ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2010年03月

2010年3月31日
於:サントリーホール(15列右ブロック)
 
指揮:エリアフ・インバル
メゾソプラノ:イリス・フェルミリオン
女声合唱:晋友会合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団
 
マーラー:交響曲第三番(演奏時間;94分40秒)
 
素晴らしい演奏会だった。都響としてはベストパフォーマンスではないだろうか?先日のブルックナーはあまりにこじんまりしすぎて面白くなかったが今夜は各楽器が実に生き生きしていてスケールの大きい演奏になった。
1楽章は少々固い入りではあったが2楽章ではそのようなことがなく美しい音楽を生み出した。圧巻は3楽章でポストホルンがさざ波のような弦に乗って聴こえてくるさまは夢のよう、トランペットとポストホルンの絡みも素晴らしい。
4楽章のメゾは少々大味なるも豊かな声、5楽章のビムバムの女性と児童合唱は実に感動的。
5楽章は少々弦が固いのが気になったが後半の盛り上がりがスケール大きく大満足。
インバルは遅いところはかなり遅いが例えば1楽章の軍隊行進曲などはテンポを上げるなどしてめりはりたっぷり、いささかも冗長さのない演奏だった。
今夜を支えたのは金管群だろう、トランペット、ホルン、トロンボーンどれも安定していて全く破綻のない演奏。特にトランペットのホールにしみるようなさわやかな音に感動した。あえて言えば弦が今一つ柔らかさに欠けた。低弦はもう少し豊かに膨らんで欲しい。ミュンヘンの音を聴いた後だからかもしれない。しかしピュアなフレッシュな音は相変わらずであった。
                                            〆

2020年3月28日
於:横浜みなとみらいホール(11列左ブロック)
 
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団横浜公演
指揮:クリスティアン・ティーレマン
 
ブルックナー:交響曲第八番
 
実にスケールの大きなブルックナーだった。一昨日のミスターSの読響の演奏とは随分と肌合いが違うものだった。まずオーケストラ。やはり読響がベストの演奏でもこのミュンヘンの音にはかなわない。低弦やティンパニの地の底から湧き出るような音は肌に粟を覚える。演奏時間は初体験の長さである。約90分である。ギュンター・ヴァントの86分をはるかに超える。特に3楽章はなんと30分、2楽章に至っては17分もかけている。このスタミナの凄さ。聴いているほうがばててしまって4楽章は少々辟易した。
1楽章は雄大な再現部が聴きもの。
2楽章はスケルツオが4回帰ってくるが最後の手前の部分でぐんと音量を落として最後の盛り上げに向かってゆく様が印象的。トリオは天国的な美しさだが遅い。
3楽章はもっとも感動的だった、これはミスターSの演奏と同様。特に第1主題が2回戻ってくるがその美しさは比類ない。また第2主題のホルン・ワグナーチューバの合奏も心を揺さぶる。
4楽章の提示部のティンパニの迫力は読響以上。中間が何かだれて聴こえたのはこちらの責任だと思う。コーダも実に長大でスケールが大きい。ティンパニの連打は地底からのようにドスンドスンと凄みがあった。最後は2楽章と同じにちょっと見栄を切るような終わり方が好みの分かれるところ。これはティーレマンの若さと取るべきだろう。今はどんどんいろいろなことをやるべきだし、この年で完熟したような演奏は期待すべきではないだろう。彼が70歳の時にどのような演奏をするのが楽しみである。それにしてもこの演奏時間ちょっと長いですね。
                                            終わり
                                             
 

2010年3月26日
於:サントリーホール(14列中央))
 
読売日本交響楽団第491回定期演奏会
 
ブルックナー:交響曲第八番(1890年版、第2稿)
(演奏時間82分)
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー
 
