ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2013年09月

2013年9月30日
於:東京文化会館(1階14列右ブロック)
 
東京都交響楽団、第767回定期演奏会Aシリーズ
指揮:オレグ・カエターニ
ピアノ:アンリ・バルダ
 
ベートーベン:ピアノ協奏曲「第三番」
シューベルト:交響曲第八番「グレイト」
 
開演5分前になっても、舞台の上にはピアノがない。おかしいなあと思って何度もプログラムを確認したが、最初はピアノ協奏曲になっている。変更にもなっていない。どうなってるのだろうとやきもきしていたら、ぎりぎりにピアノが持ち込まれた。調律にてまどったのだろうか?まずはほっとした。
 バルダというピアニストは初めてだが、なかなかの大家らしい。今夜のベートーベンはそれを思わせるような立派な演奏。特に後半の2楽章は素晴らしい。第2楽章はピアノのソロで始まるが、これがすこぶる美しい、でもそれだけではなくこれだけ品の良い演奏はそうざらにないのではないか?ベートーベンの書いた最も美しい緩徐楽章の音楽の美しさに媚びていないのである。ため息の出そうになる音楽の連続である。3楽章は浮き浮きするような、華やかな音楽だが、ここも抑制が利いているのか、上品の極み。とにかく極上の響きを味わうことができた。オーケストラのサポートもそういう音楽作りにぴったり寄り添っている。
 グレイトはユニークな演奏だと思った。1楽章の冒頭のホルンソロ。ここは普通はのんびりやって、主部でギアチェンジして、テンポをあげると云うパターンが多いが、今夜はちょっと違う。ホルンは素っ気ないほど速い、そして主部になってもそれほどギアチェンジされない。そりゃそうだろう、冒頭の序奏からしてもうかなり速いのだから!序奏から主部に移る弦の小刻みな動きもかなり速く緊張感がただよう。。主部に入って感じるのは、音楽の強弱のダイナミズムがとても大きいと云うことだ。ただだからといってスケールの大きな演奏と云うわけでもない。全体から受ける印象は聴き手にかなり緊張を強いる演奏ではないか?ということである。音楽に遊びや揺るぎが皆無なのである。ただ速さはそれほど気にならないが、流石にこの1楽章の終結部の速さは、もうほんの少し緩めて欲しいなと思わせる。
 2楽章の緩徐楽章も手綱を緩めてくれない、ここも強弱の対比が凄く、緊張なしには聴けない。こんな調子で最後まで行くのだろうか?と少々心配になるくらい、今まで聴いたことない、シューベルトの音楽が連続する。3楽章のスケルツオも厳しい音楽だ、しかしトリオの部分はもう少しほんわかした雰囲気が欲しい。ここでさえも緊張は揺るがない。
 最終楽章は大騒ぎにならず、抑制気味だが、前の3楽章よりほぐれた感じだ。オーケストラは良く鳴っているが、野放図に大きな音を出すのではなく、全体のバランスが素晴らしい。各パートもクリアに聴こえるので音楽の見通しがとても良い。他の楽章もそう云えるが、この終楽章で特にそれを感じた。指揮者の目配りが隅々まで行き渡っていると云うことだろう。本当にバランスよくオーケストラが鳴るとこうですよと、見本の様な音のバランス。真のピラミッド型の音場を楽しめる。終結部も全体のバランスがとても良く、逆に言うともう少し荒れ狂うところがあっても良いのかなあとも感じた。とにかく大変面白い演奏だった。
 先日新しい録音(ライブ)でヘンゲルブロック/NDRの組み合わせでこの曲を聴いたが、これは今夜の演奏の対極にあるような演奏でこちらも聴いているとくたびれる。御用とお急ぎでない方にはお勧め。ただし演奏時間は62分ですぞ。私はあんまり遅いので2楽章で寝てしまいました。今夜の演奏で寝ることは難しいだろう。同じ曲なのになんでこんなに違うのか不思議なくらいだが、それも音楽を聴く楽しみの一つだろう。
 演奏時間はベートーベンが33分、シューベルトは48分でした。くたびれました。     
 
