ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2013年04月

2013年4月28日
於:サントリーホール(1階20列中央ブロック)
 
読売日本交響楽団、第559回サントリーホール名曲シリーズ
指揮:尾高忠明
ピアノ:北村朋幹
 
ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
ドヴォルザーク:交響曲第九番「新世界から」
 
謝肉祭がやけに騒々しくああ今日は駄目だなあと思っていたら、極上のモーツァルトが待っていた。
 この23番の協奏曲は私が今一番気に入っている曲だ。両端楽章の湧き上がるようなオーケストラに煌めくピアノの対比、そしてなんといっても素晴らしい緩徐楽章。北村と云うピアニストは今ベルリンに留学中らしいが、若干22歳ながら実に素晴らしい音楽を聴かせてくれた。1楽章の序奏のオーケストラのパートからピアノが参加する。まるでオーケストラと一体になって音楽が進んでいるような印象。こういうケースは2011/10のベルリンドイツ響の来日演奏会でボジャノフと云うピアニストが今夜と同じ23番の協奏曲でやっていたのでびっくりはしなかったが、面白い試みである。北村もボジャノフほどではないにしても、ところどころオーケストラに参加していた。両端楽章はボジャノフほどやんちゃでなく節度があるところが良い。モーツァルトの音楽の高貴さが如実に表れた演奏だと思った。更に素晴らしいのは緩徐楽章で少々速めに弾いて、甘さを排した、清冽さが印象的だった。実に品の良さを感じさせるモーツァルトだった。このピアノにつけたオーケストラが素晴らしいサポートだ。ふんわりした中編成の弦は誠にモーツァルトに相応しく、ピアノとマッチして高品位の極上の響きを聴かせてくれた。木管部もふっくらしてよかった。もうこの一曲で帰っても良いと思ったくらい美しいモーツァルトだった。演奏時間は25分弱。
 ところで、第1楽章のカデンツァは誰のだろう?日ごろ聴いているモーツァルトのものとはかなり異なるもので、クラシックな感じはしなかったので、演奏者の手によるものだろうか?
 新世界もよかった。この通俗的な曲を品位を落とさず演奏できたのは尾高の指揮の力だろう。決してチェコ音楽の土臭さはないがドヴォルザークも志向したドイツ音楽的ながっちりとした演奏だった。特に厳格なソナタ形式の1楽章は素晴らしいと思った。序奏はホルンがついて行けないくらい遅く、どうなるかと思っていたら、ブルックナーみたいな休止の後の第一主題が急発進、そしてそのあとの緩やかな第二主題、この対比が音楽にめりはりを与えて、別音楽の様に立派に聴こえた。そして再現部から終結部の勢いの凄さは快感を覚えるくらいで、トランペットの強奏も圧倒的だった。2楽章は甘さを少々抑えた「家路より」も、中間の主題のほうが感傷的に演奏していて面白かった。最終楽章は速めで一気呵成に駆け抜ける。これも極上の音楽だった。演奏時間は41分強。アンコールはスラブ舞曲二番、これは思い切り感傷的な音楽だった。読響新シーズンの開幕に相応しい音楽会だった。                          〆                                  

2013年4月26日
 
「リンカーン」、スピルバーグ監督、ダニエル・デイ・ルイス主演
アカデミー賞でも話題になった、本年期待の大作。俳優もサリー・フィールドやトミー・リー・ジョーンズなどそろえてなかなか力の入った1作になった。南北戦争は一つのテーマだがこの映画では戦闘シーンはほとんど出て来ず、ホワイトハウスと下院議事堂での政争が中心の映画。だからどこがピークなのかあまりめりはりなく、話は進む。主題は奴隷解放であり、解放宣言はしたものの法的根拠がないためその法案を上程し可決するまでの約1カ月が中心だ。この政争はなかなか面白いが、アメリカの政治の仕組みなどよくわかっていないとつまらないかもしれない。
 ルイスのリンカーンは流石にメイクからしてその人になりきっていて存在感があった。リンカーンと云うのは話がこんがらがるとすぐなにか関連した逸話をもちだす癖があるようで、そのシーンがどれも面白かった。一番傑作なのはトイレの中のワシントンの肖像の話で、笑ってしまった。
 急進派のジョーンズやリンカーン夫人のフィールドも芸達者なところを見せていた。保守派の重鎮の役のハル・ホルブルックがえらい老けてしまってちょっとショックだった。ダーティーハリーやJFKでいい味を出していた名脇役だ。
 ひどくまじめに作られた映画で、人権や、平等などの言葉が飛び交うのは良いが、もう少し娯楽性があってもと思ったが、まあアメリカ国威発揚映画のかたわれのようだからこういう作りでも良いのだろう。長尺ものだがほとんど緩みのない進め方は流石にスピルバーグだと思った。
( ただ今どき奴隷解放を主題に選ぶのは、オバマが大統領になったからだろうか?ひと昔前だったらこんなに高らかに、偉そうにかつ得意そうに(失礼)奴隷解放をうたいあげることなんてできはしなかっただろう。)→4月29日追加
(劇場にて)
 
