ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2011年05月

2011年5月28日
於:東京文化会館小ホール(D列中央ブロック)

コダーイ弦楽四重奏団
クラリネット:橋本杏奈

ハイドン:弦楽四重奏曲「皇帝」
モーツァルト:クラリネット五重奏曲
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第九番「ラズモフスキー第三番」

チケットを切ってもらって会場に入るとまた人が行列している、なんだろうと先頭を見るとなにやら並んでいる人たちが、立礼している人にお辞儀している。おそらく橋本の関係者だろう。まあ異様な雰囲気だ。
 ハイドンの「皇帝」、学生時代には良く聴いた曲で今夜久しぶりに聴いてハイドンもいいなあと改めて感じた次第。しかし今は正直勉強したい曲が山ほどあってハイドンまで手が回らない。コダーイQは初めてだがとてもゆったりとした演奏で好感が持てる。特に第1ヴァイオリンの美しいこと。
 モーツァルトのクラリネット五重奏曲は、この楽器の曲としては最高の1曲だろう。モーツァルトには協奏曲もあってどちらも素晴らしいが、好みから言うと協奏曲かな。さて橋本は14歳の時にすでにイギリス室内管弦楽団と共演したり、国内外のコンクールに優勝したりしている若き実力者だ。最近在京のオーケストラをみると木管楽器の奏者の女性比率の高いこと、驚くべきことだろう。橋本のような奏者がごろごろしているのだ。2楽章はもちろん良かったが、なんと言っても特筆すべきは3-4楽章で、溌剌とした演奏は印象的、若さが一杯だ。なかでも3楽章はメヌエットも良いがトリオの民謡風の旋律が何ともいえず気持ち良い。モーツァルトが亡くなる2年前に書いたこの曲の素晴らしさ改めて感じた。コダーイの伴奏(失礼)も美しい。

 ベートーベンのラズモフスキーの三番はアルバンベルクとジュリアードのCDを聴いていると、どの演奏も物足りないが、今夜は前半の3楽章はゆったりしたテンポでとても素晴らしかったが、肝心の4楽章が少々前のめりなのが残念。特に良かったのは2-3楽章。幽玄的な趣がある2楽章はそういうムードにはこだわらずに、格調高く良かったと思う。3楽章の力強い前進力は安定感があってこれもよかった。この流れで4楽章も行けなかったのは受けを狙ったのだろうか?
 アンコールは「赤とんぼ」とガーシュインのFUNNY FACEから「HE LOVES SHE LOVES」
ハイドン、モーツァルト、ベートーベンを続けて聴くとやはりベートーベンの偉大さを改めて感じる。
                                    〆

2011年5月23日
於:サントリーホール(18列中央ブロック)

