2014年2月22日
於:東京文化会館(1階6列中央ブロック)
ヴェルディ「ドン・カルロ」、二期会公演
指揮:ガブリエーレ・フェッロ
演出:デヴィッド・マクヴィカー
フィリッポ二世:伊藤 純
ドン・カルロ:福井 敬
ロドリーゴ:成田博之
宗教裁判長:斉木健嗣
エリザベッタ:横山恵子
エボリ公女:谷口睦美
テバルド:加賀ひとみ
修道士:三戸大久
レルマ伯爵:大槻孝司
天よりの声:湯浅桃子
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:二期会合唱団
期待の公演、もちろん二期会の精鋭による公演だから、大崩れはなく、ヴェルディのこの中期の傑作を楽しむに過不足のない演奏であった。ただこの演奏を唯一無二の超名演というには、少し問題があるように思った。
全体の出来栄えは、自分の好みもあって、4幕が断然素晴らしい。これは滅多に聴けない水準だと思う。宗教裁判長とフィリッポとの二重唱、フィリッポに迫力がないのは残念だが、宗教裁判長のおどろおどろしいさまがよく出て、聴きごたえがあった。ついでフィリッポとエリザベッタとの二重唱から、ロドリーゴ、エボーリが加わった四重唱は、4人それぞれの思いが込められて、ここも聴きごたえ十分。しかし圧巻はエボーリの「おお、宿命の贈り物よ~」である。ここでは、谷口はエボーリの心情を吐露する。これは綺麗事の歌唱ではなく、心の叫びである。谷口の声は破たん寸前だが、そこまで追いつめられているからこその歌唱ではないだろうか?今日一番の感動的な場面であった。2場のドン・カルロとロドリーゴの2重唱も聴かせどころだが、満足ゆくものだった。どちらかという淡白な指揮で終始していたフェッロもこの幕では、心のこもった音楽作りで納得ゆくものだった。
しかし休憩前の1~3幕は残念ながら冴えない。要するに綺麗に歌われているだけで、生身の人間が感じられない。例えば2幕のエリザベッタのアレンベルク夫人を慰める歌は、何の感情もこもっていないかのような歌唱で、この名曲が台無しである。3幕のロドリーゴとドン・カルロ、エボーリとの三重唱も、切羽詰まったさまが全く感じられない。ただ音楽が流れるだけだ。3幕2場のアトーチャ大聖堂の前の場面も、オーケストラがのんびりと音楽を奏でており、全く緊迫感が感じられなかった。わずかに2幕のドン・カルロとロドリーゴの二重唱は二人の絆を感じられる歌で満足ができた。
この責の一端はフェッロの生ぬるい指揮だと思う。カラヤンやショルティのCDの劇的な音楽運びに慣れているものとしては、誠に隔靴掻痒の感ありだ。まあCDで云えば、サンティーニ/スカラ座(61年)版がそれに近い。ところがフェッロは4幕以降は豹変してくるのだから、音楽というのは、わからない。最後まで油断してはいけないのである。まあ今日は4幕で十分満足だ。
歌手たちだが、フィリッポは少々威厳に欠ける。人間的と云えば人間的だが、フィリッポはそういう面だけの役ではないのだから、ちょっと困る。例えば宗教裁判長とのやり取りなどは、ぼこぼこにされていて物足りない。歌唱が綺麗事の域を出ていない様に思った。この複雑な人間をどう理解して歌ったのだろうか?4幕冒頭のアリアでその心のひだを聴きたかったのだが残念。今思い出しても思い出せないほど全く印象に残っていないのは面妖なことだ。このオペラで今最も好きなアリアなのに!
カルロの福井は相変わらず安定感抜群だ。ただここまできたらそれを突き抜ける水準を目指して欲しいものだ。ロドリーゴも素晴らしい。カルロへの忠節、王への直言など彼の直情的な性格描写が十分感じられる。宗教裁判長は上記のとおり。
エリザベッタはフィリッポと同じ。綺麗だが中身がない。心のひだが感じられないのだ。2幕のアレンベルク夫人への慰めの場面やカルロとの2重唱は特にそうだ。わずかに4幕の「お母様、私はここでよそもの~」で初めて彼女の心情が聴けた。続く四重唱も立派。ただ5幕の聴かせどころの「世の虚しさをお知りになり~」はまた綺麗に終わってしまうので心に残らない。カルロとの二重唱も淡白。
エボーリは2~3幕は、正直声に元気がなく物足りない。サラセンの歌も華がない。3幕の3重唱もエボーリの心情が歌に乗っていない。しかし4幕は別人のよう。上記のとおり素晴らしい歌唱だった。
相変わらずのダブルキャストだが、主役級はわかるがテバルドや天の声までダブルというのはちょっとやり過ぎではないだろうか?顔見せ興行だから仕方がないのだろうか?
