ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2010年11月

2010年11月20日
於:NHKホール(2階3列中央左より)
 
第1686回NHK交響楽団定期演奏会Cプロ
マーラー:交響曲第二番「復活」
 
指揮:マルクス・シュテンツ
ソプラノ:クリスティアーネ・リボーア
アルト:アンケ・フォンドゥング
合唱:東京音楽大学
 
復活は都響の定期(インバル指揮)で聴いたばかり、図らずも競演となった。
シュテンツという指揮者はドイツの歴史のあるギュルツェニヒ管弦楽団の首席指揮者、ケルン歌劇場音楽監督を務めている45歳の将来を期待されている指揮者の一人だそうだ。
 今日の演奏は84分と少々長めだが、聴き終わった印象はもっと長かったのではと思うくらい長く感じた。緩急をかなりつけているのは、まあ今のはやりだから良いとして、緩急の切り返しが少々不自然に感じるところが散見され緩やかな部分が私にはもたれた。
 第1楽章はかなり威勢よくスタートし、きれが良いというか、鋭角的な音楽で耳を惹きつけたが、第2主題のゆるやかな部分がかなりスローで落差がおおきく、出だしの緊張感を削いでしまった印象。再現部の直前も異様に遅いし、再現部へ入るまでもちょっとはらはらするくらい遅い。でも再現部に入ってしまうと突如加速するという塩梅で少々不自然に聴こえた。最後の低弦がずん・ずん・ずんと三段で締めるところもものすごく遅く、まあ英雄の死を彷彿とさせたが、何かわざとらしく聴こえた。
 第2楽章の出だしは弦が中心だが音が拡散せず舞台上でもそもそして冴えない、主題の反復も異様に遅く感じた。3楽章も冒頭のティンパニは威勢良くて迫力あるが中間部で又中だるみ。
 4楽章は比較的一定のテンポでアルトもさわやかでまずまず。
 しかし、驚いたのは第5楽章でなんと36分かけて丁寧に演奏していた。さすがに最後の盛り上がりは凄いがこれがバーンスタインばりの超スロー。         
  全体に、緩急つけて演奏するのは悪いとは言わないが、緩やかな部分が何かもっさりと聴こえるのはオーケストラのせいだろうか?これだけの緩急をつけるのなら相当オーケストラに叩き込まなくてはいけないと思うが、オーケストラがちょっとついて行っていない感じがした。N響の音も今一つ集中力が欠けているようで全体に音が軽く聴こえた。特に金管は綺麗なのだがマーラーの音楽らしい重量感に欠けているような気がした。さて、インバル/都響ではこの緩急の切り替えが実に自然に聴こえ何の違和感もなかったが、今日は違和感ばかり耳について少々疲れた。オーケストラと指揮者との間には、このような大曲では特に、しっかりとしたパートナーシップが不可欠だと思うが、今日はインバル/都響のようにはできていなかったのではないかなどと思わず邪推してしまう。
 
 終わったあとまだ指揮者が手を下していないのにもうブラボーだ。それも罵声に近い。NHKの定期のお客は最低限のマナーもないのだろうか?
 4楽章あたりからずっと極小のベルの様な音がずっと会場の右側で鳴っていた。私の耳鳴りのせいかと思ったら演奏が終わったら止まってしまった。なんだろう?楽器が共鳴したのだろうか? 凄く気になった。
                                           〆
 
 

2010年11月19日
於:トッパンホール(H列右ブロック)
 
