ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2010年10月

2010年10月25日
於:サントリーホール(LCブロック)

第705回東京都交響楽団定期演奏会Bシリーズ

指揮:ベルンハルト・クレー
チェロ:ボリス・アンドリアノフ

エルガー:チェロ協奏曲
ブルックナー:交響曲第四番「ロマンティック」・ノヴァーク版第2稿

Aシリーズでなかなか端正なモーツァルトを聴かせたクレーだが、ブルックナーはうって変わって明晰かつパワフルな演奏で、おそらく私が日本で聞いたブルックナーの四番でも最良の演奏だったと思う。
楽器の配列は左奥にコントラバス、ヴァイオリンは1,2が対向する形であった。
1楽章の冒頭のホルンがちょっと細身になったので心配したがその後は全く不安のないもの。1楽章だけではないが全体にブルックナーの音楽の構造が実にすっきり見えて、こういう演奏ならブルックナー嫌いの方にも抵抗なくは入れるのではないかと思った。演奏時間はギュンター・ヴァント/ベルリンとほぼ同じで非常に安定感のあるテンポ。特に各楽章の緩やかな部分、例えば3楽章のトリオの部分とか1,2楽章の第2主題などはかなり遅くじっくりとして聴かせた。反面3楽章のスケルッツオや1,2楽章の第1主題などはテンポを上げ豪快というかパワフルというか、ブルックナーサウンドの魅力満点の演奏だったと感じた。
特に素晴らしいと思ったのは4楽章の冒頭の第1主題の提示。ここはライブで聴いて、いままで満足する演奏にお目にかかったことはなかったが、この演奏は実にスケールが大きく手に汗握るスリリングなものだった。また3楽章のトリオはいつもは聞き飛ばしてしまうのだが今日はなぜかとても耳に残った、印象的な演奏だった。もちろんスケルッツオ部分の迫力は素晴らしかったが! 1楽章のコーダ部分の金管のあたかも深い森の中で呼応しているさまのような演奏も印象に残る。
そして、4楽章のコーダ部分の音楽の大きさはサントリーホールを揺すぶらんばかりであった。演奏が終わっても数十秒クレーは動くことがなく、そのうち小さくブラボーの声が聞こえ、拍手もぱらぱら、そしてクレーが振り向くと盛大な拍手とブラボー。これはお決まりのようだけれども、演奏後の余韻を打ち消さないという意味で大切なことだ。先日のNHKホールとはえらい違いだ。

オーケストラも大熱演で特に金管が全く破綻がなく終始安定していたのは特筆すべきことだと思う。先日の読響のブルックナーではいくつかの傷があって全体の完成度を傷つけていたが、今夜はそのようなことは全く感じられなかった。
特に感じたのはここぞというところでの集中力が感じられたことだ。この曲は各楽章で盛り上がるところが何箇所があるがその都度サントリーホールの空気が変わるような気がしたくらい凝集した音楽を聴かせてくれた。
楽器ではなんといっても金管群が素晴らしい、ホルンも良かったがトランペットも明晰で印象的。ティンパニも力感あふれるもの。弦では特にコントラバスの重量感が堪えられない。例えば4楽章の序奏でバスが同じ旋律をごりごり弾くがこれがとても印象的だった。
クレーの指揮はスクロヴァチェフスキーほどめまぐるしくテンポや強弱を変えない、安定感が居心地がよかった。こういうドイツの中堅の指揮者の力は侮れない。

エルガーが影が薄くなってしまったが、これもなかなか良い演奏だと思った。協奏曲でチェロの音がこんなに豊かに響くのはライブでは初めてのような気がする。楽器はMontagnanaというのを使っているらしい。エルガーというのは私にとっては新参者だが、交響曲一番が印象的でイギリスの作曲家も捨てちゃもんじゃないと、再認識したが実はこの協奏曲はこのジャンルでは結構名曲らしい。CDで事前に聴いてみたがなるほど1楽章の主題は聴かせるものがあったが全体には面白くねえなあという印象だった、しかしこのライブを聴いてなかなか面白い曲だと改めて感じた。
今夜の演奏で印象に残ったのは夢のようなというより幽玄な3楽章、踊るような4楽章でこれはなかなかCDでは味わえないような趣だった。

終演後の1杯のワインとパスタもおいしく大満足の夜でした。
                                          〆

2010年10月22日
於:NHKホール(2階2列、中央ブロック)

