ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2012年09月

2012年9月30日
於:横浜みなとみらいホール(1階7列中央ブロック)
 
インバル=東京都交響楽団 マーラー・ツィクルス
指揮:エリアフ・インバル
ソプラノ:澤畑恵美
メゾソプラノ:竹本節子
合唱:二期会合唱団
 
マーラー:交響曲第二番・復活
 
このコンビの演奏は2010年の6月に聴いている。その演奏はレコーディングされており今私の愛聴盤である。ライブでこれほど感動したマーラーはなかったと思う。今日の公演はその演奏とソリストとホールが違っているだけである。2010年はソリストに外来の歌手を使っている、ノエミ・ナーデルマンとイリス・フェルミリオンである。ホールはサントリーホールだった。
 さて、今日の演奏はどうだっただろうか? 私の印象では2010年の演奏を更にパワーアップした、誠に感動的な演奏であった。指揮するたびにこれだけの演奏を聴かせてくれるインバルの底知れぬ実力を改めて感じた。
 2010年と同様、1楽章は実にスケールが大きい。山谷の起伏が更に一層大きくなっているのだ。例えて云えば、山はますます高くそびえ、谷は底が見えないくらい深いのだ。1楽章の展開部の終わり部分から、再現部にかけての演奏はまさにその形容に相応しい。その形容にふさわしい音楽は実体験していただかないとピンとこないかもしれないが、それこそ体がぐるぐる回るような凄まじい、敢えて云うが、劇的な音楽なのだ。こう云う演奏だからこそ、最終楽章の復活の音楽が生きるのだ。もう一つ印象に残ったのは、1楽章の第2主題、ここはものすごく美しいが、決して美しいだけではない、その美しさの中にも起伏があるのだ。だから単に美しいだけの演奏にとどまらない。底知れぬ深い湖のような音楽に聴こえた。
 2楽章はレントラー舞曲の素朴な音楽だが、ここでも中間部の演奏が一音一音胸に迫るのが不思議だ。どう演奏したらこう云うインパクトになるのだろうか?
 3楽章は千変万化、いろいろな旋律が次から次へと現れてきて、まるで目くらましにあっているみたいだ。その音の変化が楽しい。
 4楽章「原光」は竹本の歌唱が胸を打つ。「小さな赤い薔薇よ・・・」と歌われ、それにトランペットソロが加わる、この音楽の素晴らしさ、いつ聴いても感動的だが、今日は竹本の飾りのない素朴な歌いくちが何とも印象的だった。胸が一杯の楽章だった。
 5楽章が感動的なのは云うまでもない。澤畑の声も竹本に呼応してバランスが良い。ただこの二人の声はホール全体にどう響いたのかは分からない。少なくても前から7番目の席ではこの二人の歌唱は感動的である。この楽章はいちいちあげつらうことは無駄な作業だ。これほどの5楽章をライブで聴いたのは初めての体験だった。
 合唱と独唱は2楽章終了後に入場。インバルはその間、指揮台から離れ、舞台裏に退く。3-5楽章は続けて演奏された。ただ一つだけ残念なのは、演奏が終わるか終わらないかうちにブラボー、ちょっとひどかった。
 都響の演奏もインバルに十分応えていた。特に金管と木管の素晴らしさは特筆もの。なかでもトランペットは音色も迫力も云うことなし。
                                                        〆

