ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2013年03月

2013年3月30日
於:石橋メモリアルホール(1階M列中央ブロック)
 
東京春音楽祭
 ヴェルディ「ファルスタッフ」
演出:田口直子
ファルスタッフ:吉川健一
フォード:石崎秀和
フェントン:倉石 真
カイウス:児玉和弘
バルドルフォ:小山陽二郎
ピストーラ:加藤宏隆
アリーチェ:大山亜希子
ナンネッタ:馬原裕子
クイックリー夫人:牧野真由美
メグ:淀 和恵
ピアノ:マウリツィオ・カルネッリ
 
今夜の様な制約条件の中で果たしてどのような音楽が聴けるか、期待と不安が一杯であったが、まずまず楽しめたと云うのが答えである。「ファルスタッフ」というヴェルディ最後のオペラはボイートが脳髄を絞って書いた脚本に基づいていて、あのヴェルディが殆ど書き直しをしなかったと云う代物である。とにかく言葉が多くて、音楽と言葉が一体になって飛んでくるものだから、慣れないと台本ですら追えず、今どこを歌ってんだということになりかねない。おそらくヴェルディの中期以降の作品の中で最も日本人には難しいオペラではないだろうか?それを日本人だけでやりおおせてしまうと云うのは、なんとも素晴らしいことだ。
 制約が多い中で立派にやりおおせたというのは、結局のところ歌手達が活躍したからだ、と云うことになるだろう。大きな穴が感じられず、特に女声陣はそれぞれ素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。中でもアリーチェの大山が堂々たるもので、歌も演技も印象に残った。彼女は2010年の二期会の「オテロ」の公演でデズデモーナを好演していたのが今でも記憶に残っている。ナンネッタの馬原の透明な声も魅力。最後のフーガでもひと際存在感のある声を示していた。男声陣ではタイトルロールの吉川が明るく、透明な声で惹きつけられた。喜劇のタイトルロールとしての演技ではまだ物足りなさもあったが、将来を期待したい。歌手陣、今秋のスカラ座の公演と比較してみたい。今夜は6000円、スカラ座は6万円だ。10倍よくなくては困るのだが!その前にチケットが手に入るか心配だが!
 装置は簡素なもので、例えばガーター亭では長い机と椅子、それと何個かの酒樽が転がっているだけ。衣裳は時代に合わせたクラシックなのもで結構お金をかけていたように思った。演出はまっとうなもので、まったく衒いがない。去年のヴィッラデムジカによるセビリアのように、歌い手が劇場のいたるところから登場して、狭い舞台を補っていた。(制約その1)
 問題はピアノによる伴奏だろう。ヴェルディの最後のこのオペラのオーケストラの雄弁さを聴くことができないのは、如何にも寂しい。各幕、幕切れの威勢の良い音楽が、ピアノでは少々興ざめである。また例えば2幕でフォンターナ氏が金貨をちゃらちゃらさせる音もオーケストラで聴くのとピアノで聴くとでは音楽の深みが違う。ヴェルディはこういう細かいところにも神経の行き届いた曲をつけているのだ。更には3幕の2場のファルスタッフをいじめるシーンなどは管弦楽が炸裂するわけだが、それをピアノでやるのは少々無理があるように思った。(制約その2)
 石橋メモリアルホールは簡素なつくりだが、響きがよく良いホールだと思う。しかしここは小なりとはいってもコンサートホールであり私の印象では残響時間が長い。従って今夜の様なオペラでは声の澄明感がどうしても失われる。「ファルスタッフ」のように重唱に面白みのある曲が多いオペラでは、声がごちゃごちゃになって聴きにくい。(制約その3)
 細かいことだがこのオペラで字幕のないのは慣れてない人には辛いだろう。演出の田口氏が各幕、各場の前に解説を入れていたが、これもこのオペラをよく知っている人には煩わしいだろう。こういう解説はプレトークでやって欲しいよなあというお客さんの声もあった。演奏時間は2時間だが解説があったため3時間近くかかってしまった。
 今夜の公演はこれ一回だけ。編成を小さくしたオーケストラをつけて演奏したら更によくなると思うので、1回だけではもったいないと思う。                             〆
 
 
 

2013年3月29日
於:サントリーホール(1階16列左ブロック)
 
東京都交響楽団、第749回定期演奏会Bシリーズ
指揮:小泉和裕
ソプラノ:澤畑恵美
テノール:経種康彦
バリトン:萩原 潤
合唱:栗友会合唱団、武蔵野音楽大学室内合唱団
    東京少年少女合唱隊
 