読売日本交響楽団第504回定期演奏会

指揮:ぺトル・ヴロンスキー(ズデニェク・マーツァルの代演)
ピアノ:清水和音

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
マーラー:交響曲第五番

先週の土曜日に続いてのマーラーの五番、この読響の定期はマーツァルが指揮する予定だった。このマーツァルは同じマーラーの三番のCDを聴いて演奏・録音とも素晴らしく是非ライブでと思っていたのだが、震災によるキャンセルと言うことで誠に残念。ヴロンスキーは先日のドヴォルザークは情感こもった演奏だったが、さてマーラーはどうかという、期待半分、不安半分という気持ちで臨んだ。結果は全く思いもかけないような重量級の演奏で大満足だった。
 全体の印象は足取りが重々しく、沈鬱なマーラーのように聴こえた。演奏時間は75分強で最近聴いた中でもものすごく長い演奏時間だった。比較するとバーンスタインの新盤とほぼ同じだ。バースタインはどちらかというと緩急のめりはりのはっきりしている演奏のように思うがヴロンスキーは大きく緩急付けしない。したがって一聴すると平板な印象を与えるが、逆に言うとちゃらちゃらとテンポをいじらずに、どっしりと地に足をつけた演奏とも言えるだろう。例えば3楽章の大太鼓から始まる終結部は、大体どの指揮者もテンポを上げるわけだけれども、ヴロンスキーは泰然自若、いらいらする寸前くらい落ち着き払って突き進む。5楽章も同様、わずかに最後テンポを上げるが、ほんの1ノッチ程度ギアチェンジするくらい。先週のレックのような情熱のほとばしるような、緩急自在のマーラーとは一味も、二味も違った、ボディーブロウのようなマーラーだった。
 1楽章、指揮者は登壇するが指揮棒はもたず(2楽章以降はもったり持たなかったり)、楽団に一礼、そして軽くうなずくとトランペットが冒頭のファンファーレを吹くと言った面白い始まり。このトランペットの吹き方が最初は何か不安定の様な気がしたが、途中からどうもわざと吹いているような気もした。どっちだろう。メンデルスゾーンのパロディーだという説もあるのでそれらしく吹いたのだろうか?その後は、このトランペット実に嚠喨と吹いて終演後も大喝さいだった。
 2楽章は真ん中ごろのチェロとヴィオラの奏でる旋律は不気味さと言うより沈鬱をかんじさせ、終結部の主題までは大きなうねりの様な音楽で圧倒された。3楽章は舞曲風だが何か象が踊っているようでグロテスクな音楽に聴こえた。終結部は上述通り大きな演奏。面白かったのはこの楽章はホルンの独奏部分が多い。冒頭もそうである。2楽章と3楽章間にホルンのソロが舞台左の第2ヴァイオリンの後ろに譜面台を置き、そこで立って演奏するという趣向。全体に今夜の演奏はソロを強調しているように思った。例えば1楽章のトランペット、この3楽章のホルン、そして次ぎのアダージェットではハープなど、楽器のソロが通常聴くよりオーケストラから浮き出るように聴こえた。これは意図したものかどうかはわからない。
 4楽章はため息のようなヴァイオリンから、やがてすすり泣くような弦楽合奏になる、12分もかけた情感たっぷりの演奏だった。5楽章は1-4楽章の沈鬱さから解き放たれてどちらかと言えば明るい雰囲気を出していたが、テンポは落ち着いていて立派なフィナーレだった。
 読響も大熱演だった、サントリーホールが鳴動するような大音響からすすり泣くようなアダージェットまでオーケストラを聴く醍醐味を味あわせてくれた。

 モーツァルトも素晴らしい演奏だった。清水のピアノはきらきらした右手がとても美しい。この24番の協奏曲は昨年内田/クリーブランドを聴いている、その時は少々息が詰まるような、もっと言えば緊張感を強いられるように感じられたが、今夜の演奏はもちろん音楽の持っているそのような側面は出しつつも、2楽章で感じられるような抒情性を前面に出したように感じられた。1楽章のカデンツァ(誰のものだろう)も優しさが感じられた。ピアノに加えて伴奏のオーケストラ素晴らしい。弦はもちろん、木管や金管のバランスが良く、冒頭の主題提示を聴いただけでもうモーツァルトの世界に引きずり込まれてしまった。特になにやら悲愴味を帯びたホルンは印象的だった。

 マーラーの終わったあとブラボーと大喝さいが続いたが、読売の聴衆はブラボーもできないのだろうか?後ろのほうで何度もブラーと言っていた輩には閉口した。
                                    〆

2011年5月21日
於:昭和音楽大学、テアトロ・ジーリオ・ショウワ(15列中央ブロック)

東京交響楽団名曲全集、第67回

指揮:シュテファン・アントン・レック
ヴァイオリン:シュロモ・ミンツ

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第三番
マーラー:交響曲第五番

もともとミューザ川崎にて演奏されるはずだったが震災でホール2階にダメージがあったため急遽場所を変更して演奏された。
 モーツァルトは巨匠ミンツのヴァイオリンによるものだが、カルミニョーラ/アバドの演奏を一押しにしているせいか、私には今夜の演奏は非常におおらかに聴こえた。演奏時間は24分強でカルミニョーラより4分も遅いのであるから。ミンツのヴァイオリンはとても美しいことは美しいのだが何か緊張感にも欠けたようにも思った、それはオーケストラのせいでもある。アバドの演奏だとオーケストラも実に生き生きしているが、今夜の東響は伴奏に徹しているせいだろうか、全く冴えないのである。ということで私にはBGM的に聴こえたモーツァルトだった。しかしアンコールの「バッハ/パルティータ3番のプレリュード」はまるで別人のように気迫のこもった演奏で、思わず背筋を伸ばしてしまった。

