2014年5月31日
於:東京文化会館(1階19列右ブロック)
ローマ歌劇場来日公演
ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」
指揮:リッカルド・ムーティ
演出:エイドリアン・ノーブル
シモン・ボッカベグラ:ジョルジョ・ペテアン
アメーリア:エレオノーラ・ブラット(バルバラ・フリットリキャンセルのため代演)
ガブリエーレ・アドルノ:フランチェスコ・メーリ
ヤーコポ・フィエスコ:ドミトリー・ベロセルスキー
パオロ・アルビアーニ:マルコ・カリア
ピエトロ:ルーカ・ダッラミーコ
ローマ歌劇場管弦楽団、合唱団
素晴らしいシモン・ボッカネグラだった。その源はまずは何と言ってもムーティの音楽作りであろう。前奏曲からものすごく力がこめられており、一音一音紡ぐように音楽が生み出されてゆくのは愛聴盤のアバドのものとは一味違った味わいだ。一言でいえばスケールの大きさだろう。プロローグの終わりの乱痴気騒ぎもむやみにテンポを上げずに、しかしこの物語の先行きを暗示するように、音楽も大騒ぎさせないところが心憎い。逆にアバドのように、人を煽りたてるような面では物足りないとも云えよう。
今日聴いて最高の場面は1幕2場のジェノバの統領の会議場の場面。特に後半のシモンの「兄弟殺しめ~」アメリア、ガブリエーレ、フィエスコ、パオロが続く重唱に合唱が加わる部分。この音楽のスケールの大きさは今日のムーティの象徴的なところだろう。これこそイタリアオペラを聴く醍醐味を十分味あわせてくれる場面だ。これがあるからイタリアオペラはやめられない。最後のパオロの呪いからオーケストラによる締めくくりも充実したものだ。
演出/舞台で印象に残ったのは、アバド/スカラの来日公演と同じで海を意識していること。プロローグでもフィエスコの屋敷を左手にして、門があり、その門の奥にはきらきら輝く海が広がるという、如何にもジェノヴァを舞台にしたオペラということを示している。1幕の1場と3幕でも舞台奥手には海があり、常に海を意識せざるを得ないのだ。ムーティの音楽作りにもそれが呼応して生かされていて、例えば1幕の冒頭の音楽、弦楽器と木管のコンビで表わされる海のイメージがそれである。また3幕の幕あきの音楽も海を意識した音楽が聴ける。このように音楽と舞台が一体になったオペラこそ真の総合芸術と云えるのではないだろうか?今日のシモンはまさにそういう公演であった。
もう一つ舞台で印象に残ったのは、柱や建築物はすべて大理石をイメージしているということである。ジェノヴァはリグリアなので、トスカナ地方とは云えないが、トスカナに隣接しているので許されるだろう。昔フィレンツェに滞在していた時に教会を見て回ったが、大理石がカラフルなのが印象的だった。今日の舞台も白と濃い緑の2色の大理石が使われており、いかにもこの時代のイタリアをあらわしているなあと、うまい舞台美術に感心してしまった次第。演出はごくまっとうで、ト書きベースだった。とにかく模範的な名舞台だった。ただ最後にシモンが死ぬ場面はバタンと横倒しになってしまったので怪我しなかった心配だった。ちょっと驚きの演出。
歌手はナブッコと同様穴がなく立派の一言。まあこれだけの舞台が日本で接することができることに感謝したい。まずシモンとフィエスコ。昔のカップチルリとギャウロフの超重量級の歌唱とは違って、声質が比較的軽めである。しかしだからといって決して水準の低いものではなく、立派なものだ。要はこう云うスタイルなのだ。プロローグや3幕でのこの二人の2重唱はだから政争劇というよりも、人間としてのぶつかりあいの様相のほうが濃い。そういう意味ではこの2重唱はオーケストラと相まって、感動的の一言。1幕2場のシモンは決して偉大なドージェという点よりも人間シモンを強調しているように感じた。これは演出なのか、歌手の持ち味なのかはわからない。
