ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2010年05月

2010年5月30日
於:ミューザ川崎シンフォニーホール(2階3列、右ブロック)

東京交響楽団第57回名曲全集

指揮:ユベール・スダーン

シューベルト:交響曲第四番「悲劇的」
シューベルト:交響曲第八番「ザ・グレート」

シューベルトの標題付き交響曲2曲によるプログラム。スダーンのシューベルト交響曲全曲は昨シーズンの東響の聴きものだったがこの八番だけは聴き逃していたので期待のコンサート。

まず四番はすでにサントリー定期で聴いていたがキリリとした良い演奏だったと思う。大体この曲の良さはスダーンに教えてもらったようなものなのだから悪いはずがない。カラヤン/ベルリンやベーム/ベルリンでは聴いていたが今一つ面白くなかった。スダーンの演奏でこの曲の良さが初めて分かった。1楽章と4楽章の切羽詰まったような悲痛な音楽、ごつごつした奇妙なスケルッツオ、かと思うと優美なアンダンテなどが30分のなかにごてごて詰まっていてまああまり居心地良い音楽とは思わなかったが、スダーンはヴァイオリンにビブラートをあまりかけないできりっと仕上げている、とても音楽が良く耳に入ってくる。なんといったってこの曲は19歳の青年が書いた曲なのである。それをカラヤンのように豪壮に演奏してしまったらちょっと可哀想だ(この曲が)。スダーンはこの曲を等身大に演奏しているように感じた。この演奏はCDでも出ている。録音は少々音像が大きくなるものの生々しい。
八番はシューベルトの中で最も好きな作品の一つだ。本箱をみてみたら8種類のCDがあった。
ベーム/ベルリン/66年/(50分)
ヴァント/ケルン放送/77年/(51分)
ヴァント/ミュンヘン/93年/(53分)
ヴァント/ベルリン/データなし/(52分)
レヴァイン/シカゴ/84年/(53分)
ノリントン/シュトゥットガルト/02年/(51分)
ベーム/ドレスデン/79年/52分
カラヤン/ベルリン/68年/47分
このうち最も良く聴くのはベーム/ベルリンだ。ベームは亡くなってから忘れられたような存在になっているようで残念だ。このシューベルトは本当に素晴らしい。両端楽章のスケールの大きさ、スケルツオとアンダンテの優美さは勝るものがない。できればウイーンで聴きたかったが残念。
今日のスダーンの演奏は約48分で市販されているCDで比べるとカラヤン/ベルリンが47分だからからそれにほぼ匹敵する速さだ。ベームと比べると全体に少しづつ速い。カラヤンほどではないが聴感上はやはり少々慌ただしく感じる部分はないとは言えない。特に2楽章。しかし決して嫌な音楽にはなっていない。これがスダーンのスタイルなのだろう。きりりとした、従来のどちらかといったら重厚な「グレート」とはちょっと違う。ノリントンに似ていると言えば似ているがノリントンはもう少し過激と思う。よかったのは3楽章のスケルツオートリオである。出足は少々速い、これはベームも一緒、そしてトリオもそんなにテンポは落とさないがトリオ主題の素晴らしいこと、心を締め付けるような音楽でいっぱいである。ベームはもう少しここをふんわりとやるがスダーンはかなり厳しい。4楽章の力強さと迫力はベームと同等。ベームとはだいぶ肌合いが違うが全体としてスダーンの立派なシューベルトが聴けたように思う。