「ブリューゲルの動く絵」ルトガー・ハウアー主演
ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」と云う絵をモチーフにしたもの。16世紀のスペイン占領下で圧政に苦しむフランドルとイエス・キリストの受難をかけている。映像は見ていて面白いが話がなんだかよくわからないのが難点。シャーロット・ランプリングがでているが何の役なのか最後までわからなかった。
(DVDレンタル)
 
「ハイネケン誘拐事件」ルトガー・ハウアー主演(オランダ)
ビール王ハイネケンの誘拐事件(実話)に基づいた映画。社会の底辺で生きている若者4人がハイネケン誘拐を企てる。この誘拐そのものも面白いが、それよりもこの映画の後半のエピローグ的な話のほうが、いかにもヨーロッパらしくて面白かった。
(DVDレンタル)
 
「ベラミー」、ジェラール・ドパルデュー主演(フランス)
ベラミーというのはフランスでも有名な警視らしい。彼のバカンス中に保険金詐欺事件にかかわりその真相究明に動く。その過程も含め全体に冗長で退屈、本筋と関係のないベラミーと妻との意味のない会話も冗長。まあフランス人しか見ないでしょう。
(DVDレンタル)
 
「ザ・グレイ」、リーアム・ニーソン主演
極北の石油基地で狼スナイパーとして働く主人公がニーソン。なぜこんな職場で狼狩りをしているのかその背景は謎めいていて最後までわからなかった。彼が乗った飛行機が氷の大地に不時着してしまう、いわゆるサバイバルもの。
 この映画のユニークなところは、生き残った者たちが狼につきまとわれ、狼と戦いながら生き残ってゆくと云うところ。THE GREYとは灰色の生き物の意=狼。ただこの狼のぬいぐるみの様な人形の様なものの出来が悪く、怖いが少々リアルさに欠ける。映画の中で神や家族などにつき語りあうシーンはちょっととってつけたようで浮いた場面だ。音響が凄く、毛色の変わったサバイバル映画として、こういうジャンルの好きな人にはおすすめ。(DVDレンタル)
 
「ボーン・レガシー」、ジェレミー・レナー、レイチェル・ワイズ、エドワード・ノートン主演
まあ凄い俳優ばかり総出演。レイチェル・ワイズがこんな映画に出ているのも驚き。
 大体こう云う映画は最初の仕掛けが大きいが結局しりすぼみになるものが多い。この映画もそうで、最後は長々とオートバイ・チェイスが続いて、前半の殺人マシン製造の話はどっかに消えてしまったかのようになってしまった。まあその話も3番煎じくらいのお話なのでまるで新鮮味なし。ボーンシリーズは見たかどうかほとんど覚えていない状態でこれをみてもなぜ「ボーン・レガシー」なのかよくわからない。まあジェイソン・ボーンの好きな人は見てください。(DVDレンタル)
 
「推理作家・ポー・最後の5日間」、ジョン・キューザック主演
エドガー・アラン・ポーが1849年に不審死したのは初めて聞いた話だった。これは彼が死ぬまでの5日間を猟奇殺人事件と絡めて描いている。ポーの作品をモチーフにした殺人事件が次々起こる。その謎をポーが追うわけだが、なにかボーン・コレクターを見ているようで、そのデジャブー映画の様な印象。そういう意味では新鮮味はないが、まあ面白かった。
(DVDレンタル)
 