スクロヴァチェフスキーの読響常任指揮者としてのラストコンサート。期待にたがわぬ名演奏だった。
全体として印象に残ったのは主題の提示の明晰さ。今まで各楽章の主題はふんふんと聴いていたが今日ほど意識させられたことはない。特に1,3,4楽章。
楽章としては4楽章が最も感銘が深かった。時間もたっぷりかけて、どっしりした音楽だった。次いで1楽章、特に再現部第3主題の盛り上がりは凄まじい。
ちょっと違和感があったのは2楽章のスケルッツオ。ティンパニが最初はとろとろしているのは良いがそれがほとんど最後まで続くのは物足りない。第2稿(ノヴァーク版だからかな?)もっとも最後の最後でパーンとくるが!しかしトリオの部分の美しさは比類ない。
4楽章の提示部のティンパニの強打は痛烈、、しかしコーダが今一つ盛り上がらないのはどうしたことか?ちょっと抑えたように聴こえた。ここは思い切りオーケストラを鳴らして欲しかった。
読響は今まで聴いた中では最も低重心。どっしりした低音に支えられているからそれに乗った高弦がとても美しい。金管も昨夜の東京都以上。
ライブの八番としてはカラヤン/ベルリンに次いで感銘の深い演奏だった。
                                             終わり
 

2010年3月25日
第694回東京都交響楽団定期演奏会
於:東京文化会館(25列中央ブロック)
ブルックナー:交響曲第八番(第1稿・1887年版)
(演奏時間約75分)
 
指揮:エリアフ・インバル
 
とにかく面白い曲であり演奏だった。この第一稿はいわゆる第二稿やハース版とは偉く違っていてごつごつしていて、なおかつ滅法迫力のある音楽である。ハース版はこれに比べれば随分と洗練されて(ブルックナーで洗練とは妙ではあるが)いることが良くわかる。第一稿はシモーネ・ヤング/ハンブルグフィルの名演奏名録音がある。この音は本当に深々としてドイツの音楽を感じる。
それに比べると都響の音はもう少しさらっとしていて全体に音楽がコンパクトに感じる。弦は実にさわやか。ただ低弦は少々物足りない。金管群は一部あれれというところはあったもののほとんど崩れがない。経過句における木管も実に美しい。インバルの指揮もてきぱきとして演奏時間もおよそ75分でかなり速かった。いろいろ聴いてきたブルックナーとはだいぶ違うがしかしこれはこれで良い演奏だったと思う。好みからいうと昨年のブルックナー五番のほうが良かったと思う。
 
                                             終わり

2010年3月21日
於:新国立劇場(14列中央ブロック)
 
ワーグナー「神々の黄昏」
 
指揮:ダン・エッティンガー
演出:キース・ウォーナー
 
ジークフリート:クリスティアン・フランツ
ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン
アルベリヒ:島村武男
グンター:アレクサンダー・マルコ=ブルメスター
ハーゲン:ダニエル・スメギ
グートルーネ:横山恵子
 
演奏:東京フィルハーモニー
合唱:新国立劇場合唱団
 
トウキョウリングもいよいよ最終を迎えた。しかし一度見ているこの演奏全く記憶に残っていなかったのでちょっと驚いた。前作にしろワルキューレにしろわずかながら記憶があったのだが!
 
