ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2011年03月

2011年3月26日
於:サントリーホール(17列中央ブロック)

東京交響楽団 第587回定期演奏会
指揮:小林研一郎
ソプラノ:森 麻季
メゾソプラノ:竹本節子
テノール:福井 敬
バリトン:三原 剛
合唱:東響コーラス

モーツァルト:レクイエム
ベートーベン:交響曲第三番「英雄」

スダーンが海外渡航自粛規制で来日できないためプラグラムを表記に換えての公演。本来はベルリオーズのテデウムのはずだった、滅多に聴けない大掛かりな曲だから楽しみにしていたがいたしかたない。震災の影響で3/14のフィレンツェ「運命の力」以来のライブ。都響は全滅だし今月は今夜でおしまい。会場は最初閑散としていたが開始10分前には九分の入り。当日券売り場は長蛇の列だったので、キャンセルした人が随分出たのだろう。しかしこのピンチヒッターのコンサート、おそらくプログラムが確定してから10日もなかったのではあるまいか、期待以上の感動をいただいた。これは一つは震災後2週間という平常とは違った状況にあったことも大いに影響しているとは思うが、それ以上に東響と東響コーラスの熱演が光った。

冒頭、小林の発声で震災で亡くなった方の冥福を祈り黙とう。

 レクイエムはモーツァルトの手に拠ったと言われている「涙の日」まで演奏された。全体にゆっくりとして、モダン楽器による演奏らしいスケールの大きな演奏。合唱団はP席全部を占めるくらい大人数でその迫力たるや凄まじい。したがってというべきかどうかはわからないが合唱の部分がとても感動的。レクイエムと歌いだされただけでもう胸が一杯になる。「主よ憐れみたまえ」と「怒りの日」が少し速めだが後はゆったりとしたもの。この2曲は合唱に圧倒される。特に後者は地獄のごとく荒れ狂う。「威厳の王よ」では救い給えが感動的。「呪われし者たち」すらテンポを上げずにじっくりと進む。そしてなんといっても素晴らしいのは「涙の日」だ。引きずるような、悲しみが一杯の演奏で涙を誘う。涙の日は震災の犠牲者の冥福を祈り繰り返して演奏された。ただし拍手はなし。小林の感情移入過多は時には辟易するが、今夜に限って言えば実に自然で、感動的だった。
 今日はベートーベンの命日だそうだ。「英雄」はベートーベンをベートーベンたらしめた記念すべき交響曲だ。苦難に打ちひしがれた人々が立ち上がりそして勝利をつかむという意を込めた、この「英雄」こそ日本の復活を目指す今の私たちに相応しい曲ではないか?
 小林の熱演は凄まじいもので、演奏時間も型破りの54分強。参考までにこれはフルトヴェングラーより長い。最近聴いた中でも最長だ。1楽章は16分強かけているが見かけほど重々しくなくむしろギリシャ彫刻の様な端正な印象を受けた。音楽が変わるのは2楽章からだ。2楽章はフルトヴェングラーより長い18分。しかしだからといって決してだれたりドロドロと粘らない。フーガもアウトプットの音楽ほどあれ狂わず、冷静さがあるが、3楽章からが今夜の白眉。凄まじい前進力で不屈の闘志を表わす。荒々しい金管はその表れではないだろうか?これほどの炸裂をみせたトランペットは聴いたことがない。しかも音が金切り声にならない。そして4楽章は幾分テンポに緩急をつけて最後の凱歌に向かう。しかし最後に向かう直前の慟哭の様な音楽は、通常では鼻につくだろうが、今夜は許せる。この楽章も金管の炸裂がすさまじいが、合わせてティンパニが強烈だ。日本のオーケストラでこれだけの音はなかなか聴けない。そしてオーケストラ全体もしっかり小林についてゆき重厚さとしなやかさを身に付けたベートーベンを聴かせてくれた。特筆すべきは高弦でいくら大きな音を出しても全く嫌な音を出さないのだ。とにかく東響の水準の高さを改めて感じた演奏だった。
 今夜の演奏はおそらく繰り返して聴くような音楽ではなく、この日のこの時間に鳴った音楽だからこそ、このような音楽になったのではなかろうか?小林の真摯な姿勢に拍手したい。
                                     〆
                               