「SAFE・セイフ」、ジェイソン・ステイサム主演
セイフとは金庫の意味。またステイサムかあと思いつつ借りてしまったが一味違う。それはアクションシーンが半端でないリアルさに満ち溢れていることだ。全体を見渡すと荒唐無稽な銃撃戦や格闘シーンの連続だし、話もロシアマフィア×チャイニーズマフィア×悪徳警官と云う図式で乱暴な話ではあるが、しかし細部の格闘や銃撃、カーチェイスのシーンシーンの描き方にはリアリティが溢れている。監督は70年代のフレンチコネクションやセブンナップなどのアクション映画へのオマージュと云っているがなるほどと思った。これを見ていて007シリーズのごく初期のまだハリウッドにけがされていない2作品を思い出した。両方とも原作そのものが荒唐無稽なのだがジェーームス・ボンドの性格の描き方、彼の趣味嗜好などなどの細部の描き方のリアルさがこの映画とよく似ていると思った。94分の映画なので荒唐無稽な話の筋を理路整然とわかるのは、字幕と云うこともあって、なかなか難しいが、この映画の主題はそういうところにはないので、かえってこの短さが幸いしたような気がした。ハードボイルドファンでちょっとへその曲がった方にお勧めしたい。ステイサムは相変わらず強いぞ。(DVDレンタル)          〆

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2013年4月23日
於:歌舞伎座(2階4列左ブロック)
 
歌舞伎座こけら落とし「四月大歌舞伎」第二部
弁天娘女男白浪
忍夜恋曲者
 
新橋演舞場しか知らない、新参歌舞伎ファンにとって新歌舞伎座のリオープンは待望のイベントだ。マスコミでいろいろと報道されかなり機能的になったとのことで大いに期待したこけら落としである。
 東銀座駅を降りるとものの100メートルもゆかぬうちに、地下の広場に通じるのはものすごく便利だ。ここが歌舞伎座の真下になる。この広場にはお土産屋さんが陣取るが、セブンイレブンやタリーズコーヒーなどもあり、まあ雑然とした感じ。そこからエスカレーターを上がると、なんと外に出てしまって歌舞伎座の前に出る。雨の日などは濡れながら会場を待たねばならぬので、ちょっと不便。エントランスホールとエスカレーターが直結すればよいのだが、歌舞伎座のエントランスホールはものすごく狭くてそういう機能的なことが期待できない。(写真三枚目はエントランスを2階から撮影したもの) エントランスもそうだが通路も昔ながらなので狭くて、1階は大混雑。私は2階席だったので掻き分けてエスカレーターで2階へ。2階のほうがゆったりとしていて落ち着く。席につくが、席のゆったり度は新橋とあまり変わらないような気がする。(写真二枚目は自席付近からとったもの)なお写真一枚目は3階席からとったもので、3階席もそう悪くない。そういう意味で云うと2階の端っこの席が2万円と云うのは少々高い。花道は3分の1しか見えないし、前に大きな人が座るとマスクされて舞台が欠けてしまう。もう少し段差が欲しいところだ。まあ従来の器を残してのリオープンなのでいた仕方あるまい。私の様な新参ものはあまり古い歌舞伎座にこだわらないので、新国立のオペラパレスのように、歌舞伎座タワーのなかにもっとゆったりしたホールを作った方が見る者にとっては良いのでないかと思う。余談だが歌舞伎見物に来たのか、お土産を買いに来たのかわからないような、お土産売り場の混雑はいまひとつ釈然としない。お土産屋は歌舞伎座タワーのギャラリーなどに集中し、歌舞伎座の各階には置かないようにすればもう少しゆったりするだろう。
 鑑賞の手助けのイヤホンガイドは相変わらず。新しい端末で画面で解説を見るのは便利なようで、舞台がほとんどおろそかになるので、おそらくだんだん使われなくなるだろう。前の座席に嵌めこむ方式は特に不便。はずして首にかけるほうがよさそうだ。歌舞伎の新参者にとっては一番困るのは事前の予習材料が乏しいことだ。オペラだと通常のものなら台本が手に入るし、台本の翻訳サイトもあってそこからも入手できる。歌舞伎の場合はまず台本と云うものが売られていない。DVDはあるがオペラほどカタログが豊富ではない。私は歌舞伎もオペラ同様字幕付きにするべきだと思う。なぜなら舞台で話している言語は日本語だが100%聞きとることは困難だからだ。特に今日の2つ目の出し物の様な場合、浄瑠璃の内容が私にはほとんど聞き取れない。ただ白浪のような芝居は役者のアドリブなどもありかなり理解度が上がる。情けないことではあるがそれが現実である。歌舞伎ファンを増やそうとしたらそういう努力が必要だろう。最も今しばらくは歌舞伎座は満席に近い日が続くだろうから、そういう努力はしないだろう。
 
