ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2011年11月

2011年11月25日
於:サントリーホール(2階3列右ブロック)

読売日本交響楽団、第543回サントリーホール名曲シリーズ
指揮:シルヴァン・カンブルラン
メゾソプラノ:林美智子(ショーソン)

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
ショーソン:愛と海の詩
ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ドビュッシー:交響詩「海」

後半の2曲が圧倒的だった。
オランダ人は最初のオランダ船の登場から素晴らしい、弦の緊張感、金管の力強さ。この序曲はあまり得意ではなかったが、今夜のこの演奏は今まで聴いた中でもベスト。ゼンタの憧れに満ちた、木管による主題、おどろおどろしいオランダ人、そして軽快な船乗りたちの踊り、終曲の救済の音楽の雄大さ、全て素晴らしくまるでオペラを凝縮したような充実した演奏だった。
 海も素晴らしい、あたかも絵巻物のように音楽が変化してゆく。フィラデルフィアの火の鳥以来の体験だ。ただあの時の火の鳥は極彩色の油絵のような音楽だったが、今夜の海はパステル画のようだ。特に第二曲の海の戯れが素晴らしい。まるで波が会場に押し寄せてくるような、3D映画のような、音楽だ。三曲目の風と海の対話のスケールの大きな演奏は圧倒的だ。それまでは海のうねり(コントラバス)が少々物足りなかったが、ここでは冒頭から大波のようなコントラバスの響きが気持ち良い。いろいろな楽器を浮き上がらせながら丁寧に音楽を進行するカンブルランの指揮も素晴らしい。演奏時間は約25分でカラヤン並み、アンセルメより5分ほど遅かった。久しぶりにドビュッシーを堪能した。
 ショーソンは3曲目の愛の死が素晴らしい。特に中間の「まるで死んだ人の顔のようだ・・・・・」から最後までの切なさが一杯の音楽は、初めて聴いたにもかかわらず印象的だった。オーケストラは間奏曲あたりから目を覚ましたようで美しく、また林の声も曲想に合った、節度のあるもので、清潔感いっぱいだった。
 フィンガルの洞窟はちょっとオーケストラのエンジンが冷めているようで弦の音がきつく楽しめなかった。
                                     〆

2011年11月19日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

東京交響楽団第594回定期演奏会
指揮:ユベール・スダーン
ソプラノ:エレナ・ネベラ(シェーンベルク)
ソプラノ:森 麻季
バリトン:青山 貴

シェーンベルク:モノドラマ「期待」
フォーレ:レクイエム

フォーレが素晴らしかった。特に中間の3唱は感動的だった。3曲目のサンクトゥスは最初の2曲が1stヴァイオリンなしだったから、ヴァイオリン付きのオーケストラに乗ってサンクトゥスとソプラノ合唱が歌いだしたとたんの空気がぱーっと変わった雰囲気が素晴らしい。女声コーラスは何か素人っぽいがそれが逆に初々しさを出していて効果的だったかもしれない。もうこの唱をずっと聴いていたかったくらい美しい。
 4曲目のピエ・イエスはソプラノ独唱。最初独唱者がバリトンしかいなかったので、森は後から登場すると思っていたら、なんとオルガンの前にいつの間にかいて、ピエ・イエス・ドミネと歌いだすではないか。その効果的なこと。彼女の真骨頂はこういう曲だと思う。いつだったかムゼッタを聴いたがあまりに非力で可哀想なくらいだった。しかしこのフォーレは実に美しく、感動的だ。オルガンの前は2階席に匹敵するくらい高いところで、そこから声が降ってくるような趣。まるで天使の声だ。これを聴いて心が動かない人はいないだろう。そして5曲目のアニュス・デイの冒頭のオーケストラの美しさここも素晴らしかった。
 スダーンは全体に速いテンポだったがピエ・イエスだけが比較的ゆったりしていて、全体にすっきりしていて、清潔感一杯だ。東響も弦を中心に美しくフォーレを堪能させてもらった。合唱も少人数(70人ほど)でもたれない爽やかさがよかった。バリトンの青山も曲想にあった歌唱だったと思う。スダーンはフォーレがフル・オーケストラ用に書き換える前の稿態を復元した、アメル新版を採用しているとのこと。全体にすっきりして聴こえたのはそのせいかもしれない。
 フォーレのレクイエムはジュリーニで聴き始めたがどうもしんねんむっつりしたような音楽がなじめなかった。そうしていたら最近エソテリックからクリュイタンス盤が発売になりそれを聴き始めたらこれがなかなかよかった。ということで今はクリュイタンス盤を愛聴しているが、今夜の演奏が録音されていたら欲しいなあと思ったくらい良かった。
 オーケストラはチェロを右に配置。その横にヴィオラを持ってきていた。合唱はP席の前。青山は合唱の前で歌った。