 さてアントン・レックは一昨年の東響とのコンビでマーラーの六番を聴いてえらく感心したので、今回五番を演奏するということで楽しみにしていた。
 実に思い入れたっぷりの演奏だった。思い入れのない指揮をする人なんていないとは思うが、今夜のレックは叫ぶは、歌うは、指揮台でジャンプするは、思いを指揮にストレートにぶつけているような演奏で、聴いているほうもそれに圧倒されてしまったという印象。ただ指揮者の思いの割にはオーケストラ側は少々ついて行けていなかったようにも感じた。一言でいうと先日の「英雄」のような一糸乱れぬ演奏ではなかったということだ。あの日の東響は素晴らしかった。しかし今夜は金管の一部での精度と滑らかさに不満が残った。
 昨今の本邦のオーケストラの水準の向上ぶりは目覚ましいものがあって(例えば都響/インバル/マーラーの二番)驚くばかりだから、それに比べると東響の今後のますます精進を期待したい。
 今夜の演奏時間は68分で決して遅いほうではないが、聴いた印象ではゆったりしたテンポに聴こえた。1楽章の入りからして思い入れたっぷりである。まずがつんと聴衆の気持ちを掴むような導入だ。レックはいつも緩急つけをする人でここでも動きは大きい。
聴きものは2楽章で、特に後半のチェロとヴィオラが不気味な旋律を奏した後から最後の4楽章にもう一度出てくる主題までの素晴らしさ、息もつかせないような音楽の連続だ。3楽章は音楽そのものも荒れ狂っているが、今夜のレックも緩急の激しい荒れ狂った指揮だ。最後の大太鼓から始まる盛り上がりは、その前の静謐な部分との対比が大きく心、も、体も揺さぶる演奏だ。4楽章はうって変わってかなり遅い(11分)、静かなアダージェット。もうムード一杯だ。ちょっと語彙が乏しくて良い言葉が出てこない。イントロをヴァイオリンが奏でる。それを聴いただけで胸が一杯だ。東響の弦は美しい。5楽章も緩急をつけた演奏だが1-4楽章のように屈折した音楽ではなく、何か吹っ切れたような開放的な音楽に聴こえた。最後のオーケストラの追い込みも凄い。今夜はレックの熱演に脱帽。今後も注目したい指揮者の一人だ。
 この演奏できればミューザで聴きたかった。今夜のホールは多目的ホールでオーケストラホールでない。ホール全体の響きも薄いように感じた。そのせいか楽器がぽんぽん直接的に飛んでくる感じだ。まあNHKホールのような音でした。
                                    〆

2011年5月18日
於:東京文化会館(25列右ブロック)

東京都交響楽団第717回定期演奏会

指揮:エリアフ・インバル
ヴァイオリン:ブラッハ・マルキン

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第二番
ブルックナー:交響曲第二番(ノヴァーク/第二稿・1877版)

今夜は演奏者に変更なし。
プロコフィエフのこの曲は第2楽章がすこぶる美しく、彼の持ち味である叙情性たっぷり。今夜のヴァイオリニストは先日のアラベラの美しさとは一味違う。美しいけれどもいぶし銀の美しさ。そのしっとりした美しさはこの2楽章にぴったりだ。同じ旋律がラヴェルのボレロのように続くので一聴すると単調に聞こえるかもしれないが、今夜の演奏は柔らかいオーケストラと相まって飽きさせない。素晴らしい演奏だった。舞曲風の3楽章はうってかわって生き生きしたヴァイオリンだ。後半の2楽章はこの曲の良さを堪能できたように思う。なお使用ヴァイオリンはストラディヴァリではなくガダニーニ、トレックマン:1757年製、アンコールはなし。

 ブルックナーの二番はご多分にもれずいくつかの版がある。今夜は上記のとおりだが初稿とはかなり違う。100小節以上カットされているし(恥ずかしながら聴いてもよくわからない)、緩徐楽章とスケルツオが入れ替わっている(ノヴァーク版では2楽章が緩徐楽章)、さらに速度表記も変更されている。例えばノヴァーク版では緩徐楽章はアンダンテだが初稿はアダジョという具合だ。しかしそのような御託が吹っ飛ぶような今夜の演奏だった。
 1楽章はチェロによる第1主題の提示から始まるがこの音からしてもうブルックナーだ。懐かしさに思わず声が出そうになる。素晴らしいのは展開部の前あたりの経過的な部分で木管がオーボエで始まりファゴットまで続いて美しい旋律を奏するが、この音が実に美しく胸を打つ。これはコーダの前にまた戻ってくる。
 2楽章は美しさの連続だ、都響の弦はいつものようにピュアな音で肌に粟を覚えるほどだ。
 3楽章のスケルツオの前進力はすさまじい迫力だ、トリオは後年のブルックナーの交響曲のトリオ(例えば七番)を予感させるような素朴さと美しさを持っているが、インバルの共感がこちらに伝わるようだ。
 4楽章はなかなか複雑な楽章(予習ではそう思った)だがインバルの手にかかるとそれが解きほぐされて聴こえてくる。コーダの威力は圧倒的だ。
今夜の演奏は、この日ごろあまり演奏されないが、とても美しい曲を十分以上に楽しませてくれた、都響も先日の「英雄の生涯」のような少し粗っぽい演奏ではなく、肌理細かさと、迫力を兼ね備えた本来の音に戻っている。何よりも音のバランスは常に低弦の支えもありピラミッド型になっているのが良いと思った。金管も妙に突出せずピラミッド型のバランスの頂点で輝いている。
 なおこの曲は初稿版で予習をした。シモーネ・ヤング/ハンブルグフィルによるSACD盤である。これは録音の素晴らしさもあるが、演奏のスケールが大きい。版の違いがあるかもしれない。演奏時間はインバル/ノヴァークが約60分、ヤング/初稿が70分だった。
                                            〆

