ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2012年12月

2012年12月29日
 
今年もMETライブビューイングを含めて100回近いコンサートで音楽を聴いた。どれもとても楽しんだがその中でも特に印象に残った12のコンサートを振り返ってみたい。10としなかったのは絞り込めなかっただけのこと。大体私は、音楽については、欠点を見つけるより良いところに耳が云ってしまい、閾値が低いのでとても迷ってしまうのだ。なら選ばなければ良いのだが、今年一年を振り返るにはこの作業が有効なのだと自分では思っている。
 まず候補の音楽会をジャンル別に列記してみた。
1.国内オーケストラ
1/7 東響定期、指揮飯森範親、サントリーホール、レスピーギローマ三部作
4/12都響定期、指揮インバル、サントリーホール、ブルックナー交響曲七番
4/20N響定期、指揮ノリントン、NHKホール、ベートーベン交響曲四番
5/7 新日本フィル定期、指揮ハーディング、トリフォニーホール、マーラー交響曲一番
5/14都響定期、指揮小泉和裕、サントリーホール、ブラームスピアノ協奏曲一番
5/26東響定期、指揮スダーン、サントリーホール、マーラー大地の歌
6/13読響名曲、指揮アルブレヒト、サントリーホール、ブラームス交響曲一番
9/21N響定期、指揮スラットキン、NHKホール、ショスタコーヴィチ、レニングラード
9/30都響マーラーチクルス、指揮インバル、横浜みなとみらい、復活
10/6読響チャイコフスキー後期交響曲全曲、指揮ロジェストヴェンスキー、東京芸術劇場
(10/6,7,8)
10/27都響マーラーチクルス、指揮インバル、みなとみらい、三番
12/7N響定期、指揮デュトワ、NHKホール、レスピーギ三部作
12/19読響名曲、指揮カンブルラン、サントリーホール、ベートーベン第九
12/28東京シティフィル、指揮飯森泰次郎、東京文化会館、ベートーベン第九
 
2.海外オーケストラ
10/15,27ドレスデン・シュターツカペレ、指揮ティーレマン、みなとみらいおよびサントリーホール、ブラームス交響曲一番、ブルックナー交響曲七番
11/6バンベルグ交響楽団、指揮ブロムシュテット、サントリーホール、ブルックナー交響曲四番
11/19サンフランシスコ交響楽団、指揮ティルソン・トーマス、サントリーホール、
マーラー交響曲五番
11/2,3カメラータ・ザルツブルグ、指揮シュレンベルガー、ピアノ小菅 優
モーツァルトピアノ協奏曲、20,21,23,25番、トリフォニー
 
3.オペラ(国内及び海外)
4/22ドンジョバンニ、新国立劇場
6/12ローエングリン、新国立劇場
8/26セビリアの理髪師、ヴィッラ・ディ・ムジカ公演、第一生命ホール
9/8 夢遊病の女、藤原歌劇団、新国立劇場
9/17パルジファル、二期会、東京文化会館
10/14ピーター・グライムス、新国立劇場
10/24、11/1フィガロの結婚、アンナボレーナ、ウイーン国立歌劇場
11/13ランメルモーアのルチア、マリインスキー劇場
METライブビューイング、神々の黄昏とオテロ
 
