2015年9月29日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
東京都交響楽団、第794回定期演奏会Bシリーズ
指揮:オリヴァー・ナッセン
ピアノ:ピーター・ゼルキン
ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイアーワークス
シェーンベルク:映画の一場面への伴奏音楽
武満 徹:精霊の庭
ブラームス:ピアノ協奏曲第二番
前半の3曲は現代音楽。ナッセンの花火は自作自演、ストラヴィンスキーの花火へのオマージュ、シェーンベルクは映画音楽とあるが特定の映画に付けたものではなく、無声映画を想定した曲を依頼されたそうだ。武満は岐阜県の古川町から委嘱された作品である。いずれでも初めて聴く曲で、何とも云えないが、武満の曲は12音階の曲ながら、何か郷愁を誘う雰囲気が印象に残った。
ピーター・ゼルキンとは懐かしい、昔現代音楽を随分レコーディングしていたと思ったが、こういう古典ものを聴くとは思いがけないことである。そういう印象があるせいか、もちろんブラームスのこの大曲を聴くのに過不足のない演奏だとは思いつつも、最後までしっくりとこなかった。
1楽章のホルンソロの導入のあと、短いピアノのイントロがある。これがなんともぎくしゃくして、スムースに音楽が進行しない。わざとこういう弾き方をしているとしか思えないが、この様な短い部分でも音が明瞭になったり、ぼけたりする落差が甚だしいように
感じる。こうやってもたもたしている間にオーケストラの全奏が待ちきれないように入って来る。オーケストラとの連携もあまりうまくいっていないのではないか?こうやって聴き始めたが、全体の印象としては、素晴らしく音楽が輝く部分と、そうでない部分との落差が大きいように思った。例えば3楽章などは全体にとても美しいが、さりとてとりたててあげつらうほどの美しさはあまり感じないのである。しかし冒頭のチェロのソロがもう一度戻ってくる直前のピアノの輝きは、それまでがガラス玉としたら、まるで磨き抜かれたダイヤモンドのごとき輝きでどきっとさせられる。それは一瞬で消え失せてしまうのであるが。
1楽章に次いで2楽章もぎくしゃくして音楽が進む。アレグロは情熱的で、馬力もあるが、その燃焼がひと段落すると、ピアノの音が急に色あせてしまうのである。これはいかなることなのだろう。なんとも不可解な演奏であった。ただ盛大なブラボーがあったので私の耳がおかしかったのかもしれないし、昨夜のハイティンク/ペライアの素晴らしいモーツァルトの後だったからかもしれない。演奏時間は49分。
都響のサポートは素晴らしいがオーケストラとピアノが別物のように聴こえて居心地が悪い。それと都響の演奏をこれだけ聴くと何の過不足もないが、昨夜のロンドン響と比べるとオーディオ装置の音圧が1ノッチ強違うように感じる。特に木管と金管はそうである。例えばオーボエだが、両者とも美しいが、ロンドンの場合はホール全体に音が拡がる印象、都響の場合はあくまでもステージ上にとどまっている印象なのである。座席は2列違いなので大差あるまい。こういうところに彼我の差を感じる。
〆
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
東京都交響楽団、第794回定期演奏会Bシリーズ
指揮:オリヴァー・ナッセン
ピアノ:ピーター・ゼルキン
ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイアーワークス
シェーンベルク:映画の一場面への伴奏音楽
武満 徹:精霊の庭
ブラームス:ピアノ協奏曲第二番
前半の3曲は現代音楽。ナッセンの花火は自作自演、ストラヴィンスキーの花火へのオマージュ、シェーンベルクは映画音楽とあるが特定の映画に付けたものではなく、無声映画を想定した曲を依頼されたそうだ。武満は岐阜県の古川町から委嘱された作品である。いずれでも初めて聴く曲で、何とも云えないが、武満の曲は12音階の曲ながら、何か郷愁を誘う雰囲気が印象に残った。
ピーター・ゼルキンとは懐かしい、昔現代音楽を随分レコーディングしていたと思ったが、こういう古典ものを聴くとは思いがけないことである。そういう印象があるせいか、もちろんブラームスのこの大曲を聴くのに過不足のない演奏だとは思いつつも、最後までしっくりとこなかった。
1楽章のホルンソロの導入のあと、短いピアノのイントロがある。これがなんともぎくしゃくして、スムースに音楽が進行しない。わざとこういう弾き方をしているとしか思えないが、この様な短い部分でも音が明瞭になったり、ぼけたりする落差が甚だしいように
感じる。こうやってもたもたしている間にオーケストラの全奏が待ちきれないように入って来る。オーケストラとの連携もあまりうまくいっていないのではないか?こうやって聴き始めたが、全体の印象としては、素晴らしく音楽が輝く部分と、そうでない部分との落差が大きいように思った。例えば3楽章などは全体にとても美しいが、さりとてとりたててあげつらうほどの美しさはあまり感じないのである。しかし冒頭のチェロのソロがもう一度戻ってくる直前のピアノの輝きは、それまでがガラス玉としたら、まるで磨き抜かれたダイヤモンドのごとき輝きでどきっとさせられる。それは一瞬で消え失せてしまうのであるが。
1楽章に次いで2楽章もぎくしゃくして音楽が進む。アレグロは情熱的で、馬力もあるが、その燃焼がひと段落すると、ピアノの音が急に色あせてしまうのである。これはいかなることなのだろう。なんとも不可解な演奏であった。ただ盛大なブラボーがあったので私の耳がおかしかったのかもしれないし、昨夜のハイティンク/ペライアの素晴らしいモーツァルトの後だったからかもしれない。演奏時間は49分。
都響のサポートは素晴らしいがオーケストラとピアノが別物のように聴こえて居心地が悪い。それと都響の演奏をこれだけ聴くと何の過不足もないが、昨夜のロンドン響と比べるとオーディオ装置の音圧が1ノッチ強違うように感じる。特に木管と金管はそうである。例えばオーボエだが、両者とも美しいが、ロンドンの場合はホール全体に音が拡がる印象、都響の場合はあくまでもステージ上にとどまっている印象なのである。座席は2列違いなので大差あるまい。こういうところに彼我の差を感じる。
〆