ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2014年01月

2014年1月29日

「ベルリン・ファイル」、ハン・ソッキュ、ハ・ジョンウ、チョン・ジヒョン
韓国製、国際謀略物。しかももう北朝鮮がジョウウンの時代になっており、今日的である。ジェイソン・ボーンシリーズを思わせるアクション、音楽などが効果的で、面白い作品になっている。
 ただ話の本筋は面白いのに、売りのアクションが前面に出過ぎて、だんだん飽きがくるのが、難点。この点は韓国流のしつこさが裏目に出たと云うことだろう。でも日本映画では甘さの出るアクションもので最後までハードなのはさすがである。
 キム・ジョウウンの時代になった北朝鮮、そのベルリン大使館(ベルリンに北朝鮮の大使館があったとは知らなかった)付きの諜報員が主人公。国家の英雄でもある。その重荷を背負って生きてゆく孤高の諜報員をハ・ジョンウが好演。彼は本国サイドの思わぬ謀略/罠にはまり窮地に追い込まれる。一方韓国側は北朝鮮の秘密資金ルートを追う。この2つが交差して、激突するという話だ。主人公はジェイソン・ボーン並みで怪我をしてもすぐ治ってしまうというスーパーマンぶりをどうこう云う映画ではなかろう。ジョウウン時代を背景にしたストーリーには妙なリアリティがあって恐ろしい。(DVDレンタル)

「悪いやつら」、チェ・ミンシク、ハ・ジョンウ主演
またまた韓国映画だ。別に好きではないのだが、アクションものの作りが案外と面白いのでつい借りてしまう。この映画は極道ものというか、裏社会を描いたものである。題名通り悪いやつばかりが登場する。暴力シーンも多いが、チェ・ミンシクの演技がどことなくとぼけて見えるので、なんとなくユーモラスなのが面白い。
 元税関吏のミンシクはコネと血脈で裏社会とつながる。それが釜山を縄張りにした極道の親分ジョンウである。二人は二人三脚で昇り詰める。警察や検事などのコネを使って昇ってゆく過程は面白い。ジョンウの親分のハードなアクションも見ものである。
 ミンシクは極道にはなり切れないワルだが、一面家族を大切にし、クリスチャンでもある。息子の教育にも力を入れた教育パパでもある。この二面性がミンシクのキャラで生きてくる。しかし盧泰愚大統領の暴力団追放が引き金になってミンシク帝国は崩壊したかと思いきや・・・生き残るしぶとい男なのだ。この年代記が韓国の現代史でもあり興味深い。
 また、韓国は血縁や上下関係に対して日本をはるかに超えた重要性をもった社会であるということがよくわかった。そのことだけでも見る価値があるだろう。(DVD)

「偽りの人生」、ウィゴ・モーステンセン主演
アルゼンチン映画。これはひどく面妖な映画だ。わかりやすい話なのに、なにかしこりが残るような不快感が残る。
 ペドロとアグスティンは性格の全く違う双子の兄弟。兄は生まれ故郷の島(どこだかわからない)で養蜂家として生活しているが、裏社会ともつながっている。弟は大都会で医者をやっている。キャリアの妻との二人暮らし。兄は乱暴者だが弟は繊細。ある日兄が弟の家に来る。兄は末期がん。今の生活に閉塞感を感じていた弟は兄と入れ替わり故郷に帰るという話。愚兄賢弟物語だがお利口な弟が悪の兄貴に入れ替わるのだからまあばれないわけがないだろう。
 アルゼンチンは財政破たんをして再建中の国だが、そういう雰囲気を随所に感じさせる映像でそれはそれで面白かった。しかし話が少々ばかばかしいので最後まで見るのが少々しんどい。こう云う話なのにカトリックの国らしく、悪党が聖書を読んだり、聖女のような少女が登場したりする。
 私の感性ではついて行けない映画だった。(DVD)