これから12の公演を選んだ、便宜上順位をつけたがこれは微妙な順番と思っていただきたい。
1.ワーグナー「パルジファル」指揮飯森泰次郎、二期会
二期会の公演は日本人だけで演奏されるので、歌手を新国立公演と比べるとどうしてもハンディを感じるが、このパルジファルはそれを全く感じさせない立派な公演と云うより、とても感動してしまった。指揮の飯森の音楽、読み替えの演出だったがクラウス・グート、そして歌手達が見事にうまくはまった公演だった。特に飯守の大河のごとく流れる音楽には圧倒された。
2.マーラー「交響曲第五番」指揮ティルソントーマス、サンフランシスコ交響楽団
細部まで磨き抜かれていて、なおかつ全体も見失われていない、ライブでこれ以上の演奏は考えられない。カップリングのユジャワンのラフマニノフは当日はなんじゃいこの組み合わせはと思ったが、振り返ってみると凄い演奏だった。
3.マーラー「交響曲第三番」指揮インバル、都響
2010年にもこの演奏を聴いているが、今回はさらにスケールが大きく、こちらをとりたい。気迫のこもった、緊張感の漲ったマーラーだ。
4.ワーグナー「ローエングリン」新国立劇場公演
何と云ってもタイトルロールのフォークトの素晴らしさ。これ以上のローエングリンは今のところ考えられないくらい素晴らしかった。演出も比較的オーソドックスだった。演出面で云ったら世界で最も安心してオペラを見ることができる劇場の一つだと思う。時々例外的な公演もあるが、それは御愛嬌と思っている。
5.マーラー「交響曲第二番・復活」指揮インバル、都響
これも2010年を更にパワーアップした公演だ。2010年はライブも聴いたしCDも愛聴盤だが、このそれ以上の演奏聴いてしまうと、インバルと云う指揮者の底が見えない。二番も三番も歌手は日本人だったが、非常に真摯で、けれんのない、素朴な歌唱が好ましかった。
6.マーラー「交響曲大地の歌」指揮スダーン、東響
ライブではいつもテノールでがっかりしてしまう。インバル/都響は評判が良いが私の聴いた日はテノールが今一だったし、フェルミリオンの歌も自然な流れではないような気がした。それに比べるとスダーンの作る音楽は自然だ。
7.ドニゼッティ「ランメルモーアのルチア」、指揮ゲルギエフ、マリインスキー
デセイのルチアが演奏会形式にもかかわらず、迫真の演技と歌唱で素晴らしかった。ゲルギエフは前回聴いた「影のない女」に比べると全く違和感のない指揮ぶりだった。
8.ベートーベン「交響曲第九番・合唱付き」、指揮飯森泰次郎、東京シティフィル
今日本人でドイツ物、特にワーグナー、ブルックナーを振らせたら飯守に勝るものはいないだろう。このベートーベンも素晴らしいもの。カンブルランとどちらにするか迷ったが、飯守を選んだ。これは日本人だからではなく、昨今隆盛を極めている、ピリオド様式と云うか、メトロノーム派というか、きびきびした演奏が多い中、飯守のとった伝統的なベートーベンの演奏様式が充実していたからに他ならない。凡庸な指揮者や未熟な指揮者がこの伝統型を選ぶとわざとらしさというか、けれんみを感じてしまうが、飯守にはそれがないところが素晴らしい。そして何より音楽が男性的であるところが気に入っている。
9.レスピーギ「交響詩ローマ三部作」指揮デュトワ、N響
デュトワのお得意の曲であり、N響から聴いたことのないような色彩感のあるを音を引っ張りだした。このアッピア街道の松を聴いて興奮しない人はいないだろう。もう一人の若い飯守の東響とのコンビでのこの作品の演奏も素晴らしい。CDを買ってしまったくらいだ。デュトワと迷ってしまったが、色彩感に一日の長をデュトワに感じた。飯守はコンサートで無駄なおしゃべりをやめた方が良い。
10.ブルックナー「交響曲第四番」指揮ブロムシュテット、バンベルク交響楽団
今年はブルックナーはあまり良い演奏にお目にかからなかったような気がする。一番がっかりしたのはパーヴォ・ヤルヴィ/フランクフルトの演奏した八番で何か力が感じられない演奏だった。その他では飯守/東京シティフィルの四番が素晴らしい。これも選びたかったがそうすると、飯守だらけになってしまうのでカットした。ブロムシュテットの指揮は自然なブルックナーをいつも感じるが、今回は少々変化球を投げていたような気がしたのが興味深かった。そしてこのバンベルクの響きは今年聴いたドイツのオーケストラの中で最高だった。
11.ロッシーニ「セビリアの理髪師」、ヴィッラ・ディ・ムジカ
小さなホールで、半分演奏会形式の公演だったが、若い日本人たちの歌が生き生きしていて素晴らしい。小さなホールだけに眼前で生き生きした歌唱を聴いていると、これが本当のロッシーニかと思いたくなってしまう素晴らしい体験だった。今シーズンの新国立のごてごてした、群衆劇のような演出に比べると別のオペラのように思えてしまう。
12.ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデンの公演
最後までこの公演をどうしようか悩んだ。しかしティーレマンの将来に期待して最後にこれを選んだ。特にブルックナーはくれぐれもチェリビダッケのようにはならぬように祈りたい。
次点。ウイーン国立歌劇場公演
海外の歌劇場の引っ越し公演は、もうやめようと思いつつ、ついチケットを買ってしまう。やはり期待が大きいのだ。しかしだからこそ反動も大きい。アンナボレーナはグルベローヴァが歌うと決まった時にやめておけばよかったと後悔している。しかしDVDだがネトレプコ/ガランチャの組み合わせのプルミエの公演を見ると、どうしても見たくてチケットを買ってしまったのだ。この二人を呼べない日本の興行会社の力のなさには悲しくなる。それはフィガロの配役でもそうだ。フリットリを含めて歌手に魅力のないフィガロなんてつまらない。オペラは演出でも、オーケストラでもない、歌手が第一なのだから。来年はヴェルディやワーグナーの公演が多数あるようだがどうだろうか?
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2012年12月28日
於:東京文化会館(1階17列中央ブロック)
 