2012年9月28日
 
「凍える牙」イ・ナヨン、ソン・ガンフォ
乃南アサ原作を韓国で映画化。日本では二度ほどテレビ映画化されているそうだ。竹島問題で騒然としている中で、日本作品の映画化と云うのも皮肉なもので、巷間いわれているほど韓国では感情的になっていないものと推察する。
 映画化はかなり原作に忠実のようだ。ようだと云うのは原作を読んだのがかなり前だったので、少々記憶が薄れているためだ。原作の女刑事はもう少しタフだったような印象ではあったが!日本では天海祐希、木村佳乃が演じていたそうだが、どうだったのだろうか?舞台は当然韓国だが、その置き換えも不自然ではないような印象だった。
 連続殺人事件を新米女刑事とベテランだが出世の遅れた駄目刑事が解決するというストーリーだ。少女買春や麻薬犯罪を背景にした復讐劇だが、動物を凶器に使うと云う原作の面白さと、異常さが本作でも生きているようだ。イ・ナヨンとソン・ガンホのコンビはぎくしゃくしていながら、やがてはわかり合うと云うパターンだが、イ・ナヨンが少々なよなよしすぎて原作の主人公像よりもひ弱な印象を受けたのはやはり韓国が舞台だからだろうか。警察組織における女性差別のひどさは相当なもので、この映画での表現でもそれが明確に打ち出されている。(劇場にて)
 
「顔のないスパイ」 リチャード・ギア主演
原作はDOUBLE。二重スパイの話と云うのは原題だけでもよくわかる。しかし見ていると相当ややこしい。失踪したロシアの暗殺者カシアスが突如現れ、再び殺人をはじめる、カシアスは何者か?話としては相当面白いがところどころ間延びして眠気を誘うのはいかなる理由だろう。リチャード・ギアが良いおじさんに見え、覇気がない。どう見てももとCIAとは思えない。わざとこう云う役作りをしているのか、下手なのかは分からない。そしてこの映画の物足りない最大の理由は、重要な話の展開(ちょっと書けませんが)をほんの1フレーズの台詞で片づけてしまうシーンがいくつかあるというところである。少々作りが粗っぽいのだ。反面意外性が唐突と云ってよいほど面白い。さあどっちをとるかですね。(DVD)
 
「ジョン・カーター」
SF小説火星のプリンセスの映画化。原題はJOHN CARTER OF MARS
話は1881年だが舞台は火星である。ディズニーらしく大人から子供まで楽しめる娯楽映画に仕上がっている。劇場では3Dだったはずだが、そのほうがずっと面白く見ることができるだろう。映画の中身は火星の中での権力闘争であるが、アバター、スターウォーズ、グラディエーター、そして西部劇の要素もあって面白さのてんこ盛りである。しかしアメリカ人のすきな「戦争の大義」とやらの講釈やら環境問題をわざとらしく挿入したりいれるのは興ざめだ。(DVD)
 
「大人のけんか」ポランスキー監督、ケイト・ウィンスレット主演
友達に棒で殴られ前歯を折った少年の親と、加害者の少年の親が被害者の少年の家で和解のために会う。被害者の両親は日用品店を営む父親、少々インテリぶった母親。そして加害者の父親は弁護士で片時も携帯を、母親は投資ブローカー。要はこの2組の夫婦は階層が違うのである。最初はお互いが猫を被っているが、やがてだんだん本音がでてくる。しかもそれぞれの夫婦のあいだにまで隙間風が吹く始末。主演は2組の夫婦の4人だけ。舞台の映画化のようだ。4人のうちケイト・ウインスレット(加害者の母親)は無類のうまさだ。その他の3人もそれぞれ個性的で役どころを見事に演じていた。子供のけんかが大人のけんかになってしまうのはよくある話だが、このようなアメリカ社会の縮図を示しながらの展開と云う発想が面白かった。なお原題は凄まじい。「CARNAGE」という。大殺戮と云う意味だそうだ。被害者の母親がアフリカ問題に傾倒しているからこんなタイトルをつけたのかなあ。
 
「バトルシップ」リーアム・ニーソン主演
エンドクレジットを見たらゲームの映画化だった。要はエイリアン(戦闘機)をバンバン撃ち落とす戦艦の話で人間はみな薄っぺらく、類型的。全体に軽い。これがユニバーサル100年記念の映画とは情けない。こんな映画を劇場で見た自分が情けない。
 