「コレクター」ジョン・キューザック主演
原題は「FACTORY」、何の工場かは見てのお楽しみ。まあただのコレクターものとはひとひねりしたものだ。実話に基づいた話らしい。
 娼婦がこの何年か冬になると行方不明になる。アメリカ、バッファロー市が舞台である。それを捜査するのがキューザックでパートナーの女性刑事と組んで取り組むが、迷宮入りしてしまう。ところがキューザックの娘が誘拐されてしまい、話は急展開する。思いもよらないラストがショッキングだが、このごろこういう猟奇物はあまり見たくなくなってしまった。年のせいだろう。このジャンルが好きな人には面白い一作だ。(DVD)

「コズモポリス」、デヴィッド・クローネンバーグ監督
小説の映画化。観念的な台詞の連発だが、その背景がよく飲み込めないので、見ていて画面から置き去りにされてしまう。
 若くして金融王になった主人公は、なぜかリムジンをオフィスにしている。「元」の暴落で破産寸前、その彼の一日を描いている。ボディーガード、運転手、事業パートナー、金持ちの娘=妻、よくわからないパイ投げ男、主人公の会社を首になった男、その他こういった人物が入れ替わり立ち替わり登場してぺらぺらしゃべっておしまいと云う映画だ。
最後までついて行けなかった。悔しいです。(DVD)
                                      〆

2014年1月26日
於:新国立劇場(1階7列中央ブロック)

ビゼー「カルメン」新国立劇場公演
指揮:アイナルス・ルビキス
演出:鵜山 仁

カルメン:ケテワン・ケモクリーゼ
ドン・ホセ:ガストン・リベロ
エスカミーリョ:ドミトリー・ウリアノフ
ミカエラ:浜田理恵
スニガ:妻屋秀和
モラレス:桝 貴志
ダンカイロ:谷 友博
レメンダート:大野光彦
フラスキータ:平井香織
メルセデス:清水香澄
新国立劇場合唱団、東京FM少年合唱団
東京交響楽団

2007年の再演である。この演奏は最近では珍しくレチタティーヴォ版(ギロー版)である。最近はCDでもライブでもアルコア版(エーザー)がほとんどだから、逆に希少価値のある演奏だろう。我が家にあるCDではマリア・カラス/ジョルジュ・プレートル盤がレチタティーヴォ版である。昔はみんなこれだった。マゼール/モッフォ盤がでて、それは初めてアルコア版で演奏されたレコードで、まあ初演に近いオペラ・コミック、台詞つきの演奏であって、初めて聴いた時は実に新鮮で、その後この版のCDがあまたレコーディングされているが、このマゼール盤がもっとも気に入っている。いまでもカルメンを聴こうかなというときはこのCDをまず取り出すのだ。アンナ・モッフォの小悪魔的なカルメンはカラスの凄みのあるものとは違ってそれはそれで魅力的。さらにホセはコレルリ、ミカエラはドーナト、エスカミーリョはカプッチルリと脇役陣も強力であるので、他のCDを聴く気が起らない、名盤であると私は思う。

