2010年4月27日
於:サントリーホール(17列中央ブロック)
指揮:シャルル・デュトワ
演奏:フィラデルフィア管弦楽団
ストラヴィンスキー
バレエ「火の鳥」
バレエ「春の祭典」
ユージン・オーマンディーの時代レコードでフィラデルフィアサウンドは良く聴いたが、今夜初めて生の音に接した。正直言ってもう数十年前のレコードの記憶だからあてにならないわけで、内心どんな音を聴かせてくれるのか、期待と不安をない混ぜた気持ちで会場に入った。10分前に入ったのだが、もうオーケストラの団員は八分方入場して音合わせをしているのにはびっくりした。大体定時からしばらくしてオーケストラの団員が整然と入ってきて拍手で迎えるというのが決まりみたいなものだから。
団員には随分と東洋系の人や女性が多いのに気づく、名簿をみても日本や韓国の名前が散見された。
さて、火の鳥が始まってすぐ、弦がとても美しいのにびっくりしてしまった。このところミュンヘンなど欧州の音ばかり聴いていたものだからちょっと違うにしてもその美しさは甲乙つけがたいし言葉には表せないほどである。さらさらしているがビロードみたいに艶があり、いくら大きな音を出してもうるさくないのである。とにかくずっと浸っていたいぐらい美しい。
火の鳥は序奏からしばらくは静かな音楽が続くがこれが正に極彩色の絵巻のよう。木管や弦がソロで妙技を繰り出すので場面が変わるごとに本のページをめくるように新しい音楽が次から次へ出てきてあれよあれよと時間が過ぎる。
そしてクライマックスのカスチェイの凶暴な踊りから最後までの盛り上がり。金管は輝かしく、弦は艶々、そして打楽器の炸裂、まさに音の洪水で息をのむばかり。これがストラヴィンスキーの音楽なのか!
春の祭典はファゴットの独奏で始まる、この序奏はファゴットはじめ木管がものすごく美しい。しかしその次の春の兆しから乙女の踊りが何か大人しい。「ゲルギエフ/キーロフ」のCDの最初からエンジン全開のような演奏とは趣が違う。スマートな春祭なんて聴きたくないと思っていたら春の踊りの後半からすさまじくオーケストラが鳴りだした。そして大地への口づけの一瞬の静寂の後の大地の踊りの凄まじさは手に汗握る。デュトワがオーケストラを思い切りドライブしているのが見て取れる。こういうのはライブでないと味わえないだろう。
後半は全編スリリングである。前半の大地礼賛もそうだがティンパニと大太鼓がすさまじくこの世のものとは思えない迫力。ゲルギエフのCDも大太鼓の音がしっかり入っていて我が家で鳴らすと部屋が揺れるようだが、今夜はサントリーホールが鳴動する感じだ。祖先の儀式からいけにえの踊りが特にインパクトがあった。
ストラヴィンスキーを得意とするデュトワらしく両曲とも素晴らしかった。最近聴いた本邦のオーケストラの何か生煮えみたいなストラヴィンスキーとは随分違って聴こえた。今夜この二曲を聴いて初めてストラヴィンスキーの音楽に接した気分である。本邦のオーケストラも個々のプレーヤーには見るべきものがあるのだが一瞬の集中に差が出ているような気がする。ばらばらとは言わないが凝縮しない場合があるのだ。今夜のフィラデルフィアもそうだし、先日のミュンヘンもそうだがここぞという時にガツンとくるのである、我ながら表現力の乏しさがもどかしい、やはりトレーナーの問題ではないだろうか?
脱線したがアメリカのオーケストラも本当に素晴らしいと思った。ただこのサウンドでベートーベンやブルックナーはどうだろう?