 

2011年3月14日
於:東京文化会館(26列右ブロック)

フィレンツェ歌劇場公演
ヴェルディ「運命の力」

指揮:ズービン・メータ
演出:ニコラ・ジョエル

カストラーヴァ侯爵:エンリコ・イオリ
レオノーラ・ヴァルガス:アマリリ・ニッツア
ドンカルロ・ヴァルガス:ロベルト・フロンターリ
ドン・アルヴァーロ:ワルター・フラッカーロ
プレツィオシルラ:エレーナ・マクシモワ
グァルディアーノ神父:ロベルト・スカンディウッツイ
メリトーネ:ニコロ・アイロルディ(ロベルト・カンディアから変更)
演奏:フィレンツェ五月祭管弦楽団/合唱団

東北・関東大震災の混乱の中での公演で、演奏者も聴衆もちょっと異様な雰囲気での公演だった。海外オペラだとロビーからして何やら華やかなのが常であるが、省エネでロビーも暗いし、観客も良く見ても7分の入りだろうか?開演前のざわめきも少なく、ズービン・メータのお見舞いの挨拶から始まった(英語)。
 演目は運命の力、この陰惨なオペラが今日になったのも何かの巡り合わせだろうか?
正直言って往復の電車がどうなるのかわからないまま家を出たので、この往復で疲れてしまって今はあまり書く気がしないが結論を言えば外来オペラとしては最上のパフォーマンスだと思った。
 今日感心したのはレオノーラだ。輝かしさはそれほどないが、何よりその深々とした声に惹きつけられる。そしてこの人の声は何か人の心を動かすものを持っているような気がする。第一幕のアルヴァーロとの2重唱は少々伸びやかさに欠けたような気がしたが、フラッカーロに負けない気迫で魅了。そして二幕のグアルディアーノ神父との2重唱から最後までは今日最大の聴きもの。最終幕のレオノーラのアリアもドラマチックであった。今後注目すべきソプラノではないだろうか?
 女声陣から言うとプレツィオシルラも若々しい声で素晴らしい。特に二幕の1場はとても良かった。男性陣は本当は最初に記録しなければならないのだが今一つピンとこない。アルヴァーロはなるほど声は出ているが、伸びやかさとピュアさに欠けるような気がする。これは好みだから仕方がないかもしれない。フラッカーロの声は何か喉の奥に挟まったように聴こえる。決してくぐもった声ではないのだが。
 ドン・カルロは良い声だと思ったがずっとどなっているように聴こえて疲れる。貴族の息子でなくなにやら無頼漢のようだ。メリトーネはもう少しブッファ的な要素を出したほうが良いのではないかと思った。クアルディーノ神父はさすがに豊かな朗々とした声で他を圧倒した。まあ私にとって今日はアマリッリ・ニッツアだけで十分満足だ。
 メータの指揮は非常に安定したテンポで歌唱に耳を集中できる。そのうえで十分ドラマティックなのである。序曲聴いただけでそれがわかる、直球だけでなくスローボールもきれがある。各幕、各場の締め方も如何にも劇場慣れした手だれを感じた。オーケストラはメータのドライブのもと楽しめた。
 合唱は素晴らしかった、特に良かったのは二幕の居酒屋の場面で巡礼の合唱に合わせて、カルロや村人がお祈りを歌うシーンは絵画を見ているようで素晴らしかった。二幕2場の教会の修道僧の合唱も良かった。
 演出、装置はごくまともなもの。時代設定も原作通りに18世紀中葉になっている。装置は引っ越し公演らしくシンプルなもの。面白かったのは4幕の大詰め。レオノーラは岩屋の中の牢獄(格子がある)のような中にいる。最後レオノーラはドンカルロに刺されるて死ぬがその時に牢屋の上の大きな岩盤が降りてきて、牢屋を圧するような位置で止まる。ト書きではレオノーラはドンカルロに舞台裏で刺され、グァルディアーノ神父に支えられて登場となるが、今夜の演出はこの牢屋の中のレオノーラがアルヴァーロとの再会に驚いているところを後ろから刺されるという演出になっている。このほうが劇的かもしれない。
 このヴェルディ中期の難しいオペラ(5人の歌手を同一レベルしなくてはならない)をまずまず楽しめるレベルまで持ってきてくれたフィレンツェの底力を感じた夜だった。外来オペラでは最上の部類だと思った。
                                    〆

