ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2013年11月

2013年11月30日
於:横浜みなとみらいホール(1階19列中央ブロック)

パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツカンマーフィルハーモニー管弦楽団来日公演

ベートーベン:歌劇「フィデリオ」(コンサート形式)
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
フロレスタン:ブルクハルト・フリッツ
レオノーレ:エミリー・マギー
ロッコ:ディミトリー・イヴァシュチェンコ
マルツェリーネ:ゴルダ・シュルツ
ヤッキーノ:ユリアン・プレガルディエン
ドン・ピツァロ:トム・フォックス
ドン・フェルナンド:デトレフ・ロート
語り:ヴォルフ・カーラー
合唱:東京音楽大学合唱団

第2幕のフィナーレ、7場でフェルナンドがフロレスタンの鎖をといてやれといい、それはレオノーレあなたがやることだと歌い、レオノーレとフロレスタンが神に感謝する場面、オーケストラは弦をバックにオーボエが喜ばしい音楽を奏する、この場面、なぜか涙腺が緩んでしまった。この後レオノーレの婦徳を称える合唱と重唱で幕になるが、実に感動的な幕切れだった。終わった後もしばらく心が静まらなかった。
 フィデリオはベートーベンの唯一のオペラだ。しかしこれは私にとってなかなか厄介な曲で、例えば1幕の1曲目の2重唱と、2幕の1曲目のフロレスタンの歌とは同じ人が書いた曲とは思えない。全体に1幕は面白くない。だからこの曲は聴くときは1幕は飛ばして2幕ばかり聴いていた。日本でも最近はあまり演奏されないのではないだろうか?新国立ではかなり前に何度か聴いたことがあるが、それ以来お蔵入りの様だ。まあ余談です。
 今日の演奏はコンサート形式でしかも語り付きである。これはオリジナルのジングシュピールの台詞を全部カット(ごく一部:2幕のロッコとレオノーレが地下牢に入ってゆく場面だけは台詞が残る)して、ドイツのイエンスという文学者が書いたテキストをその代わりに語りが読むと云う趣向である。これは4年後のロッコがこの物語を思い出し、解説の様に語ってゆくと云うものである。ドイツでは大評判だったとプログラムに書いてある。個人的にはオリジナルでやって欲しかったが!
 フィデリオ序曲が鳴った時、バティアシビリ/カンマーフィルのベートーベンのバイオリン協奏曲のCDを我が家で鳴らしたのと同じ音がしたのでびっくりした。重々しさは皆無に近く、音楽は軽いフットワークで進む。この曲は1805年初演、まだ若きベートーベンの作品だから、イメージとしては、交響曲の1番や2番のような素軽い音楽と同等においても良いはずだから、あまり抵抗はなかった。ヤルヴィの指揮は交響曲の様に突っ走るのではなく、歌手に寄り添いながら、めりはりを利かせた指揮ぶりで、実に生き生きしたベートーベンだった。
 歌手がヤルヴィが集めただけに、穴がなくこのオペラを十分楽しむことができた。特にマルツェリーネは南ア出身の黒人の様だが、レリ・グリスト、バーバラ・ヘンドリックス、キャサリーン・バトルらに通じる滑らかな、ちょっと湿った様な魅力的な声を聴かせてくれた。自分にとって退屈な1幕の1曲目の2重唱、2曲目のアリア、3曲目の4重唱が素晴らしい音楽に聴こえたのは、彼女によるところ大である。ロッコは立派すぎるぐらいの声で魅了。フロレスタンやレオノーレも圧倒的とはいえないまでも、この音楽を楽しむに十分だった。フロレスタンは2幕の11曲アリアが印象的。ただレオノーレのエミリー・マギー、もう新国立で何回か聴いているが、少々元気がないようだった。彼女ならもう少し歌えたように思った。他の歌手は楽譜を見ないで歌っていたが、マギーは楽譜を見ながら歌っていて、彼女だけリハーサルのようでおかしかった(失礼)。冒頭書いたように、特に2幕のフィナーレ以降が圧倒的な感銘を与えてくれた。こういう配役で舞台を見てみたいものだ。演奏会形式ではあったが、棒立ちで歌っているのではなく、若干の動きもあった。なお2幕の序曲レオノーレ第三番はカット。フェルナンドの入場をあらわすトランペットのみ2階で演奏していた。演奏時間は125分。            〆

