ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2014年06月

2014年6月16日

「ポンペイ」、キット・ハリントン、エミリー・ブラウニング、キーファー・サザーランド他
 久しぶりに映画館で見た。ポンペイは2度その遺跡を見ているので、どう映像で再現するのか興味深かった。昔ポンペイ最後の日という映画があったように覚えているが、この映画のストーリーは関係ないだろう。
 主人公マイロはブリタニア属州でローマに反乱を起こしたケルト族の生き残りで、囚われてグラディエイターになる。それがポンペイに連れて来られて闘技場で戦う。ヒロインカッシアはポンペイの有力者の令嬢。それにローマの元老院議員コルヴスがからむ。コルヴスはマイロの両親他ケルト族を惨殺した張本人だ。
 こういう人物が絡むが、実は人間関係は至極簡単で正と邪が実にはっきりしてわかりやすい。奴隷のマイロと御令嬢のカッシアが相思相愛になるなんてありえないような話も全体に単純な構成とこういう大災害の中では本当らしく見えるからおかしい。
 しかしこの映画の主人公はヴェスヴィオ火山噴火に伴うポンペイ市の滅亡である。とにかくこの映像が実に素晴らしい。3Dも実に自然であり、またCGとはいえポンペイ市の再現映像もなかなかのもの。これを見るだけでも十分価値のある映画だった。ラッセル・クローの「グラディエイター」のパクリの様なシーンまであってサービス精神旺盛だ?
 感動するドラマや、陰々滅滅としたドラマや、わけのわからないストーリーや台詞で煙に巻かれてしまうような芸術映画とは別世界の実に単純な映画だが、そこにも映画の存在意義があるように思う。こう云う映画をバカにする向きもおられようが、私は好きだ。
 役者もこういう正・邪のはっきりした芝居に相応しいキャスティング。マイロのグラディエーター仲間がボビー・オロゴンに似ていて笑ってしまった。その他脇役陣も存在感があって、良くできた娯楽大作だった。ただ津波のシーンがリアル過ぎて、東関東大震災のショックの癒えない日本人にはちょっとつらい映像だった。

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、スコセッシ監督、デカプリオ主演
これは久しぶりにスコセッシのきつい一発である。アメリカの現在の拝金主義と格差社会に対する痛烈な批判であるように感じた。デカプリオはまたまたアカデミー賞を逸したが、彼の熱演が光る。悔しいだろうがこういう自堕落な表現の映画は無理なのだろうか?皮肉なことに映画の最初の部分でデカプリオの教育主任にアカデミー賞をとったマコノヒーがでていたのは偶然にしては出来過ぎている。
 実在のジョーダン・ベルフォードの原作の映画化だが、おそらく相当フィクションがあるのでないか?それぐらい主人公の生き方は破天荒である。アメリカの誰もが手に入れることができると信じている成功物語を強烈に皮肉っているようにも感じた。スコセッシ監督健在なり。

「マラヴィータ」、リュック・ベッソン監督、デニーロ、ファイファー、トミー・リー・ジョーンズ他
 これだけのメンバーがそろった映画だから面白くないはずがない。予告編ではコメディーの様な取り扱いだったので、あまり期待せずに見た。予想以上に面白い。
 「グッドフェローズ」というマフィアものの映画があったがこの映画の原題は「BAD FERRAS」つまりグッドフェローズの反対の意でふざけたタイトル。これはそのタイトルの小説の映画化らしい。マラヴィータはデニーロ(主人公のマフィアジョバンニ・マンゾーニ)の飼い犬の名前。彼女?が全て目撃していたということか?このマンゾーニ氏はどういういきさつか警察にタレこみをしてマフィアに追われる。おそらく司法取引だろう。ミシェル・ファイファーがその妻、子供が二人姉・弟。トミー・リー・ジョーンズはマンゾーニ一家を保護するFBIの責任者。この四人の家族の破天荒さが面白い。デニーロは当然にしても、姉弟まで無茶苦茶なのだ。話としてはこの一家の逃避行だが、何かユーモラスで、緊迫感の欠けているのがおかしい。しかし彼らの周りでは殺人や放火やいろいろな犯罪が起きて、おかしいなんて言ってられないのだが!まあなかなかよくできた娯楽作品だ。