10月5日追記:ベーム/ベルリンの演奏を聴いたが、これは本当に素晴らしい。これが自分の軸になる演奏だと云う事を改めて感じた。4楽章の力強さ、3楽章のトリオの何とも云えぬ情感、これ以上の演奏は考えられない。〆

2013年9月29日
於:両国国技館(6日目:2階正面4列目)、(千秋楽:2階向正面6列目)
 
相撲は見るスポーツで最も好きなもののひとつである。格闘技の中で一番強いのは相撲取りらしいが、あの一瞬の立会のぶつかりから続く攻防をみていると、見ている方も力が入る。
 しかし今場所も白鳳の場所で終わってしまった。とにかく千秋楽前に優勝が決まるなんてもう止めて欲しい。その戦犯の第一は稀勢里だろう。前半でまさかの隠岐海にとりこぼし、これでまずどっちらけ。しかしその後踏ん張り、その御褒美に白鳳が豪栄道に負けてしまった。この時点で1勝の差。同じ2敗同士で日馬富士との白鳳への挑戦権をかけた一番に素晴らしい相撲を取り、勝って、さあ白鳳追撃だ、と思ったら翌日豪栄道に負けてしまった。この人は肝心な勝負で必ず負けてしまう。運なのか実力なのか、まあ精神の問題なのかよくわかりません。ある親方が今場所の稀勢里はマッチポンプだと云っていた。言い得て妙だと思う。その親方が吐き捨てるように(私の想像です)、稀勢里の横綱はないと断言していたが、そうならないことを祈りたい。
 戦犯の2号はもう一人の横綱だ。彼は体が小さいせいか怪我の影響が大きいように思う。両足首、肘だ。進退伺と同時に数場所休場して体を完璧にしてから、勝負をかけてもらいたい。このままではずっとこんな相撲になるだろう。千秋楽の白鳳戦もみじめな負け方で、横綱になった時の勢いはまったく失せてしまった。それもおそらく怪我のせいで思うように相撲が取れないのではないのだろうか?本人も辛いだろうが、見ている方も辛い。
 大関陣もけが人ばかり、琴欧州は休場だし、琴奨菊は包帯だらけ、膝から下はフランケンシュタインだ。鶴竜は大関になった時の勢いが消え失せてしまって、ジミーなお相撲さんになってしまった。
 とにかく全体に怪我人が多い。貴乃花親方が、四股、てっぽう、いわゆるお相撲さんのストレッチをきちんとやれと、解説で云っていた。親方の指導不足ではないだろうか?解説の親方の話を聴いていると、自分の云う事を聴かない弟子が多いように感じる。私が将来性があると思う力士の一人の千代大龍は本番前の運動を全くしないらしいし、私の好きな隠岐海もけいこ嫌いらしい。それでも幕内維持ができるのだからきちんとやったらどれだけ強くなるのだろうかと思ってしまう。競争馬の例だが、超良血でも気性が悪いと大成しないらしい(馬と一緒にしてごめんなさい)、体のケア、日ごろのけいこをきちんとやる力士は怪我もしないのではないだろうか?とにかくサポーターやらなんやらを着けていない力士のほうが少ないのは異常ではないか?
今場所は途中休場も目立つ。調子の良かった嘉風、遠藤、4日目まで好調だった琴欧州、など調子の良かった力士がけがでリタイアするのは、本当にしらけてしまう。
 でも今触れた、遠藤は将来性が大いに期待できそうだ。11日目の旭天鵬との相撲は新人離れした相撲だった。右前みつをとって、すぐ上手投げで、あの実力者の旭天鵬を投げ飛ばすのだから凄い。体が柔らかいので怪我はしにくいのではと思っていたら、ねんざをして休場は残念だ。貴乃花のアドバイスを実行して欲しい。
 その他、私の期待の力士では、負け越したが「勢」が、右勝ちあげからの相撲型ができれば、すぐ三役だろう。妙技龍はどうしたのだろう。相当実力が付いたはずなのにちょっと腑がいなかった。押し相撲の豊響と千代大龍は来場所期待したい。二人ともつぼにはまったら素晴らしい相撲をとる。豊響の立会一気の馬力が好きだ。豊真将の復活もうれしい。隠岐海も期待の力士だが、今場所は千秋楽に不戦勝で勝ち越しとはふがいない。もっと稽古をして自分の型を作って欲しい。素質は十分だ。こう云った力士が活躍すればますます相撲は面白くなる。
 今場所気になったのは立会の乱れだ。呼吸を合わせない駆け引きだけの立ち会いはつまらない。あの立ち会いの一瞬に全エネルギを投入するのに、駆け引きでそのエネルギを消費するなんて無駄なことだ。
 最後に、白鳳は実に強いが、横綱として今一つ何かが欠けていると思う。稀勢里戦で髷をつかんだかもしれないと云うような物言いがつくようでは困る。ビデオをみても微妙な判定であることは間違いない。横綱が反則負けなんてことはあってはならないと思うし、そういう疑いがかけられること自体が問題だろう。胸の汗を拭かないのも相変わらずだ。終わった後のパフォーマンスめいた仕草も見苦しい。勝つためなら何でもして良いわけではない。           〆