第1638回NHK交響楽団定期演奏会Cプロ

指揮:ネルロ・サンティ
チェロ:堤 剛

メンデルスゾーン交響曲第四番「イタリア」
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ドヴォルザークのほうがずっと良い演奏だと思った。まずオーケストラが極上の響き。1楽章なぞは思わず聴き惚れてしまう。バランスがとても良い。どの楽器も突出せず気持ち良く定位しているのだ。時々突っ張る金管が決して大人しくはないのだが今まで聴いたことがないような極上の音を出している。本日の楽器配置は左奥にコントラバス、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン。中央には木管、中央奥にはホルン、そして右にはティンパニ、トランペットなどの金管でこの配置も音に寄与しているのではないだろうか?
とにかく聴いていて気持ちが良い。2楽章もチェロとその他の楽器とのからみが美しくドヴォルザークとしては最良の演奏ではないだろうか?サンティもこういう甘いメロディが充溢している曲のほうが良いのではないか?とにかくイージーリスニングとしては最高だった。堤のチェロは情緒纏綿たる演奏で聴かせたが、好き嫌いが出るのではないだろうか?サンティ/堤、全体のパフォーマンスとしては少々情緒に偏った演奏でスケールとしては小さいように感じた。まあドヴォルザークに何を期待するかで今日の演奏の好みが分かれるような気がしました。
アンコールにバッハの無伴奏を弾いたが、堤の様な大家までアンコールをするのかと唖然とした。

サンティは昨年ブラームスの一番を聴いたがあまりに盛り上がらない演奏なのでがっかりした記憶がある。なぜ彼がこんなにもてはやされているのか正直よくわからない。

メンデルスゾーンはそういう意味で言うと予想通りがっかりした。さらさらさらの一丁上がりといった風な演奏に聴こえた。特に両端楽章。速いのは良い。しかしこの速さ、少々せこせこしてはいないだろうか?、アバド/ロンドンの演奏は同じくらい早いが決してせこせこしていない。それはここぞというところで音楽にガツンといわせているからだと思う。彼の演奏を先日久しぶりに聴いたが四番てこんなに良い曲だったのかと、改めて感じた。しかしサンティの場合はトゥッティのところが全くアクセントがなくそのまま通り過ぎて行くように聴こえた。だから音楽は何事もないように目の前を通り過ぎて行く。四楽章も同じ。しかし3楽章のメヌエットはN響の演奏もあって本当に美しいと思った。ここには心のこもった歌があると思った。今これを書きながらもこのメヌエットの調べが耳から離れない。この調子で全曲やってくれたら良かったのにと思ったくらいだ。1楽章などはアバドと演奏時間は一緒なのは少々びっくりした。もう少しサンティの持ち味を出せば、もっともっと良い演奏になったのではないだろうか?それともいつもこういう演奏をしているのだろうか?

それにしてもブラヴォーの罵声はちょっとひどかった。
                              〆

2010年10月18日
於:東京文化会館(25列右ブロック)

第704回東京都交響楽団定期演奏会Aシリーズ

指揮:ベルンハルト・クレー
ヴァイオリン:ラファエル・オレグ

R・シュトラウス:交響詩「ドンファン」
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番
モーツァルト:交響曲第31番「パリ」
R・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

プログラムはごった煮みたいな構成だったが終わってみると爽やかな印象だった。とても気持ち良く聴けて良かったなあと思ったのは「パリ」だ。おそらく古楽奏法だと思うがきりりとした端正なモーツアルトだ。時間は18分と愛聴盤のピノックよりかなり遅いがこれは全体にせこせこせずゆったりとしていて品の良さを見せていたと思う。そして有名な、パリ市民を熱狂させたという3楽章は狙い通りの効果を出せた、モーツァルトの得意げな顔が目に浮かぶ。とにかく気持ち良かった。都響もそれに応えて爽やかさ十分だった。ティンパニも通常とは違って軽やかな音でムード満点だ。
面白かったのは4番の協奏曲で、うって変わって雅というかギャラントというか、全く違ったモーツアルトの顔を見せたように感じた。オレグのヴァイオリンは最初はちょっと硬くて細身に感じたが、2楽章からはふくよかさもでてまずまず。演奏時間は24分と愛聴しているカルミニョーラ/アバド盤よりかなり遅いのも効果的だったように思う。
シュトラウスの2曲は良い曲だとは思うがなぜか聴いている途中でいつも飽きが来てまあ流して聴いてしまった。オーケストラは熱演だったと思うが今一つ凝縮力に欠けたように聴こえた。演奏時間はショルティの古い盤に比べるとかなり遅い。
                               〆

