBSの代表でもある。
NBSには数々のオペラ公演でお世話になっているにもかかわらず、佐々木氏については全く知らなかった。本書を読んで初めて名前も人となりもわかった次第である。
本書はバレエの部分の描写にかなりの紙面がつぎ込まれているが、個人的にはオペラの、それもたとえばスカラ座の引っ越し公演への道や新国立劇場の設立時の確執など知らないことが多く興味深かった。音楽好きには面白い作品だ。佐々木と云う人物は読めば読むほど世に天才と云われる人が持っている臭いをぷんぷんさせる人物だなと思わせる作品でもある。
〆
「1941・決意なき開戦」堀田江里、人文書院
日本が対米開戦を決意し、真珠湾攻撃を開始したのは、いかなるプロセスで行われたのか?、今まで不思議でならなかったことに対する答えを期待して読んだ作品ある。
1941年の春から12月までの間の政治、外交、軍事、社会のその時代の資料を丹念に読み込んで描いた力作である。
多くの識者、軍人そして政治家、だれもがアメリカと戦争なんて無謀とは知りつつ、突入した戦争。そこには今の日本社会にも残滓が残る自己保身や組織防衛があり、その行くつく先が大ばくちに近い開戦と云う本作の結論は、残念ながら求める解ではないような気がする。結局このような日本の昭和史の一瞬(といっても8カ月だが)を切り取ったアプローチでは答えは得られないのではないかと思う。
この作品はもともとはアメリカ人のために書かれたそうだ。従って原文は英語であり、本書はそれを邦訳したものである。率直に云えばそういうことが関係しているかどうかはわからないが、本書はアメリカは正義で日本は悪者というスタンスの様に感じられて仕方がなかった。感覚的で申し訳ないと思うが!
私はここでは日米双方向から歴史を大きく見たヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡、日本」のようなアプローチが求められるのではないかと読後感じた次第。もう一度読み直してみよう。
「戦国無頼」垣根涼介著、新潮社
室町末期という今まであまりクローズアップされていない時代の断片に焦点ををあてた時代小説であり、剣豪小説でもある。面白く読んだ。
時は将軍義政の時代、15世紀半ばを過ぎたころ。もうまもなく応仁の乱が始まる。
登場人物は多彩である。まず骨皮道賢、ふざけた名前だが実在の人物である。このあと応仁の乱で活躍。野武士の走りの様な人物だが人望が厚く一勢力を築いている。
もう一人は蓮田兵衛、彼も実在の人物である。大規模な土一揆を最初に指揮した人物、道賢と同じく人望厚くリーダー的存在。その他これも実在だが馬切衛門太郎、比叡山の法師の暁信、遊女芳王子などがからむ。
主人公はそういう人物に囲まれ成長して棒使いの達人となる吹き流し才蔵である。彼は実在かどうかは不明。本書はこの人物を少年時代からスポットをあて、その成長物語として描いてゆく。これが読み物としての本線になるが、ここではむしろ伏線と云うべき室町末期の時代の描写が面白い。飢饉がつづき、農民や商人たちは疲弊する。一方では大名や大商人、僧侶には冨が集中する。極端な格差社会が生み出されるのである。この視点は今日的でもある。
そういう時代に一石を投じる蓮田の生きざまが読んでいて痛快。クライマックスは彼が指導する土一揆である。この時代から100年もすると信長や秀吉がでてくる。また本書では集団戦法の先駆けとしての一揆勢の戦い方も描いており、そういう意味でも面白い一作。著者の目の付けどころが良いと思った。
「ドナ・ビボラの爪」宮本昌孝著、中央公論社
本書も目の付けどころのよさが魅力である。戦国無頼もそうだが、史実とフィクションをうまくミックスする本書の描き方はストーリーに重みをもたせ、単なる読みもの以上のものを読者に与えるような気がする。
本書はそういう実在の人物が実に生き生きと描かれている。特に上巻の帰蝶姫、彼女は斎藤道三の娘、不器量なため男の子の様に育てられる、道三から溺愛される。彼女のキャラクターはまことに魅力的で読んでいて本当に魅かれた。次いで光秀の妻、煕子、彼女は帰蝶のお付の侍女としてと云うより母親代りとして仕える。彼女の如何にも武士の女房としての立ち居振る舞いが素敵である。光秀の信長討ちのキーウーマンである。
そしてこの二人の女性を取り囲む武将たち。特に信長と光秀の描き方は史実とは違うかもしれないにしても興味深い解釈である。
ドナ・ビボラとは誰かはなかなか種明かしされないが、それは読んでのお楽しみである。著者のトリックの様な卓抜のアイディアが随所にあり、一気読み必至の一冊である。特に上巻が素晴らしい。下巻は信長の天下取りを一気に描くので、少し説明的になるのが残念と云えば残念である。ただ下巻ではドナ・ビボラが登場するのが待ち遠しくてページを繰る手が止まらなくなるだろう。
「11/22/63」スティーブン・キング著、文春文庫
ケネディ暗殺と時間旅行(タイムトラベル)をミックスしたSFサスペンスである。凄いアイディアだと思ったら、こういうネタの本は何冊もあるようだ。
主人公のジェイク・エピングはリスボン・フィールズというメイン州の小さな町の高校教師。ハンバーガー屋のアルから1958年に移動できる「穴」引き継ぐことになる。アルは何度も1958年に移動し1963年のケネディ暗殺を阻止しようと試みるが、自分が癌になり続けられなくなり、ジェイクに託したのである。そしてジェイクはそれを引き継いだのである。
果たして過去に行った人間の行動が未来にどのような影響を与えるのか?スケールの大きな物語である。ラブロマンスもはさみ、これは冗長であるが、キイになる話であるので仕方がない。
この小説のもう一つの面白さは1950~60年代のアメリカ社会の描写である、著者の目には21世紀の今日よりも豊かでより幸せな社会に描かれているが、アメリカ人の共通の思いかもしれない。
本書で納得できないところが一つある。この時間旅行の穴から、つまり過去から戻って来た時、過去で行われたことはリセットされてしまうということである。それはあたかもゲーム感覚で、死んだ人間が何度も生き返るということになりかねない。人生がそう簡単にリセットされてよいのかと思うのだが!もっともそれには大きなしっぺ返しがあるので、それは読んでのお楽しみである。
「孤独な祝祭」追分日出子著、文芸春秋
東京バレエの創始者で数々の海外の団体の日本での引っ越し公演をプロモートした佐々木忠次の評伝である。彼はまたNBSの代表でもある。
NBSには数々のオペラ公演でお世話になっているにもかかわらず、佐々木氏については全く知らなかった。本書を読んで初めて名前も人となりもわかった次第である。
本書はバレエの部分の描写にかなりの紙面がつぎ込まれているが、個人的にはオペラの、それもたとえばスカラ座の引っ越し公演への道や新国立劇場の設立時の確執など知らないことが多く興味深かった。音楽好きには面白い作品だ。佐々木と云う人物は読めば読むほど世に天才と云われる人が持っている臭いをぷんぷんさせる人物だなと思わせる作品でもある。
〆