モーツァルト:フォルテピアノとヴァイオリンのためのソナタ
K301,302、303,305,306(マンハイムソナタ)
アンコール:K296全曲
 
ヴァイオリン:ジュリアーノ・カルミニョーラ
フォルテピアノ:矢野泰世
 
バロックヴァイオリニストのカルミニョーラのモーツァルト。CDではアバドとのコンビで実にフレッシュなヴァイオリン協奏曲全曲が出ていて、この曲の愛聴盤になっている。ソナタはどうか?
 このマンハイムソナタはシモン・ゴールドベルク/ラド・ルプーで聴きなれているものだからK301の音が出た途端あまりに違うのでちょっと驚いた。特にピアノフォルテとのデュオのためピアノが突出しないので音のバランスがモダン楽器での演奏とは全然違う。
 それにしても301と302のカルミニョーラが何か大人しいというか、ちょっと硬いというか、いつものはつらつとした雰囲気にならない。アレグロ楽章も何か元気がない。
 303のロンドになってやっといつものペースになってきたように感じた。したがって後半のプログラムのほうが断然楽しい。
 特に、いつもは退屈な(失礼、私にとってはちょっと苦手なのです)306が特によかった。情感こもった2楽章、3楽章のフォルテピアノとの生き生きした掛け合いはやっと本領発揮。305の変奏曲もフォルテピアノとの掛け合いが実に生き生きしていた。いつものボディアクションも出てきた。ひょっとしたらカルミニョーラはものすごくシャイなのではないだろうかと思わせるくらい前半とは雰囲気が違うように感じた。
 アンコールはK296から1楽章、と思ったら拍手に誘われて結局全曲演奏してしまった。情感こもった2楽章はカルミニョーラ節だし、両端楽章も緩急自在のダイナミックな演奏だと思った。
 でも、やはり彼の真骨頂はヴィバルディなどのバロックではないだろうか?
紀尾井でのオールヴィバルディプロが楽しみだ。
                                            〆

2010年11月18日
 
最近見た映画(10)
 
「桜田門外の変」大沢たかお、柄本明、北大路欣也他
吉村昭の原作を読んだら無性にみたくなり久しぶりに劇場で見た。
原作にかなり忠実に丁寧に作られたという印象。ただ、どうだろう、原作を読んでないと少しフォローするのがしんどいかもしれない。井伊大老暗殺をかなり早めに設定しその後に暗殺までのいろいろないきさつを描いているので時系列でドラマが進まないからだと思う。これは映画の作り方だからどちらが良いとは言えない。しかし一方でこの映画、面白かった?と聞かれたらとても面白かったとはいいにくい。原作を重んじ過ぎて、それを生かそうと思うばかりに、話を追うのに忙しすぎたからだと思う。インビクタスのようにもう少し単純化したほうがドラマとしては凝集力が出たように感じた。例えば暗殺の後の逃避行は切り詰め、暗殺に話を集中させるとか。まあ「火天の城」のように原作をつまみ食いしたような映画とは違って、まじめに作っていることは評価できるのではないだろうか?
 ただアメリカでもう西部劇が作れないように、日本でも時代劇はもう難しいのではないかと思った。それは若い俳優の仕草やセリフの話し方がもう現代風だから、北大路や柄本らとはかなりギャップを感じた。演技力があると言われている大沢でさえ違和感があった。
 この作品を見て改めてこの事件からわずか8年後に明治維新というのを改めて感じた。たった8年間で日本が大転換を遂げたというのは今から思うと本当に凄まじいパワーが働いた時代だなあと痛感した。
 
「ボーダー」アル・パチーノ、ロバート・デニーロ(レンタルDVD)
いわゆる正義の裁きものだが、正義の裁きを行う動機が「DEATH WISH」などのように今一つ分からないのは見方が悪いのだろうか?デニーロ、パチーノの共演といえば「HEAT]を思い出すがあの映画のリアルさからすると恥ずかしくなるくらいお粗末な作り。良くこんな台本を2人が認めて出演したなあと思う。それにしてもこの二人年取った、50代の役どころだがどうみても70近い?親父たちの臭い芝居が老醜をさらしているようで見苦しい。
 
「プリンスオブペルシャ」原題は時の砂
タイタンの戦いのようなおとぎ話だができは相当悪い。これは正直、大人のみる映画ではない。映像も斬新さがない。エンドクレジットをみていたら原作がテレビゲームだそうだ。
 
「パリより愛をこめて」ジョン・トラボルタ(DVD)
リュック・ベッソン発案の映画、96時間ではリーアム・ニーソンが、そしてこの映画ではトラボルタがスティーブン・セガール状態になっていたのがちょっとベッソンもワンパターン。
しかし話は麻薬団の探索と思っていたらテロリストの追跡に変わっていたり、恋人がテロリストだったり驚愕の結末といったら大げさだが、二転三転して面白いことは否めない。ちょっと癪だが!終わった後べたべた感はないが物足りなさは残る。
 