スダーン/東響は先日のイタリアのハロルドに続いて絶好調だ。オーケストラの音が何より滑らかなのが良い。今日のミューザはサントリーホールに勝るとも優るとも劣らないとても良い音を出すホールだということも関係ないとは言えないが弦は柔らかくかつきりりとしているし木管も美しい。今日は特にオーボエとクラリネットがとても気持ち良かった。観客から大喝さいを受けていた。そして金管が全然うるさくない。全体を支える低弦も安定している。  やはり音楽監督制がよいのだろうか?ちょこっと日本に来て2,3回振って’はいさよなら’なんて常任指揮者もいるようだが、スダーンはかなり頻繁に来日して東響を振っており、それによりオーケストラを十分鍛えることもできているのではないだろうか?その他ではアルミンク/新日本フィルに注目したい。彼は来シーズンの定期トリフォニーシリーズ8回(各回2回振る)のうち4回振るのである。相関関係があるかどうかわからないがオーケストラとしての個性形成に役立つのではないだろうか。これは余談です。
                                〆

2010年5月28日
於:サントリーホール(19列中央ブロック)

第620回日本フィルハーモニー交響楽団東京定期演奏会

指揮:小林研一郎
チェロ:ジャン・ワン

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
ドヴォルザーク:交響曲第八番

ドヴォルザークの大曲2つのプログラム。小林研一郎はドヴォルザークを得意にしているようだ。彼の指揮は最近ではブルックナーの四番やシェエラザードを聴いているが、あまり良い印象がなかった。しかし今夜はおそらく最近聴いた日本フィルの演奏でベストだと思う。まず高弦は全くうるさくなく、滑らかだし、いつもは不満の低弦もしっかり支えていた。ジークハルトの時以来の充実だと感じた。金管は嚠喨と冴えわたり、特にトランペットの気持ち良く吹いていることったらこちらまで気持良くなるほどである。そしてティンパニは火の玉の様だ。思い切りたたきパーンという、何という気持ち良さ。指揮者の威力だろうか?

チェロ協奏曲はあまり得意ではないが今夜は久しぶりに聴いていて気持ち良かった。1楽章の序奏の部分でもう胸にじんとくる。チェロが入る直前ホルンから木管の各楽器に主題がつながる様は思わず聴き惚れてしまった。チェロのジャンワンは中国人。3楽章で初めてイメージ通りのチェロが聴けた。冒頭独奏で主題を演奏するがその音楽の素晴らしいこと。胸が締め付けられるようだ。この曲、なかなかフィニッシュが来ないのでいつもいらいらさせられるが、今夜はそんなことはなかった。
アンコールは中国古謡で「二泉映月」というものこれも心にしみる良い音楽。

交響曲第八番は新世界に隠れてはいるが新世界と同等かそれ以上の名曲だと思う。CDではカラヤン/ウイーン(61年)という名演がある。カラヤン新盤やセル/クリーブランドもあるがこの古い録音は私にとって唯一無二の演奏だ。カラヤンがまだ50歳代で颯爽とした指揮ぶりを彷彿とさせる。パートナーがウイーンフィルというのも価値を高めている。最近エソテリックからSACD化したものが出ているがこれはより一層豊かな音が聴ける。4楽章のコーダの指揮者とオーケストラの一体感は奇跡に近い。
小林の指揮はかなり遅い(41分)カラヤンが37分だから推して知るべし。2楽章はカラヤンとほぼ同じ時間だがその他の楽章はすべて長い。しかし冗長な感じはまったくしない。カラヤンが一気に一筆書きの様に駆け抜けるのに対して、小林は一つ一つ丁寧に音符を音にしているようだ。4楽章はもちろん素晴らしいが中間の2つの楽章が小林らしさ一杯の様な気がした。2楽章は懐かしさ、(何か子供のころ田舎で遊んだような記憶が溢れてきそうなそういう郷愁と言ったらよいだろうか?)が一杯である。3楽章は切なさがみなぎっている。特に中間部は胸に迫る。
4楽章は最後の部分でオーケストラがちょっと指揮者について行けないようなところがあったように思う。ここはカラヤンのCDのようにオーケストラが一つの楽器のようにになってクライマックスに突入する様には行かなかったようである。しかしカラヤンと違うアプローチでこの名曲を描いたことは間違いないだろう。それも素晴らしくだ。