アメーリアとガブリエーレのコンビはガブリエーレのメーリの余裕のある歌いっぷりが印象的だった。決して熱血漢の様な感じはしなかったが、いかにも貴族の御曹司らしい上品な歌いっぷりが、今日の舞台にあっているように思った。一方気の毒なのはアメーリアだ。病気のためバルバラ・フリットリがリハーサルから参加できないことから、キャンセルになった。そこで2013年のローマ/ムーティで歌った、プラットが代役に選ばれた訳だ。私見だがこのアメーリア役はおそらく、今のフリットリに一番合っている役ではないかと思っているが、今回それが聴けずに残念。プラットは透明な声でそれはそれでよいのだが、アメリアの心のひだまでは歌い込めていないように思った。こう云う点ではおそらくフリットリにはかなわないだろう。彼女のキャンセルはかえすがえすも残念なことだった。メーリの余裕のある歌いっぷりに対して、プラットは少々余裕がなく、2重唱など、もういっぱいいっぱいになってしまっていた。ただしかし1幕の「なんとこの真っ暗な時刻に~」は声も細く、声にニュアンスがないように思ったが、しり上がりに元気がでてきたことは確かである。
パオロは性格バリトンとして立派な役作り。プロローグでの扇動者として、また1幕2場や2幕では陰湿な策謀家としての性格を歌に託していた。
管弦楽はナブッコほどにぎやかではなく、曲想に合わせてかなかなかしっとりした演奏で見違えるようだった。ムーティの棒さばきによるものだろうが、柔軟な対応のできるオーケストラだと思った。
シモンの舞台はこれで3度目。直近は演奏会形式でサンティ/N響のもの。歌手は流石に今日の演奏にかなわないと思ったが、サンティのきびきびした音楽作りはなかなかのもの。アバドの演奏が私のシモンの原点だが、今日のムーティも甲乙つけがたいものでしばらく忘れられないだろう。演奏時間は139分(場面転換は含まず、拍手は含む)。アバドやサンティの演奏時間とほぼ同じというのも興味深いことだ。
〆
於:東京文化会館(1階19列右ブロック)
ローマ歌劇場来日公演
ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」
指揮:リッカルド・ムーティ
演出:エイドリアン・ノーブル
シモン・ボッカベグラ:ジョルジョ・ペテアン
アメーリア:エレオノーラ・ブラット(バルバラ・フリットリキャンセルのため代演)
ガブリエーレ・アドルノ:フランチェスコ・メーリ
ヤーコポ・フィエスコ:ドミトリー・ベロセルスキー
パオロ・アルビアーニ:マルコ・カリア
ピエトロ:ルーカ・ダッラミーコ
ローマ歌劇場管弦楽団、合唱団
素晴らしいシモン・ボッカネグラだった。その源はまずは何と言ってもムーティの音楽作りであろう。前奏曲からものすごく力がこめられており、一音一音紡ぐように音楽が生み出されてゆくのは愛聴盤のアバドのものとは一味違った味わいだ。一言でいえばスケールの大きさだろう。プロローグの終わりの乱痴気騒ぎもむやみにテンポを上げずに、しかしこの物語の先行きを暗示するように、音楽も大騒ぎさせないところが心憎い。逆にアバドのように、人を煽りたてるような面では物足りないとも云えよう。
今日聴いて最高の場面は1幕2場のジェノバの統領の会議場の場面。特に後半のシモンの「兄弟殺しめ~」アメリア、ガブリエーレ、フィエスコ、パオロが続く重唱に合唱が加わる部分。この音楽のスケールの大きさは今日のムーティの象徴的なところだろう。これこそイタリアオペラを聴く醍醐味を十分味あわせてくれる場面だ。これがあるからイタリアオペラはやめられない。最後のパオロの呪いからオーケストラによる締めくくりも充実したものだ。