「弁天娘女男白浪」浜松屋見世先の場より滑川土橋の場まで
弁天小僧菊之助:菊五郎
南郷力丸:左團次
赤星十三郎:時蔵
忠信利平:三津五郎
浜松屋宗之助:菊之助
浜松屋幸兵衛:彦三郎
鳶頭 清次:幸四郎
日本駄右衛門:吉右衛門
「知らざあ云って聞かせやしょう・・・」の弁天小僧の台詞で有名なこの芝居は河竹黙阿弥の作。1862年初演。1862年と云えばもう明治維新まであと6年後で騒然とした中でのこの華やかな芝居というのもなかなか興味深い。1862年と云えばベルディの「運命の力」がザンクト・ペテルブルグで初演された年である。同時代の舞台芸術がこうも違うのかも驚かされるが、今日運命の力が現代風に読み替えられて上演される、無用の柔軟性を示しているのに反して、この弁天娘は初演当時の様式、型を保っているように思われる。次々と「みえ」をきるのも様式の連続である。舞台もほとんど書き割りだ。わずかに滑川土橋の場では大掛かりなセットが組まれるが、それは全く昔ながらのように見える。しかしそれでありながら見ていて、全く古臭さは感じられないし、むしろこの型や様式を厳しく追求している役者の気合いと云うものを強く感じ、感動を呼ぶ。今日の芝居は役者が勢ぞろいして誠に豪華絢爛で、私の様な新参ものも大いに楽しませてもらった。菊五郎の存在感はやはり大きくて見せ場での、台詞のためなど随所に観客をひきつける技を示していたようだった。左團次のとぼけた力丸も楽しい。吉右衛門は私には少々ディクションに問題があるように感じた。
 
「忍夜恋は曲者」将門
傾城如月:玉三郎
大宅太郎光圀:松緑
これは1836年に宝田寿助原作で初演された、舞踏劇である。従って役者の台詞は少なくほとんどの台詞は浄瑠璃で語られる。玉三郎は実際に見るのは初めてだが、その容姿を含めた美しさは流石だと思った。踊りもきっときれいなのだろうがそちらはよくわからなかった。松緑は以前見た時は少々ぽっちゃりしていたがスリムにしまって、台詞の声も良く通り立派だった。最後の大掛かりな装置も楽しかった。
開演:14:40
終演:17:25
歌舞伎の凄いのはバイロイトと同じ。全く時間どおりに始まることだ。日本のオペラやコンサートの様に指揮者などがもったいぶってなかなか登場しないでいらいらさせられることはない。
                                                         〆                                                     
 
 

2013年4月21日
於:新国立劇場(1階13列中央ブロック)
 
モーツァルト「魔笛」新国立劇場公演
指揮:ラルフ・ヴァイケルト
演出:ミヒャエル・ハンペ
ザラストロ:松井 浩(2009年11月1日も同役で出演)
タミーノ:望月哲也
弁者:大沼 徹
夜の女王:安井陽子(2009年も同役)
パミーナ:砂川涼子
パパゲーノ:萩原 潤
パパゲーナ:鵜木絵里(2009年も同役)
モノスタトス:加茂下 稔
侍女:安藤赴美子、加納悦子、渡辺敦子
管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団
合唱:新国立劇場合唱団
 