「スノー・ピアサー」、クリス・エヴァンス、ソン・ガンホ、ジョン・ハート、クリス・エヴァンス主演
 2014年、地球の温暖化を防ぐためにCW7という地球を冷却する物質を大気圏に撒くが、それがきき過ぎて地球が凍って、人類は滅亡してしまう。笑ってしまうほどおかしい話。わずかに残った人類はなんと地球をぐるぐる回る(50万マイルを1年で回る)列車の中で生き残る。この列車は自給自足が可能だそうだ。この列車はウィルフォードという電車おたくがつくたっと言う。しかしみそはそこにはなくて、構造としては「ハンガーゲーム」と同じアメリカ人の好きな格差社会もの。すなわちこの列車の前方には金持ち階層、中央にはワーカークラス、後部は社会の最下層の貧困者たち、この後部車輛の人々が反乱をおこすという話だ。しかしハンガーゲームの様なローマ社会をもじったようなスケールの大きい設定とは違って、列車のなかの閉塞社会というわけなので、映画の作りとしては何かみみっちくて、正直いって期待外れの一作。ただ主役をはじめ脇役陣の充実ぶりはすごく、ちょっとこんな映画に勿体ないくらいだった。〆

2014年6月14日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

指揮:ジョナサン・ノット
メゾ・ソプラノ:サーシャ・クック

ブーレーズ:ノタシオン機銑検粉標抗敞如
ベルリオーズ:夏の夜
シューベルト:交響曲第八番・グレイト

ブーレーズは20歳の時の作品、もともとピアノのために12曲を書いたが、その後今夜演奏された4曲を管弦楽用に編曲したもの。12音技法に基づく作品である。初めて聴いて云々云えないが、私には無用の作品に思える。(視野の狭い男です)

 ベルリオーズは初めて聴いたにもかかわらずとても素晴らしい。実はなぜかと考えているのだが、おそらく作品というよりもこのアメリカ生まれの若いメゾ・ソプラノの誠に魅力的な声によるものだと思う。この声は実にひとを惹きつける何かをもっていて、そして聴いていてとても気持ち良い。少々硬質の声だけれでも全くとんがったところがなく、全帯域を完璧にコントロールしているように感じた。全6曲は以下のタイトルがつけられている。
 機ゥ凜ラネル(牧歌)
 供イ个蕕遼肝
 掘テ?蟾召砲
 検サ遒蠅型
 后ナ菽呂砲
 此ジ知らぬ島
どの曲も魅力的だが4曲目の去りし人と6曲目の入り江にてが印象に残った。

 シューベルトは演奏時間57分の大熱演と書きたいところだが、聴いた後は大熱演と言う印象には遠く、実に爽やか。全体に重々しさは皆無に近い。軽快かつきびきびと音楽は進む。長年聴いてきた愛聴盤のベーム/ベルリンのレコードとは対極の様な演奏で、最初は面喰ったが、考えて見ればこの曲はシューベルトが晩年とはいえ30歳になる前に作曲したというから、こういう軽快かつ爽やかな演奏のほうがむしろ似つかわしいのではないかと思うに至る。そういう演奏である。
 1楽章のホルンの出は実に軽やかで速い、東響の2人のソロの安定感も見事である。全く危なげのない導入。その後木管たちが加わってそれが実に美しい。主部に入ると更にテンポが上がる。重々しさが全くなく、軽やかに音楽が進む。物足りなさも無きにしも非ずと言うところだが、いやな演奏ではない。音楽にとんがる部分がないので、単調に聴こえるかもしれないが、実際は金管などに実に細やかな指示を出しており、それが興味深い。これは全曲に共通しているところである。コーダもあおりたてないで、上品に終わる。
 2楽章は更に軽やかである、重々しさがなく、踊りだしそうな音楽である。
 3楽章はスケルツオは快速だが、トリオになってもそれほどテンポを落とさない。だからベームで感じさせる天国的な響きは皆無である。ちょっと身も蓋もない演奏のように思えるが、聴いているとこれでいいのだと思えてくるのが不思議だ。4楽章も軽快なテンポは変わらない、そしてどんなに大きな音を出しても、音は崩れない。というよりも大き過ぎる音は出さないようににしているようにすら感じる。コーダでは勢いを感じさせる追いこみを見せるが、終わり方が今まで聴いたことのないような静かな終わり方でちょっと面喰う。なんともユニーク(私には)なシューベルトだった。演奏時間が57分になったのは反復をカットしていないためだと思う。
 東響の安定感は立派なもの。木管もさることながら金管の安定感は流石。4楽章でもノットは金管に細かい指示を出すが、反応が機敏であった。
 今夜のプログラムのノスタシオンは必要ないのではないかと思った。ベルリオーズとシューベルトだけでくたくた。人間の集中できる時間と言うのには限界があるのだ。