2011年3月11日

最近見た映画、その13

「闇の列車、光の旅」メキシコ映画?
ホンジュラスからアメリカへ密航する少女の家族と、メキシコやくざの少年が密航列車で出会う。少年は組織を足抜けして追われる身だ。2人はやがて惹かれあいアメリカを夢見ての逃避行。このごろメキシコを題材にした映画が多い。最近みたものでも「マチェーテ」がそうだし、「コップアウト」もメキシコギャングがからんでいる。まあ世界の動きに映画も追従しているということか?
 この映画は一見すると単なる逃避行、何とか二人がアメリカにたどりついて欲しいとはらはらする。しかしこの映画の原題は「名もなき人々」だそうで、貧困から脱出するために決死の覚悟で密航列車に何千キロも乗る、しかも屋根の上で!、そういう名もない普通の人たちが主人公なのだろう。少女の父親は言う「これは命がけなんだ」、そのとおり、アメリカにたどり着くのはほんの一握りの人々なのだ。
 少女だけがアメリカにたどりつきアメリカに住む母親に電話をする、通じた時少女の光の旅は終わる。この邦題はなかなかうまいと思った。この話は今の日本にとっては無縁の話だが、地球の裏側で普通の人たちが生死をかけてこのようなこととをしていることが信じられない。

「ウォールストリート」オリバー・ストーン監督、マイケル・ダグラス主演
インサイダー取引で捕まったゲッコー(ダグラス)が出所するところから始まる。時は2008年アメリカはまたぞろバブルがはじけた狂乱の時代の前夜。歴史は繰り返す。どうもそれがこの映画の主題のようだ。チューリップバブルなどやたらバブルについての能書きが多く、理窟っぽい。
 今回のストーンは前作のようにドラマティックではなくなにやら諧謔的な、というか皮肉っぽくというか、まあふざけているわけではないのだろうが妙に醒めているように感じた。つくりも話が収斂するというよりも編年体のオムニバス映画を見ている趣。
 つまらない映画では決してないが話が少々散漫なのはいろいろな挿話をまぜこぜにしたためだろう。
・ゲッコーの復活劇
・ジェイク(ラブーフ)のニューエネルギーへのかかわり
・ジェイクの復讐劇
・ゲッコーの娘との親子の愛憎、ジェイクとの関係
まあとにかくいろいろがつまっている。ので全体を見たときにドラマとしては少々物足りない。それぞれの挿話がみな薄っぺらいのだ。それにしてもブログで大証券会社をぶっ飛ばすなんて嘘みたい(ここの挿話も描き方があまりにも表面的に感じる)だが、しかし現実にチュニジアやエジプトでは政権がかわったのだから、そういう面でストーンの先見性はすごいと思う。何度も言うが話が全体に拡散しているので過去のストーンの作品と比べると重量感は感じられない。これは「ブッシュ」でも感じられたこと。
 ストーンの伝記を読み、彼の作品をミッドナイトエクスプレス(脚本のみ)からウォールストリート(旧作)まで揃えた。「ドアーズ」は見る気がしないのではずした。いずれ時間を見て集中的に鑑賞しようと思っている。

「ザ・タウン」ベン・アフレック監督、主演
アフレック監督の大1作目。感じたのは脇役陣に穴が感じられないこと。ダグ(アフレック)の父親役(チョイ役)がクリス・クーパーなのだから。ダグの相棒、黒幕の花屋、銀行強盗に襲われる女支店長などなどそれぞれの役にぴったりでキャスティングにセンスを感じた。映画つくりでキャスティングにいかに監督が苦労するかは前述のストーンの伝記を読むとよくわかるが、本作はその部分で手を抜いていないということだろう。
 終わりが少々美しすぎるし、ダグと女支店長との関係も通常の感覚ではありえないと思うが、そこは目をつぶって、カーチェースや銀行強盗、現金輸送車襲撃などのシーンのスピード感と迫力は見せる。最後の銃撃シーンも「ヒート」思わせるものでギャング映画としてはまず合格ではないだろうか?