東京シティフィルハーモニック管弦楽団、第九特別演奏会
指揮:飯守泰次郎
ソプラノ:佐々木典子
メゾソプラノ:小山由美
テノール:望月哲也
バリトン:大沼 徹
合唱:東京シティ・フィル・コーア
 
ベートーベン:交響曲第九番「合唱付き」
 
男性的なベートーベンだ。スタイルは伝統型、演奏時間は68分強だった。今年飯守とはこれで3回目。どれも素晴らしい。二期会とのパルジファル、シティフィルとのブルックナー、そして今夜だ。
1楽章は実に印象的だ。第1主題の提示で度肝を抜かれたのは切り裂くような金管とまるで叩きつけるような、アクセントの付いた強烈なティンパニだ。更に凄いのは再現部でここでも金管がつんざくの寸前の叫びの様な趣でおもわずぞくっとしてしまう。しかし展開部は精妙でこの沈み込むような音楽はこの1楽章自身がもつ魅力だろう。精妙だが優美ではなく、少々武骨なところが飯守の真骨頂だろうか?
 2楽章のスケルツオも1楽章とほぼ同じ印象で、ここでも叩きつけるような、金管やティンパニが凄みをもつ。トリオの部分は決してチャーミングにはならず、ホルンやファゴットなどの木管が鄙びた雰囲気で独特の魅力だ。メトロノーム型だとこの楽章は遅くていらいらするが、飯守は11分40秒弱で駆け抜ける。1楽章は16分30秒だからこの1と2楽章の対比だけを見ると、典型的な伝統型のスタイルだと云うことが分かる。ちなみにフルトヴェングラーは18分対12分である(1951年、バイロイトライブ)。メトロノーム型だと1と2楽章の比がおよそ1:1になる。参考までにノリントンの旧盤では1と2楽章は14分対14分である。
 3楽章はとても美しいが、ここも優美さは皆無。武骨であるがとても魅力的だ。
 4楽章の素晴らしさは云うまでもないだろう。飯守の良いところは伝統型でありながら締まりがあるところだと思う。例えばvor Gottと合唱が歌うところはかなり引っ張ってはいるが、節度があるし、その後もむやみな休止で音楽が止まらず、テノールのソロFroh・・・に入ってゆく。この呼吸が素晴らしい。全体に時間をかけている割には冗長感が皆無なのはそのためではないだろうか?合唱は男声陣の人数が少ないせいか少々迫力に欠ける。ソロは皆素晴らしいが特にテノールの望月の伸びやかな声と、バリトンの大沼の落ち着いた歌いぶりは特筆ものだろう。東京シティフィルはもっと注目されても良い楽団だ。今夜も飯守の指示にくらいついて大熱演であった。今年最後の音楽会がこのような素晴らしい公演で大満足。
 外は氷雨で、電車は酔っぱらいばかりではあったが気にならなかった。
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2012年12月19日
於:サントリーホール(1階20列中央ブロック)
 