2013年11月28日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

東京都交響楽団、第761回定期演奏会Bシリーズ
指揮:ヘスス・ロペス=コボス
バス:ニコライ・ディデンコ
男声合唱:二期会合唱団

トゥリーナ:闘牛士の祈り(弦楽合奏版)
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第13番・バービイ・ヤール

前半は指揮者に合わせて?スペインもの。闘牛士の祈りはもともとリュートの4重奏曲だったものを編曲したもの。戦いの場へ出てゆく闘牛士の祈りを音楽にしたもの。1925年の曲で現代風だが、スペインの香りもあふれており、楽しめた。
 ラヴェルは1~3曲における、都響の透明な音色が素晴らしい、ラヴェルの書いたスペインの音楽だから、純粋スペインとはちょっと違うような気がするが、それゆえ、都響のサウンドにフィットしたのかもしれない。4曲目の祭りの豪華な音の氾濫も素晴らしい。
 ショスタコーヴィチはちょっと悩ましかった。2回ほどCDを聴いたのだが、その程度ではこの曲を味わうのは無理なようで、見事玉砕をしてしまった。長い一年の内にはこういう日もあると云うことでしょう。
 この曲はエフトシェンコというロシアの詩人の書いた詩にショスタコーヴィチが曲をつけたもの。従って各楽章にはその詩のタイトルがついている。それぞれ「バービイ・ヤール」、「ユーモア」、「商店にて」、「恐怖」そして「立身出世」である。1楽章のバービイ・ヤールはキエフ近郊の峡谷の名前で、ここでナチがユダヤ人の大量虐殺をおこなったという。この名前からこの曲をバービイ・ヤールと呼んでいる。詩はほとんど反体制的なもので、政治色が強い。初演の前日まで詩人とフルシチョフ首相と作曲家が言いあったそうだ。初演の指揮者とバスも二転三転するなど大変だったようだが、初演は大成功だったそうだ。言い訳がましいが、個人的にはこういう政治色の強い作品は苦手である。もう少し勉強しましょう!!(自戒の言葉です)                〆

2013年11月27日
於:サントリーホール(1階20列中央ブロック)

読売日本交響楽団、第565回サントリーホール名曲シリーズ
指揮:小林研一郎
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