モーツァルト:交響曲第40番
オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」
 
今シーズンの掉尾をかざる素晴らしい公演だった。特にオルフは過去ライブで聴いた演奏の中で随一のもの。
 まず、モーツァルト。昨今のピリオド楽器や奏法の刺激的なモーツァルトとは一線を画した、モダン楽器による端正なト短調交響曲だ。1楽章のあの主題が出たとたん、いいなあというのが率直な印象。ほんとうにいいなあとおもうのである。このきちんと整理整頓された音の安定感。しかしこの演奏はそれだけでは終わらない。メヌエットはピリオド派のようにスケルツォ風にはならず優雅とも言えないが、端正である。素晴らしいのはさーっと光の射すようなトリオの美しさだ。こんな綺麗な音楽なのになんでこのように胸に迫ってくるのだろう。そして4楽章は突っ走るが決して悲壮感はない。小泉特有の颯爽としたものだ。こういうモーツァルトも良いものだ。都響の演奏もよかったが、印象に残ったのが低弦部だ。やはり低音の支えが音楽にとって重要なのだなあと改めて感じた。演奏時間はおよそ25分。
 さて、今夜の圧巻はオルフだ。この曲は最近はスマートな演奏が多いと思う。2010年の東響/飯森による演奏などはその口で、お遊びもあったりして、これはこれで楽しいが、オルフの音楽の包含する、人間の根源的なエネルギーともいえるものを表わしてはくれない。そういう切り口で云えばCDではなんと云ってもヨッフム/ベルリンに比べるものはない。今夜の小泉の演奏はそのエネルギーを感じさせる荒ぶる演奏だったように思った。第1曲の「おお運命の女神よ」から凄まじいエネルギーだ。ついで春を歌う「見よ、今や楽しい・・・」の春を迎えた喜びの爆発、
そして10曲目の「たとえこの世界が皆・・・」のオーケストラと合唱の爆発も特筆もの。
 第2部の酒場にてでは14曲目の「酒場に私がいるときには・・・」の合唱の圧倒的な迫力。今夜は遊びのない演奏かと思っていたら13曲目の「わしは院長様だぞ・・・」ではバリトンが酔っぱらって小泉となにやら掛け合いを行っていて、最後のチューバに合わせておならの真似までして笑わせていた。日ごろの小泉の端正な、きりりとした演奏とはまた異なった、この音楽の根源に迫ろうとした姿勢がこの酒場にてでも十分感じられた。
 第3部はエロス全開の音楽だ、ここでも例えば18曲の「私の胸をめぐっては・・・」などエロスの噴出を感じる。22曲の「今こそ愉悦の季節・・・」もそうだが、全合唱とオーケストラはホールを揺るがせんばかりの素晴らしい頂点だ。
 今夜の演奏は小泉の指揮によるところ大ではあるが、それに加えて合唱が素晴らしい。特に男声合唱の威力は筆舌尽くしがたい。
 ソロ陣ではバリトンの荻原が素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。その朗々とした声は魅力で、オーケストラに全く負けていなかった。ソプラノの澤畑は少々不満。17曲の「少女が立っていた・・・」はビブラートがかかり過ぎで気になり、少女でなくおお年増のようだ。22曲の「今こそ愉悦の季節・・・」では少年少女合唱隊に声がかき消されて全く聞こえない。低音が出ていないのだ、そして23曲の「とてもいとしい方・・・」は声が苦しそうで伸びやかに歌ってくれない。こちらまで苦しくなった。ちょっと残念だ。テノールの経種は地声とファルセットとの差がもう少し少ないと、より一層良かったように感じた。しかしいずれにしろライブなのでレコードのように完璧にはゆかないので、この水準の歌唱なら云うことはない。
 都響も熱演。何箇所かほころびはあったが、ライブゆえ仕方あるまい。打楽器の活躍が華々しい曲だが、熱演。金管群の威力も素晴らしかった。合唱がP席を埋め尽くすほどの人数なので、オーケストラとの相乗効果が素晴らしく、こう云う曲はライブでしか味わえないのかなあと改めて感じた。とにかく久しぶりに感動的なカルミナブラーナだった。演奏時間はおよそ61分。 〆                                            
                                                           

2013年3月24日
於:神奈川県民ホール(2階12列中央ブロック)
 
ヴェルディ「椿姫}
 二期会、神奈川県民ホール、びわ湖ホール、神奈川フィル共同制作
指揮:沼尻竜典
演出:アルフォンソ・アントニオッツイ(2010年ボローニャ初演出)
 
ヴィオレッタ:安藤赴美子
アルフレード:フェルナンド・ポルターリ
ジェルモン:上江隼人
フローラ:谷口睦美
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団
管弦楽:神奈川フィルハーモニー
 