何度かの拍手の後、小林から「今年4月に70歳になり、日本フィルの桂冠指揮者になった。日本フィルと演奏ができるのは喜びである。みなさんの応援よろしく」の意の挨拶があった。そのあと異例であったが八番の交響曲の4楽章のコーダの部分をアンコールとして演奏した。
満足のゆくコンサートでした。
                                〆

2010年5月23日
於:新国立劇場(17列中央ブロック)

リヒァルト・シュトラウス:「影のない女」

指揮:エーリッヒ・ヴェヒター
演出:ドニ・クリエフ

皇帝:ミヒャエル・バーバ
皇后:エミリー・マギー
乳母:ジェーン・ヘンシェル
バラク:ラルフ・ルーカス
バラクの妻:ステファニー・フリーデ
霊界の使者:平野 和
宮殿の門衛:平井香織
若い男:高野二郎
鷹の声:大隈智佳子
バラクの兄弟:青戸 知、大澤 健、加茂下 稔

管弦楽:東京交響楽団

新国立劇場の今シーズンの期待の舞台。予想にたがわず素晴らしい公演だった。第一の要因は歌手陣にほとんど傷が無かったことだと思う。特に女性陣はとてもよかった。皇后役のエミリー・マギーは新国立でモーツァルト、フィガロの伯爵夫人やイドメネオのエレットラを歌ってきた実力者だし、バラクの妻のステファニー・フリーデもムチェンスクのマクベス夫人の感動的なタイトルロールを歌ってきたこれも実力者。マギーは特に三幕の歌唱が素晴らしいと思った。フリーデも安定していて安心して聴けた。乳母役はすさまじく不恰好で、よたよたと歩く(演出なのか本当にそうなのかは不明)姿は、メフィストを髣髴させる不気味さで声も役作りにあっていたように思う。
男声陣はなんと言ってもバラクが素晴らしかった。その豊かな深い声は魅力的でバラクの人柄を表していたように思う。皇帝は少々不安定だと思った。もう少しのびのびした声を聴きたかった。
海外の引越し公演で時々がっかりするケースに遭遇するが、この影のない女や先日の演奏会形式のパルシファルなどのように国内の団体でも充分世界に通用するのではないかと改めて感じた。いながらにしてこのような公演に接することができるのがうれしい。

珍奇な演出や装置が多い昨今のオペラ公演だがこの公演はそれほど違和感がなかった。装置はト書きどおりというわけにはいかないし華やかさもないが、簡素ながらうまくアレンジしてあったように思う。新国立の舞台をうまくいかして場面転換もスムースに行われた。例えばバラクの家は家の立体図をばらばらにして立てかけているだけ。いわゆる張りぼてでバラクの家のシーンはこのはりぼての前で演じられる。しかし面白いのはこのはりぼてがバラクと女房が仲直りする三幕ではうまく組み合わされて、一軒屋になってしまうなど随所に工夫はある。ただオペラの性格上幻想的な舞台を期待していただけにそういう面ではちょっとがっかりだ。演出も余計な所作もなくシンプルなものでわかりやすかった。三幕の皇帝が石になる場面などどうやるのかとはらはらしていたがさらっと逃げていた(失礼)。三幕で乳母が船に流されてゆくシーンは床が抜けて地底に落ちてゆくように演出していたがドンジョバンニの地獄落ちみたいでこれはこれで考えたなあと感心してしまった。
細かいところだが皇后の影の処置はもう少しうまくやってほしかったなあと思った。

演奏は東京交響楽団で指揮はエーリッヒ・ヴェヒター、ヴェヒターはデトモルト州立歌劇場というどこにあるかもわからない劇場の音楽監督だそうだがこの複雑な音楽を聴くのに何の過不足も無い演奏だったように思う。バラクとバラクの女房が仲たがいした一幕の後半の弦(ヴィオラ)の独奏や二幕二場の冒頭の弦(チェロ)など静かな部分がとても印象的だった。正直言ってCD以外でこの曲にふれるのは初めてだったのであれよあれよというまに全曲が終わってしまったという印象でした。

