2010年8月21日
今回もすべてレンタルビデオ。
「フォース・カインド」ミラ・ジョヴォヴィッチ主演
アラスカ/ノームで1960年から殺人事件、自殺、失踪が続いている。主人公(ミラ:心理学者)はそれを宇宙人の仕業と推測。やがて自分の娘まで失踪してしまう。これは実話だそうだ。実際の映像も用い、ドラマ化したものとミックスで見せるという趣向だが少々煩わしい。一本に絞ればよかったかもしれないが、そうすると偽物っぽくなってしまうの恐れたのかもしれない。タイトルからしてエイリアンものかと思ったらUFOものでした。見始めてからしまったと思った。つまらなくはないが肌に合わない。
「シャーロック・ホームズ」ロバート・ダウニー・ジュニア、ジュード・ロー
テレビでシリーズものになっている主人公とは全然違った肌合いのホームズとワトソンなので面喰うが、ドイルの小説での人物像とはそう違わない。しかし途中で何度も眠くなるほど退屈だった。スピード感(アクション)ある部分と思索の部分(推理)とのギャップが大きすぎてドイルの人物像をベースにしつつも大きく逸脱しているのが原因。ホームズという人物のリアリティーが見えない。思索の部分は少々気取り過ぎで嫌な奴にしか見えない。おそらくもしホームズが実際にいたら嫌な奴に決まっているが、それを映像で露骨に見せられたらホームズの面白さやスマートさが打ち消されるだろう。アクション部分も古典的。
「レクイエム」原題は天国の5分間、リーアム・ニーソン主演
アイルランドもの、33年前自分の目の前で兄を殺された男とアルスター義勇軍の男(ニーソン)の対決。お互い、33年の重荷を背負ったが対決によって清算(しかし殺し合いにはならなかった)。少々陰気で映像がくどい。清算の伏線として2人がテレビで対談しようという企画があって、これが失敗してしまうのだが、その過程がむやみに長く飽きてしまう。
「母なる証明」韓国映画、原題はMOTHER、ウォンビン主演
少々知恵の遅れた息子が殺人事件の容疑者になってしまう。前半はとろい息子とそれを溺愛する母親の描写が中心。後半は母親が真犯人を求めて鬼気迫る調査を開始するがやがて真相がわかるが驚愕の結末が待っている。
韓国の地方都市が舞台と思われる。町の様子や人間関係がわかって興味深い。主人公の母親は実に切羽詰まっているにもかかわらずユーモラスといおうかとてもとぼけたような雰囲気を出して好演。従来の絶叫調オンリーの韓国映画とは一線を画している。ので予想外に面白く見てしまった。ギターソロ中心の音楽も効果的で、韓国映画らしからぬソフィスティケートな味を出していた。
「さまよう刃」日本映画、寺尾 聡、竹野内 豊、出演
青少年犯罪を裁く法の不備をついた東野圭吾の小説の映画化。残念ながら原作は読んでいない。一人娘を暴行され、殺された父親が犯人(2人)に鉄鎚を下すという話。ただこの映画は少々違っておそらく判決は未成年のため軽微なものになるだろうと、推定した父親がタレこみによって、犯人を知り娘の仇を討つという話になっている。結局一人は自分の手にかけるが2人目は究極の恐怖を味あわせるという手に出たが警察にその真意は伝わらず警察にその父親は射殺されてしまう。社会派ドラマとしては面白かったが、寺尾以外の人物像が希薄だったというか、類型的だったのが少し残念。例えば父親が隠れるペンションの親子の挿話などは何か姑息で説明的。それにしても竹野内はいつもワンパターンで新境地が開けないような気がする。(それほど見てはいませんが)
「Drパルナッソスの館」テリー・ギリアム監督
悪魔に娘を売り、不死の寿命を得た、1000歳のマジシャンがいよいよ悪魔に娘を引き渡さなければならない。それをトニーなる男(ヒースレジャー、途中でレジャーが亡くなってしまうのでデップ、ロー、ファレルらが代役で登場する話に変わったので少々ややこしい)が救済するという話。といってもオカルトではなくなにやら作りはおとぎ話風。残念ながら話について行けず途中なんども居眠り。DVDそのたびに逆転させる有様。
大体ファウストに代表させる悪魔との取引はファウストのように自分の魂を売るのが相場だが、なんとこの映画は娘を売ってしまうというのだからひどい話だ。だから出だしから、もうついて行けない。しかも悪魔はマジシャンと何度も賭けをしてしまうなどちょっととぼけた話ではあるのだが。ヒースレジャーが亡くなり三人が代役で出るという話でなければ単なるマニアックな映画として片づけられるような代物だろう。悪魔ものではロバート・デニーロ、ミッキー・ロークの「エンジェル・ハート」の恐怖が忘れられない。もっともギリアム監督はそういう方向を狙ったのではあるまいが!