「スーパーチューズデー・正義を売った日」、ジョージ・クルーニー監督・主演
演劇の映画化だそうだが、相当脚色しているということだ。大げさな邦題だが、原題は「THE IDES OF MARCH」3月15日の意。民主党大統領候補選出のためのオハイオ州予備選を舞台にした政治の裏面劇だ。高潔な大統領候補(クルーニー)、彼を純粋に支持する選挙参謀補佐(ゴズリング)、そして選挙指揮をとるホフマンの選挙活動はそれ自身が面白い。しかしこの映画の本体はどろどろしたサバイバルゲームだった。ゴズリング扮する正義感あふれる選挙参謀が現実に翻弄されてゆくなかで、自らも手を汚して生き残ってゆく。本当かどうかは別としてアメリカ政界の裏面を役者ぞろいのキャスティングで見事にえぐった佳作。話はぐいぐい展開してゆくが唐突さがないのは脚本のできの良さだろう。あまり評判は上がらなかったが面白く見た。(DVD)
 
「トゥルース・闇の告発」 レイチェル・ワイズ主演
邦題はいい加減なもので、原題は「WHISTLE BLOWER」 内部告発と云う意。
実話に基づいたかなり重たい話だ。ボスニアヘルツェゴビナに駐在する国連監視団と軍の人身売買を暴く話だ。レイチェル・ワイズが熱演だ。彼女はこう云う役が多いが、「ナイロビの蜂」を思い出した。こういう現実は全く信じられない話だが、それを丁寧に作っている。レイチェル・ワイズの抑えた役作りが主人公の怒りを見事に表している。前にタイの幼児臓器売買の話を映画化した邦画があったが、その主人公の日本女優ははじめっから終わりまできいきい叫んでいた。あれを演技と感違いしていたのだろう。レイチェル・ワイズの爪の垢を飲ませたい。(DVD)
 
「失踪地帯・キリングフィールド」 サム・ウォーシントン主演
原題は「TEXAS KILLINGFIELDS」。これも実話に基づいた話。ただ「闇の告発」にくらべると相当もたついた印象。もっとハイテンポで話を進めて欲しい。しかも何か思わせぶりな映像や演技・セリフが多くいらいら。実話に基づいているだろうがかなり脚色されているようだ。その脚色仕方が稚拙としか思えない印象を受けた。TEXAS CITYの郊外にキリング・フィールドと云う場所があり、そこで若い女性が誘拐され、殺害されるという猟奇事件が連続して起きる。その事件の追跡が本線。それに売春少女の殺人が交わって、ややこしいが、話としては面白かった。全体に画面がうす暗くセピア色(意図しているのだろうか?)、音楽もけだるく映画にフィットしていた。ほんの少し作り方を変えたらかなり面白い映画になったろう。惜しい!!! でもこう云う映画は好きである。(DVD)
                                                       〆
 

2012年9月21日
於:NHKホール(1階9列右ブロック)
 
NHK交響楽団、第1734回定期演奏会Cプロ
指揮:レナード・スラットキン
 
リャードフ:八つの民謡
       1.宗教的な歌
       2.クリスマスの歌
       3.嘆き
       4.おどけた歌
       5.小鳥の物語
       6.子守唄
       7.ロンド
       8.村人の踊り
ショスタコーヴィチ:交響曲第七番・レニングラード
 