「瞳の奥の秘密」アルゼンチン映画
アルゼンチンではそうとう観客を動員したようだ。原題はよくわからないがキーワードは瞳の奥と情熱か?20年前に暴行殺人事件を解決したのもきっかけは主人公の裁判所事務官が犯人の瞳の奥に注目したから。しかし逮捕の直接の要因が犯人のサッカーへの情熱というのはちょっとできすぎている、けれどもこれが20年後に暴かれる復讐劇(被害者の夫が犯人を終身犯にしたいという情熱)の伏線になっているし、それがまた裁判所事務官の心に秘めた女検事への思いにもつながっており、これらが時代を超えて重層にからまっていて結末までなだれ込むかなり重厚なドラマになっている。音楽も暗く重苦しいが面白く見た。
 パウロ(事務官の同僚)役のギレルモフランチェラが惚けた演技で面白かった。
 制度の問題だろうが裁判所の事務官がなぜ捜査をするんだろうか、最後まで疑問だった。

「告白」松たかこ主演
原作の醒めた文体をできるだけ生かそうとしてほぼ話は原作に忠実だ。大体原作を壊すのが多いのだがこれは珍しい作品。
 これは原作も読んでいる。なんでこういう書き方をするのだろうかというのが率直な印象だった。何か他人事のような文章は今の若い人の小説にはよくあるパターンだ。映画もその雰囲気を生かそうとしている。ただ最後に松が「なんちゃって」というのはやりすぎではないだろうか?それが現代っていうもんなのか?それを描きたかったのだろうか?子供の絡む犯罪だが、その子供の動機が母の愛を求めてっというのも今度はこれはやけにセンチだなあと思った。松が娘の復讐を行うわけだが最後のほうでいろいろな思い出し嗚咽するシーンの演技は秀逸。なかなかここまで感情移入できないと思う。

「ミレニアム2」ノーミ・ラパス
スウェーデンのベストセラーの映画化の第2部。
 気埜せたラパス演じるリスベットの存在感は少々希薄。前作は演技に不気味さと可愛らしさと小気味よさがあったが、本作ではちょっと有名になったためかかっこつけているというか演技が重々しい。まあこういう演出なんだろう。相変わらず人物の相関がややこしい。リスベットの出生の秘密もわかる。しかし謎解きの面白さは少々物足りない。前作のようにリスベットがパソコンを駆使してデータを集めてゆくという斬新な面白さはない。
 それにしてもリスベットの兄が「無痛者」とは!日本にも「無痛」という殺人鬼小説があったがどちらがパクリなのだろうか?

「ミレニアム3」
いよいよ完結だ。本作を見ると兇廊軌幣紊豊靴侶誅世鯑海ための導入部ということがわかる。だから兇肋々説明的で気鉾罎戮襪般ノ呂少ないがこの靴鰐滅鬚った。リスベットが元に戻ったのが良い。裁判シーンのリスベットのせりふのユニークなこと。ここだけでもこの映画を見る価値あり。とにかくこの靴聾所満載でした。
 話はだんだん大きくなってロシアスパイのスウェーデンへの亡命、それによる情報と国益、その秘密を守る1部官僚達。そして政権交代による秘密の暴露。なんか見たことあるなあこの話と思ったら日米の沖縄返還密約と同じ。いずこの国も一緒ですなあ。