「正義の行方」ハリソン・フォード、アシュレイ・ジャッド、レイ・リオッタ
出演。
役者はそろったが散漫な作り。アメリカは移民の国だが今でもそれが続いており、つまり成功を夢見るひと、亡命する人にとってはアメリカは魅力的な国であり、それゆえなんとしてでも市民権やグリーンカードを取得しようということになる。この映画は不法にそれを取得しようとしたり、アメリカにふさわしくない人々(移民)を取り締まる捜査官の物語。
メキシコ、オーストラリア、イスラエル、韓国、イラン、イラクなどの人々の挿話が散りばめられるがそれがばらばらに提供されるので今一つまとまりに欠けた。いろいろな挿話が、少々古臭いが、一つの流れに収斂させたほうが映画としては面白かったと思うが、この映画はどうもそれを狙ったのではなくこういう捜査官の活動をPRした映画のように感じた。
「ゴールデン・スランバー」堺雅人、竹内結子、香川照之、主演
伊坂幸太郎の小説の映画化、役者も揃った大作?
小説も読んだがほとんど頭に残っていない。今日風な作品と片づけてはいけないが、切羽詰まった話なのにそれを額面通りには受け取れない何かがある。それは一言で言ったら何かリアルな世界をおちょくっているような趣を感じるのである。例えば銃を撃ちまくる刑事、ベビーフェース通り魔がそれだ。原作にあったか覚えていないが。今の若い人の小説や映画は大体そうだ。ひところ、はやった「病院もの」もそうだった。そういう意味でこういう小説や映画には面白くても感情移入ができなくなっている自分の老化が悲しい。映画としては面白かったが荒唐無稽さが目に付いた。
「笑う警官」大森南朋、松雪泰子主演
佐々木 穣の小説の映画化。小説も今一つピンとこなかったが映画も今一つだ。最大の理由は人物が物差しで測ったように類型的だということ。まるでこう言った人物とパソコンに入力したら、それが映像になったというような趣。例えば大森の演じる組織に対して反旗を翻した刑事、サックスを吹いたりまあ大森の地で行くような一見陰影の濃い人物だがあまりにズバリ感があってかえってそんなわけねえだろうって言いたくなる。松雪の演じる優等生刑事も誰だか知らんが正義感を振り回す新人刑事、悪徳上層部達、も見ていて恥ずかしくなるくらい類型的だ。そこには切ったら血が出る人間がいない。劇画の主人公のようだ。失礼ながらデニーズの定食のよう、決してまずくはなかったけれども。こういう安定感も悪くないかも。
「ゼロの焦点」広末涼子、中谷美紀、木村多江主演
松本清張の名作の映画化。女優陣の顔見せみたいなものかと気軽にみたが原作通りではないにしても案外面白かった。舞台も原作通り昭和32年においており、その映像再現も緻密で手を抜いていないところがリアリティーをだしている。特に前半の映像は良かった。後半女優陣がからむと推理ドラマの味が薄くなる。3人の中では木村の純真な娼婦といった役どころが秀逸。
ただ後半の女性の社会進出とうメッセージの出し方が原作にないところだが少々露骨で興ざめ。
「火天の城」西田敏行、大竹しのぶ、主演
山本兼一の小説(未読)の映画化、安土城建設の総棟梁の建設までの物語。
とにかく全編恥ずかしくなるようなセリフと演技で、もし劇場にいたら途中で出ていただろう。良い台詞もふさわしい役者を選んでしゃべらせないと聴くに堪えないものになる。西田のわざとらしい、勿体ぶった演技が最たるもの、娘役の福田の演技は恥ずかしい限り。緒方直人がチョイ役で出ていたのが何かさびしい。映像もCGが今一つで実写と遊離していたように感じた。予算はあるでしょうがプロでしょう、手抜きはいけません。
8/24追記