 のっけから、余談になってしまった。レチタティーヴォ版を演出家が選んだ理由はわからないが、おそらく日本人にとってはコミック版の台詞よりもレチタティーヴォのほうが歌いやすいのではないかと推測する。とにかく懐かしい版による演奏で楽しんだ。
 演出は演劇畑の日本人によるもので、舞台を含めて変な読み替えや動きの全くない、ト書きに近いもので、音楽を集中して聴くことができてうれしかった。昨年テレビでバレンボイム/スカラのカルメンを見たが、全く理解に苦しむような場面の続出で、バレンボイムもよくこんな演出で振ったなあと思った。録画したものを先日見直したが終わった後は盛大な「ぶー」だった。今日の公演はそのようなことのない安心して見ることができる演出であった。
 指揮のルビキスはまだ若い(30代か?)ラトヴィアの指揮者だ。威勢の良い指揮をするかと思ったら、案外とまともで歌手にすり寄った繊細な棒さばきで感心してしまった。1幕の前奏曲の冒頭は威勢良く入るが、その後の闘牛士のメロディはちょっとトーンを落としたりして、めりはりつけも不自然さはない。1幕の名曲、例えばハバネラやホセとミカエラの2重唱、たばこ工場の女工の歌、セギディリアなど、歌手に寄り添って自然な歌唱を楽しむことができた。2幕になるともう少し元気になり、リリアス・パスチャの場面や闘牛士の歌、5重唱など生き生きとしてカルメンの魅力的な音楽を堪能できた。
 しかし、驚くべきは3幕以降だ。これは指揮者だけではないと思うが、二人の男女が悲劇の坂道を転げ落ちてゆく様を、1~2幕とがらりと変わった音楽作りで聴かせてくれた。要するに1~2幕は3~4幕のおぜん立てみたいなもののように感じさせる音楽作りだった。カルメンの死を感じ取った諦念みたいな歌(例えばかるたの歌や終幕の2重唱)も凄いが、ホセの未練たらたらの歌は(3幕の幕切れ、4幕の幕切れ)、こういう経験のある方だったら、おそらく深く感情移入できるだろうと思わせるくらい、感動的だった。

 カルメンはグルジア出身で年はわからないが、見た限りではまだ若い。1~2幕は小悪魔みたいなエロスを感じさせる歌い方で、ホセでなくともくらくらきそうだ。1幕のセギディリアなどはその例。しかし3幕になるとがらりと変わって陰惨な雰囲気がにじみ出てくる。陰惨という云い方は相応しくないかもしれないが、要は1~2幕とはがらりと雰囲気が変わるのである。かるたの歌の死の予感はこちらまでぞくっとくる。
 ドン・ホセはウルグアイの出身。1幕のミカエラとの2重唱は硬さが残っていたように思ったが、2幕の花の歌や3幕の幕切れ、4幕の幕切れの歌唱は実に、ホセの心情を歌い上げた名唱ではなかったろうか?今日一番の感動的な歌唱だった。
 ミカエラはしっとりした声で聴かせたが、17歳の初々しさがもう少しでると良かったように思った。ホセとの2重唱は姉さん女房みたいで少々違和感を感じた。
 エスカミーリョはロシアの出身。立派な声だが時々息が切れるような声になるのはこちらの耳のせいだろうか?盗賊団の4人も破綻はないが、たとえば2幕の5重唱などは、少々精度を欠いたように聴こえた。スニガ、モラレスはまじめに歌っているがもう少し軽妙さがあっても良いのではないだろうか?いつもながら合唱は素晴らしい。女工の歌や2幕の幕切れの、4幕の冒頭など云うことがない。オーケストラもほとんど傷がない立派なもの。久しぶりにこの名曲を十分堪能させてもらった。演奏時間は159分(拍手含む)
、カラス盤は146分だから少々遅い演奏だった。〆

2014年1月25日
於:すみだトリフォニーホール(1階20列左ブロック)