「ミレニアム」ノオミ・ラパス(DVD)
ベストセラーになったスティーブン・ラーソン原作の映画化。
それにしても面白い映画を作ったものだ。なんと言っても主人公のリスベット役のラパスの存在感が凄い。ほとんど素人だそうだが役作りのために体形も変えたそうな。猟奇殺人ものだがスエ―デンの社会環境(DVなど)も垣間見ることができて楽しんでしまった。もう一つ興味深かったのはパソコンを駆使したデータ収集と加工・分析による推理という今日的な手法を前面に出していてこれも話にリアルさを出していた一因の様な気がする。これらを横糸にして大富豪家の一員による猟奇的犯罪が縦糸になっていてとにかく見ていて飽きさせない。2,3と続くそうだが楽しみだ。
 
「GREEN ZONE]マット・デイモン
これは最近で最も面白かった映画。粗っぽい作りだがそのスピード感と時代背景をうまく使ったドラマ仕立ての妙が素晴らしい。
題名はイラク・バクダットの安全地帯の意。
2003年の米国イラク侵攻の直後を舞台にイラク攻撃の口実になった大量破壊兵器の調査を行う将校がその存在に疑問を持つ。実は米高官が情報源を明かさずその偽情報を流して、戦争の原因としていたのだ。その高官はフセインを壊滅させイラク軍を解体し、イラクに民主主義を導入し、アメリカのいいなりの国にすることを狙っていたのだった。一方CIAはイラク軍を頼りその力でイラク国内の安定を得ようとする。そこでマット・デイモン扮する将校が獅子奮迅の活躍をするという寸法。
 この映画の良いのは約100分全く弛緩なく、一気に突っ走るそのスピード感、特に前半の60分はリアリティー十分で面白かった。一見荒唐無稽な話だが実際に大量破壊兵器がなかったのだから話の骨格としては本物だ。ついこの間の米国の恥部をこのように映画化してしまうのに驚かされた作品。
あまり話題にならなかった様な気がするが、まあ全く遊びのない作品だから仕方がないと言えば仕方がない。けれども私は好きだ。
 
「ウオーカー」デンゼル・ワシントン、ゲーリー・オールドマン
配役も良く面白かったが、終わった後なあんだと思ってしまうのは日本人だからだろうか?細かいところではそんなわけないだろうというシーンは散見されたがそれはそれはまあいいとして、地球滅亡30年後、1冊しか残っていない聖書をある日啓示を受けたKマートの店員イーライ(ワシントン)がそれを持って啓示に従って西へ歩いてゆく、それをオールドマンが横取りしようとするという話。しかもイーライの行きつく先はアルカトラス島でそこが文明復活の基地だというのは少々滑稽というか、皮肉が過ぎるのではないかと言ってしまうのは酷だろうか?
 これなら、「マッド・マックス」のほうがすっきりして面白い。
 
「ボルケーノインポンペイ」
テレビ用の映画のようだ。ポンペイが消滅する12日間とそれにさかのぼる数年前の大地震をポンペイ政界の腐敗を絡めて描いている。これはたしか原作があるはずだがかなりめちゃくちゃに話を変えているようだ。
更に台本が悪いのか、俳優が稚拙なのか今一つ面白くなかった。噴火の特撮もチャチイ。
 
「バーダーマインホフ・コンプレックス」DVD
1967年ー77年までドイツ国内の内戦ともいうべき学生運動、その後のテロ活動の軌跡をドキュメンタリータッチで描いた力作。そのリアリティーには脱帽。この時代の若者を突き動かしたのは何か?同時代人なのに理解しがたい。
 
最近CSTVで良く映画を見る。結構面白いのをやっている。
例えばショーン・コネリー特集で「レットオクトーバーを撃て」、「ザ・スタンド」、「プレシディオの男たち」などは懐かしく面白かったしニコラス・ケージでは「ウイッカーマン」なんていう彼にぴったりの映画もやっていた。だからますます映画館へ行かなくなるのかな?
 
