ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2013年02月

2013年2月11日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)
 
東京交響楽団、第607回定期演奏会
指揮:ユベール・スダーン
コントラルト:ナタリー・シュトゥックマン
 
マーラー:歌曲集「亡き子を偲ぶ歌」
フォーレ:組曲「ペレアスとメリザンド」
ドビュッシー:交響詩「海」
 
東響の今年のテーマである、マーラー歌曲集とフランス近代作曲家の作品2つの、失礼ながら少々さびしいプログラム。その割には満席とまでは行かないが、かなりお客さんで埋まっていたのでびっくり。久しぶりに東響を聴いたが、いつになく艶のある音で、その美しい響きを堪能した演奏会だった。
マーラーはリュッケルトの詩によるもので、亡くなった子供を偲ぶ歌五編である。好みとしては、これとは別にマーラーがリュッケルトの詩に付けた五編のほうが好きだ。この亡き子を偲ぶ歌は詩が難しい(私には)。シュトゥックマンの歌唱は、以前マーラーの二番の交響曲で素晴らしい演奏を聴かせてくれたのが印象的。今日も素晴らしい。なによりその深みのある声が魅力だ。今日聴いた曲では1曲目の「太陽はかくも鮮やかに昇ろうとする」がぞくぞくするくらい素晴らしかった。
 フォーレの「ペレアス・・・」は正直云って映画音楽みたいであまり面白くない。メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」がなぜ世の作曲家を惹きつけたのか、浅学の私にはわからないが、私はドビュッシーのオペラに最も共感する。東響の木管群の美しさを味あわせてくれたプログラムだ。
 「海」は昔からよく聴いた曲だ。アンセルメ盤やカラヤン盤に親しんできたが、最近はミュンシュ盤を聴くことが多い。今夜のスダーンの演奏はどちらかというと海という標題性をあまり意識しない演奏だったような気がする。1楽章の終わりや3楽章などは別物のように壮大に聴こえた。演奏時間は23分強でミュンシュとほぼ同じ、カラヤンよりかなり速い。
 珍しいことにアンコールがあった。ワーグナーのヴェーゼンドンクの詩による5つの歌から「夢」の管弦楽版、歌の部分はコンサートマスターのヴァイオリンによる。流石にプログラムが寂しかったので気が引けたのだろうか?                                  〆

2013年2月10日
於:東京文化会館(1階24列中央ブロック)
 