2013年9月28日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
 
東京交響楽団・第613回定期演奏会
指揮:大友直人
合唱:東響コーラス
ソロパート:新国立劇場合唱団(ソプラノ×2、メゾ×2、テノール×2、バリトン×2)
       (マクミラン)
 
マクミラン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉
~合唱と弦楽(5部)オーケストラのためのカンタータ
 
ホルスト:組曲「惑星}
 
マクミラン(1959年生まれ)はスコットランド出身の作曲家、ルトワフスキやペンデレッキの影響を受けていると云うので、またへんてこな音楽かと思ったら、案外と平易で聴きやすく、美しい部分も多く、面白く聴いた。もちろん初めて聴く曲である。この曲は1994年初演された。キリストの7つの言葉をそれぞれラテン語や英語訳を使い分けた、歌詞に曲をつけている。3曲目の「見よ、十字架の木を~:聖金曜の短句」はすこぶるつきの美しさ、4曲目の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ:主よなぜ私をお見捨てになったのか?(マタイ)」の悲痛な音楽、7曲の「父よ、あなたの手に私の霊をゆだねます、(ルカ)」の美しいはかなく消えてゆくような弦の調べと合唱、これはまるでブリテンの「ピーターグライムス」の間奏曲の月光を彷彿とさせる様な音楽で美しい、などなど印象的だった。素晴らしいのは東響の弦のパートでその統率のとれた音楽はこの曲にきりりとした緊張を与えていた。合唱も素晴らしく3~4曲目が心に残る。
 惑星は昔はよく聴いて快楽の神・木星や戦の神・火星などの部分をがんがん鳴らしていたが、最近はほとんど聴かなくなった。カラヤンのウイーンフィルとの古い録音がベストだと思う。
 さて、今夜は残念ながらとても退屈だった。とにかく音がすべてけばけばしくうるさい。特に火星、木星、天王星など耳を覆いたくなる。金管が強く、それを支える弦が弱く逆ピラミッドに音楽が聴こえる。昨夜のブロムシュテットのブラームス(四番)だって今夜とそれほど大差のない編成だが、どれだけ大きな音を出しても全くうるさくは感じない。それは金管と弦のバランスが良いからだ。弦がしっかり支えた上に金管や打楽器が乗るから、音のバランスはピラミッド状になり、うるさくないばかりか、快さを感じるのである。今夜はサントリーホールなのだからそれほど気張る必要はないはず。大きな音を出してこけおどしの効果を狙いたい曲ではあるが、その罠にはまってはいけないと思う。過ぎたるは及ばざるがごとし。
 ただ最後の海王星はすこぶるつきの美しさ。消えゆく女声コーラスは2階正面のバックステージで歌う。最初は扉を開けたまま歌い、次第に閉じていって、コーラスの音を徐々に弱めてゆく。この部分だけよかった。いつもは手堅い大友さん、今夜は何でこんなに気張ったのでしょうか?                                                     〆
 