2010年10月16日
於:新国立劇場(12列中央ブロック)

モーツァルト「フィガロの結婚」

指揮:ミヒャエル・ギュットナー
演出:アンドレアス・ホモキ

アルマヴィーヴァ伯爵:ロレンツォ・レガッツォ
伯爵夫人:ミルト・パパタナシュ
フィガロ:アレクサンダー・ヴィノグラードフ
スザンナ:エレナ・ゴルシュノヴァ
ケルビーノ:ミヒャエラ・ゼーリンガー
マルチェリーナ:森山京子
バルトロ:佐藤泰弘
バジリオ:大野光彦
ドンクルツィオ:加茂下稔
アントーニオ:志村文彦
バルバリーナ:九嶋香奈枝

新国立劇場合唱団
東京フィルハーモニー交響楽団
チェンバロ:小埜寺美樹

颯爽と駆け抜けていったようなフィガロだった。全体で3時間だが全く時間を感じない。特に1幕はその感が強い。それはこの曲の持つ一つの要素かもしれないし、この指揮者の演奏によるものだったかもしれない。フィガロでこんな経験は初めてだった。
序曲からして颯爽としている。こんなテンポで大丈夫かいというくらい。しかし歌が入ると柔軟な指揮ぶりに変わるのはいろいろな劇場で積んだ経験によるものだろうか? 部分的にはものすごくゆっくりでちょっと心配したくらいだ。例えば有名な4幕の最終場で伯爵が「伯爵夫人、許してください」に入る前の休止が異様に長くどきどきしてしまった。そして伯爵夫人が許しの歌を歌うが、そこもものすごく遅い。まあみんなこの曲を待っていたわけだから効果的だったかもしれない。自分も好きなもんだからわかっていても、この旋律が流れた途端涙腺が緩んできた。全体にオーケストラも曲の流れに沿って非常に爽やかな印象。チェンバロの演奏も印象的。

ホモキの演出はこれでもう3回目で慣れたせいか違和感はあまり感じなかった。最初は白い箱みたいな舞台に段ボールが乗っているだけ、でその後洋服ダンスみたいのが追加される。全部白。小道具はそれだけ。そしてその箱がだんだん壊れて行く。ここらへんの能書きはプログラムに書いてあるが、残念ながらあまり良く意味がわからない。モーツァルトがこんな屁理屈を捏ねてこの曲を書いたとは思えないが、最近の風潮だから仕方がない。でも舞台がシンプルで音楽に集中できるという利点があり、その面では良かった(これは皮肉なんではありません)。でも4幕ではみんな白い衣装を着てしまうので、誰が誰やらわからなくなってしまうのはちょっと困る。まあそれが狙いのようだけど!

歌手はほとんど傷がない様に感じた。インターナショナルな配役、適材適所だと思った。こうこなくてはいけない。このパフォーマンスなら国際的に十分通用する水準ではないだろうか?
なかでもスザンナは演技も卓抜で声もチャーミングだったと思う。ケルビーノはいつも儲け役だが、今日はそれ以上で立ち姿も見栄えがするうえに、声がとても気持ち良い。伯爵夫人は最初少々固いかなとも思ったが、だんだん声がほぐれて細身ながら綺麗な声で魅了した。特に3幕の「どこにあるのかしら、甘く恋に生きた楽しかった日々は」はじっくりと歌って感動的だった。
フィガロは男性陣ではとても良いと思った。声が硬質ではあるが伸びやかで綺麗なバリトン、その安定感のある歌唱は魅力的。伯爵は少々凄みに欠けるのではないだろうか?何かフィガロが2人いるみたいだった。3幕の「わしがため息をついている間に」ももう少し残忍さがでてもよかったのではないだろうか?バルトロ、バジリオ、ドンクルツィオはいずれも日本人だったがそれぞれ存在感のある演技と歌唱。マルチェリーナとバルバリーナの日本女声もしっかりした歌でわきを固めていた。
それにしても今日の舞台の歌手たちの立ち姿の美しいこと、そして演技のうまいこと、特にスザンナは魅力的だった。これは海外の歌手に一日の長があるような気がした。
実に楽しいモーツァルトでした。
                                〆