全体を通してやはり三幕が最も感動的だったように思う。特にこの幕の3人の女声陣は本当に素晴らしいと思った。日本勢も健闘していた。一人で歌う役よりもバラクの兄弟や夜番たちの声などアンサンブルで聴いたシーンは印象的。夜番の歌などはCDでは聴き飛ばすのにこの公演では聞き惚れてしまった。

反省はもう少し台本を丁寧に読んで公演に臨むべきだと改めて感じた。おとといのペレアスにしてもこの影のない女にしてもカプリッチョではないが、音楽か詩かといったら、どちらかといえば詩が勝っているのではないだろうか、といったら怒られるだろうか?自分にとってそれだけこのリブレットは難解ということである。洒落ではないが何回読んで理解できない歌詞が随所にあるのだ。これは余談。
                                          〆

2010年5月22日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

第578回東京交響楽団定期演奏会

指揮:ユベール・スダーン
ピアノ:ミケーレ・カンパネラ
ヴィオラ:青木篤子

リスト:呪い、ホ短調
リスト:ピアノ協奏曲 第2番
ベルリオーズ:交響曲「イタリアのハロルド」

リストとベルリオーズというほぼ同時代の作曲家で組まれたプログラム。スダーンの今年のテーマはシューマンの周辺だそうだ。
もうひとつ今日のプログラムには特徴があって3曲とも独奏楽器がからむ。
 リストの「呪い」は彼が20代の後半に書いた曲らしい。ピアノと弦5部という珍しい構成。正直いってピアノの妙技しか耳に残らなかった。
 ピアノ協奏曲は豪壮な1番ではなくちょっと大人しい2番。全体で6部からできていて通して演奏される。印象的なのは3部でチェロとピアノが美しい旋律を掛け合いながら音楽を進めて行く。それに木管などがからみ美しいこと極まりない。今日の演奏もここが一番よかった。あとはカンパネラのピアノの妙技に唖然とするばかり。コーダの1分ちょっとの音楽の凄まじさ。圧倒された。アンコールもなかった。
 イタリアのハロルドはベルリオーズで最も好きな曲だ。多分幻想より好きだろう。CDは三枚もっている。
シャルル・ミュンシュ/ボストン
コリン・デービス/ロンドン
ロリン・マゼール/ベルリン
この中では圧倒的にミュンシュが素晴らしい。古い録音だが全く気にならない。4楽章の凄まじさはたとえようがない。唯一無二の演奏だと思う。
 今夜のスダーンの演奏はミュンシュより長い。特に1楽章が3分ほど長い。その他はほぼ同じ演奏時間である。聴きものはやはり4楽章だろう。ミュンシュとほぼ同じ時間で駆け抜けるが、強奏になっても、テンポをあげても音は全くうるさくならず、それでいて凄まじい迫力だ。聴き終わった後は、感動とともに爽快感すら覚えた。(ハロルドには申し訳ないが)
面白かったのはちょっとした演出をスダーンがしていたこと。この楽章ヴィオラの独奏が最初と最後にしか出てこない。10分ほど空白の時間となる。ヴィオラ=ハロルドは盗賊に捕えられていて沈黙せざるを得ないからだ。その間青木は一旦舞台から降りて、舞台右そでにうずくまってしまう。気分が悪いのではなくハロルドの演技を青木がしているようだ。ヴィオラ奏者もなかなか大変だ。そして最後にもう一度ヴィオラが現れてくる箇所になると、舞台右そでの階段から舞台に上がりコントラバスの横で弾き始めるのである。ちょっと煩わしい演出ではあるが、舞台に10分ずっと立っているよりいいかもしれない。
3楽章もとてもよかった。とくにアレグレットでイングリッシュホルンから始まるモチーフがいろいろな楽器につながれるシーンは実に美しく聴き映えがする。
 2楽章はあまり好きな楽章ではなかったが聴きこむと同じ旋律の繰り返しながらだんだん楽器量を増やして盛り上がってゆく様はわくわくする。東響の弦も木・金管は本当に安定していると思う。
大満足のコンサートでした。
                                〆