演出のマクヴィカーは新国立の「トリスタンとイゾルデ」の演出をしていた。あれは装置(ロバート・ジョーンズ)も含めて、最近の実験劇場的な演出ではなく、地に足のついた非常に分かりやすい演出だった。このドン・カルロはフランクフルトとの提携公演と云うことだ。装置や衣裳はフランクフルトからもって来ているようだ。舞台は左右それぞれ6本づつの巨大な柱と正面の4本の柱に囲まれた階段状の舞台であって、装置の変更は微細なため場面転換が短くて良いが、柱は白いタイルの様なものなので、舞台そのものが牢獄みたいな、閉塞感で支配されているように感じた。宗教や絶対王政の支配、エリザベッタやロドリーゴの心の閉塞感をあらわしているのだろうか?まあ華やかさのない舞台だった。演出はオーソドックスなもので、妙な読み替えもなく、その時代を切り取った様な演出だった。ただ面白かったのは最後にドン・カルロが兵士に刺されて本当に天国?へ行ってしまうことだ。良く見るのはカルロ五世の亡霊がドン・カルロを修道院に引きずり込んで終わるという演出だが、今日のほうがすっきりしているように思った。
ドン・カルロが聴けるということで、満席かと思ったら、1階席の左右奥はがらがらである。なぜだろう。こういう純血主義の演奏は皆さんお嫌いなのでしょうか?
それにしても、今日の演奏は5幕版(イタリア語、いわゆるモデナ版)である。全曲は約3時間半だったが、休憩が1回しかなく、前半は1~3幕で約2時間で、かなり疲れる。やはり休憩は2回取るべきだろう。正直云って1幕は私にはあまり面白くない。CDを聴くときは5幕版の場合2幕から聴いてしまう。だから無理して5幕版を採用しないで、カラヤン盤のように4幕版でも良いのではないかと私は思う。しかし今は5幕がはやりらしいから仕方がないかもしれない。 〆
於:東京文化会館(1階6列中央ブロック)
ヴェルディ「ドン・カルロ」、二期会公演
指揮:ガブリエーレ・フェッロ
演出:デヴィッド・マクヴィカー
フィリッポ二世:伊藤 純
ドン・カルロ:福井 敬
ロドリーゴ:成田博之
宗教裁判長:斉木健嗣
エリザベッタ:横山恵子
エボリ公女:谷口睦美
テバルド:加賀ひとみ
修道士:三戸大久
レルマ伯爵:大槻孝司
天よりの声:湯浅桃子
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:二期会合唱団
期待の公演、もちろん二期会の精鋭による公演だから、大崩れはなく、ヴェルディのこの中期の傑作を楽しむに過不足のない演奏であった。ただこの演奏を唯一無二の超名演というには、少し問題があるように思った。
全体の出来栄えは、自分の好みもあって、4幕が断然素晴らしい。これは滅多に聴けない水準だと思う。宗教裁判長とフィリッポとの二重唱、フィリッポに迫力がないのは残念だが、宗教裁判長のおどろおどろしいさまがよく出て、聴きごたえがあった。ついでフィリッポとエリザベッタとの二重唱から、ロドリーゴ、エボーリが加わった四重唱は、4人それぞれの思いが込められて、ここも聴きごたえ十分。しかし圧巻はエボーリの「おお、宿命の贈り物よ~」である。ここでは、谷口はエボーリの心情を吐露する。これは綺麗事の歌唱ではなく、心の叫びである。谷口の声は破たん寸前だが、そこまで追いつめられているからこその歌唱ではないだろうか?今日一番の感動的な場面であった。2場のドン・カルロとロドリーゴの2重唱も聴かせどころだが、満足ゆくものだった。どちらかという淡白な指揮で終始していたフェッロもこの幕では、心のこもった音楽作りで納得ゆくものだった。
しかし休憩前の1~3幕は残念ながら冴えない。要するに綺麗に歌われているだけで、生身の人間が感じられない。例えば2幕のエリザベッタのアレンベルク夫人を慰める歌は、何の感情もこもっていないかのような歌唱で、この名曲が台無しである。3幕のロドリーゴとドン・カルロ、エボーリとの三重唱も、切羽詰まったさまが全く感じられない。ただ音楽が流れるだけだ。3幕2場のアトーチャ大聖堂の前の場面も、オーケストラがのんびりと音楽を奏でており、全く緊迫感が感じられなかった。わずかに2幕のドン・カルロとロドリーゴの二重唱は二人の絆を感じられる歌で満足ができた。