映画があまりにひどいので原作をチェックしてみた。全然違う。原作は安土を建設する男のドラマであった。しかも信長という歴史を作った男の大宇宙の中でのドラマであった。この映画は原作を相当単純化しているがその方法がおかしい。単純化するときはドラマの骨格を崩してはいけないと思うのだが、原作を部分的につまみ食いしているだけで骨格は消えている、蛸みたいなドラマであり、しかも原作にないくだらない挿話を加えているのでますます蛸みたいなふにゃふにゃなドラマにしている。よく山本氏はこんな映画化を了承したものだ。小説の映画化というのはよくあるがこれほどまでにひどいのは初めてである。興味のある方は是非両方に接していただきたい。
「第9地区」南ア映画、シャルト・コプリー主演
昆虫の生態を持ったエイリアンが女王蜂的なリーダーを失い放浪し南アのヨハネスブルグ上空に漂着する。南ア政府はエイリアンに対して隔離政策をとる。そのキャンプが9地区で、そのエイリアン達を収容しきれなくなった9地区から移設するという話が本線になっていある。南アという国だからこそ作れた映画! アパルトヘイト政策を思わせるエイリアン対策は象徴的だ。また難民キャンプはガザをイメージしているといわれている。かなりハンディカメラを使って撮影されており、リアルな映像にはひきつけられる。何より面白いのはエイリアンが難民になるという設定が秀逸の発想だ。これにうまくメッセージを載せているというのが二重の秀逸。座布団二枚である。後半が単純なアクション化したのが少々残念だが、これは主人公である難民移動の責任者がひょんなことでエイリアンのDNAをもってしまう。それによってエイリアンしか操作できないエイリアンの武器もその男が操作できるようになってしまう。いわゆるリーサルウエポンである、その男のDNAを求めた追跡劇がアクションの伏線にあるという巧みな構成。今年前半で最も面白かった映画の一つ。
〆
今回もすべてレンタルビデオ。
「フォース・カインド」ミラ・ジョヴォヴィッチ主演
アラスカ/ノームで1960年から殺人事件、自殺、失踪が続いている。主人公(ミラ:心理学者)はそれを宇宙人の仕業と推測。やがて自分の娘まで失踪してしまう。これは実話だそうだ。実際の映像も用い、ドラマ化したものとミックスで見せるという趣向だが少々煩わしい。一本に絞ればよかったかもしれないが、そうすると偽物っぽくなってしまうの恐れたのかもしれない。タイトルからしてエイリアンものかと思ったらUFOものでした。見始めてからしまったと思った。つまらなくはないが肌に合わない。
「シャーロック・ホームズ」ロバート・ダウニー・ジュニア、ジュード・ロー
テレビでシリーズものになっている主人公とは全然違った肌合いのホームズとワトソンなので面喰うが、ドイルの小説での人物像とはそう違わない。しかし途中で何度も眠くなるほど退屈だった。スピード感(アクション)ある部分と思索の部分(推理)とのギャップが大きすぎてドイルの人物像をベースにしつつも大きく逸脱しているのが原因。ホームズという人物のリアリティーが見えない。思索の部分は少々気取り過ぎで嫌な奴にしか見えない。おそらくもしホームズが実際にいたら嫌な奴に決まっているが、それを映像で露骨に見せられたらホームズの面白さやスマートさが打ち消されるだろう。アクション部分も古典的。
「レクイエム」原題は天国の5分間、リーアム・ニーソン主演
アイルランドもの、33年前自分の目の前で兄を殺された男とアルスター義勇軍の男(ニーソン)の対決。お互い、33年の重荷を背負ったが対決によって清算(しかし殺し合いにはならなかった)。少々陰気で映像がくどい。清算の伏線として2人がテレビで対談しようという企画があって、これが失敗してしまうのだが、その過程がむやみに長く飽きてしまう。
「母なる証明」韓国映画、原題はMOTHER、ウォンビン主演