新日本フィルハーモニー交響楽団、トリフォニーシリーズ、第519回定期演奏会
指揮:ヴォルフ=ディーター・ハウシルト

シューベルト:交響曲第四番「悲劇的}
ブルックナー:交響曲第四番「ロマンティック」

シューベルトとブルックナーの組み合わせは定番の様だが、この組み合わせで聴くのは初めてだ。シューベルトの1楽章などを聴くとブルックナーはシューベルトの系譜だということがよくわかる。そういう意味でも面白いプログラムだ。
 シューベルトが断然よい。冒頭の強奏から始まる序奏からしてもうムード一杯である。弦はヴィブラートをほとんどかけないため、音楽全体澄明感にあふれて、しかしその中から、トランペットの切り裂くような音、ティンパニの乾いた音などが飛び出してきて、効果的満点だ。1楽章全体はそう速い演奏ではないが、ぐいぐい進む前進力は圧倒的だ。しかし決して前のめりにならないのが良い。2楽章は弦と木管の響きが更に澄明で、とりわけ美しい。3楽章の一気のスケルツォも決して力づくではない。4楽章も1楽章同様、テンポはそれほど速くないが前進力が、若々しいシューベルトを感じさせてくれる。
 演奏時間は34分強。日ごろ聴いているスダーン/東響(ライブ)、ブロムシュテット/ドレスデンに比べるとかなり遅い。スダーンもノンヴィブラートだったが、印象はかなり違う。ハウシルトは決して19歳の青年の作品の様には扱っていない。シューベルトの晩年の(と云っても20代後半だが)作品の萌芽をたっぷり持ったこの作品をこれはこれで完成された作品の様に、堂々と聴かせてくれた。そのぶんスダーンが聴かせてくれた、フレッシュさは薄れたように感じた。しかしすばらしいシューベルトだった。

 それに比べると、ブルックナーは私にとっては少々問題だ。私にとってブルックナーの音楽で最も大切なのは、「流れ」である。休止や急発進などを強調したりすると音楽はとたんに流れが悪くなる。音楽は自然に流れるのに棹をさす演奏に時々ぶつかることがある。音楽を丁寧にやればやるほど流れはますます悪くなる。そういう悪循環が聴こえるのである。
 今日のハウシルトの演奏では2楽章や4楽章がそうだ。2楽章の再現部の遅さは自然の流れとは思えない。停滞しているとは思わないが、もう少し流れてよ、と思わざるを得ない。4楽章の序奏から1主題の提示の音楽がもりもりふくれあがってゆく様は良いのだが、これも何か力技の様に感じられ、自然の力で音楽を盛り上げているようには感じられない。再現部からコーダまでの音楽もそうだ。音楽のスケールを感じさせる、良く云えばそうだが、ここも自然な流れとは思えない。流れに棹をさしているように、感じられてならない。
 反面1楽章は素晴らしく、特に展開の部分のコラールでの力感のこもった音楽は、オーケストラの力演と相まって、音楽はスケール大きく拡がり、ブルックナーを聴く醍醐味を味あわせてくれた。再現部からコーダにかけてもこの流れは変わらず、今日一番感動した部分だ。3楽章のスケルツォ~トリオの流れも、テンポをいじらず一直線に進み、圧倒的だ。なおブルックナーも弦はヴィブラートを抑えて演奏しているようだった。版は1878/80年ノヴァーク版。
 全体の印象は、1楽章・3楽章×2楽章・4楽章がまるで別の音楽の様に聴こえた妙なブルックナーだった。スクロヴァチェフスキー/読響(ライブ)の演奏した九番と同じ印象だった。なお演奏時間は75分は愛聴盤のカラヤンよりも10分以上遅い。
 
 ブルックナーの四番の音楽の流れが、私にとって最も自然に聴こえるのはカラヤン/ベルリンフィルとヴァント/ベルリンフィルの2つの録音だ。ヴァントはライブである。自宅で聴くときはこの2枚のどちらかである。両方ともベルリンフィルと云うのも面白いが、繊細さも力感も兼ね備え、スケールも大きい演奏であり、当分これを超える演奏は出てこないだろう。特にカラヤンは1974年ルツェルンでライブを聴いているので思い入れは深い。期待はティーレマンだが、八番をライブで聴いて、今日のハウシルトの演奏の様な印象をもったので無理だろう。メッツマッハーあたりが振ったら面白いかもしれない。〆

2014年1月24日
於:両国国技館(正面2階5列・椅子席)