この責の一端はフェッロの生ぬるい指揮だと思う。カラヤンやショルティのCDの劇的な音楽運びに慣れているものとしては、誠に隔靴掻痒の感ありだ。まあCDで云えば、サンティーニ/スカラ座(61年)版がそれに近い。ところがフェッロは4幕以降は豹変してくるのだから、音楽というのは、わからない。最後まで油断してはいけないのである。まあ今日は4幕で十分満足だ。
歌手たちだが、フィリッポは少々威厳に欠ける。人間的と云えば人間的だが、フィリッポはそういう面だけの役ではないのだから、ちょっと困る。例えば宗教裁判長とのやり取りなどは、ぼこぼこにされていて物足りない。歌唱が綺麗事の域を出ていない様に思った。この複雑な人間をどう理解して歌ったのだろうか?4幕冒頭のアリアでその心のひだを聴きたかったのだが残念。今思い出しても思い出せないほど全く印象に残っていないのは面妖なことだ。このオペラで今最も好きなアリアなのに!
カルロの福井は相変わらず安定感抜群だ。ただここまできたらそれを突き抜ける水準を目指して欲しいものだ。ロドリーゴも素晴らしい。カルロへの忠節、王への直言など彼の直情的な性格描写が十分感じられる。宗教裁判長は上記のとおり。
エリザベッタはフィリッポと同じ。綺麗だが中身がない。心のひだが感じられないのだ。2幕のアレンベルク夫人への慰めの場面やカルロとの2重唱は特にそうだ。わずかに4幕の「お母様、私はここでよそもの~」で初めて彼女の心情が聴けた。続く四重唱も立派。ただ5幕の聴かせどころの「世の虚しさをお知りになり~」はまた綺麗に終わってしまうので心に残らない。カルロとの二重唱も淡白。
エボーリは2~3幕は、正直声に元気がなく物足りない。サラセンの歌も華がない。3幕の3重唱もエボーリの心情が歌に乗っていない。しかし4幕は別人のよう。上記のとおり素晴らしい歌唱だった。
相変わらずのダブルキャストだが、主役級はわかるがテバルドや天の声までダブルというのはちょっとやり過ぎではないだろうか?顔見せ興行だから仕方がないのだろうか?
演出のマクヴィカーは新国立の「トリスタンとイゾルデ」の演出をしていた。あれは装置(ロバート・ジョーンズ)も含めて、最近の実験劇場的な演出ではなく、地に足のついた非常に分かりやすい演出だった。このドン・カルロはフランクフルトとの提携公演と云うことだ。装置や衣裳はフランクフルトからもって来ているようだ。舞台は左右それぞれ6本づつの巨大な柱と正面の4本の柱に囲まれた階段状の舞台であって、装置の変更は微細なため場面転換が短くて良いが、柱は白いタイルの様なものなので、舞台そのものが牢獄みたいな、閉塞感で支配されているように感じた。宗教や絶対王政の支配、エリザベッタやロドリーゴの心の閉塞感をあらわしているのだろうか?まあ華やかさのない舞台だった。演出はオーソドックスなもので、妙な読み替えもなく、その時代を切り取った様な演出だった。ただ面白かったのは最後にドン・カルロが兵士に刺されて本当に天国?へ行ってしまうことだ。良く見るのはカルロ五世の亡霊がドン・カルロを修道院に引きずり込んで終わるという演出だが、今日のほうがすっきりしているように思った。
ドン・カルロが聴けるということで、満席かと思ったら、1階席の左右奥はがらがらである。なぜだろう。こういう純血主義の演奏は皆さんお嫌いなのでしょうか?
それにしても、今日の演奏は5幕版(イタリア語、いわゆるモデナ版)である。全曲は約3時間半だったが、休憩が1回しかなく、前半は1~3幕で約2時間で、かなり疲れる。やはり休憩は2回取るべきだろう。正直云って1幕は私にはあまり面白くない。CDを聴くときは5幕版の場合2幕から聴いてしまう。だから無理して5幕版を採用しないで、カラヤン盤のように4幕版でも良いのではないかと私は思う。しかし今は5幕がはやりらしいから仕方がないかもしれない。 〆