ブラームス:ピアノ協奏曲第一番
ブラームス:交響曲第四番

先日聴いたバーミンガム市響の来日公演と同じプログラム。四番はN響の定期でも聴いている。今年今年はブラームスの当たり年?まあそれだけ人気があると云う事だろう。
 協奏曲のオピッツはグリモーとは随分違う。グリモーの様な感情のひだをあらわすようには音楽はならない。管弦楽の序奏の後ピアノが入ってくるが、全く肩の力の抜けた、自然な響きに驚かされる。感情がこもっていないようにも思えるが、それはきっと感情のこもり過ぎている演奏ばかり聴いてるからだろうし、自分の好みもそういう演奏を良く聴くから、そういうように聴こえたのかもしれない。端正な響きは魅力かもしれないが、時には淡白にも通じる。1楽章の展開や再現で豪壮な主題があらわれても、決して燃え上がらず淡々と音楽は進む。2楽章もグリモーのように酔わせてくれない。3楽章はブラームスの若さが爆発してもよさそうだが、ここも至極抑えて(ように聴こえる)音楽が流れる。これは今まで聴いたことのない一番の協奏曲だった、正直いってまだ消化しきれていない
小林のサポートは切れのある豪快なもので、ピアノとは少々ミスマッチの様な気がした。
演奏時間は48分。
 交響曲は、終演後小林が挨拶で「今夜の雄渾な演奏うんぬん」と云っていたが、なるほどこう云うのを雄渾というのかと思った。辞書では「雄大で勢いの良いこと」とある。しかし私にはこのブラームスはまるであの髯もじゃの、小学校の音楽室にかざってある写真がおりてきたような、やけに古めかしい演奏に聴こえた。それはおそらく最近聴いたシャイー/ライプチッヒの演奏に大きく影響されているからだと思う。いやその前にクライバー/ウイーンの演奏にどっぷりつかっているからだと思う。シャイーに戻すと彼のブラームスの特に3,4番はその渋みを全く除いた爽やかなブラームスである。もしかしたらもともとはこういう曲なのではないのかと思わせるようにも聴こえる。こう云う演奏を聴いた後に今夜の様な「雄渾」な演奏は私には少々もたれる。
 1楽章の入りの思い入れ一杯の演奏は、わざとらしさの極みだが、こう云うのが好きな人はたまらないだろう。音楽は常に大きく盛り上がったりぐーっと下降したり起伏が大きい、道中が万事そうなので、肝心の(私にとっては)最後の大きな山が雄大に聴こえないのはちょっと物足りない。道中でいろいろやり過ぎたからだと思う。
 2楽章は最高に心のこもった演奏だ。テンポはそれほど落としてはいないのだが、音楽がゆったりと流れ、しかもわざとらしさは皆無。N響/ブロムシュテットの寂しさの極みの様な演奏にも通じる素晴らしさだ。ブロムシュテットは孤高の趣だが、小林はふつふつと燃える情熱な様なものを感じる。3楽章は重々しく、ジョコーゾとはほど遠い。4楽章の主題は大仰ではあるが、迫力はある。後半の主題が再現する部分以降はテンポも上がり迫力満点。しかし聴いていて効果狙いのところがあるような気がして仕方がなかった。
 小林の指揮はいつもそうだが軟体動物の様に伸びたり縮んだり、忙しい。見ていてあまり気持ち良いものではない。各楽章ごとに楽団にお辞儀をするのもわざとらしいし、見ていて慇懃無礼としか思えない。終わった後しゃべるのもどうかと思う。まあ音楽とは関係ありませんが!演奏時間は43分。読響はこのところ不満を感じさせない。ホルンなど金管が安定していて、音楽に浸れた。                      〆                     

2013年11月24日
於:オーチャードホール(1階25列中央ブロック)

東京アカデミッシュカペレ、第46回演奏会
指揮:中田延亮

ブルックナー:ミサ曲第二番
ブルックナー:交響曲第八番

東京アカデミッシュカペレはアマチュアのオーケストラと合唱団の共存する団体である。
それにしても、今日のプログラムは凄い。ブルックナーの大作が2本である。聴き手も楽ではない。
 ミサ曲二番は合唱と管楽器によるもので、教会での演奏を意識した曲だとのことである。初めて聴く曲で何とも言いようがないが、こう云う曲なのかもしれないが、合唱に元気がないのか、力一杯歌っていないのか、グロリアやクレドなどあまり盛り上がらない。最後のアニュスデイで初めて心に音楽が届いた感じ。ソプラノが特に非力に思った。
 交響曲は大熱演である、がしかし、私にはかなり居心地の悪い演奏であった。1楽章の提示部は力があってなかなかよかった。しかし主題をつなぐ経過の部分の音楽がなんとももたれていけない。休止もむやみに長く、音楽の流れを阻害している。ただ最後の第一主題の盛り上がりの力強さは相当のもの。2楽章のスケルツォは勢いがあって素晴らしい推進力を感じる。オーケストラも燃え上がっている。しかし展開部やトリオの部分の音楽は、もっさりとして、停滞感を感じる。心に響いてこないのである。スケルツォの反復のコーダの部分、終わり方も何か余分なことをして、作為的なものを感じて、せっかくの音楽の勢いに水を差している。
 3楽章が最も問題だろう。提示部はストレートなのだが、展開~再現部に音楽が進むうちにどんどん細部にはまりこんでいるようで、音楽が流れず、この素晴らしい楽章を聴いても全く何も感じないのは困りものだ。音楽に妙なためがあったり、休止の長さが不自然だったりして、自然な流れを阻害している。コーダの部分もだらだらと長いだけだ。
 4楽章の提示部の力強さはブルックナーの本来持っている力だ。音楽に任せればこんなに素晴らしい演奏になるのに!ティンパニの炸裂や輝かしい金管も若々しさが一杯で聴きごたえ十分である。しかしここも音楽が進むうちに、迷子になってしまう。音楽は流れずに停滞するので、聴いていて何も感じない。コーダの前の盛り上がりも腰砕け。コーダも流れが不自然、作為的なものが透けて見えて感動からほど遠い。終わり方もわざとらしさが鼻につく。
 こういうブルックナーだってあっても良いだろうが、私には日ごろ聴きなれているものとはかなりかけ離れていて、ついて行けない、オーケストラは大熱演なのに、指揮者の空回りばかり耳について、残念な結果になったと云わざるを得ない。
ノヴァーク版で演奏時間は89分。                   〆
 