中入り後半4番が面白かった。
まず、琴欧州×遠藤、二人が登場した時のどよめきは異様なほどだった。遠藤人気の凄まじさ。琴欧州も10番勝たねばならないので、お客の声援も大きい、その声援の相乗で場内の熱気は今日一番だった。勝負は呆気なく遠藤の勝ち。新旧交代を目の当たりに見た思いだ。これで琴欧州は大関復帰の夢破れる。勝負は厳しい。琴欧州は今場所勝ち越しても関脇どまり。大関に復帰するのはその年齢と今の満身創痍の状態ではすこぶるつきの難しさであろう。
 相撲の世界ははっきりしているが、政治の世界は一度消えた人が知らない間に都知事の候補に立候補している。都民のことなどついこのあいだまで、これっぱかしも考えたことのない人がだ。首相退陣した理由はもう過去のことだと、公開討論会すら開かれない。相撲の明朗さとは大ちがいだ。琴欧州がこれからどう歩むかは分からないが、彼が味わった、そしてこれからあじあう苦難の道のほんの少々でも味わってもらってから立候補してもらいたいものだ。
 しかしながら案外琴欧州はさばさばしているかもしれない。まあ余談です。ところで遠藤だが昨日は琴奨菊に出足で圧倒されて負けた。今日も立ち会いは琴欧州に押し込まれていた。この立会を改善しないと上位では苦戦するだろう。
 今頃云っても仕方ないが、琴欧州をみていると昔の横綱「柏戸」を思い出す。彼は体が硬くワンパターンの相撲しか取れなかった。立ち会いの強烈な当たりで前みつををとり一気の寄り。これで柏鵬時代を築いたのだ。琴欧州も柏戸のような相撲を取れば横綱も狙えたろうに。私は素人ながらそう思ってずっと彼を見てきたが、最後まで自分の形を作れなかった。

 ついで、豪栄道×玉鷲。今場所をいまひとつ面白くできなかった理由のひとつは、この豪栄道や、栃煌山、休場した妙義龍、隠岐の海、勢、らのこれから大関を狙って欲しい力士がだらしなかったことだ。豪栄道はスタートはよかったのに5日目からがたがただ。何が悪いのだろう。栃煌山も勝ち越したが、もう前半で終わってしまった。

 琴奨菊×鶴竜、琴奨菊は満身創痍で包帯だらけ。まるでフランケンシュタインだ。この体でよく勝ち越せたものだと思う。全治3カ月のところ2か月で場所を迎え、ろくに稽古もしないでだ。逆に云えば他の力士がだらしがないということだろう。まあそうは言うまい。ただ彼の体を見ていると公傷制度があっても良いのではと思わざるを得ない。過去あったらしいが悪用する輩が出て、北の海理事長の鶴の一声で止めになったらしい。ただ怪我をしない為には、稽古が必要らしい。稽古をして怪我をしない倒れ方を体で覚えてゆくそうだ。

 結びは白鳳×稀勢里、先場所とは雲泥の差の声援。お客も何かしらけている。稀勢里と行司が名乗っても、全然盛り上がらない。大衆と云うのは怖ろしいものだ。三番前の遠藤には凄まじい声援を送っていた人たちがだ。まあ責任はすべて稀勢里にあるのだが!これだけ何度も期待を裏切る人も珍しい。遠藤のふてぶてしさを少し分けてもらったらよいだろう。遠藤は全く動じない、あの精神力はどうやって身につけたのだろう。強烈な印象だ。
 稀勢里のことを書こうと思ってもつい遠藤と対比してしまう。今場所は立ち合いからしておかしかった。碧山戦などは大関が全然立てなくて、固まってしまっていた。これでは下になめられるだろう。この状況を脱するのは大変だろうが、これを乗り切らなくては横綱にはなれないし、よしんば、なれたとしても、苦しむのは自分だ。やはり何かが身についていないのだ。そういう意味では今場所優勝しなくて良かったのかもしれない。自分の弱さを克服してからでも、まだ遅くはない。部屋のごたごたが影響したというようなことが、週刊誌に書いてあったが、それを言い訳にしてはいけない。とにかく日本人でいま横綱を狙えるのは稀勢里しかいないのだ。相撲協会としては遠藤に早く大関になって欲しいだろうが!