 シェーンベルクのモノドラマは彼の初めてのオペラで1909年に数週間で作曲したそうな。ただし初演は1924年で遅かった。あまり評判は良くなかったようで、むしろその後の月に憑かれたピエロのほうが当たってこの曲はその陰に隠れてしまったそうだ。
 スダーンはネベラと組んでフェニーチェ劇場でこの曲を演奏して成功し、それ以来彼女と組んでいるとのことだ。彼女の当たり役だそうだ。全曲30分をソプラノとオーケストラだけでドラマが進行する。おそらく3角関係のもつれだろう、女が夜の森をさまよいながら恋人を探す。しかし恋人は恋敵の家の前で死んでいた。それを見た女は錯乱状態になるという按配。シェーンベルクの音楽はうざったいくらいその女の心の動きを音楽化していて、聴いていて息苦しいほどだ。だから音・楽にはならない。音のどの一節も耳には残らないのがつまらない。
 スダーンはネベラにト書きどおりに白い服を着て欲しいとリクエストしたようだが、今夜は血を思わすような赤いドレスだった。またP席の前で歌って欲しいとも思っていたそうだが今夜は指揮者の前で歌っていた。指揮者も思うようにはいかないこともあるんだなあ。
 このシェーンベルクは二度と聴かなくても良いがフォーレは何回も聴いてみたい音楽だった。
                                     〆

2011年11月14日
於:サントリーホール(1階18列中央ブロック)

チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団来日演奏会
指揮:デイヴィッド・ジンマン
チェロ:ヨーヨー・マ