読売日本交響楽団、第555回サントリー名曲シリーズ
指揮:シルヴァン・カンブルラン
ソプラノ:木下美穂子
メゾ・ソプラノ:林美智子
テノール:小原啓楼
バリトン:与那城敬
合唱:新国立劇場合唱団
 
このコンビでベートーベンは2回目だ。最初は七番であった。今夜の九番も七番同様誠に印象的な演奏だった。
 全曲を速いテンポでぐいぐいと進め、右顧左眄せず突き進む、生気にあふれた、誠に生きの良い音楽は非常に魅力的だった。重々しさやもったいぶったところはいささかもない。演奏時間は63分速い方であり、全体の音楽の作りはメトロノーム派に近い。しかしただ単にメトロノームの指示通りに音楽が進むのではなく、そこには切ったら血の出るような、生命力を感じた。シャイーとはまた少し違うような気がするが、この音楽の作りは支持したい。
 印象に残ったのは、まず2楽章のスケルツォだ。この生気あふれた、前進力は圧倒的なインパクトだ。トリオ部分も素っ気ないくらい速いが生き生きとしている。3楽章は粘りっこさは皆無のさらっとした音楽だ。ここは好き嫌いがあるかもしれない。4楽章は妙な小細工はまったくない、ストレートな進め方が気に入った。もってまわったように、休止を伸ばしたりするような、やりかたによってはわざとらしさを感じさせるような部分は皆無だ。独唱陣も安定している、特にソプラノの情熱的な歌唱は感動を呼ぶ。1楽章はその音楽の勢いが素晴らしい。時折強調するティンパニの強打も印象的。七番の時もそうだったが、2楽章や4楽章でもティンパニは雄弁だった。読響の切れ味の良い演奏も素晴らしい、4楽章の終結部も十分プレスティッシモだが、まだまだ余裕がある弾きぶりが頼もしい。
 新国立の合唱陣は力強く全体を支えていた。
 フルトヴェングラーやティーレマンのような、重厚な伝統型の演奏も良いが、今夜のような若々しさすら感じさせるベートーベンに最近は嵌まっている。
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2012年12月16日
 
「黄金を抱いて飛べ」、妻夫木聡、浅野忠信他
高村 薫原作の映画化、原作にほぼ忠実に作られている。キャスティングもそう違和感がない。大阪の銀行の地下にある金の延べ棒500kgの強奪計画をたてる。実行に当たって6名が集まるがそれぞれ過去を引きずっている。その描き方も原作に合わせて丁寧で、各人の性格も陰影が濃い。また犯行の準備の描き方も、フォーサイスの「戦争の犬たち」のように、かなりリアルである。原作でもそこは読ませどころであるが、映画でも原作の雰囲気を出している。ドラマは過激派、北朝鮮工作員、公安などがからんで複雑に展開してゆき最後まで息をつかせない。日本でもこういう面白い犯罪映画が出てきてうれしい。
 高村氏の小説はどれも面白いが個人的には「照柿」あたりから、ついてゆけなくなった。「新リア王」以降の近年の作品も難解。最新の「冷血」はカポーティのぱくりみたいなタイトルだが期待したい。彼女の作品では「マークスの山」が個人的に最も好きだ、ついで「レディ・ジョーカー」。この2作は映画になっているが、本作に比べると軽く、是非良いキャストで作り直してもらいたいものだ。(劇場)
 
「のぼうの城」、野村萬斉、佐藤浩市他
これも小説の映画化。和田 竜の原作はとても面白かったので期待した映画。「黄金・・・」に比べるとキャスティングに難があったように感じた。野村と佐藤はそう違和感はなかったが、それ以外については時代劇としての様式感が全然出ていない。特に成宮と山口と上地はひどい。彼らは適正と云うより、客寄せとしてのキャスティングとしか思えない。せっかくの面白い原作が台無しだ。と云いたいところだが、案外と面白かった。その要因はやはり原作の痛快さだろう。20000人の石田三成軍に対抗するのはわずか500人の忍城城代成田長親だから面白くないわけがない。原作の細部まで覚えていないが、基本的には忠実な作りではないかと思った。ただメッセージとして、金や軍事力の多寡に世の中はひれ伏す、つまり長いものには巻かれろという価値観を石田三成にしつこく云わせるのは少々抵抗があった。まあ上地が云うからだろう。
 シナリオの問題だと思うが、武家言葉風会話と現代語風会話が混在していて、違和感があった。逆にそれだからお客を集められたのかもしれない。冒頭のCGがあまりにもみじめなので、不安だったが三成の水攻めの映像はまずまずでほっとした。戦闘シーンは少々滑稽であった。
(劇場)
 