演出/舞台で印象に残ったのは、アバド/スカラの来日公演と同じで海を意識していること。プロローグでもフィエスコの屋敷を左手にして、門があり、その門の奥にはきらきら輝く海が広がるという、如何にもジェノヴァを舞台にしたオペラということを示している。1幕の1場と3幕でも舞台奥手には海があり、常に海を意識せざるを得ないのだ。ムーティの音楽作りにもそれが呼応して生かされていて、例えば1幕の冒頭の音楽、弦楽器と木管のコンビで表わされる海のイメージがそれである。また3幕の幕あきの音楽も海を意識した音楽が聴ける。このように音楽と舞台が一体になったオペラこそ真の総合芸術と云えるのではないだろうか?今日のシモンはまさにそういう公演であった。
もう一つ舞台で印象に残ったのは、柱や建築物はすべて大理石をイメージしているということである。ジェノヴァはリグリアなので、トスカナ地方とは云えないが、トスカナに隣接しているので許されるだろう。昔フィレンツェに滞在していた時に教会を見て回ったが、大理石がカラフルなのが印象的だった。今日の舞台も白と濃い緑の2色の大理石が使われており、いかにもこの時代のイタリアをあらわしているなあと、うまい舞台美術に感心してしまった次第。演出はごくまっとうで、ト書きベースだった。とにかく模範的な名舞台だった。ただ最後にシモンが死ぬ場面はバタンと横倒しになってしまったので怪我しなかった心配だった。ちょっと驚きの演出。
歌手はナブッコと同様穴がなく立派の一言。まあこれだけの舞台が日本で接することができることに感謝したい。まずシモンとフィエスコ。昔のカップチルリとギャウロフの超重量級の歌唱とは違って、声質が比較的軽めである。しかしだからといって決して水準の低いものではなく、立派なものだ。要はこう云うスタイルなのだ。プロローグや3幕でのこの二人の2重唱はだから政争劇というよりも、人間としてのぶつかりあいの様相のほうが濃い。そういう意味ではこの2重唱はオーケストラと相まって、感動的の一言。1幕2場のシモンは決して偉大なドージェという点よりも人間シモンを強調しているように感じた。これは演出なのか、歌手の持ち味なのかはわからない。
アメーリアとガブリエーレのコンビはガブリエーレのメーリの余裕のある歌いっぷりが印象的だった。決して熱血漢の様な感じはしなかったが、いかにも貴族の御曹司らしい上品な歌いっぷりが、今日の舞台にあっているように思った。一方気の毒なのはアメーリアだ。病気のためバルバラ・フリットリがリハーサルから参加できないことから、キャンセルになった。そこで2013年のローマ/ムーティで歌った、プラットが代役に選ばれた訳だ。私見だがこのアメーリア役はおそらく、今のフリットリに一番合っている役ではないかと思っているが、今回それが聴けずに残念。プラットは透明な声でそれはそれでよいのだが、アメリアの心のひだまでは歌い込めていないように思った。こう云う点ではおそらくフリットリにはかなわないだろう。彼女のキャンセルはかえすがえすも残念なことだった。メーリの余裕のある歌いっぷりに対して、プラットは少々余裕がなく、2重唱など、もういっぱいいっぱいになってしまっていた。ただしかし1幕の「なんとこの真っ暗な時刻に~」は声も細く、声にニュアンスがないように思ったが、しり上がりに元気がでてきたことは確かである。
パオロは性格バリトンとして立派な役作り。プロローグでの扇動者として、また1幕2場や2幕では陰湿な策謀家としての性格を歌に託していた。
管弦楽はナブッコほどにぎやかではなく、曲想に合わせてかなかなかしっとりした演奏で見違えるようだった。ムーティの棒さばきによるものだろうが、柔軟な対応のできるオーケストラだと思った。
シモンの舞台はこれで3度目。直近は演奏会形式でサンティ/N響のもの。歌手は流石に今日の演奏にかなわないと思ったが、サンティのきびきびした音楽作りはなかなかのもの。アバドの演奏が私のシモンの原点だが、今日のムーティも甲乙つけがたいものでしばらく忘れられないだろう。演奏時間は139分(場面転換は含まず、拍手は含む)。アバドやサンティの演奏時間とほぼ同じというのも興味深いことだ。
〆