 相撲の魅力はなんだろう。私にとってはあの立ち会いの一瞬のぶつかり、激突と云ってよいだろう。それである。それはアメリカンフットボールのランニングバックがデイフェンスのタックルとぶつかり合い、かわす、あの一瞬に似ているような気がする。しかし今日の相撲を見ているとそういう肉弾戦は皆無に近い。真正面から当たらずかわしたり、はたいたり、楽をしている。先日のシアトル・シーホークスのランニングバックのマショーン・リンチの爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。それでも毎場所つい見てしまうのである。

2014年1月14日

「ゼロ・グラビティ」、サンドラ・ブロック、ジョージ・・クルーニー
今週末で上映が終わると云うのであわてて見に行った。なるほど評判通りこれは劇場で見ないと、原作の印象は少し変わってしまうのではないかと思わされた。
 この映画の面白さは主人公と共体験できることだろう。良く臨場感と云う言葉があるが、あれは少々客観的表現で、作品を冷静に見て感じることだと思うが、この作品の場合はもっと主観的にこの作品を見ざるを得ない状況に追い込まれる。自分がサンドラ・ブロック(ストーン博士)になり切ってしまうのである。彼女の呼吸や心臓の鼓動を自ら感じ、恐怖の顔、絶望の顔、見ていて自分がそのような顔になっているような気にさせられてしまう。
 科学者のストーン博士と宇宙飛行士コワルスキー(クルーニー)は、ソ連の衛星の破壊片の影響で、宇宙に放り出されてしまう。その後は約1時間ノンストップのはらはらどきどきである。これほど興奮させられた映画は久しぶりだ。共体験の結果だろう。
 そのように感じるのは映像の力だ。3Dで見たが、そのほうが更にリアルである様に思った。アバターで久しぶりに3Dを体験しあの映像美に驚愕して以来、3D映画にする必要があるのかと思われるような代物まであって、3Dへの期待もしぼんでしまったが、この映画で改めて3Dの威力を感じた。宇宙に放り出される瞬間、宇宙に浮遊している様、宇宙船でのストーン博士の遊泳や物体の浮遊、その他枚挙のいとまのないほどのリアルな映像である。例えば細かいがストーン博士が死に直面して、亡くなった娘を思い出し涙を流す、その涙は宇宙船の中では浮遊するのである。それが画面を通り越して観客に飛んでくる。まるで自分の涙のように感じるのである。こう云う細かい映像全てがこの作品に奉仕をしている。サンドラ・ブロックの女マッチョ風の科学者はありそうもないような設定だが全く違和感ないし、ジョージ・クルーニーの軽いノリは対象的で二人の演技の秀逸さとキャスティングの妙味を感じる。
 これは近来まれにみる面白い映画で、例えは悪いが、子供のころ、東映のチャンバラ映画の主人公に自分がなり切って見ていた、あのころの自分に戻ってこの映画を見ていたようだった。それはまさに映画がもっている、本来的な魅力なのだろうと私は思う。それを久しぶりに味わった。

「クァルテット」、ダスティン・ホフマン監督、マギー・スミス、トム・コートネイ
欧州には音楽家の老人ホームがあるようだ。この映画はそこが舞台。過去の栄光を忘れられない人、甘んじて現状を受け入れる人、それぞれ人は老いてゆく。この映画の主人公たちは音楽界で成功した人ばかり。ヴェルディの生誕を記念してチャリティコンサートを企画する。過去の名歌手が4人、あのヴェルディの「リゴレットの」4幕の4重唱を歌うまでの紆余曲折を見せてくれる。人それぞれの老い方だが、最後は人と人とが支え合って生きてゆくのだと云う事を、初監督のホフマンが教えてくれる。劇中ギネス・ジョーンズがトスカを歌ったり、サプライズが一杯。マギー・スミス、トム・コートネイは楽しそうに演じていて、ちゃらちゃらしない大人の映画だった。マッダレーナを歌う痴呆になりかけているシシ―役のポーリー・コリンズが可愛い。舞台の映画化だそうだ。(DVD)

