ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2010年02月

2010年2月28日
於:サントリーホール(19列中央ブロック)

東京交響楽団第575回定期演奏会

指揮:ラモン・ガンバ

ホルン独奏:シュテファン・ドール、竹村淳司、ジョナサン・ハミル、上間善之

シューマン/ラヴェル編:「謝肉祭」より
前口上、ドイツ風ワルツ、間奏曲・パガニーニ、ダーヴィッド同盟の行進

シューマン:コンツェルトシュテック
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」全曲版(1910年)

シューマンの2曲は珍しいもの。今何でこの曲かはよく分からない。しかも火の鳥との組み合わせだからますますへんてこなプログラム編成だ。
謝肉祭はラヴェルがオーケストラに編曲したもの。こういうものがあるとは知らなかった。4曲しか残っていないそうだ。だから言うわけではないが同じくラヴェルが編曲して大成功したムソルグスキーの「展覧会の絵」と比べたら大分肌合いが違う。展覧会の絵は豪壮かつ繊細な管弦楽の名曲であるが謝肉祭はバロック風宮廷音楽の趣である。弦楽が中心で木管で味付けしたような編曲で何か冴えない。演奏も何か神経質で落ち着かない。弦がいつものように滑らかでないのが気になった。

2曲目の4丁のホルンのための協奏曲も珍しい曲。ベルリンフィルの奏者であるステファンドールが客演している。謝肉祭と違ってシューマンらしい重厚な音楽ではあるが耳に残らない。ホルンの妙技ばかり記憶に残った。しかもアンコールあり。シューマン「楽園とぺリ」からおやすみでした。

火の鳥はストラヴィンスキーのバレエ音楽の中で初期の3部作の一つである。なぜか機会がなくライブは今夜が初めてである。CDはゲルギエフの指揮したものを愛聴している。今夜の指揮はラモン・ガンバというイギリス人、格闘家みたいにとてもがっちりした体格で体格どおりダイナミックな指揮ぶり。しかし音楽は後半のカチェイ王の登場になっても指揮がいきり立つほどにはあまり盛り上がらない。何か音楽が凝集より拡散してしまうように聴こえた。ワグナーチューバなど金管を2階座席などに配してパノラマ効果をだそうとしているがかえって気が散っていけない。これなら家でCD聴いていたほうが良いくらい。わずかに前半の木管楽器などの独奏がとても美しく心に残った。この曲は極彩色のモダンな音楽かと思ったが今夜のこの演奏を聴いてロシア音楽だなあと改めて感じたのが今夜の収穫かもしれない。

今年はフィラデルフィアが来て火の鳥と春の祭典を演奏するがどのような音楽か楽しみである。
                               終わり

久しぶりに映画館に行ったらまた映画が見たくなった。たまには音楽をほっぽりだして映画で気分転換もいいかなと思う。

「アバター」ジェームス・キャメロン監督
とても人気のある映画で見に行ったらチケットが完売で見れず再チャレンジしてやっと見ることができた。
この映画の批評は数多く出ているし最近では2/24の朝日新聞の朝刊でも多くの識者がコメントしているので特にいうことはないが、昔の3D映画とは全く異次元の世界であることは言える。昔は部分3Dで見せ場になると3Dになるのでそこで眼鏡をかけるのだった。アバターははじめから眼鏡をかけたまま見る。とにかく映像が素晴らしい。昔のイメージで見に行ったのだがのけぞるくらい違うので驚いた。昔の3Dは画が飛び出てくるがアバターは奥行きがものすごく深い。たとえばナヴィ族の神聖な森などの映像は実にきめ細かく描かれている。3Dは馬鹿にしていたが謝らなくてはならない。ただどのジャンルにもこの映像が当てはまるかと言えばちょっと疑問。嵌まった時の凄さは凄いと思う。
 しかしこの映画2時間半もあり眼鏡をかけながら立体映像を見続けるのは自分の様な年齢のものには辛い。
 ストーリーはいろいろ含みがあって面白かったが飛びぬけて素晴らしいとは思えなかった。お得意の自然(ナヴィ族=パンドラ星)×(人間=エイリアン)=破壊者という図式やアメリカ大陸先住民×アメリカ移民=騎兵隊といったいろいろな構図が透けて見える。後進国(ヴェトナム、イラク、アフガン、ソマリアなど)対アメリカ軍と言った構図もあるだろう。そういう意味でいえばアメリカの戦争映画や西部劇やSFのいろいろな要素がごった煮のようにぶち込まれているように見えた。