「贖罪」、黒澤 清監督、小泉今日子
これも小説の映画化。湊かなえの原作はかなり含みを持たしたもので、読者の想像力に任せるところがあるような気がする。本作はその想像力を映像で補ってくれたようだ。補う時に話をかなり膨らませていたが、本筋は変えていないので違和感は少なかった。子供の頃に目撃した子供4人と殺された少女の親がそれを何年もひきずって、それぞれが犯罪を犯してしまう。小泉以外の女優では池脇千鶴がうまいと思った。(DVD3本)
 
「ランパート」
副題は汚れた刑事。原題は「RANPART」でこれはロスアンジェルスの年の名前である。ランパートの警察署にデイブレイプというあだ名の札付きの悪徳刑事が過剰暴力や横領などの罪で告訴される。本人は嵌められたと思っている。正直云って最後まで話が見えなかった。デイブはほんとうに悪徳刑事だったのかも含めて!(DVD)
 
「アーティスト」
アカデミー賞受賞作品だそうだ。だがその価値があるのか、疑問である。ストーリーは他愛のないものだが映画人にとっては重い話なのだろう。無声映画からトーキーへの移行は映画史の中でも最大の革命だからだ。スコセッシの「HUGO」もそういう映画人の思いを映像化したものだと思う。この「アーティスト」という映画もそういうジャンルだろう。トーキーについてゆけなくなった無声映画のスターとトーキーによって脚光を浴びた新米女優との恋はミスマッチとしての面白さはあるが、心を揺さぶるものはない。アメリカ人の大好きな「雨に唄えば」というミュージカルは大女優がトーキーについて行けないという話だが、この映画はそれが男に代わっただけだ。私にはパクリとしか思えない。最後に主人公が踊るシーンまでそっくりなのでびっくりしてしまった。この映画のユニークさはそれを無声映画で作ったことだけだろう。大体犬が可愛いということが話題になるような映画なのだから推して知るべし。
 
「ブレークアウト」、ニコラスケイジ、ニコールキッドマン
原題は「TRESPASS」、不法侵入。大豪邸に住むダイア仲買人、そこへ訳ありの4人組が侵入して、あとはお定まりのニコラスケイジと家族の戦いの物語。この話の面白さが強盗犯の構成がかなり複雑であること。こう云う映画はごまんとあるがそれがユニークなところだろう。敢えて云えばだが!(DVD)
 
「ラム・ダイアリー」、ジョニー・デップ、アーロン・エッカート
デップのファン以外の方にはお勧めできない。ラムはラム酒で酒びたりの日記と云った意味の原題だろう。実在の人物らしいが、60年代のプエルトリコの新聞社に就職する人物がデップの役、エッカートは地元を食い物にする悪徳不動産業者、彼の恋人との三角関係が本線かと思っていたら、どうも違って、将来大成するデップ扮する記者の若き時代の苦悩を描こうとしたもののようだ。それにしてはデップが脳天気で、深刻ぶっているだけで、その苦悩がこちらに全く伝わらない。まるで植民地の様なプエルトリコの描き方がリアルだ。そこにフォーカスしたら良かったのに!
(DVD)
 
「ドライブ」、ライアン・ゴズリング
自動車修理工でスタントマン、ドライブのスペシャリスト。時には犯罪者の逃走を助けることもする。口につまようじをくわえて木枯紋次郎みたいで、一匹狼で生きている。そうやって生きてきた男が隣人の女性に恋をして、人生が大きく変わる。まあよくある話ではあるが、最後まで息もつかせぬ展開でとても面白かった。ゴズリングは気障だが結構似合っている。(DVD)
 