スラットキンはセントルイス交響楽団を全米のトップクラスにもってきた指揮者、生で聴くのは初めてだ。今夜の演奏を聴いて良い指揮者に巡り合ったN響の力は底知れないと改めて感じた。何が良かったか?まず全体の音のバランスがきっちりしている。大音量になっても全くバランスが崩れない。今の座席の前から9列目だと、バランスが悪いと誠に居心地が悪い。耳をつんざく金管、キンキンする弦などなど。ところが今夜のような演奏だと、全くそのようなことはない。弦はどんな大きな音になっても美しさを保っているし、弱音のさらさらした美しさは云うことがない。金管も全く突出することがなく、ピラミッドの頂点で燦然と輝いている。オーケストラを聴く醍醐味をたっぷり堪能した夜だった。
 まずリャードフ、初めての曲。親しみやすい旋律をフルオーケストラで聴く楽しさ満載の音楽たち。楽しくなって浮き浮きする。旋律はロシア風でどきどき現れる大地を思わせるような野太い音楽を、N響のバス陣がごりごり弾いていたのが印象的。
 レニングラードをはじめて聴いたのは、大学の頃、あれはFM放送だったと思う。とにかくあの1楽章の戦争のテーマである。すげえ音楽だなあと正直思った。しかしその時は戦争のテーマなんてことは全く知らなかったし、その構造がボレロに似ているなんてことも夢にも思わなかった。でもタイトルからレニングラード攻防戦、すなわち戦争を主題にしていると云うことはわかったし、戦争のテーマを聴いていて、その不気味さが印象として強く残ったが、さてその他の楽章は全く記憶の外だったのは若気の至り。そのころはワーグナーとブルックナーに夢中だったので、このレニングラードはその後聴くことはなかった。大体ショスタコーヴィチは私にとってはまだしっくりこない作曲家だ。音楽の世界が政治に左右された例は過去にも枚挙のいとまがないくらいだが、それにしても共産党の介入はひどすぎるし、ロシアの作曲家がいかにそれに翻弄されたか、思うだに悲惨な話だ。ということでどうしても作品にはその色眼鏡が付きまとうのである。ただ最近はそういうことはなるべく振り切って聴いている。共産党の介入以前の、先日聴いた四番の交響曲や汚名挽回?の五番の交響曲、ムチェンスク郡のマクベス夫人などの作品はこれからも聴き続けるだろうと思う。
 さて今夜の演奏だが、やはり1楽章が印象的だった。提示部の人間のテーマと平和の生活のテーマのあと問題の戦争のテーマが現れる、これは昔聴いた時はてっきりナチス軍の進撃を表わしたものかと思っていたが、スターリンの圧政をあらわしているという説もあり、私はプログラム解説にもあったが「広い意味での非人間体制」という解釈が説得力があると思う。はたして作曲家はどう思って作曲したのだろう。案外単純でナチスの進軍を表わそうと思ったのかもしれない。
 それはさておき、今夜の演奏は少々速めで小太鼓が鳴りだす、そして続く音楽は最初はなにやらユーモラスな印象だが、このテーマが延々12分も続くうちにだんだん空恐ろしくなってくる、クライマックスの圧迫感は筆舌尽くしがたい。といった演奏だった。これは音楽はボレロ風だが、印象は似て非なるものであった。N響の演奏は上記のとおりだが、クライマックスでも透明感が全く薄れず、全体が見通せるという音のバランスは素晴らしかった。これはそう滅多に聴ける音楽ではないだろう。
 4楽章のクライマックスも素晴らしい。最後に人間テーマが高らかに鳴り響くがその高揚感は聴衆にもひしひしと伝わったと思う。
 3楽章は最も印象的だった。美しさの中に悲痛な叫びのようなものが底辺に流れているような印象で胸を打つ。
 作曲時には各楽章には標題がついていたがその後削除されたという。
1楽章:戦争、2楽章:回想、3楽章:祖国の大地、4楽章:勝利である。
 演奏時間は70分。事前予習に聴いたヤンソンス/サンクトペテルスブルグフィルハーモニー(旧レニングラード)のライブ演奏より2分短い。3楽章の時間差が出たものと思われる。
                                                        〆
 

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2012年9月20日
大相撲九月場所の10日目と12日目を観戦。
今場所は大関が三人も休場したこともあってどうも盛り上がりに欠ける。今日もみなばたばたと倒れ見苦しい。取り直しの一番もあったがもう息が上がってまともに相撲がとれないていたらく。やはり良い相撲がないとお客さんはますます遠退くばかり。私の回りは中高年ばかり。写真は10日目と12日目の二階席。枡席も後ろはかなり空席が目立ちました。千秋楽もみにゆきますが、果たして満員御礼になるのでしょうか?

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2012年9月19日
午後6時頃銀座4丁目付近で虹が見えました!三越を囲うようでした。夕焼け雲に浮かんだ虹は写真以上に綺麗でした。銀座を歩いている人達はカメラ小僧になっていました。僅か十数分の出来事でした。

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