久しぶりに日本人のみでの新国立劇場の公演である。それだけ「魔笛」については、自信があると云うことであろう。おそらく今日本で活躍している若手、中堅どころをそろえ、まずまず過不足のないキャストだった。印象に残ったのは、砂川のパミーナ、望月のタミーノ、鵜木のパパゲーナ、弁者の大沼だろうか?砂川の透明な声は魅力的、もう少しリキが欲しいが、望月は反対にしなやかさが加われば更によいだろう、鵜木のパパゲーナの軽妙な歌唱はうまいと思った。落ち着いた大沼の弁者も印象的だった。萩原のパパゲーノは歌唱的に何の不満はないが、もう少し余裕と云うか、軽妙さが欲しい。侍女の3人組のアンサンブルもよかった。どの歌手も皆どこかで聴いているので私にとってはほとんどおなじみさんで、安心して聴けた。
 ハンぺの「魔笛」演出は妙な読み替えのない比較的まともなもので、安心して音楽に浸れる。もうこれで三回目だ。こう云う演出は残しておいて欲しいものだ。最近は新国立も油断ができなくて、今シーズンの「コジファントゥッテ」のように舞台がキャンプ場なんて代物があったり、来シーズンの「リゴレット」はホテルが舞台らしい。日本もだんだんヨーロッパに毒されなければ良いと思う。日本は日本の演出と云うものがあってよかろうとも思うのだが?
装置は幻想的でこれも違和感なし、2幕は地下と地上の2階建ての舞台で、新国立の機能を十分生かしていた。
 ヴァイケルトの指揮にぶーがでていたが、私はどこがぶーなのかよくわからない。比較的小編成(昨夜のレクイエムとほぼ同じ)、ビブラートはよくわからなかったがすっきりしたモーツァルトで私はそう嫌でなかった。ただトゥッティの時の音が少々散漫の様な気がした。小編成なのに妙にまとまりがなく聴こえるのである。だから力感不足の印象は否めない。
 このオペラは台詞が多い、ジングシュピールだから、その部分がどうしても単調に感じられてしまう。そういうこともあって私には1幕2幕ともフィナーレに入ってからが音楽としても楽しく、面白かった。今日もっとも感動したのは2009年の時もそうだったが、パパゲーノとパパゲーナの2重唱で、ここでは荻原が鵜木に引っ張られて、喜びが充溢しはちきれんばかりの音楽にあふれ、さらに我ら人間の代表としての二人の歌は十分共感できるものであった。これは誠に素晴らしい音楽で、ここだけでも今日は聴く価値があると思った。ヴァイケルトもここは生きが良かった。演奏時間は150分(拍手含む)、ただ時間は台詞部分のカットの仕方によっては差が出るので参考値である。             〆                                                
 
       
 

2013年4月20日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
 
東京交響楽団、第609回定期演奏会
指揮:ユベール・スダーン
ソプラノ:サビーナ・フォン・ヴァルター
メゾソプラノ:ステファーニー・イラーニ
テノール:福井 敬
バス:パトリック・シンパー
 
モーツァルト:戴冠ミサ
         レクイエム(バイヤー版)
 
モーツァルトの宗教曲2曲のプログラム。ただし1曲目は間に合わず、レクイエムのみを聴く。図らずも昨夜のヴェルディに続いてレクイエムを2夜連続聴くことになった。
 弦の編成はかなり少なく、またかなりビブラートは少ない、ピリオド奏法風のきりりとしまった、弦がまず耳に飛び込んでくる。かなり快速なテンポだがそれほど違和感はなかった。特に「ラクリモーザ」までの、張り詰めた緊張感はあのバイヤー版初録音のアーノンクール盤の衝撃に近い感銘を与えてくれた。カラヤンやベームの重厚な演奏とは一線を画した演奏だった。しかし後半はちょっと落ちる。「オフェルトリウム」以降はなぜか忙しく感じられ、雑ではないまでも、前半ほどの緊張感は少ないように思った。。
 合唱は昨夜のN響と比べると、編成が小規模、しかし「ディエスイレ」~「レックストレメンダ」~「ホスティアス」などいずれも素晴らしい。特に女声が印象的。例えば「コンフィターティス」のボーカメと歌う部分の澄明感忘れられない。いずれもテンポが速く一音一音べてべたせず、すぱすぱと切れているように聴こえた。例えば「レックストレメンダ」の冒頭のレックスとトレメンダはすぱっと切れていて、アクセントが強烈だった。
 ソロ陣は昨夜のオペラ風の歌い方とは違って、変な表現かもしれないが、清々しい、清楚な歌いぶりが、宗教的な感じを与えてくれた。特にソプラノの澄明な声は魅力的だった。その他の3人もそれぞれスダーンの音楽に寄り添った歌唱で感動的。特に「ベネディクトゥス」と「レコルダーレ」は美しい。唯一の日本人の福井 敬は昨夜のN響でのテノールと比べるとしなやかさに勝り、立派な歌唱を聴かせてくれた。なおソロは舞台指揮者前ではなく、バイオリン群の後方に位置ししていた。
 演奏時間は45分弱。アンコールはアヴェ・ヴェルム・コルプス。                 〆
 

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