2013年11月23日
於:オーチャードホール(1階11列左ブロック:実質は前から6列目)

東京フィルハーモニー交響楽団第841回定期演奏会
指揮:チョン・ミョンフン

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」演奏会形式
トリスタン:アンドレアス・シャーガー
マルケ王:ミハイル・ペトレンコ
イゾルデ:イルムガルト・フィルスマイアー
クルヴェナール:クリストファー・モールトマン
メロート:大槻孝志
ブランゲーネ:エカテリーナ・グバノヴァ
牧人・水夫:望月哲也
舵取り:成田博之
合唱:新国立劇場合唱団

2011年の1月の新国立劇場公演(大野和士指揮、東フィル)以来の素晴らしいトリスタンだった。その第一の要因は指揮のチョンと東フィルの演奏の充実ぶりだ。東フィルは先日のヴェルディのレクイエムもそうだが、新国立のピットでの体験が大きいと思う。今日のトリスタンでも素晴らしいワーグナーを聴かせてくれた。前から6列にもかかわらず、弦はみずみずしく、うるささは皆無、木管の浸透性のある演奏も魅力だし、金管も安定をしている。低弦の分厚さもワーグナーに相応しい。チョンの指揮はフェニーチェの時のオテロ同様、劇的効果が十分の音楽作りである。音楽がメラメラと燃えあがる部分の音楽は音の奔流というべきもの、音の渦にのみ込まれるのみだ。そういう意味では2幕は終始音楽が燃え上がっており、一気呵成に破局に突き進む。テンポも速いが音楽の勢いが速さを気付かせない。1幕はもう少しバランスがよく、例えば前奏曲の様に、最初はちろちろと燃えている残り火のような音楽から始まり、頂点ではメラメラと燃えあがる、この対比が1幕を通して展開される。
 3幕は少々歌手たちが疲れたようだが、最後の愛の死を頂点に充実した音楽が聴けた。ここもオーケストラの雄弁さがものを言っている。
 歌手たちは新国立のメンバーより1世代若い。トリスタンは代役らしいが、そのようなことを微塵も感じさせない。若々しいトリスタンで魅力的だ。特に1幕、2幕が素晴らしい。1幕の媚酒を飲んだ後の2重唱、2幕の愛の2重唱は滅多に聴けるものではない。ただ3幕では少々疲れも見え、イゾルデの到着の後の包帯を引きちぎって、自死する場面は苦しそうで、声が幾分荒れて聴こえた。イゾルデはやや細身の声だが鋭く切れの良い声で魅了した。特に1幕の歌唱は圧倒的だった。ただ2幕の愛の2重唱ではごく一部分の声域が苦しそうでちょっと気になった。これはもしかしたら座席のせいで聴きにくかったからかもしれない。後方の席ではどう聴こえたのだろうか?
 マルケはとても若々しく少々違和感を感じた。バスなのに少々明るすぎやしないだろうか?特に2幕の3場はそう感じた。3幕はそれほどでもなく落ち着いた声だったが!
 素晴らしかったのはブランゲーネだ。これほどのブランゲーネをライブで聴いたのは初めてだ。1幕の1~3場までのイゾルデとの2重唱はものすごい存在感を感じた。2幕の警告の歌の美しさ、これはオーケストラとの合わせ技だ。声はしなやかで力強い。トリスタンやイゾルデがときおり荒れた声を出すのに、彼女は終始滑らかな声を聴かせていた。誠に感動的なブランゲーネだった。クルヴェナールの安定感たっぷりの声も魅力的だった。その他邦人の歌手たちもよく、穴のないキャスティングだった。チョンが呼び集めただけのことはある。
 演奏会形式だが歌手たちの出し入れもスムースで、妙な演出の舞台よりもずっと良い。
 演奏時間は213分。プログラムでは231分とあったが実測とはかなり違う。〆

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