 

2013年9月27日
於:NHKホール(1階9列右ブロック)
 
第1762回NHK交響楽団定期演奏会
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン
 
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:交響曲第四番
 
ブロムシュテットのブラームスを聴くのはライブ、録音ともに初めてだ。彼の演奏に初めて触れたのはCDだけれども、たしかブルックナーの四番であまりに淡白な演奏ですぐお蔵入りしてしまった。70年代の録音だったと思う。その後キングからドレスデンシュターツカペレとの録音が大量に再発され、そのなかで古い録音だが(それぞれ、80年、76年の録音)、シューベルトの五番と未完成がすこぶるつきの名演でびっくりした。それからこのN響とのライブを丁寧に聴こうと思ったのである。彼のシューベルトは上品の極みで、決して荒れ狂いはしないが、ものすごく聴く者をひきつける何かがあると思った。
 さて、今夜のブラームスだが、この様なシューベルトとは一線を画したもので、すこぶる男声的かつ孤高を感じさせる厳しい音楽と云った印象だった。
 ブラームスの協奏曲はサポートのオーケストラが雄弁にならないと全く面白くないが、そういう意味では今日のブロムシュテットのサポートは素晴らしい。冒頭の語りかけるような導入からぞくぞくするような音楽で、しかし一転オーケストラがフルパワーで始動する時は男性的で、圧倒的な響きを感じさせる。この対比が昔より大きくなったのではないかと思った。しかしこの効果は絶大で聴く者の耳を惹きつけて離さない。再現部から終結までの雄大さも云うことがない。
 2楽章のオーボエを中心とした重奏の美しさは、もともとブロムシュテットの持つ上品さと孤高の厳しさがあらわれたものだろう。感動的である。3楽章の浮き浮きした、情熱的な音楽はツィンマーマンから触発されたものかもしれないが、若々しいエネルギーの噴出を感じさせまさに手に汗握る追い込みであった。。
 ツィンマーマンのヴァイオリンも力強く、美しい。1楽章の主題の提示からホールの隅々まで浸透するようなエネルギーを感じる。3楽章はそれを顕著に感じた。アンコールはバッハの無伴奏パルティータからプレリュード。これもエネルギーの噴出と力強い前進力を感じさせるものだ。演奏時間は37分強であった。
 しかし四番の交響曲は更に素晴らしい。いままでライブや録音で聴いた中でも屈指の演奏だったと思う。すすり泣くような1楽章の上下降主題はそれこそおやというほど素っ気ないが、甘さを全く排した厳しさを感じる。しかしもう一度これが帰って来る時は少し表情を緩めやさしくなるところが何とも効果的だ。これがわざとらしく聴こえないところが大家たるゆえんだろう。再現部から終結部は大伽藍が聳え立つような壮大な音楽が聴ける。
 2楽章は寂しさの極み、その中の極上のオーケストラの響きの美しさ、まさにブロムシュテットの世界。シューベルトで感じた世界である。3楽章のアレグロは力強いが力任せのところがなく、むしろオーケストラに任せたようにも感じられた。
 4楽章は今夜最高だろう。主題の提示は1楽章と同じで素っ気ないくらいなぶっきらぼうさだが、そこから続く変奏の一つ一つの姿かたちを追うことがわずらわしいほど丁寧で美しく、力強さも十分である。でも圧巻は再現部にあたるところから終結までだろう。オーケストラは眼前に屹立して、巨大な伽藍を形成する。ティンパニーの強打・炸裂はおもわずぞくっとするくらい鋭い
、金管群の強奏もピラミッドの頂点にたって、全体のバランスを崩さない。協奏曲と同じここも手に汗握る追い込みで聴く者を圧倒する。昔聴いたブロムシュテットのレコードとは変わったと思うが、これは多いなる進化であろうかと思った。久しぶりに素晴らしいブラームスをたっぷり聴かせてもらった。演奏時間は39分。
 N響もブロムシュテットの時は特にそうかもしれないが、素晴らしい。全体のバランスが腰高でなく、低重心であることが、ブラームスに相応しい。配置は通常と違って左奥にコントラバスを配していた。ヴァイオリンは対面式になっていた。                           〆