「ロビイストの陰謀」、ケヴィン・スペイシー
原題は「BAGMAN」、悪徳役人とかゆすり屋の手先と云った意味だそうだ。実在のスーパーロビイストのジャック・エイブラモフのスキャンダルを題材にした映画。共和党のブッシュ以下の議員たちを巻き込んだ大スキャンダルだったそうだが、知らなかった。ケヴィン・スペイシーの軽妙な演技は相変わらず。
 この映画も結局、金・金・金のアメリカ社会、「ウォール・ストリート」などの映画と根っこは同じだ。こう云う国の誰かさんから「正義とはなんだ」と云われたくないもんだ。(DVD)
                                                        〆
 
 
 

イメージ 1
2012年12月15日
於:サントリーホール(1階16列左ブロック)
 
東京都交響楽団、第745回定期演奏会
指揮:ヤコブ・フルシャ
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ
 
バルトーク:ピアノ協奏曲第二番
コダーイ:ガランタ舞曲
バルトーク:「中国の不思議な役人」組曲
 
サントリーホール前のクリスマスツリーも光り輝いて、年の瀬らしい光景だ。今年の音楽会も今夜を入れて、後三回だ。今夜はハンガリーの作曲家による作品。フルシャという人はチェコの人のためか、こういう東欧の曲ばかりやらされているような気がする、と思っていたら来シーズンはアルプス交響曲をやるようだ。期待しよう。
 この3曲は殆ど聴いたことがない曲で、恥ずかしくてあまり書くことがないが、その中でも「中国の不思議な役人」はそのストーリーの凄さで一度ライブで聴いてみたいと思っていた。CDではブーレーズの全曲版をもっているが、ほとんど聴くことはなかった。、今夜の公演に合わせて2度ほど聴いてみた。その尋常でないエネルギーの噴出に圧倒される曲だ。今夜は組曲版だが、全曲版とは最後の曲が違うだけで、後はほとんど同じのようだ。全曲には標題がついていて、全部で12曲からできている。ハンガリーの劇作家メルヒオル・レンジェルの同名のパントマイムの上演用に書かれた曲のようだ。女を使って金品を強奪しようとして、中国の役人から宝石や金を盗むが、首を絞めても、刺しても、どうやっても死なない。女が役人の欲望を満たしてやると初めて血を流して死ぬ。まあこんな話だ。私がこの曲をはじめて知った時のタイトルは「中国の不思議な宦官」だったから、話しとしては誠に倒錯的であったが、今は役人と訳しているらしい。英語名はmandarinだから役人で正しいのだが、ストーリーの異常さから云ったら、宦官のほうがぴったりの様な気がする。昔の人は頭がいいなあ。
 さてこの曲は特に7曲目の「少女はためらう、身震いして再び逃げ出す」という部分から最後の「・・・役人の体は緑色に光り始め・・・」まで凄まじい音楽が続くが、今夜の演奏でもフルシャががんがん飛ばして、スリリングな音楽となった。また前半で、女が男たち(3人)を誘惑するクラリネットの妖艶なこと。全曲版は役人が静かに死ぬところで終わる。そしてその部分に合唱のハミングのようなものがかぶさるが、組曲版はその部分はカットされて、激しいコーダが付け加えられて、圧倒的な音楽の盛り上がりの頂点で、突如終わる。この最後の部分のスピード感も素晴らしい。ただ全体に、特に後半だが、話の陰惨さとは少々違った、要は標題音楽とは趣が異なる印象を受けた。しかしこういうアプローチは決して嫌ではない。
 ピアノ協奏曲はどこかで一度聴いたようだが、よく覚えていない。1楽章は弦は参加せず、ピアノと管楽器のみ、2楽章は弦は参加するが、ティンパニとピアノの対話の趣もあり、通常の協奏曲とは少々異なる。3楽章の打楽器の様なピアノとオーケストラの緊迫感ただよう協奏が印象に残った演奏だった。2楽章の冒頭のピアノはとてつもなく美しいと思った。
 コダーイのこの曲はハンガリーの音楽と云うよりジプシーの音楽からできているようだ。これも2回くらいしか聴いていないので何とも云えないが、正直騒々しいだけであまり面白い曲ではなかった。
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