2010年10月15日
於:東京芸術劇場(O列中央ブロック)

読売日本交響楽団特別演奏会
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー

シューベルト:交響曲第七番「未完成」
ブルックナー:交響曲第七番

スクロヴァチェフスキーは87歳。しかし矍鑠たるもので相変わらず剛毅な演奏だった。彼の演奏で印象に残っているのはいずれも読響を指揮したものだがベートーベンの「ミサソレムニス」とブルックナーの八番でいずれも男性的な演奏で感動を呼んだ。
今夜は2人の作曲家による七番の交響曲である。シューベルトの延長線上にブルックナーがあるというのは良く言われているがこの七番の交響曲や五番は特にそう感じる。自分の場合はシューベルトのピアノソナタを聴いていると何か感じが似ているように思われるのである。
まあこれは独善的な余談。

さて、シューベルトの未完成は昔はどうも苦手で、何か女々しくてあまり聴くことがなかったが、シューベルトのピアノ曲集(内田光子)、室内楽(特に八重奏曲や弦楽五重奏曲)を聴くようになって、この曲に戻ったら初めてこの曲の素晴らしさがわかった。しかし25歳の青年がこのような厳しくもせつない曲を良く書けたもんだと聴くたびに感心してしまう。こういう誰も聴いてくれない曲を朝から晩まで作曲し続けたシューベルトの気持ちはどうだったんだろう。思うだけで切なくなる。
またまた余談。今夜のシューベルトはそういうシューベルトの心情を吐露するような厳しく男性的な未完成だと思った。特に1楽章のスケールは圧倒的だったし、第2主題が再現する部分はとても美しい。演奏時間は24分でほぼクライバー/ウイーンフィルと同じ。ベーム/ベルリンのほうが演奏時間は長いと思ったがベームのほうが22分と速い。どちらも愛聴盤だ。

ブルックナーの七番も名曲・名演奏ではなかったろうか?
演奏時間は速いと思ったがヴァント/ベルリンとほぼ同じの66分だった。
1楽章は展開部が感動的。コーダの前の弦と木管の掛け合いも美しい。そして壮麗なコーダ。たまらん。
2楽章が最も聴きもの。第1主題が提示されただけでもう胸が一杯になってしまう。展開部、再現部でまたこの主題が出てくるがそのたびに波に揺さぶられるようだ。特に再現部の主旋律は第一バイオリン以外が弾いて、第一バイオリンはさざ波のようにそれに重ねる部分は何とも美しい音楽だった。クライマックスにはティンパニとシンバル他が加わった版だった。ヴァントはハース・原典版でティンパニ他なし、カラヤンはハース版でティンパニ他ありで今夜の版はカラヤンと同じようだ。ノヴァーク版なのかな?素人の悲しさよくわかりません。こういうのはプログラムに記載してもらうとありがたいのだが!
この2楽章のコーダはワグネルチューバの合奏だ。最近この部分がやけに気になっている。今夜も美しかった。
3楽章のスケルツオの金管はスケールが大きく素晴らしいし、ティンパニも切れ味があった。しかしそれより何よりトリオの金管の切なさはどうだろう。懐かしさで胸が一杯になる。子供のころ日が沈みかけ、うす暗くなるころ、遊び呆けていた自分が、あたりが暗くなったので急に心細くなったその瞬間を思い出す。
特に反復のところが感動的だ。
4楽章は自分にとって問題の楽章だ。どうも好きになれない。しかし今夜の演奏はどうだろう、恰もゴシック建築のような巨大な建造物が、眼前に聳え立つがごとく音楽のスケールがでかい。特に後半からコーダにかけて。そしてコーダは第1楽章第1主題が帰ってくると、一旦は沈み込むように音量を下げて、そのまま終わるかと思ったら、最後に強烈な一撃が待っていた。
読響は熱演で読響からこんなに美しい弦は久しぶりだ。低弦も力感・安定感があって音楽を下支えしている。これが弱いとブルックナーの音楽にならない様に思う。金管も随所に素晴らしい演奏を聴かせてくれたが、ほんのわずかの傷が惜しい。
終演後の拍手も盛大で、これだけ拍手されればミスターSもまた日本で指揮したくなるだろう。いつまでも元気で活躍していただきたいものだ。
                               〆

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