2013年9月25日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
 
東京都交響楽団、第756回定期演奏会Bシリーズ
指揮:オレグ・カエターニ
チェロ:古川展生
 
芥川也寸志:チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート
ショスタコーヴィチ:交響曲第七番・レニングラード
 
芥川の曲は全くの初めて、オーケストラにチェンバロとチェロと云う組み合わせが面白い。特に後半の疾走ぶりはオーケストラの機能も楽しめた。その中でチェンバロが浮き出て聴こえてくるのが印象的だった。古川は都響の首席奏者だ。豊かなチェロの魅力を十分表わしていた。
 レニングラードは昨年の9月21日のN響/スラットキンで初めてライブで聴いた。その時の印象は、標題性を随分意識して聴いたのだなということである。その日のブログを読み返してみるとなるほどと改めて思った。今夜のカエターニの演奏はそういった印象を覆すものである。自分が標題から離れてむしろ純粋音楽としてこの曲を受け止めたような気がした。作曲されてから70年近くたっているのだから、そういう聴き方だってけっしておかしくないのだろう。
 1楽章の第1主題人間のテーマからして、いままでCDなどで聴いてきた印象とは違う。このように低音がどっしりと、凄みのあるような音楽だったのか、と少々動揺した。次の主題の平和の生活のテーマはすこぶる美しい。これは聴いたことがある音楽に戻ったとほっとした。木管と消えるばかりの弦の美しさは都響の好調を示している。しかし戦争のテーマが始まるとこれも今まで聴いたことのないような印象である。スラットキンの時は音楽の渦に巻き込まれた自分があったが、今夜はパワフルな圧倒的な響きの渦にまきこまれず外側から見ている(聴いている)自分があった。その違いはどこに起因しているのかはよくわからない。本来は戦争の音楽なのだからぞくぞくするような恐ろしさを感じるべきなのだろうが、そういうことはなくこのサントリーホールを鳴動させる音響を客観的に楽しんでいる自分がそこにあった。思い当たる節がひとつだけあって、それは戦争のテーマの最初の小太鼓の音である。今夜はこれが私には異様に大きな音でスタートしたように感じられた。これはラヴェルのボレロ風の音楽で同じテーマが繰り返されながら巨大に膨れ上がってくる音楽だが、最初から小太鼓が大きいとその膨れ上がるスケールが小さくなるような気がしたのである。これが最後まで気になってしまった。こういうスタートを切った音楽がどういう終焉を迎えるのかをはらはらしながら聴いていたのである。
 3楽章の祖国の広大さという標題がつけられたアダージョは標題を十分感じられる演奏だった。中間部の盛り上がりはロシアの大草原を思わせる雄大な音楽が聴ける。そしてその前後のアダージョの美しさは、懐かしさで胸が締め付けられるようである。4楽章の勝利の凱歌は、額面通り受け取れない、複雑な印象である。外面的には勝利を大きく歌いあげてはいるが、しかしその裏があるような、そういう印象の演奏だ。そこには勝利に熱狂しないで客観的に聴いている自分が又現れた。
 しかし今夜の都響の演奏はどうだろう。まさに絶好調である。インバルのマーラーシリーズ(2012年スタートのチクルス)の録音も続々発売されている。一番と三番を買って聴いてみたが、特にワンポイントマイクで録音された一番が素晴らしい。その奥行き感と澄明な音は印象的だ。三番も素晴らしい録音で、横浜で聴いた感動がよみがえってきた。演奏時間は66分強。プログラム表示には75分とあったが随分いい加減なものだなあと思った。            〆

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