少々知恵の遅れた息子が殺人事件の容疑者になってしまう。前半はとろい息子とそれを溺愛する母親の描写が中心。後半は母親が真犯人を求めて鬼気迫る調査を開始するがやがて真相がわかるが驚愕の結末が待っている。
韓国の地方都市が舞台と思われる。町の様子や人間関係がわかって興味深い。主人公の母親は実に切羽詰まっているにもかかわらずユーモラスといおうかとてもとぼけたような雰囲気を出して好演。従来の絶叫調オンリーの韓国映画とは一線を画している。ので予想外に面白く見てしまった。ギターソロ中心の音楽も効果的で、韓国映画らしからぬソフィスティケートな味を出していた。
「さまよう刃」日本映画、寺尾 聡、竹野内 豊、出演
青少年犯罪を裁く法の不備をついた東野圭吾の小説の映画化。残念ながら原作は読んでいない。一人娘を暴行され、殺された父親が犯人(2人)に鉄鎚を下すという話。ただこの映画は少々違っておそらく判決は未成年のため軽微なものになるだろうと、推定した父親がタレこみによって、犯人を知り娘の仇を討つという話になっている。結局一人は自分の手にかけるが2人目は究極の恐怖を味あわせるという手に出たが警察にその真意は伝わらず警察にその父親は射殺されてしまう。社会派ドラマとしては面白かったが、寺尾以外の人物像が希薄だったというか、類型的だったのが少し残念。例えば父親が隠れるペンションの親子の挿話などは何か姑息で説明的。それにしても竹野内はいつもワンパターンで新境地が開けないような気がする。(それほど見てはいませんが)
「Drパルナッソスの館」テリー・ギリアム監督
悪魔に娘を売り、不死の寿命を得た、1000歳のマジシャンがいよいよ悪魔に娘を引き渡さなければならない。それをトニーなる男(ヒースレジャー、途中でレジャーが亡くなってしまうのでデップ、ロー、ファレルらが代役で登場する話に変わったので少々ややこしい)が救済するという話。といってもオカルトではなくなにやら作りはおとぎ話風。残念ながら話について行けず途中なんども居眠り。DVDそのたびに逆転させる有様。
大体ファウストに代表させる悪魔との取引はファウストのように自分の魂を売るのが相場だが、なんとこの映画は娘を売ってしまうというのだからひどい話だ。だから出だしから、もうついて行けない。しかも悪魔はマジシャンと何度も賭けをしてしまうなどちょっととぼけた話ではあるのだが。ヒースレジャーが亡くなり三人が代役で出るという話でなければ単なるマニアックな映画として片づけられるような代物だろう。悪魔ものではロバート・デニーロ、ミッキー・ロークの「エンジェル・ハート」の恐怖が忘れられない。もっともギリアム監督はそういう方向を狙ったのではあるまいが!
「正義の行方」ハリソン・フォード、アシュレイ・ジャッド、レイ・リオッタ
出演。
役者はそろったが散漫な作り。アメリカは移民の国だが今でもそれが続いており、つまり成功を夢見るひと、亡命する人にとってはアメリカは魅力的な国であり、それゆえなんとしてでも市民権やグリーンカードを取得しようということになる。この映画は不法にそれを取得しようとしたり、アメリカにふさわしくない人々(移民)を取り締まる捜査官の物語。
メキシコ、オーストラリア、イスラエル、韓国、イラン、イラクなどの人々の挿話が散りばめられるがそれがばらばらに提供されるので今一つまとまりに欠けた。いろいろな挿話が、少々古臭いが、一つの流れに収斂させたほうが映画としては面白かったと思うが、この映画はどうもそれを狙ったのではなくこういう捜査官の活動をPRした映画のように感じた。
「ゴールデン・スランバー」堺雅人、竹内結子、香川照之、主演
伊坂幸太郎の小説の映画化、役者も揃った大作?