椿姫は女性に人気があるようだ、私の席の周りは比較的すいていたけれども7割は女性。トイレも普段男性用が女性用に代わっていた。まあ、のっけから余談になってしまった。
 この演出は1960年代に読み替えていて、イメージとしては映画の「甘い生活」があるそうである。100年ほど繰り上がることになったが、それほど違和感はなかった。まあ肺病が不治の病ということにはしっくりきませんが!ただ3幕はちょっと奇妙で、ヴィオレッタが床に寝ている、まあそれはちょっと可哀想なんだけれど、それはおいておいて、実はヴィオレッタの横にもう一人ヴィオレッタが横たわっている。安藤のヴィオレッタが立ち上がって歌っている間、もう一人のヴィオレッタは横になったまま、最後ヴィオレッタが死ぬシーンでやっと半身起き上がると云う演出である。もちろん安藤ヴィオレッタは舞台前面で歌っている、立ったままですが!アルフレードたちはもう一人のヴィオレッタを抱き上げて幕。これはヴィオレッタが神に召されたことを表わしているのでしょうか?私にはここだけがよくわからない演出だった。その他は納得できるもので、まあ安心して見ることができた舞台だった。
 安藤ヴィオレッタは舞台姿がすらっとして美しい、そして声も伸びやか。やや細身だが立派な声だ。しかしこのヴィオレッタは楷書で書いたようなヴィオレッタできちんとはしているのだけれど、ヴィオレッタの心の微妙な動きまで声で表現できたのかは微妙なところだ。1幕の「不思議だわ・・・」から始まって「ああそはかの人か?・・・」そして「いつも自由だ・・・」と続く最初の聴かせどころだが、ヴィオレッタの心の動きは私にはあまり感じられなかった。最後の最高音も抑えてしまって物足りない。ここは金切り声でも良いから挑戦して欲しい。まさか沼尻さんが抑えたわけでもないでしょう?2幕のジェルモンとの2重唱やアルフレードとの別れ、2幕の最後の重唱などなど歌には不満はないが、気持ちがこもっていないように思った。3幕の「ああ、こんなに変わってしまった・・・」も悲しみが伝わらない。期待していただけに、ちょっと残念でした。 アルフレードは甘い声で、田舎のうぶなおぼっちゃんを演じようとしていた。1幕はちょっと狙いが外れて猫なで声の様な弱音が気持ち悪かった。うぶなおぼっちゃんというより、放蕩息子という趣。しかしなんとか2幕以降は修正できていたように思った。今日一番素晴らしかったのはジェルモン。田舎の紳士らしい風貌と心のこもった歌いっぷり、そして自分の娘と息子を守ろうとしている親の気持ちを、歌に託していた。声の安定度も云うことがなかった。
 管弦楽は少々薄い響きが気になった。特に高弦。ホールのせいか、座席のせいか、はたまた沼尻の指揮のせいかよくわからない。沼尻の椿姫は、音楽の進め方が、情感のこもったもので、部分的には私にはもたれた。多分愛聴盤のクライバーのきびきびした演奏と比較するからだろう。せっかく沼尻がこう云う音楽作りをしているのに、残念ながらタイトルロールは意に反して、さっぱり歌っていたので、沼尻との呼吸が合っていないように感じられた。演奏時間は約126分(拍手含む)                                               〆
                                                         

2013年3月23日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
 
東京交響楽団第608回定期演奏会
指揮:秋山和慶
ソプラノ:小林沙羅
メゾソプラノ:小川明子
テノール:青柳素晴
バリトン:甲斐栄次郎
ソプラノ(ボーイソプラノ):星川美保子
メゾソプラノ(ボーイアルト):富岡明子
合唱:東響コーラス
 
ブラームス:悲劇的序曲
マーラー:カンタータ「嘆きの歌」(初稿版)
 