「インヴィクタス」クリント・イーストウッド監督
この映画も評判の映画。いろいろなところで批評が出ているが概ね好評だった。モーガン・フリーマンやマット・デイモンなど役者も揃って自分は面白く見た。何よりイーストウッドにしては終わりがすこぶるさわやかなのである。だいたいミリオンダラーベイビーにしてもミスティックリバーにしてもチェンジリングやグラントリノにしても終わった後のちょっと表現が思いつかないがあえて言えば暗澹たる気持ちにさせられる映画とは一線を画しているような気がした。フリーマンの企画だったからかもしれない。メッセージ性の強い映画であるがそれを感じさせないくらい娯楽として良くできた映画だからだろう。原作は読んでないがおそらくかなりはしょっているのではないだろうか?だからこそシンプルになりわかりやすく面白い映画に出来上がっていると思う。
たとえば黒人サイドはマンデラ大統領のみが個として存在しあとは集団である。白人サイドはラグビーティームのピナール主将が個として登場し後は集団である。マンデラ大統領のもとこの政治的なラグビーワールドカップ南ア大会に閣僚や議会などはほとんどつんぼ桟敷なのである。べつにそれが悪いというのではなくそのように描いた効果は絶大なものがあるということ。だから少しアパルトヘイトなど政治的な側面が希薄になっているのはいたしかたない。この映画「マンデラと名もない看守」と言う映画とセットで見たらもっと面白いだろう。

「チェーサー」韓国映画DVDレンタル
元警官がデートクラブのオーナーになるが女の子が次から次に失踪してしまう。逃げ出したと思いきや殺人鬼の餌食になっているという話。この元警官が犯人を追いつめるからチェーサーというタイトルになったのだろう。ものすごくテンポが良くこれもけっこう楽しんで見てしまった。役者の名前は韓国語のみなのでよくわからないが主役の元刑事と殺人鬼は韓流ドラマでも有名な俳優らしい。なかなか存在感があった。警察の官僚主義や間抜けさ加減はこの手の映画では常套ではあるがこの映画の場合妙なことにそれが一種のリアリティーを持っており、もしかしたら現実はきっとこうなんだろうなあと思わされた。この手の映画としては面白く気に入ってしまった。

「新宿インシデント」ジャッキー・チェン主演DVDレンタル
ジャッキー・チェンが新境地を切り開いたとある新聞に書いてあった。従来はカンフーものやコメディーものが多いがこの中国の不法移民役は全く違ってシリアスなもの。彼が新宿のヤクザの世界でのし上がって行く物語、最後はどぶで死んでしまうというすさまじいもの。アルパチーノのスカーフェースみたいだ。特に前半ののし上がってゆく様はテンポよく面白かった。しかし同じ中国移民との交流はちょっと美しすぎるし、後半のヤクザ同志の抗争はすさまじいが筋立ては単純でつまらない。これでもう少し新宿のヤクザ世界がこのように類型的でなくリアリティーをもってくるともっと良い映画に仕上がっていたように思う。

「セントアンナの奇跡」レンタルDVD
パルチザンの裏切り者を目撃した少年とその少年を守る米兵そしてその米兵の一人とその少年の数十年後の再会を描いたドラマ。とても面白い映画であったがそれ以前にとにかく出てくる名前がなかなか覚えられないし米兵が皆黒人(黒人部隊の話もからまっている)で顔がなかなか見分けられないのでだれがだれやらよくわからないままあれよあれよと言う間に終わってしまった。有名な監督(確かスパイクリー)なのにもう少し丁寧に作ってほしい。(お前の見方が悪いんだと言われればスミマセンというしかないが)

「ハゲタカ」日本映画DVDレンタル
ファンドバブルの実態のようなものがリアリティを持って描かれていたように思った。ただエピローグは蛇足。

「ノウイング」ニコラスケイジ主演DVDレンタル
こういう役もニコラスケイジは似合わない。大体学者顔していない。怖い映画だがアメリカ人てどうしてこう親子愛を前面に出すのか?子供がちょろちょろしていて煩わしい。こういう余計なところを除けば本当に地球が滅亡するまでやってしまうんだからなかなか話は面白い。しかし最後に子供を宇宙人に預けてしまうのはいかがなものか?