「王になった男」、イ・ビョンホン主演
国王(光海君)の影武者をやらされるキーセンの道化が主人公(イ・ビョンホン)国王そっくりさんの彼がいかにして王になったか?結末は如何に?
 光海君は唯一明王朝に逆らった朝鮮の国王だそうだ。秀吉軍と戦って傷を負ったという、その時代である。どこまで史実かはわからないが、話としては面白い。(DVD)

「アフター・アース」、ウィル・スミス主演
ウィル・スミスの親ばか映画。こう云う話と云うか、タイトルはすぐ見てしまう。条件反射のようなものだ。しかしほとんどは裏切られる。この映画はその代表。親子でやりたい放題というのを、こちとらは金を出してみているんだぞう、とウィル・スミスに云いたい。話は書く気もしないほどつまらない。(DVD)

「リアル・完全なる首長竜の日」、佐藤 建、綾瀬はるか主演
小説の映画化。脳の中に入って相手と交流するセンシングと云う医療が実現した近未来の話の様だ。昏睡状態になった妻(綾瀬)と夫(佐藤)が脳の中で交流、綾瀬の自殺の原因を求める。しかし話は思わぬ展開を!デカプリオのインセプションを思わせる発想だがあれほどややこしくない。とにかく設定が面白いので最後まで引っ張られる。愛が命を救うという陳腐さがもう少し薄まればもっとリアルだったろう。日本のSFもなかなか面白い(DVD)

「イノセント・ガーデン」、ミア・ワシコウスカ主演
原題はSTOKER、これはあのストーカー(STALKER)かと思ったが、主人公の家の名前である。
なかなか不気味なサスペンス。心理劇でもある。
 主人公のインディア・ストーカーは18歳の誕生日に父を事故で亡くす、しかし不思議なことにいままで消息のなかった叔父が葬儀にあらわれる。やがて次々とストーカー家にかかわる人がいなくなる。音楽の使い方がうまい。例えばヴェルディのトロヴァトーレの2幕のアズチェーナのアリアのメロディをを流して兄弟の死を暗示したり、オリジナルだと思うがピアノのソロ曲も効果的に挿入されている。映像も凝っていて面白いがホラーになり切れず、心理サスペンスになったという半端さが少々勿体ない。面白い佳作(DVD)

「ハード・ラッシュ」、マーク・ウォールバーグ
原題はCONTRA BAND(密輸)。
 密輸のプロ、クリス(ウォールバーグ)は足をあらって今は堅気。しかし妻の弟がコカインの密輸にかかわってしまい、しかも失敗して組織から追われる身になってしまう。ここからノンストップアクションのハラハラドキドキ。まあうまくゆくだろうと見ていてもハラハラしてしまうのは作りがうまいせいだろう。密輸の手口が本物らしく、臨場感はある。アクションが好きな人は見て損はないだろう。(DVD)

「図書館戦争」、岡田准一、榮倉奈々主演
小説の映画化。原作を読んでいないので映像を見ただけでは私には意味不明のところがたくさんあって、最後までそれを引きずってしまった。要は本の検閲が過剰に進んだ近未来らしい。1998年に図書良化法とやらが施行され、30年後が舞台。不良図書の検閲、回収が法のもとで自由に行われるようになる。今の中国か、はたまた始皇帝時代か?、秘密保護法を意識したのか?まあこの法律が施行された背景があまり説明されていないのでよくわからない。もっとわからないのは、図書館は自由に本が読める唯一の場所だそうで、そこは治外法権。なんと武装した図書隊なるものまであって、その良化隊(これも武装している)と武力衝突するという。警察や自衛隊はどういう存在か全く説明ない。弾が無限に発射される銃(冗談です)で撃ち合うが、なぜ日本人同士がこのようにむきになって射ち合わなくてはいけないのかよくわからない。言論・思想の自由が云いたいのだろうが、そのメッセージが前のめりになって、中身の追いつかない何ともレベルの低い映画だ。原作のせいか?確認のために読む気力も起きない内容だった。(DVD)

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