                                            〆
 
 

2010年11月14日
於:サントリーホール(11列左ブロック)
 
指揮・ピアノ:内田光子
管弦楽:クリーブランド管弦楽団
 
モーツァルト:ディヴェルティメントk138
         ピアノ協奏曲第二十三番k488
                 第二十四番k491
 
内田光子の弾き振りによるオールモーツァルトプログラム。同じ曲でCDも発売されており今年期待のコンサートの一つ。そして期待通りの演奏会だった。特に自分の好みもあって二十三番の演奏に魅かれた。
 
最初は小手調べのディベルティメント。これには内田は登場せず、少人数の弦楽器だけでの演奏だったが、想像していたより地味な音色でびっくりした。演奏も何か溌剌さがなくもっさりした印象。
 
さて、協奏曲だが楽器配置はコントラバスが左奥に配されて、弦は左より第一ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの順である。ティンパニは中央でその前に木管群が配された。二十三番の前奏が始まった途端ディヴェルティメントとは全く違う音色でまたまたびっくり。内田の指揮でこうも変わるのか?前奏でまず引きずり込まれてしまった。このさわやかなオーケストラは本当に素晴らしい。そしてピアノが入ってくると、さらに清明かつさわやかな印象が強くなり、もうこの演奏がこの曲の唯一無二の演奏としか思えなくなってしまう。更に素晴らしいのは2楽章のシチリアーノ、このピアノとオーケストラが一体になった音楽のの美しさと悲しみはなんと表現してよいのかわからないが、この演奏を聴いてこの悲しみは苦悩のどん底のような悲しみではないような気がした。次のハ短調とは趣が違うように感じる。しかし同じように心が揺さぶられる。モーツァルトは本当に天才だと思う瞬間だ。
 そして、3楽章、冒頭での木管群の沸き立つような音楽が素晴らしい。クラリネットやらバスーンやらが次々と、もこもこと沸きあがるように奏すると、ピアノとオーケストラが一体になった音楽は、更に明朗になりなんともいえない高揚感をもたらす。もうこの一曲で今日は終わっても全然不満がないくらいの感動をもたらしてくれた。
 
 次のハ短調二十四番の協奏曲は更にスケールが大きくなって(編成は変わらず、ティンパニが加わるだけだが)くる。1楽章冒頭を聴いただけでちょっと恐くなり、更にカデンツァの前の大波のような音楽は地獄の釜の底を覗くような気持ちにさせられた。そしてこのカデンツァはどうだろう。まさに総毛たつような凄みのあるような音楽ではないだろうか?当然のことながら演奏時間はクリーブランドを弾き振りしたCDとはほとんど変わらないが、内田の作った音楽はCD以上の厳しい音楽ではなかったろうか?
 2楽章も充分美しいが二十三番とは異なり苦しみを経ての悲しみのような、少々聴いていて辛いような音楽に聴こえた。3楽章は堂々たるものでカデンツァも迫力があったが、特にコーダの音楽の厳しさはどうだろう?
 
 正直言ってこの2曲でどちらをとるかといわれたら二十三番かもしれない。私が二十三番に期待したものがそのとおりに出ていて、聴いていて実に晴れ晴れした気分にさせられたのである。一方二十四番は少々聴いた後、口に苦味が残るというか、暗澹と行ったらちょっと違うが、そういった気分にさせられたのである。だから内田もアンコールを弾かなかったのではないだろうか?
 CDでは二十四番の次に二十三番が収録されており今夜も仮にその順番で演奏したら、全体の印象が変わったかもしれない。(心の中では二十三番の3楽章をアンコールして欲しかった、もし二十三番が最後に演奏されていたらそうなったかもしれない、というのは私の勝手な推測)
 いずれにしろ今夜のコンサートはそうざらにお目にかかれるものではない。
                                                              〆

2010年11月10日
於:サントリーホール(19列左ブロック)

