2012年11月20日
於:東劇
メトロポリタン歌劇場ライブビューイング(2012年10月27日上演)
ヴェルディ「オテロ」
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演出:エライジャ・モシンスキー
オテロ:ヨハン・ボータ
デスデモーナ:ルネ・フレミング
イアーゴ:ファルク・シュトルックマン
カッシオ:マイケル・ファビアーノ
歌い手、演出、オーケストラ、装置など全てどんぴしゃっと決まった公演だった。特に後半は涙なしには聴けないすばらしい演奏だった。この演出は1993年初演のもので、その再演である。もっともこの9年間で何回演奏されたかわからない。これはとてもオーソドックスというか、ト書きとおりというか、全く演出によって気をそらされることのないものだ。ごく自然にト書きに忠実にやればこのような立派な仕上げのオペラを聴(見る)くことができる見本のような演出だ。とはいえ細部ではいろいろ工夫している。しかしそれはほとんど気にならない。本質とは関係ないからである。装置も演出に沿って重厚なもので、METの巨大な空間を十分活用している。1幕など正面にキプロスの城塞がそびえて圧巻である。その他衣裳も時代を生かしたもので全く違和感がない。
歌手だが、タイトル・ロールのヨハン・ボータは実はあまり期待していなかった。それは先年のバイエルンの引っ越し公演のローエングリンのタイトルロールが予想以上に私には合わなかったからだ。とにかく金属的な声には辟易してしまった。NHKホールと云うことも災いしたのかもしれないが!とにかく居心地の悪い公演だった。しかし今回は、特に3幕以降は全く不満のない歌唱だった。ただ1・2幕はヨハン・ボータは本質的には英雄オテロではなく、泣き虫オテロなので、冴えない。2幕などはイアーゴにやられっぱなしの情けない将軍である。このオテロの嫉妬にとらわれて最後は妻を殺害してしまう役まわりは非常に難しいと思う。ずっと英雄的だと3・4幕が違和感出てくるし、かといってすぐ嫉妬に狂ってしまうとオテロってほんとうは馬鹿な、意気地なしじゃないのなんて思いたくなってしまう。本公演のボータは最初から泣き虫なのでかえって徹底していて良かったのかもしれない。だから3幕のデスデモーナとの2重唱、3幕の幕切れ、4幕の幕切れなど大いに共感できた。特に4幕の「たとえまだほかに武器をもっていたとしても・・・」からオテロの死までは感動的でこれを聴いて心が動かない人はいないだろう。
ルネ・フレミングはそのような夫に対して、決して負けていない役作りを目指したようだ(インタビューでそう答えている)。だから3幕の2重唱ではなぜ自分がオテロからこのような仕打ちを受けるのかわからない為、その悔しさの様なものが現れていたし、その後の幕切れの「ひざまずいて、泥にまみれて・・・・・」にはその悔しさが絶望に代わる様が表現されていて、彼女の心の中を思えば涙なしには聴けない歌唱になっていた。4幕はアヴェ・マリアもよかったが、更に素晴らしいのは柳の歌で最後の一呼吸おいて「エミリアさようなら」と絶叫するシーンも涙を誘う。
シュトルックマンのイアーゴは2幕のクレドが圧巻である。3幕のオテロを引きずりまわす場面もイアーゴの独壇場で、まるでイアーゴが主人公の趣であるが、それもこれも4幕の愁嘆場への布石であることがこの公演を聴いていて(見ていて)よくわかる。
とにかく皆、歌も演技もうまい。特にフレミングとシュトルックマンは素晴らしい表現力だと思った。その他カッシオがフレッシュな声で、ああイタリアオペラを聴いているんだと、改めて気付かせてくれた。
ビシュコフの指揮は丁寧なもので、テンポも全体に遅い。歌手に寄り添った演奏と云えるかもしれない。2幕、3幕の終わりなどはダッシュのようにテンポを上げて終わる演奏が多い中、泰然自若、悠々と終わらせて、堂々たるものだ。演奏時間は143分で、愛聴盤のカラヤン/デル・モナコより7~8分遅い。
〆