2010年5月21日
於:すみだトリフォニーホール(1階、14列左ブロック)

第461回新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
トリフォニーシリーズ

ドビュッシー:「ペレアスとメリザンド」演奏会形式

指揮:クリスティアン・アルミンク
演出:田尾下 哲

ペレアス:ジル・ラゴン
メリザンド:藤村実穂子
ゴロー:モルテン・フランク・ラルセン
アルケル:クリストフ・フエル
ジュヌヴィエーヴ:デルフィーヌ・エダン
イニョルド:アロイス・ミュールバッヒャー
医師、羊飼い:北川辰彦

合唱:栗友会合唱団、指揮:栗山文昭


演奏会形式による意欲的な「ペレアスとメリザンド」、オーケストラの背後に巨大なスクリーンがありそこにほぼト書きに沿ったリアルな映像が映し出される。歌手は主にこのスクリーンの前で最少の演技で歌う。もうひとつ指揮者の前にも歌うスペースがあってそこでも歌う。お互いの気持ちが隔てられている時は後ろと前で離れて歌っていたようだ。たとえばゴローとメリザンドは最初は同じ場所で歌うがお互いの気持ちが離れる後段では離れて歌っていたと言う塩梅。

スクリーンに映し出される映像はカラーではなくモノクロに近い色合い。リアルとは言ったものの実際はCGである。例えばメリザンドとペレアスが失くした指輪を探しに海辺の洞窟に行くがその洞窟の映像がかなり写実的。乞食らしい人物まで映像に作り出している。ペレアスとゴローが城の地下の洞窟に行く場面も同じで大きな洞窟が映し出される。圧巻はペレアスとメリザンドが城の塔の窓と地上とで戯れるシーン。塔からメリザンドの長い髪が降り注いで来る様を光で表現して幻想的な雰囲気を出していた。また場面転換でもアルケル王の領地の森の情景を映し出していたのも効果的に思えた。へんてこりんな装置の多い昨今の舞台よりもこのほうがずっと良いと思ったがモノクロがずっと続くと少々飽きが来る。もう一工夫あればもっとよかったかもしれない。

音楽だがこのオペラはアリアなどまったくなくメーテルランクの戯曲の台詞に音楽をつけているだけで一聴するとちょっと退屈である、しかし台詞=台本を良く見ながら音楽を合わせて聴くと配役の心の動き、動作に煩わしいほど音楽がリンクしているのがよくわかる。したがってこのオペラもシュトラウスのオペラと同じで歌詞について深い理解が求められる。初めに音楽ありきではないのである。音楽は従のオペラと私には思われる。

今夜の歌手は皆素晴らしく過不足は感じられなかった。イニョルドにもボーイソプラノを使うなどアルミンクも配役については良く考えたのではないか?自宅ではアンセルメ/スイスロマンドの古いCDで聴くがイニョルドがソプラノなので何か違和感があった。アルミンクの音楽はアンセルメの演奏よりかなり遅いが聴感上は全く遅いとは感じられなかった。

このようなパフォーマンスにもかかわらず今夜はなぜかこの作品に没入できなかった。かなり予習をしたつもりだったが途中で少々退屈になってしまった。申し訳ありません。一昨年だったか関西二期会で初めてこのオペラを新国立中劇場で聴いた時は実に新鮮に感じられたのにどういうことだろう。帰りの車中でもずっと考えたが理由は思い浮かばなかった。まあこういう夜もたまにはある。
                                〆

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