「エクペンダブルズ」スタローン監督主演
スタローンは気が狂ったか?才能のない人間が監督なんてやるとこんな見ていて恥ずかしくなるような映画になってしまう。せりふの野暮ったさ、きざさ。ミッキーロークに言わせるせりふなんて恥ずかしくて冷や汗がた。
 ほとんど全編が戦闘や殺戮シーン。べつにそれが駄目といっているわけではない。この映画は傭兵ものだが、結局最後は大義があって戦闘をするのではなく女を救うためだという。しかしそのために失う人命があまりにも多いのではないか?
 傭兵ものの傑作は「ワイルドギース」と「戦争の犬たち」でいずれもリアリティーがあり面白さは抜群。スタローンは戦争の犬たちのパクリまでやっている。スタローンが仲間と偵察に乗り込むがその入管でのやりとりなんてそのものずばりだ。だったらなぜもう少し学習しないのだろうか?
 面白いやり取りもあってシュワルツネッガーとブルース・ウィリスがちょい役ででている。スタローンを交えた3人の会話で、シュワルツネッガーに対して「貫禄がついたなあ」と嫌味を言ったり、「あいつは大統領をめざしているのさ」なんて皮肉言ったりしている。まあ小知恵ですな。
 それにしても傭兵部隊、誰も死なないのはどういうわけだろう。

なおウォールストリートとタウンのみ劇場にて鑑賞。
                                           〆

2011年3月4日
於:サントリーホール

ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団来日演奏会
指揮:リッカルド・シャイー

ブルックナー:交響曲第八番

断然後半の2楽章がよかった、というより前半の2楽章は重戦車のようなオーケストラの音のみが印象に残った感じで全体に印象が希薄。
 3楽章は第1主題の提示からして素晴らしい。引きずるような低弦から徐々にオーケストラが力を得て最後にはハープ(3台)の音の中、切り裂くようなトランペットの一閃。肌に粟を覚えた。展開部も素晴らしいがここでは2主題を奏でる弦の美しさ、例えようがない。そして再現部のクライマックスへの道程は急にテンポを上げて行く。劇的効果満点だ。このクライマックスの壮麗さはものすごいの一語。
 4楽章の第1主題の提示もすさまじい。期待にたがわずティンパニはイメージ通りだ。カラヤン/ベルリンのライブ以来の素晴らしさ。なぜ日本のオーケストラではこのように叩かないのだろう。指揮者の指示なのだろうか?ここだけでなくティンパニはいたるところで活躍し、終わった後も聴衆から盛大な拍手を受けていた。4楽章はすべて良いが、再現部からコーダへの部分、第3主題をテンポを上げてさっと示して力をためてクライマックス、そして、静寂。ティンパニのとろとろという音から始まるコーダ、これも最初はものすごくゆっくりで途中からテンポを上げ、クライマックスではテンポを一定にして十分オーケストラを鳴らす、この最後の‘再現部からコーダ’の7分はまさに息をのむよう。
 この両楽章は日ごろなじんでいるヴァントのような正統?な演奏と比べると少し芝居っけたっぷりというか、劇的な効果を狙っているように感じる方もおられるかもしれないが、わざとらしさは皆無だと私には感じられた。これはシャイーのnatureではないだろうか?だから受け手はこれを自然に受け止められるのではないだろうか?少なくとも私はそうだ。この2つの楽章は私にとって同曲のベストの一つと言ってよいと思う。
 オーケストラの配置は左奥にコントラバス(10丁)、その横がホルン(5本)、ワグネルチューバ(4本)、チューバ、トランペット、トロンボーン、その横にハープ、弦は第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの配置。10丁のコントラバスと9本のホルン群の効果は絶大なもので、やはりブルックナーはこのような地響きがするような低弦群、腹に響くティンパニ、壮麗な金管群がないと様にならないのだ。サントリーホールが鳴動するような音を久しぶりに聴いた。この音は重厚だけでなく明るさもあってライプツィッヒ=暗い・重厚というイメージではない。
 演奏時間は1楽章15分、2楽章15分、3楽章27分、4楽章23分でおよそ80分の演奏だった。ヴァントに比べると速いが、違和感はなかった。
 外来のオーケストラにしては1階の奥に空席が目立ったがおそらくスポンサーが配った席だろうと推察する。
 書き漏らしたので追記するがシャイーの演奏を聴いてもう一つ感じたのは、各主題の描き分けが明快で非常にわかりやすいことで、ブルックナーが主題の提示部→展開部→再現部→コーダと音楽を組み立てて行く仕掛けがとてもすんなりと耳に入ってきたのも印象に残った。
                                     〆
                             
                  

↑このページのトップヘ