2014年6月13日
於:NHKホール(1階9列右ブロック)

NHK交響楽団、第1785回定期演奏会Cプログラム
指揮:ウラジミール・アシュケナージ
ピアノ:ベフゾド・アブドゥライモフ

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第三番
シュトラウス:アルプス交響曲

アシュケナージはN響と一緒しか聴いたことはないが、あまり良い印象は記憶にない。マーラーの六番やドヴォルザークの八番など、悪い記憶しかない。最も良いと思ったのはシベリウスの七番、このひんやりとした独特の響きはアシュケナージの独自性を感じさせた名演だったと思う。
 結論的に云えば今夜の演奏は、そういうアシュケナージを払しょくした素晴らしい公演だった。

 まずラフマニノフだ。アブドゥライモフはまだ24歳のウズベキスタン出身のピアニスト。音楽の中にはとても美しく素晴らしい曲だとはわかっていても、どうしても好きになれない曲がある。この三番の協奏曲はその一例である。しかし今夜の演奏は心が動いた。それはこの若いピアニストの若き血潮とエネルギーの噴出によるものだろう。1楽章のカデンツァの驀進は単なるバリバリ弾くということを超えた何かがある。それが若き血潮だと思う。もう今の自分にはないあの燃え盛るエネルギーはまぶしい限りではあり、うらやましくもあるが、こちらの心にも火をつけてくれる。3楽章の輝かしい音楽の連続にも圧倒されるばかり。しかしピアニストばかりではなくアシュケナージとN響の寄り添うようなサポートも印象的だった。アシュケナージは若き後輩を見守るだけでなく、語りかけるようにピアノのほうを向いて指揮をしていたのが心に残る。この演奏は古今の名演奏と比べたらどうかということはわからないが、今夜の聴衆に火をつけたことだけは確かである。演奏時間は42分弱。

 シュトラウスのアルプス交響曲は以前は山を音にして何が面白いのかとほとんど無視をしていたが、ティーレマンのウィーンフィルデビューのライブ盤を聴いてえらく感動し、自然賛歌の意味を大いに感じた。それ以来この曲はティーレマンしか聴かない。脱線するがこの演奏はSACD化されていて、これがまたSACDらしからぬ素晴らしい音(皮肉です)なのである。SACDはこのような壺にはまると良いが安易にSACD化したものは音がスカスカで拡がりや奥行きは感じられるが楽器一つ一つの実体感が乏しいものが散見される。例えばムーティ/シカゴのヴェルディレクイエムなどがその例。オーケストラホールの空間は感じられるが、オーケストラホールの音は感じられない。一つ一つの楽器が色あせて聴こえるのである。
 さて本題に戻そう。今夜の演奏はN響の力演もあって、実に感動的だったが、それは頂上にて~景観や嵐の凄まじい迫力とスケールだけではなく、むしろ嵐の後の3つの部分、すなわち日没~エピローグ~夜の部分のほうが大きかった。ここでのN響の金管や木管、弦の美しさは筆舌に尽くしがたいものがある。それにオルガンが絡む部分など息をのむよう。音楽は次第に沈潜してゆくのと漆黒の夜を迎えるのとが軌を一にしており、絵画的にも素晴らしいが、なにより音楽の一音一音が心に沁み込む様が素晴らしい。いつもあまり感情移入しているようには思えないアシュケナージの心のこもった一撃のように強く感じた。演奏時間は51分弱。〆