小説も読んだがほとんど頭に残っていない。今日風な作品と片づけてはいけないが、切羽詰まった話なのにそれを額面通りには受け取れない何かがある。それは一言で言ったら何かリアルな世界をおちょくっているような趣を感じるのである。例えば銃を撃ちまくる刑事、ベビーフェース通り魔がそれだ。原作にあったか覚えていないが。今の若い人の小説や映画は大体そうだ。ひところ、はやった「病院もの」もそうだった。そういう意味でこういう小説や映画には面白くても感情移入ができなくなっている自分の老化が悲しい。映画としては面白かったが荒唐無稽さが目に付いた。
「笑う警官」大森南朋、松雪泰子主演
佐々木 穣の小説の映画化。小説も今一つピンとこなかったが映画も今一つだ。最大の理由は人物が物差しで測ったように類型的だということ。まるでこう言った人物とパソコンに入力したら、それが映像になったというような趣。例えば大森の演じる組織に対して反旗を翻した刑事、サックスを吹いたりまあ大森の地で行くような一見陰影の濃い人物だがあまりにズバリ感があってかえってそんなわけねえだろうって言いたくなる。松雪の演じる優等生刑事も誰だか知らんが正義感を振り回す新人刑事、悪徳上層部達、も見ていて恥ずかしくなるくらい類型的だ。そこには切ったら血が出る人間がいない。劇画の主人公のようだ。失礼ながらデニーズの定食のよう、決してまずくはなかったけれども。こういう安定感も悪くないかも。
「ゼロの焦点」広末涼子、中谷美紀、木村多江主演
松本清張の名作の映画化。女優陣の顔見せみたいなものかと気軽にみたが原作通りではないにしても案外面白かった。舞台も原作通り昭和32年においており、その映像再現も緻密で手を抜いていないところがリアリティーをだしている。特に前半の映像は良かった。後半女優陣がからむと推理ドラマの味が薄くなる。3人の中では木村の純真な娼婦といった役どころが秀逸。
ただ後半の女性の社会進出とうメッセージの出し方が原作にないところだが少々露骨で興ざめ。
「火天の城」西田敏行、大竹しのぶ、主演
山本兼一の小説(未読)の映画化、安土城建設の総棟梁の建設までの物語。
とにかく全編恥ずかしくなるようなセリフと演技で、もし劇場にいたら途中で出ていただろう。良い台詞もふさわしい役者を選んでしゃべらせないと聴くに堪えないものになる。西田のわざとらしい、勿体ぶった演技が最たるもの、娘役の福田の演技は恥ずかしい限り。緒方直人がチョイ役で出ていたのが何かさびしい。映像もCGが今一つで実写と遊離していたように感じた。予算はあるでしょうがプロでしょう、手抜きはいけません。
8/24追記
映画があまりにひどいので原作をチェックしてみた。全然違う。原作は安土を建設する男のドラマであった。しかも信長という歴史を作った男の大宇宙の中でのドラマであった。この映画は原作を相当単純化しているがその方法がおかしい。単純化するときはドラマの骨格を崩してはいけないと思うのだが、原作を部分的につまみ食いしているだけで骨格は消えている、蛸みたいなドラマであり、しかも原作にないくだらない挿話を加えているのでますます蛸みたいなふにゃふにゃなドラマにしている。よく山本氏はこんな映画化を了承したものだ。小説の映画化というのはよくあるがこれほどまでにひどいのは初めてである。興味のある方は是非両方に接していただきたい。
「第9地区」南ア映画、シャルト・コプリー主演
昆虫の生態を持ったエイリアンが女王蜂的なリーダーを失い放浪し南アのヨハネスブルグ上空に漂着する。南ア政府はエイリアンに対して隔離政策をとる。そのキャンプが9地区で、そのエイリアン達を収容しきれなくなった9地区から移設するという話が本線になっていある。南アという国だからこそ作れた映画! アパルトヘイト政策を思わせるエイリアン対策は象徴的だ。また難民キャンプはガザをイメージしているといわれている。かなりハンディカメラを使って撮影されており、リアルな映像にはひきつけられる。何より面白いのはエイリアンが難民になるという設定が秀逸の発想だ。これにうまくメッセージを載せているというのが二重の秀逸。座布団二枚である。後半が単純なアクション化したのが少々残念だが、これは主人公である難民移動の責任者がひょんなことでエイリアンのDNAをもってしまう。それによってエイリアンしか操作できないエイリアンの武器もその男が操作できるようになってしまう。いわゆるリーサルウエポンである、その男のDNAを求めた追跡劇がアクションの伏線にあるという巧みな構成。今年前半で最も面白かった映画の一つ。
〆