ショスタコーヴィッチ:チェロ協奏曲第一番
マーラー:交響曲第五番

今年期待の公演のひとつ。このオーケストラのライブを一度聴いてみたかったのだ。彼らの録音を聞いたのは2000年の初めで、ベートーベンの交響曲の二番だったと思う。結局全曲録音し、そのうちの何枚かが我が家にある。よく聴くのは二番、四番、八番などだ。第九も面白い演奏だ。驚くなかれ発売当時このCDはなんと1000円だった。注目を集めたのはベーレンライター版による初の録音だという事だ。正直言ってあまり違いはわからなかったが、妙な装飾音などを加えたりして面白かったのを覚えている。それより何よりこのベートーベンはモダンオーケストラによるものだが、出てきたサウンドは明るく・明快・透明感のあふれるもので驚かされた。ベートーベンの交響曲はいろいろ遍歴してきたが、まずカラヤン/ベルリン(62年、75年)、ついでフルトベングラーの50年代ウイーンフィルとのもの。それからブリュッヘンをちょっとかじって、ノリントン/ロンドンクラシカルプレーヤーズにいたる。このノリントン盤の衝撃は大きかった。ジンマンも衝撃的だったがそれ以上だった。こういうベートーベンもあるのだという驚き。シュトットガルト盤よりも徹底されていて、お聴きになっていない方はお試しあれ。全曲2400円で売っています。そしてジンマン/チューリッヒにいたっているが、実は最近シャイー/ライプチッヒによる全集が発売されて、これがすこぶるみずみずしい演奏で今一番気に入っている。
さて、余談が長くなった。今夜のマーラーはどうだったか? 今年はこの五番の当たり年でこれでもう4回目のライブ。最初は5/21、レック/東響ですこぶる振幅の激しい演奏、次が5/24、ヴロンスキー/読響で大河のようなゆったりとした、悪く言えば起伏のない演奏、次が6/20ハーディング/新日本フィルでこれはすこぶる流麗なもので、それぞれ個性的な演奏を楽しませてもらった。
 ジンマンの演奏は前3演奏のなかではハーディングに一番近いように思った。すこぶるつきの美しいマーラーだ。こんなに美しくてよいのだろうか?と思うくらいだ。更にこの演奏は透明度が高い。決して音がごちゃつかない。どのような大きな音でさえもうるさくならないばかりか、楽器が鮮明に分離して聞こえてくる。例えば2楽章や3楽章、4楽章のそれぞれ終結部分の盛り上がりはものすごい音量になるが決して音の塊にはならないのである。そういう切り口で言うと4楽章がこの演奏のベストだと思った。ジンマンが指示を出したとおりに各楽器が耳に届いてくる。第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの各パートがこれだけ音楽にあわせて明瞭に聴こえてくる演奏は初めてだと思う。
 演奏時間は72分。レック(68分)、ヴロンスキー(78分)、ハーディング(70分)。参考までに愛聴盤のショルティが66分、バーンスタインが75分強である。時間だけ見てもハーディングに近い。72分は決して遅い演奏とはいえないが私にはかなり遅い演奏のように聴こえて、最後に時計を見て、なんだバーンスタインより早いのかと、びっくりしてしまった。バーンスタインは遅いが起伏が激しい。速い所は滅茶苦茶早いが遅いところもそうなのだから75分もあってもそう長いとは感じないが、ジンマンはヴロンスキーのようにあまりテンポをゆすらない。まあそれが悪いと言うことはないが正直言って起伏が少ないので物足りないという印象も残った。音響的にはものすごいパワーを感じるのだが、だからといって心の底からの何かが芽生えたかといったらそうはいかなかった。例えば2楽章終結部の音楽も淡々としているように聴こえるし、5楽章の終結部分も一瞬誘惑に負けて(?)速くなり、熱くなりそうになるが、結局最後は元通りになると言う寸法で、いま一つマーラーのもつ毒といっては語弊があるかもしれないが、それが感じられなかった。もっともジンマンのことだからそのようなものを排除して振っていたのかもしれない。これを聴きながら不謹慎ながらバーンスタインのうねるような音楽や、ショルティの「ごりごり」くる演奏もいいなあなんて思ってしまった。ショルティ/シカゴはもう30年くらい前だろうか、日本に来たときに聴いた。この時のプログラムはジュピターとマーラーの五番で、もう圧倒的な、パワフルな演奏でノックアウトされたのを覚えている。しかもこのチューリッヒと同じで透明度がものすごく高いので音楽の姿かたちが良く見えてびっくりしたのを覚えている。特にあんなジュピターは聴いたことがなかったくらい、透明度が高く・鮮明で・明快だった。
 またまた、脱線してしまった。今夜の楽器編成はヴァイオリンが左右に相対し、1stヴァイオリンの隣がヴィオラ、その横がチェロとなる。3楽章ではホルンのソロが指揮者の横に立って吹いていたのが印象的。これはハーディングの時も同様の試みがなされていた。ただハーディングの時は舞台左手奥の2ndヴァイオリンの後ろに立っていた。4楽章のアダージェットのハープは舞台右手コントラバスの前に位置していた。チューリッヒの金管セクションは素晴らしく惚れ惚れするくらい気持ちよい。特にトランペットとホルン。高弦も4楽章ではひいひい云うオーケストラもあるが、チューリッヒの場合は全くそういうことがない、とにかく高性能のエンジンを持ったオーケストラといった印象だった。
 ヨーヨー・マによるショスタコーヴィッチは初めて聴く曲だが、まあ超絶技巧のいる曲だということはよくわかった。特に3楽章のほとんどソロの部分は凄いと思った。1楽章と4楽章は同じような旋律の繰り返しだがそれが異様な不気味さを感じさせた。アンコールはカタルーニア地方の民謡で「鳥の歌」。
                                           以上

2011年11月11日
於:NHKホール(1階9列右ブロック)