2014年6月12日
於:サントリーホール(1階18列左ブロック)

読売日本交響楽団、第538回定期演奏会
指揮:パオロ・カリニャーニ
ソプラノ:並河寿美
メゾ・ソプラノ:清水香澄
テノール:岡田尚之
バス:妻屋秀和

合唱:新国立合唱団

昨年の11/6の東フィル/ルイゾッティ以来のヴェルディである。なんやかんやいって、毎年こうしてこのヴェルディの力作を聴けるなんて、なんと幸せなことだろう。
 最初の「レクイエム~キリエ~」、この出だしのカリニャーニの音楽はなんとやさしいことだろうか?これはおごそかな宗教曲風でもないし、かといってオペラ風でもない。べたべたしない、清潔感あふれる導入である。合唱も最初のレクイエムは少々弱いと感じたけれども、それはおそらくカリニャーニの音楽作りのためだろう、キリエエレイソンの部分の合唱とソロの力強い演奏はそのような不安を払しょくしてくれた。
 怒りの日はまた少し様相が違う。ディエス・イレから最後のラクリモーザまでは、歌また歌の素晴らしい連続。ここはドラマティックでもあり、オペラ風でもあって一つの山場だと感じた。ディエス・イレの合唱の素晴らしいこと。オーケストラもそれに呼応して、読響としてはベストパフォーマンスだろう。ただトゥーバ・ミルムのバンダのトランペット(オルガンの横)と舞台上のトランペットの連携が少々もたついて聴こえた。ここはカリニャーニも少々のろのろして、切れがなかった。
 さらに、オフェルトリオ~リベラメまでは冒頭のレクイエムの流れに戻って、全て音楽に気品があり美しい。特にアニュスデイとルックスエテルナのオーケストラそして最後のリベラメの怒りの日の音楽の後の「レクイエム~」と歌うソロと合唱の透明感は本当に良かった。

 今日の不満はソロ陣に少々ばらつきがあったことだろうか?
まず並河のソプラノは初めて聴いたように思うが、透明でしかも凛として美しい声で、今夜の歌唱でベストだと思う。やはりリベラメは素晴らしいが、リコルダーレやアニュスデイのメゾとの2重唱でもメゾを終始リードして音楽の基調を作り出していた。とにかくとても美しく感動した。なおリベラメでは怒りの日の音楽の後ソプラノは舞台指揮者横から、ヴァイオリン群の後ろ、合唱団の前に移動して歌った。合唱との一体感を狙ったものだろうか?私にはあまり意味のないことだと思われた。
 メゾの清水は二期会のカヴァレリアのサントゥッツァの歌唱が印象に残っている。それは決して良い意味ではない。彼女はある一定の声量ではとても美しく、ふくよかな声を聴かせてくれる。しかしそれを通り過ぎて声が大きくなるとどうしても絶叫になって、音が濁る。並河の透明な声と並べてしまうから余計それが目立つ。ラクリモーサも自然な音楽には聴こえなかった。
 テノールの岡田は調子が悪かったのだろうか?インジェミスコなどは声を張り上げた後の始末が悪く、すべて尻切れトンボのように聴こえた。聴いていて不安になって落ち着いて聴いていられなかった。
 バスの妻屋は安定感は抜群である。ただこの人はそれを突き抜けるものがあまり感じられない。たとえばレックス・トレメンダはもう少し迫力が欲しい。あまりにも優等生的な歌唱ではないかと感じられた。
 という具合で並河と妻屋以外はあまり冴えず、全体としてはソロ陣の水準は昨年の東フィルよりも数段落ちるような印象を受けた。定期だから仕方がないということではなくて、ベストメンバーを配して欲しいものだ。合唱とオーケストラがとても素晴らしいゆえに、残念なことであった。なお演奏時間は83分強。〆