2011年5月16日
於:サントリーホール(2階、3列右ブロック)

読売日本交響楽団、第538回サントリーホール名曲シリーズ

指揮:ペトル・ヴロンスキー(ズデニェク・マーツァルの代演)
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー

オールドヴォルザークプログラム
 序曲「謝肉祭」
 ヴァイオリン協奏曲
 交響曲第八番

昨年の6月の都響のプロムナード・コンサートと同じプログラム。昨年は都響他計3回、八番の交響曲を聴いている。この曲の人気がよくわかる。
 「謝肉祭」は騒々しいだけの曲と思っていたら、中間のヴァイオリンソロと木管の掛け合いなど、耳を引く部分もあって面白く聴けた。ヴロンスキーはカラヤンコンクールに入賞したというチェコの指揮者だ。そういう面で言うとキャンセルしたマーツァルと同国人。なかなか威勢の良い音楽だ。読響もそれに応えているが好みから言うともう少し音の重心が下がるとよいと思った。
 ヴァイオリン協奏曲は苦手の曲だったが、今夜はかなり満足した。特に後半の2つの楽章は素晴らしい。休みなしで2楽章に入るが何回かでてくるヴァイオリンソロとホルンの掛け合いはとても美しい。こういう取り合わせも珍しいのではないか?アラベラのヴァイオリンは先日聴いたテツラフと同じように美音だが、こちらの音のほうが芯があるように感じた。楽器はストラディヴァリウス「ブース:1716年製」。3楽章はがらりと変わって舞曲風の華やかな楽章で、ヴァイオリンもオーケストラも沸き立つような音楽で魅了した。
アンコールはクライスラー「レチタティーヴォとスケルツオ」、特にスケルツオ部分は目の覚めるようなヴァイオリンだった。

 八番の交響曲は、カラヤン/ウイーンフィル(旧盤)がベストだったが最近になって二枚のCDを聴いて揺れ動いている。一枚はセル/クリーブランド(セルの最後の録音だそうだ)、もう一枚はケルテス/ロンドン(ウイーンフィルならもっとよかったかも)。いずれも甲乙付けがたいが好みから言うと今はセル盤がベストだ。叙情味は少ないが独墺系の交響曲のようなかっちりした演奏に仕上げていているように思う。両端楽章はカラヤン盤と甲乙付けがたい。
 ヴロンスキーはセルとは少し違って、情感たっぷりの演奏に仕上げているように感じた。
 1楽章はソナタ形式のせいかもしれないが、テンポの揺れもなくかっちりした演奏、展開部の迫力はなかなかのもの。しかし2楽章になるとがらりと変わって強弱・緩急の振幅が大きくなり、ムード一杯だ。出だしは蚊の鳴くような音だが、それが徐々に力を得てピークに到達する、そのピークの壮大さは聴きもの。3楽章も同じような演奏だが、中間部のすすり泣くような情感の濃さは今日の演奏の典型だと思った。甘ったるさとは紙一重のところかもしれないがこういう音楽つくりも徹底すれば抵抗がない。最終楽章はとてもゆったりした入りで、このテンポをベースにしてコーダでもめちゃくちゃに加速をしない、堂々たる終わり方をする。この曲の最後は急旋回のあと手綱が緩むように感じる(私だけかもしれない)。N響/アシュケナージなどはその際たる物で尻つぼみで終わる。しかしヴロンスキーは急旋回を抑えているものだから、最後のティンパニの一撃までどきどきしてしまう。セルなんかは一気呵成に終わらせてしまうので、そんなことを思う間もない爽快感が残るが、ヴロンスキーはもっとずっしりしたものをこの曲から感じさせてくれたように思った。ご当地ソングらしい手馴れた指揮でこの大曲を楽しむことが出来た。
 読響も力演だったが後いま少し弦にしなやかさが加わるともっと良いのにとないものねだりしてしまう。
                                           〆

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