今秋クリーブランドが来るが比較が楽しみである。内田光子の弾き振りでモーツァルトが聴ける。夢のようだ。
本チャンがあまりに凄いので忘れていました。アンコールはシベリウスの悲しいワルツでした。これはいりません。
〆
於:サントリーホール(17列中央ブロック)
指揮:シャルル・デュトワ
演奏:フィラデルフィア管弦楽団
ストラヴィンスキー
バレエ「火の鳥」
バレエ「春の祭典」
ユージン・オーマンディーの時代レコードでフィラデルフィアサウンドは良く聴いたが、今夜初めて生の音に接した。正直言ってもう数十年前のレコードの記憶だからあてにならないわけで、内心どんな音を聴かせてくれるのか、期待と不安をない混ぜた気持ちで会場に入った。10分前に入ったのだが、もうオーケストラの団員は八分方入場して音合わせをしているのにはびっくりした。大体定時からしばらくしてオーケストラの団員が整然と入ってきて拍手で迎えるというのが決まりみたいなものだから。
団員には随分と東洋系の人や女性が多いのに気づく、名簿をみても日本や韓国の名前が散見された。
さて、火の鳥が始まってすぐ、弦がとても美しいのにびっくりしてしまった。このところミュンヘンなど欧州の音ばかり聴いていたものだからちょっと違うにしてもその美しさは甲乙つけがたいし言葉には表せないほどである。さらさらしているがビロードみたいに艶があり、いくら大きな音を出してもうるさくないのである。とにかくずっと浸っていたいぐらい美しい。
火の鳥は序奏からしばらくは静かな音楽が続くがこれが正に極彩色の絵巻のよう。木管や弦がソロで妙技を繰り出すので場面が変わるごとに本のページをめくるように新しい音楽が次から次へ出てきてあれよあれよと時間が過ぎる。
そしてクライマックスのカスチェイの凶暴な踊りから最後までの盛り上がり。金管は輝かしく、弦は艶々、そして打楽器の炸裂、まさに音の洪水で息をのむばかり。これがストラヴィンスキーの音楽なのか!
春の祭典はファゴットの独奏で始まる、この序奏はファゴットはじめ木管がものすごく美しい。しかしその次の春の兆しから乙女の踊りが何か大人しい。「ゲルギエフ/キーロフ」のCDの最初からエンジン全開のような演奏とは趣が違う。スマートな春祭なんて聴きたくないと思っていたら春の踊りの後半からすさまじくオーケストラが鳴りだした。そして大地への口づけの一瞬の静寂の後の大地の踊りの凄まじさは手に汗握る。デュトワがオーケストラを思い切りドライブしているのが見て取れる。こういうのはライブでないと味わえないだろう。
後半は全編スリリングである。前半の大地礼賛もそうだがティンパニと大太鼓がすさまじくこの世のものとは思えない迫力。ゲルギエフのCDも大太鼓の音がしっかり入っていて我が家で鳴らすと部屋が揺れるようだが、今夜はサントリーホールが鳴動する感じだ。祖先の儀式からいけにえの踊りが特にインパクトがあった。
ストラヴィンスキーを得意とするデュトワらしく両曲とも素晴らしかった。最近聴いた本邦のオーケストラの何か生煮えみたいなストラヴィンスキーとは随分違って聴こえた。今夜この二曲を聴いて初めてストラヴィンスキーの音楽に接した気分である。本邦のオーケストラも個々のプレーヤーには見るべきものがあるのだが一瞬の集中に差が出ているような気がする。ばらばらとは言わないが凝縮しない場合があるのだ。今夜のフィラデルフィアもそうだし、先日のミュンヘンもそうだがここぞという時にガツンとくるのである、我ながら表現力の乏しさがもどかしい、やはりトレーナーの問題ではないだろうか?
脱線したがアメリカのオーケストラも本当に素晴らしいと思った。ただこのサウンドでベートーベンやブルックナーはどうだろう?
今秋クリーブランドが来るが比較が楽しみである。内田光子の弾き振りでモーツァルトが聴ける。夢のようだ。
本チャンがあまりに凄いので忘れていました。アンコールはシベリウスの悲しいワルツでした。これはいりません。
〆