2014年6月4日

とにかくこの頃見にゆきたい、借りたいという映画がない。間もなく封切りになる「ノアの方舟」、「ポンペイ」に期待したい。

「ハンガーゲーム供廖▲献Д縫侫 次Ε蹇璽譽鵐梗膠
前作ハンガーゲーム気里曚Δ圧倒的に面白い。兇魯汽丱ぅ丱襪任皀押璽爐瞭晃機淵掘璽皀◆Ε曠侫泪鵝砲了迭櫃韻箸寮錣い任△辰董■隠加篭茲らの選抜代表者との戦いでないのでスリリングな度合いが少ない。気茲蠅發困辰肇蹇璽淞觜颪魎兇犬気擦觝遒蠅砲覆辰討い襦ローレンスもホフマン(亡くなってしまったが)もこんな映画で見たくないものだ。

「アウトロー」
珍しいアイルランド映画である。舞台はレイキャビック。サイコとあだ名をつけられたステビは昔の友人と再会。しかしそいつは麻薬の元締め。ステビは遊び半分で仲間になるが、やがて組織の片腕にまでのし上がる。悪の世界にずぶずぶ嵌まってゆくステビの行動を淡々と映像にする不気味さ。ユニークな映画だ。
フランス映画だがカンヌ映画祭で入賞した「預言者」もそのような内容で面白い。こちらは刑務所でコルシカマフィアの仲間でいながら、みずから麻薬の組織を作ってゆく。そのプロセスは「アウトロー」と似ている。どちらも面白い映画だ。

「さよなら渓谷」、大西信満、真木よう子、大森南朋
何とも陰気な映画だ。話の進みもだらだらとしてもたれる。とにかく間が多くてじれったい。間の演技だろうが、空白の時間としか思えない。30分で終わる映画だ。レイプした男とレイプされた女が一緒に暮らすという、あり得ないような話。淡々と映画は進むが、主人公たちの心のさざ波のような静的なたたずまいが私にはすべてわざとらしく感じられた。

「凶悪」、リリー・フランキー、ピエール瀧、山田孝之、池脇千鶴
実話に基づく映画。これはなかなか面白い映画だ。「冷血」のごとく、善悪と関係なく人は次から次へと殺されてゆく。背景には老人問題があり、それをネタにした犯罪が根っこにある。現代の日本の断面と凶悪事件とをうまく結びつけた力作だ。役者は皆うまいので映画の内容が生き生きと描かれる。

「オンリー・ゴッド」、ライアン・ゴズリング
原題は「only god forgives」。何とも奇妙な映画だ。タイ映画の様である。時間差、空間差や心理的な動きを、いろいろな技術を使って描いてゆく。まあちょっとカッコつけすぎかな。ゴズリングと兄のビリーはタイでボクシングジムを経営しているが、実は母親がボス(アメリカ)の麻薬組織を動かしている。ビリーがレイプ殺人を行うが警察のたくらみで殺されてしまう。この警察のボスはとても不気味。ゴズリングとこのボスとの対決が骨格なのだが、話があちこち飛ぶのですんなり頭に入らない。頭の良い人向きの映画。

「WER」
原題の意味がわからない。辞書にも出ていない。フランスのリヨンを旅行中のアメリカ人一家が何ものかに襲われる。父と息子が殺され、妻は重傷。彼女の証言で近くに住むタランという男が逮捕される。ケイトはアメリカ人だがフランスで弁護士をやっている、仲間のエリックと動物学者のギャビンとでタランの弁護をする。しかしタランは遺伝および感染性の病気である条件になると狂暴になるというもの。狼男の変形バージョンで前半は面白い。

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