昨年の新日本フィル/アルミンクに続いて、今年もまた嘆きの歌を聴くことができた。アルミンクと今夜の違いは2つあって、一つは合唱の規模が倍くらい今夜のほうが大きい、従って音楽のスケールは今夜のほうが圧倒的に大きく感じた。もう一つはアルミンクは第二部以降で少年少女に歌わせたが(これがオリジナルらしい)、今夜はソプラノとメゾソプラノが歌っていた。これもかなり印象が違う。アルミンクのほうが子供が歌っていることが、あまりうまくないのだが、一層悲しみを誘うような効果が出ていたように感じた。今夜はそういう面は少ないように思ったが、やはりしっかりとした大人の歌唱ゆえか、スケールの大きい音楽になっていたように思った。
 秋山の音楽作りは、そういうバックグラウンドを根っこにして、とても起伏の大きいもので、緩急の激しいテンポもそうだが、ダイナミックさの振幅もとても大きく迫力満点だった。ただ第1部の4節目の「しばらくは 二人で歩むも・・・」あたりなど少々せわしさも感じさせた。演奏時間は66分でアルミンクより少々遅く、我が家にあるCD(ブーレーズ/ロンドン響)よりも速い演奏だった。ただブーレーズ盤は1部と2・3部を別々に録音しており、そのためか歌手も違うので、統一感に欠ける面があって、時間も参考値にしかならないと思う。しかも2・3部は女声のパートはイヴリン・リアー一人で歌うなど今夜の演奏とは随分印象の違う演奏である。今夜の演奏はCDになるというので、我が家で是非聴いてみたい。
 歌手達は皆安定しているが、特に甲斐の歌いっぷりは印象的だった。合唱は規模が大きく圧倒的な迫力(170人)だった。サントリーのP席を埋め尽くしていた。
 冒頭のブラームスは何かとってつけたようだが、これは素晴らしい演奏だった。久しぶりにこの曲を聴いて良い曲だなあと改めて感じた。きりりとした高弦がまず印象的、低音部の支えもブラームスらしい、そして割れるような金管の響きが音楽に緊迫感を与えて凄まじい迫力。中央のティンパニも気迫こもった一撃。マーラーと合わせて東響の演奏の素晴らしさを堪能した夜だった。                                                       〆
 

2013年3月18日
於:サントリーホール(1階20列中央ブロック)
 
読売日本交響楽団、第558回サントリーホール名曲シリーズ
マーラー:交響曲第六番・悲劇的
指揮:シルヴァン・カンブルラン
 
きりりと引き締まった、いささかの緩みのないマーラーだったように思う。特に前半の2楽章は近年聴いたこの曲では最も素晴らしい演奏だった。1楽章は低弦からぶんぶんいわせて入ってくるが、今までの印象では、CDも含めて少々肥大的にもりもりと入ってくるのがイメージとしてある。しかし今夜のカンブルランの演奏では、何か物足りないくらいやさしい。それはそのまま、あの素晴らしい第2主題につながってゆくのだが、そのつながりが実にスムーズなのだ。決して他の演奏がスムーズではないと云っているのではない。この演奏ではそれが特に耳に残ったということである。しかし素晴らしいのはそれだけではなく、展開部に入って音楽の様相がガラッと変わったことである。まるでオーディオ・アンプのボリュームを2ノッチくらい上げたように、スケールが大きくなる。力強くもなる。再現部では更に大きくなって主題が復元される、そして音が宙に舞い飛ぶようなコーダにたどりつく。なんともすごい1楽章だった。
 2楽章はアンダンテである。このごろこのような演奏が散見される。先日CDで聴いたヤンソンス/コンセルトヘボウもそうだった。まあ昔からバーンスタインの新盤になじんでいるものからすると3楽章のほうが座りが良いような気がする。それはそれとして、今夜の演奏の素晴らしさは比類のないもので、まるであの美しい主題が次から次へとまるで薄雲が空にもくもくとわいてくるように現れてくる。それが1楽章と同じように、次第に音のスケールをあげて迫ってくる。この音楽の進み方に心が動かされない人はいないだろう。特に最後に主題が巨大になって現れる場面は感動的だ。このような気持ちにさせられたのは、愛聴盤のバーンスタインの新盤を聴いて以来のものである。面白いのはバーンスタインはこの楽章を17分以上をかけて演奏しているが、カンブルランは13分強である。しかしこの音楽の私に与えたものは同じなのである。
 正直云って前半の2楽章で疲れ果ててしまった。ので後半はあまり語れない。3楽章は苦手なので集中力を欠いてしまい、聴きとばしてしまう癖がある。今夜もそうだった。4楽章は戦うマーラーだ。テンポの速いせいもあるが、音楽全体がきりりとしまって、アグレッシブに聴こえた。しかしそれだからこそ最後、戦いに敗れたなんとも虚しい音楽が実に空虚に響いた。なおハンマーは2回のみだった。
 読響も熱演。特に金管群は指揮者の指示なのだろうがオーケストラの中から輝くように、飛び出すように聴こえてきて、インパクトが強かった。2楽章もそうだがいろいろな楽器の日ごろ埋没しているような楽想も浮き上がって聴こえ、オーケストラ全体が新鮮に聴こえた。ただホルンがソロとか少ない編成の時のもたつきが少々物足りなかった。 
 演奏時間は77分弱。昨年聴いた佐渡/日本フィルの少々肥大気味の演奏が85分。バーンスタインの旧盤が77分。新盤が87分。最近は80分台がほとんどなので今夜の演奏は速く感じた。何年か前に聴いたアシュメナージ/N響も70分台だったが落ち着きのない演奏でがっかりしたのを覚えている。指揮者の格の違いだろう。                             〆                 

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