藤原歌劇団公演
ヴェルディ「仮面舞踏会}
演出:粟国 淳
指揮:柴田真郁
 
リッカルド:村上敏明
レナート:堀内康雄
アメーリア:野田ヒロ子
ウルリカ:森山京子
オスカル:大森智子
シルヴァーノ:江原 実
サムエル:若林 勉
トム:小田桐貴樹
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 
演出から指揮、歌い手まで全て(装置と衣裳はイタリア人?)日本人による公演。ヴェルディの音楽と舞台をきちんと丁寧に、聴かせて(見せて)くれた公演だ。そういう意味では日本的オペラ公演と云えまいか?日本的というのはつまらない読み替えなどない、ヴェルディのト書きに従った公演と云う意味である。もっとも最近、日本でもへんてこりんな演出や装置の公演もあるから油断はできない。さて、そういうことであるから、舞台の動きで不自然なところは皆無に近いので最後まで安心してヴェルディの音楽を楽しむことができた。
 歌手である。リッカルドの村上が素晴らしい。1幕では輝くような声が目立って、少々なめらかさに欠けたが、後半、特に3幕のロマンツァ「永遠に君を失っても」は声をうまくコントロールして素晴らしい歌唱だった。ついでレナートの堀内の安定感。1幕はなぜか元気がないように感じられたが、3幕冒頭のアリア「おまえだったのか」は迫力もあり、十分聴かせどころだった。
 アメーリアの野田は美しい声は否定しないが、ヴェルディの音楽のもつ力強さ、このアメーリアに与えた素晴らしい音楽を十分再現できたかと云うと、私は少々疑問だった。2幕の2重唱など物足りない。貴族の妻というより娘みたいな雰囲気が最後まで付きまとった。もう少し年をとってから歌っても遅くはないのでないかと思った。ただ3幕の「死にましょう」はせつせつと歌われて、これはよかった。オスカルの大森は出番も多く、儲け役なのに少々地味で冴えない。これもヴェルディが創造したコミカルな役柄を十分描いていないように思った。ウルリカの森山は最初ビブラートがあまりも多くていやだなあと思ったが、後半ではそういうことはなかった。まあ安心して聴いていられる。
 指揮の柴田はかなり若い。このヴェルディの公演で一つだけ物足りないものを敢えて云うと、ヴェルディの火を噴くような音楽が少々微温的に聴こえたことだろうか?例えば1幕の導入曲の〆の部分や幕切れなどもう少したたみこむようにオーケストラをドライブしてもらいたかった。ただ3幕のアメーリアがくじを弾く場面の音楽は十分迫力があり、やればできるのだと思った。だからこのテンポをあまり動かさない音楽は柴田の考えたヴェルディの音楽作りなのだろう。普通はテンポを上げたくなるだろうに、しっかり守ってゆく姿勢はこれはこれで大切かもしれない。あとはこのテンポの中で如何にヴェルディの音楽を再現し、ドラマを描き切れるかである。そういう意味では、1幕は私には少々音楽が緩いように感じられた。演奏時間は132分(拍手込み)である。東フィルのオペラ演奏も安定感のあるもの。合唱も良かった。
 粟国の演出とチャンマルーギの衣裳・装置はまったく奇をてらったところのないオーソドックスなもの。舞台は大きな円筒型の洞穴に1幕の宮殿や、ウルリカの家、2幕のボストン郊外の墓地、3幕のレナートの家などを簡素な装置で組み立てている。冒頭述べたように粟国の演出はト書きに忠実であるが、いくつか、芝居の流れから、妥当なモディファイを行っている。1幕のシルヴァーノに辞令を渡す場面、ト書きではポケットにそっと入れるというものだが、今日はシルヴァーノの荷物の上に置くようになっていた。2幕のアメーリアのヴェールがとれてしまう場面、ト書きではレナートをかばうために暗殺者に接触してとれてしまう。しかし今日は自分ではぎとってしまう。これは芝居の流れから云ってもおかしくなく妥当な演出で、こういうきめ細かいところで味を出した演出。粟国と云えば新国立の「ボエーム」の演出が印象的。特に3幕の美しさは忘れられない。
 「仮面舞踏会」のCDは我が家には3セットある。
 カラヤン/ドミンゴ/バーストウ/ヌッチ/スミ・ジョー
 コリン・デーヴィス/カレーラス/カバリエ/ヴァイクル
 ガヴァッツェーニ/ポッジ/ステルラ/バスティアニーニ
 カラヤンは幾分重々しいが劇的表現が素晴らしい、ヌッチの過剰な表現には辟易だが、ドミン ゴとバーストウの演じるドラマは強烈な印象。
 デーヴィスはもっとも中性的な演奏だ。正直云って皆立派だが、心があまり動かない演奏。
 ガヴァッツェーニはまさに火を噴くヴェルディ。たたみこむようなオーケストラには聴いているほ うが熱くなる。欠点はポッジの脳天気な歌いっぷり、しかし補ってあまりあるのはレナートのバ スティァニーニとアメーリアのステルラ。
 今日の演奏に演奏時間が一番近いのはカラヤン盤。柴田はカラヤンを志向したのかもしれない。ガヴァッツェーニはカラヤンより10分以上速い。しかしこの演奏は私にとって今のところベスト盤。でも録音が流石に50年以上前でカラヤン盤などと比べると辛い。なおガヴァッツェーニ盤は歌手、指揮者、管弦楽すべてイタリア人による演奏である。今日ではありえないCDである。
 なお、この公演はわずか2回のみ。それも2セットの組み合わせで1回づつというのだからもったいない。そのせいか装置が省エネになっていた。                       〆
                                                        
 

2013年2月3日
於:新国立劇場(1階19列中央ブロック)
 