どうしても演出から入らざるを得ないだろう。しかしこういう演出だと、あれはどういうことかなんて考えていると音楽がそっちのけになってしまうので善し悪しだと思う。
全体のトーン、装置など相変わらずメルヘン的な要素も多い。今回気になったところを列記してみた。
・ジークフリートのラインへの旅立ちの音楽の場面ではナビのような映像が舞台いっぱいに映し出されて、ギービッヒ家の位置やブリュンヒルデのいる火の山の位置が良くわかった。
・一幕、ジークフリートとグンターが腕に傷をつけ血盟を結ぶシーン。ハーゲンがそれぞれから注射器で血をとってそれを酒に入れ、飲む。
・一幕、幕切れでグンター役がブリュンヒルデの家に入ってゆくが、舞台前方ではジークフリートが椅子に座って苦悶しているという何ともややこしい演出。大体グンターはジークフリートが隠れ兜でグンターに扮装しているのだから舞台上に居れるはずがない。第一ジークフリートはブリュンヒルデのことを忘れているのではなかったか、策士策に溺れる。
・二幕、アルベリヒ/ハーゲンの二重唱、アルベリヒは病院で死にそうになっている。ハーゲンがそれを見舞いにきたという設定のようだ。最後はハーゲンがアルベリヒを枕で窒息死させるというのだからすさまじい。しかもその後ハーゲンは腕に麻薬を打つ。
・二幕、ブリュンヒルデがグンターに引きずられるように登場する場面。今回の演出ではブリュンヒルデの家ごとギービッヒ家の女性たちが引きずって登場。グンターがジークフリートとグートルーネと歌うとその家の中からブリュンヒルデが飛び出してきてジークフリートにしがみつくがジークフリートは知らん顔。
・二幕、幕切れの3重唱、背景でジークフリートがふらついているのをブリュンヒルデが見つけ、近寄ろうとする。ジークフリートを殺す相談をしているのに未練がまだあるのか?
・三幕、ジークフリート暗殺の場面、ハーゲンはなんとグンターから槍をもらってその槍でジークフリート背中を刺す。しかしその後グンターはハーゲンになにをするのかと歌うのだからちょっとひどい。凶器を殺人者に渡した人物が殺人者に「何をするのか」なんて普通言わない。
・三幕、ジークフリートの死と葬送行進曲、ジークフリートが歌った後、葬送行進曲になるが普通はジークフリートはもう死んでいるシーン。しかしここではまだ死なないのだ。指輪をもって舞台奥に立つブリュンヒルデと思しき女性に渡すべく必死で這って行くが途中で力尽き、音楽のクライマックスで息絶える。まあこれはちょっと感動的だった。
という具合まだまだ、いくらでもあるがきりがない。面白い、がしかしこんなに細かく演出する必要があるのだろうかとも思ってしまう。音楽の役割は何なんだろうといつもこういう演出に触れると考える。しかしパリオペラ座のトリスタンとバイロイトのリングに接してから何でも来いの心境である。
 
さて肝心の音楽はどうか?エッティンガー節炸裂の巻である。過去三作いずれも超と言うくらい遅いが今夜もそうだった。およそ280分の演奏時間。我が家のCDではティーレマン/バイロイトが最も遅いがそれをさらに10分近く上回っている。ベームに比べると30分近く長いのだから別の曲みたいだ。遅いところをものすごく遅く演奏しているからだと思う。たとえば一幕でジークフリートは忘れ薬入りの酒を、グートルーネから受け取り飲むシーンの前後の音楽は超スローだった。決して悪いとは言わないが弛緩する面もないとは言えない。しかしアルベリヒ/ハーゲンの二重唱のように効果的な場面もあるから、もう少しテンポの(遅い音楽の)柔軟性があっても良いのではないかと感じた。たとえば葬送行進曲では最初ゆったりと入り、だんだん盛り上げて行くテンポ設定がとても気持ちよく演出も相まってとても感動的だった。終演後に一部からブーイングが飛んでいたのはテンポ設定が原因ではないかと思う。
 
歌手陣はおおむね良好。
イレーネ・テオリンのブリュンヒルデは「ジークフリート」で気になった癖も今夜はあまり気にならなかった。むしろ圧倒的なパワーでブリュンヒルデの存在感を出していた。
クリスティアン・フランツは安定感のあるジークフリートだったが、三幕はちょっと粗っぽかったように感じた。たとえば狩り場のシーンで徐々に昔を思い出すところの歌唱。
グンターは容姿も声もグンターにぴったりのように思われた。
ハーゲンは声がちょっと硬質であったが「HAIHO!」、や二幕幕切れの三重唱は迫力があった。もう少し腹の底からでるようなふかぶかした声のハーゲンを聴いてみたい。ショルティ/ウイーンフィルのCDではハーゲンのイメージぴったりのゴットロープ・フリックの名演が聴ける。
2人の日本人独唱者はいずれも好演。特にグートルーネ/横山の歌唱がこんなに気になったのは初めてだ。とても存在感があった。
 
オーケストラの東フィルも好演。三幕後半ではちょっと息が切れたかもしれない。しかし二幕の「HAIHO-」の金管(舞台近くの2階のバルコニーにトロンボーンを置いたパノラマ効果)のド迫力。葬送行進曲のクライマックスの凄まじさなど随所に見せ場があった。日本のオーケストラでリングがこんなに立派な水準で聴けるなんてほんとうに夢みたいだ。
                                           終わり
 

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