NHK交響楽団第1712回定期演奏会Cプロ
指揮:ワシーリ・シナイスキー
アルト:クラウディア・マーンケ
テノール:ジョン・トレレーベン

マーラー:交響曲第十番から「アダージョ」
マーラー:交響曲「大地の歌」

イルジ・コウト、キャンセルでシナイスキーが代演。シナイスキーは読響名曲でショスタコーヴィチの五番を聴いたがきびきびした音楽作りが印象に残った。
 マーラーの「大地の歌」は学生時代バーンスタイン/ディースカウ/キング/ウイーンのレコードをそれこそ毎日というくらい聴いたが、この年になるともうそういう情熱はこの曲にもてなくなる。なぜだろうか?だんだん歌詞に織り込まれたようなことがらを自らが経験するようになってきたからだろうか?普通なら共感するのだろうが?例えばばらの騎士の1幕の元帥夫人のモノローグなどは聴くたびに共感が深まるのに不思議なことだ。おそらくあまりにこの曲が赤裸々だからだろう。それでもこの曲を聴くたびに感動するのだからこれまた不思議なことだ。
 ライブではカンブルラン/読響がとても良い演奏だったが、さてN響はどうか?第6楽章「別れ」は実に感動的な音楽だった。それはこのマーンケの歌唱によるところが大きいと思った。彼女は終始聴衆に語りかけるように少し体を傾けて歌う、しかしその声は豊かであり広いNHKホールを埋め尽くすくらいだ。彼女の感情移入に対してオーケストラが少々醒めて聴こえたのは気のせいだろうか?中間のオーケストラだけの音楽はもう少し情熱を込めた演奏が欲しかった。さらっといってしまうのも良いが少々さっぱりしすぎてはいなかっただろうか?「秋にあって孤独なもの」もしんみりした歌唱。「美について」は少々マーンケの低音が物足りなかった。
 問題はトレレーベンだ。顔を真っ赤にして歌うのだが、力むほどには声が出てこないのでどうも面白くない。第1楽章の「酒の歌」は最も好きな部分だが、最後のパートの「あれは猿だ・・・」の前後も全く盛り上がりに欠けてしまって、締まらない音楽になってしまった。「春にあって酒に酔うもの」も自堕落さすら感じられないのがつまらない。この曲はジークフリートを歌うヘルデン・テノールよりも、ジークムント歌いのほうが良いと思う。私のベストはジェームス・キングだ。CDでしか聴いたことはないが第1曲の悲痛なばかりの歌唱は、バーンスタインのオーケストラの煽りと相まってものすごい緊迫感を与える。
 シナイスキーのマーラーはこの音楽への共感というより、オーケストラの機能美を強調しようとしているように感じられた。その割には例えば1楽章の2回目の「生は暗く、死もまた暗い」の後の中間部のオーケストラだけの部分はもう少しきりりと、美しく演奏できても良かったように思うが!
 十番の「アダージョ」は正直言ってまだ良くつかめていない。部分的には感じるのだが全体像がよくわからない。
                                    〆

 
 

2011年11月10日
於:サントリーホール(1階9列左ブロック)

第724回定期演奏会Bシリーズ
指揮:ヴォルフガング・ボージチ
ピアノ:フレディ・ケンプ

モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十三番
リヒアルト・シュトラウス:家庭交響曲

モーツァルトは先日のベルリンドイツ交響楽団/ボジャノフとは全く肌合いの違う演奏で面白かった。ボジャノフの音色とケンプとはかなり違って。ケンプはとても柔らかい音が印象的だ。大きな音を出しても決して鋭くはならず柔らかさを保っている。演奏もボジャノフのように個性的でなく、どちらかというと普通私たちが抱いているイメージのモーツァルトのように感じた。そういう面では面白みはないが、安心して聴ける演奏だと思った。1楽章は少々安全運転のようで物足りない。2楽章は逆に感情過多のようでもたれる、この曲はただでさえ美しいのだから、彼のピアノの音の美しさを自然に出せばよりいっそう良かったように思った。しかし3楽章は素晴らしく生き生きとした音楽で、やっとモーツァルトを楽しむことが出来た。全体が生き生きすることで音色の柔らかさがいっそう生きたように思った。オーケストラもでしゃばらず、美しかった。ただもう少し木管を浮かび上がらせて欲しかった。
 アンコールはベートーベンの悲愴から2楽章。これも抑えた柔らかい音色が魅力的だった。

 シュトラウスのこの曲はアメリカ演奏旅行時の初演で、大成功だったそうだ。音楽は正にシュトラウスらしく聴き栄えがするし、オーケストラを聴く醍醐味を味あうことができるが、この標題がいやでいままでほとんど聴くことはなかった。それにしてもシュトラウスと云う人は英雄の生涯にしてもこの家庭交響曲にしても自分を題材にして音楽を書くのが好きなようで、正直言ってついて行けない。特に後者はちょっと趣味が悪いんではなかろうか?ということでこの演奏でシュトラウスサウンドは楽しんだが、それだけで何も残らなかった。都響の妙技を楽しんだだけで良いとしよう。
 プログラムのせいだろうか今夜は都響にしては入りが悪い。8割程度のように見えた。
                                            〆

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