ウイーンフィルハーモニー管弦楽団来日公演

指揮:ジョルジュ・プレートル

シューベルト:交響曲第二番
ベートーベン:交響曲第三番
アンコール:ブラームス・ハンガリー舞曲第一番、シュトラウストリッチ・トラッチ・ポルカ

今日の演奏会は本来はサロネンがマーラーの九番を振るはずだったのだがキャンセルになり、上記の指揮者とプログラムになった。ウイーンとマーラーを聴きたかったが仕方がない。
 プレートルは86歳であるがものすごく元気でよたよた歩かない。先日のマリナーみたいだ。指揮台に変な柵もない。
 シューベルトの二番は彼の17歳の作品。第1楽章の序奏を聴いただけで、そのふんわりした音は耳に優しい。何でこんな音が出るのだろう。この曲は17歳の少年が書いた曲とは全く思えない。特に2,3楽章の素晴らしいこと。後年の彼の交響曲の萌芽で漲っている。チャーミングな2楽章はウイーンフィルにぴったりだ。しかし厳しいスケルッツオのウイーンフィルも素晴らしい。特に大きな音が出ているわけでもないのに地を這うような響きが不思議だ。高弦が艶やかなのに低弦は十分低重心で全体にピラミッド型の音場になっている。

 プレートルの「英雄」は一言で言うと清新だ。というのが私の率直な印象。先日のN響/マリナーのベートーベンとはえらく印象が違う。これは全体にテンポが速い(47分42秒)というのも利いているだろうが、ウイーンフィルの音色にも関係があるかもしれない。昔ウイーンフィル/ハンス・シュミット・イッセルシュテットという指揮者のベートーベンがもてはやされたがそれを思い出した。

1楽章はかなり速い。しかし緩急をつけているから速いところは更に速いので正直言ってあまり落ち着かないし、音楽全体が上滑りのようで落ち着かなかった。しかし、2楽章は素晴らしかった。ここもかなり速いが全然気にならない。凄絶という形容がぴったりで思わず肌に粟を覚えたくらい凄みのある音楽だと思った。3楽章のスケルッツオはまた滅法速い。しかしトリオは牧歌的にのろい。葬送行進曲の後にしては少々脳天気に感じたくらい。4楽章、ピチカートがものすごく遅いが主部になるとまたテンポがあがる。コーダは意外にテンポを落として悠然と終える。
ベートーベンは恥ずかしながら最近フルトヴェングラーを聴いてえらく感動している。今まではベートーベンというとカラヤンの66年や75年の全集やクライバー、ラトル、ジンマンなどを聴いていてフルヴェンは食わず嫌いだったのだが、先日英雄を聴いて正直言って驚いた。先日読んだベートーベンの古い伝記本に「英雄」が後にベートーベンの作品の柱になる「苦悩から勝利へ」という“思想”を体現した最初の作品だとあったが、まさにフルヴェンの指揮はそれを再現したかのような気持ちにさせてくれたのである。五番はそうでもなかったが七番と九番もすごかった。
今夜のウイーンフィルを聴いていてウイーンならもう少しできるんじゃあないかなあと思ったのはフルヴェンを聴いた後だからだと思う。もしそれを聴いていなくて、今夜の音楽に触れたとしたらこれはこれでもう滅多に日本で聴けない演奏だと思ったに違いない。それにしてもマリナーにしてもプレートルにしても実に個性的なベートーベンを聴かせてくれるなあと改めて感心した。

しかし、ベートーベンを聴いた後にハンガリー舞曲やトリッチ・トラッチ・ポルカなど良くやるよなあと思う。そういう意味でも今夜のベートーベンは厳しさに少々欠けたように感じてしまう。「英雄」を指揮した後に何が指揮者にできるのだろう。サービス精神旺盛なのは良いがちょっとがっくり来てしまう。少なくとも私はベートーベンのあとにシュトラウスなぞ聴きたくない。そう思うのはおそらく私だけではないのではないだろうか?まさか昨夜、ウエルザーメストはブルックナーの九番のあとアンコールはやらなかっただろうな?
 サービス精神旺盛といえばウイーンフィルの来日公演のプログラムは毎回感心する。何千円もするようなものは全くなく、プログラムは全員に配布していた。これは是非他の団体も真似して欲しい。
 今夜は某社がスポンサーのようだったが、会場で関係者がぺこぺこ営業するのは見苦しい。変なタグを付けた社員らしい人間がちょろちょろするも煩わしい。芸術のパトロンはせこせこしないのだ。
                               〆

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