ドニゼッティ「愛の妙薬」
指揮:ジュリアン・サレムクール
演出:チェーザレ・リエヴィ
アディーナ:ニコル・キャンベル
ネモリーノ:アントニーノ・シラグーザ
ベルコーレ:成田博之
ドゥルカマーラ:レナート・ジローラミ
ジャンネッタ:九嶋香奈枝
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団
石野真穂
 
ベルカントオペラの代表作「愛の妙薬」、2010年のプルミエの再演である。演出・装置はその時と変わらず、関心のある方は2010年4月18日のブログ参照。
 このオペラは5人の歌手のレベルが全てを決めると云って過言ではないと思う。そういう意味で今日の公演はまずまずのものだと思う。まずまずと云うのは大きな穴はないけれども、大ホームランを打つバッターもいないということだ。シラクーザのネモリーノは流石に立派なものだ。ただ私は彼の真骨頂はロッシーニにあると思っていて、藤原歌劇団の公演の「チェネレントラ」の歌唱は忘れられない(2009年6月14日)。二幕のアリア「誓って彼女を見つけ出す」の後半をアンコールで歌うなど大いに舞台を盛り上げてくれた。そういう意味では今日は腕を持て余したような印象を受けた。演出家はやらしてくれないだろうが、「人知れぬ涙」をアンコールするくらいの遊び心があったら、シラクーザはもっと生きるのではなかっただろうか?
 ニコル・キャンベルは昨年の新国立シーズンで「ドンジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを聴いたばかり。あの公演は歌手が皆素晴らしく、特にドンナ・アンナのアガ・ミコライが素晴らしく、キャンベルがかすんだ印象ではあったが、彼女なりのエルヴィーラ像はしっかり出せたように思った。(2012年4月22日)特に2幕の21曲ーbは印象に残った。今日の歌唱も立派だが、ドニゼッティの喜劇を歌うには少々立派すぎる歌唱だったように感じた。
 男声二人は、いささか違和感が残った。堀内修氏がプログラムに、この二役は歌い手によって随分違う役作りになると書いておられた。私も同感だ。ただ演出によっても異なる印象になると思う。特に今日のリエヴィの演出は喜劇と云うよりも、シリアスなドラマを感じさせるようなベルコーレの役作りなので、2010年の時も感じたが、今回もかなり違和感を感じた。ベルコーレは村人の仲間の女たらしではなく、権力者としての描き方である。こう解釈してしまうともうこのオペラの楽しさなぞどこかへ吹っ飛んでしまうように思うのである。カラフルな衣裳や舞台でそれを糊塗しようとしても、基本ポリシーでもうドニゼッティの世界ではないので、印象としては別のオペラの趣である。それが演出者の狙いだったのかもしれないが?
 ドゥルカマーラは詐欺師であるが、どこか憎めないというのが、本来の役回りだが、今日のジローラミの歌唱は、本当の詐欺師のように思える。これも演出なのだろうか?ただ2幕のアディーナとの寸劇の場面や、幕切れの妙薬の自慢の歌などでは憎めない面もでているので、おそらく演出だと思う。
 ベルコーレとドゥルカマーラにまじめにやられてしまうと、このオペラは、正直音楽は退屈な部分もあるので楽しめない。ベルカントはト書き通りにやれ、というのが私の今日の結論だ。
 「愛の妙薬」をCDで聴くことは、ほとんどなく、大体DVDで見てしまう。ウイーン国立歌劇場のオットーシェンクの演出はト書きとおり(2005年4月録画)。しかも歌手はネトレプコ/ビリャソン/ダルカンジェロ/ヌッチだから役者に不足はなく、このオペラの愉しさを十分味わえる。ネトレプコもまだ痩せていて可愛い。こういうDVDを見てしまうと劇場でのライブ公演よりも良いんではないかとも思える。私はCDやDVDでの再生技術がどれだけ進んでも、ライブにはかなわないと思っていたが、最近ちょっと自信がなくなってきた。先日のタンホイザーもその後バレンボイムやショルティ、マレク・ヤノフスキーのCDを聴いたが、私にはライブよりずっとインパクトがあった。
 なお今日のオーケストラは立派だがこれも少々気まじめ、クレッシェンドもわくわくさせてくれなかった。
                                                        〆

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