2013年3月17日
於:新国立劇場(1階12列中央ブロック)
ヴェルディ「アイ―ダ」
指揮:ミヒャエル・ギュットラー
演出・美術:フランコ・ゼッフィレッリ
アイ―ダ:ラトニア・ムーア
ラダメス:カルロ・ヴェントレ
アムネリス:マリアンネ・コルネッティ
アモナスロ:堀内康雄
ランフィス:妻屋秀和
ゼッフィレッリの「アイーダ」というと、その豪華なセットや衣裳に目が行ってしまう。1幕の2場の祭壇のシーン、2幕2場の凱旋の場、4幕2場の2階建ての装置、上段には祭壇のアムネリス、下段は地下牢にラダメスとアイ―ダなどなど枚挙のいとまがないくらいの素晴らしい場面の連続である。そしてこう云う場面に付けられた音楽も4幕の2場をのぞいて、豪華絢爛の音が舞い飛ぶわけだ。しかしこういった場面からオペラっていいなあと思い、私などはオペラの世界に入って行ったのだけれども、年を経ていろいろな舞台やCDに接してくると、この「アイーダ」と云うオペラの主人公3人の心の葛藤こそが肝であると云うことが分かってきて、そこをどう演出して、どのように歌ってくれるかと云うことが、関心事になってくる。
ゼッフィレッリの演出はしかしながらそういう場面でも全く手抜かりがないのが素晴らしいことだ。歌い手の所作に全く無駄がなく、自然であることは云うまでもないが、それぞれの立ち位置が、理にかなっていて、十分心のドラマを感じるのである。1幕のアムネリスとラダメスのやりとり、そこへアイ―ダが入ってきた時のラダメスの心の動き、アムネリスの胸に一瞬よぎる疑念、それが手に取るように分かる。もう一幕冒頭からオペラ「アイ―ダ」の素晴らしさに引きずり込まれる。こう云う場面が随所にある。例えば2幕1場のアムネリスとアイ―ダのやりとりの緊迫感、3幕のアイ―ダとアモナスロとの2重唱やアイ―ダとラダメスとの2重唱などがそれだ。しかし一番感動したのは4幕でアムネリスがラダメスにアイ―ダを諦めれば命は助けると歌うシーン。ここでラダメスは死を覚悟しアムネリスの申し入れを拒絶する。絶望に崩れ落ちそうになるアムネリス、その時ラダメスはアムネリスに近寄り、抱き寄せ、軽く口づけをする。なんと感動的なシーンだろう。ラダメスは決してアムネリスが嫌いなのではないのだ。
そのころヴェルディはシュトルツと云う歌手に夢中になっており、妻のストレッポーニとの3角関係になっていたことが、この作品に影響していると云う説も、なるほどと思われる。シュトルツがアイ―ダ、妻がアムネリス、ヴェルディがラダメスと云うわけだ。これは余談。
歌手達は皆立派だ。この大劇場に朗々と響く素晴らしい声、オペラを聴く楽しみだろう。
アイ―ダは若手らしい。とにかくその豊かな声に耳を奪われる。特に3幕の歌唱は他の歌手もそうだが今日一番。アモナスロとの2重唱、ラダメスとの2重唱が素晴らしい。ただ繊細な部分については今一歩の成熟を期待したい。アムネリスは声量よりもその歌いっぷりに、彼女がこのオペラの主人公ではないかと思わせるほどの存在感を感じた。4幕の絶望感と、2幕の喜びの絶頂との対比が素晴らしい。ラダメスも前半は力任せのところも感じられたが3幕以降は歌に情感も加わり、その苦悩に十分感情移入できる歌いっぷりだ。3幕でアイ―ダが逃げてという、しかしそれでは国を裏切ることになる、その板挟み、感動的な場面。4幕とのアムネリスとの2重唱は上記のとおり。アモナスロの堀内の安定感は外国勢の中にあっても群を抜いて素晴らしいと思った。先日の仮面舞踏会のレナートでも感心したがこのアモナスロもよかった。
見せどころの凱旋の場には本物の馬が登場したり、何人が舞台に乗っているのだろうと思わされるくらいの、大群衆シーン、アイ―ダトランペットの効果など、やはり楽しかった。合唱もいつものことながら立派である。この凱旋の場を十分盛り上げてくれた。
指揮のギュットラーは随分若い。前奏曲は随分ゆっくりだなあと思い、最近の若い人のひとつのパターンのゆっくり、じっくりタイプかと思ったら、そうでもなくかなり緩急をつけていて、劇的効果をだしていた。ただし急の部分はせわしさと心地よさとが相半ばの印象。オペラの経験をかなり積んだ指揮ぶりの様に思った。演奏時間は146分。愛聴盤のカラヤンの新盤(154分)、旧盤(150分)より速めの演奏だった。東響が久しぶりにピットに入ったがこれも力強い演奏を聴かせてくれた。この水準の「アイ―ダ」を日本で聴ける(見ることができる)なんて幸せなことだ。
〆