「レスラー」ミッキーローク主演DVDレンタル
ミッキーロークの顔がエンジェルハートやイヤーオブザドラゴンとは違って完全に壊れているのが怖い。彼のレスラーは悲しい役だ。高齢でもうレスリングができなくなり、娘からも見捨てられ(原因はレスラーにある)、片思いの彼女からも見捨てられた彼はリングの上での自殺しか残っていなかった。とても辛い映画。

「愛を読む人:朗読者」ケイトウインスレット主演DVDレンタル
大戦から戦後にかけて文盲の女性を中心にしてナチの戦犯事件も絡めた面白い映画。原作も読んでいたので一層良かった。この文盲役(ケイトウインスレット)の心の動きが演技で手に取るように分かるくらいケイトウインスレットはうまい。そして彼女の自殺は辛い。

「トランスポーターリヴェンジ」DVDレンタル
何とも幼稚な映画で呆れる。軍人が何でもありで文官がパロディーの対象になるなんてアメリカと言う国は壊れている。

「剣岳、点の記」DVDレンタル
映像がきれい(CGを使っていない)ということで評判をとった映画。浅野の落ち着いた演技、実写の美しさ、バロック調のバックの音楽が印象的。最後に簡単に頂上へのルートが見つかったのであれれと思った。それにしても実に遊びのないまじめな映画でした。

「3時10分決断の時」ラッセルクロー主演DVDレンタル
原題は「ユマ行き3時10分」、凶悪強盗犯を牧場主が保安官助手になってこの列車に乗せるまでの紆余曲折を描いたもの。これはリメイクだそうだ。それにしてもラッセルクローは嵌まるとめちゃくちゃいいけど嵌まらないとどうも歯が浮いていけない。こういう悪漢はむかない。正義感丸出しみたいな役が好きだ。たとえばグラディエイターやLAコンフィデンシャルなど。クローの敵役になった保安官助手役は戦争で片足を失った屈折した性格の元軍人、誇り高い西部の男を立派に演じていた。最後はめちゃめちゃな銃撃戦になるがこんなにピストルに弾が入っているわけでもなく全くリアリティがなく暗澹たる気持ちで見た。もう西部劇は駄目だ。

「消されたヘッドライン」ラッセルクロー主演
原題は「STATE OF PLAY]この原題の意味が良くわからなかった。それにしてもこの長髪のラッセルクローも似合いませんね。ちょい悪ぶったブンヤの役どころだがこれも似合わない。最後のどんでん返し。謀略物と思ったら実は違う。筋は面白い。

                              終わり

2010年2月20日
於:サントリーホール(17列中央ブロック)

指揮:大植栄次
ピアノ:フランチェスコ・ピエモンテーシ

シューマン:ピアノ協奏曲
リヒァルト・シュトラウス:アルプス交響曲

昨日の読響のマーラーに続いて、今日はシュトラウス。図らずも東西オーケストラのドイツ名曲の競演となった。この2日に限れば大フィルのほうが断然良いと思った。
最初のシューマン、彼が31歳の時に着手したそうだ。自分にとっては青春の音楽だ。20代に良く聴いたがこのごろは何か気恥ずかしいというかあまり素直にメロディに浸れない。しかし今日のシューマンはとてもよかったし久しぶりに恥ずかしながら(失礼)感動してしまった。最初、オーケストラ、そしてピアノ、そしてオーケストラとくるがこの部分があまり素晴らしいのでびっくりしてしまった。大フィルは以前、朝比奈の指揮で同じサントリーホールでシューベルトのグレイト交響曲を聴いたが、何かいやに鈍くさい音で眠くなったのを覚えている。しかし今日は、もちろん重厚な音は朝比奈の時代の伝統にしても弦が実に豊かな音でありながらきりりとしており、あたかも中音域の充実したタンノイスピーカーで鳴らしたような音で聴き惚れてしまった。
素晴らしかったのは2楽章。ここは何か艶めかしくてあまり好きな楽章ではないが、ゆったりとしたテンポでピアノに付けたオーケストラが実に美しくここも聴き惚れてしまった。
ピアノはオーケストラの音色に合わせてかさわやかなもの。2楽章は呼吸が合っていて特に良いと思った。1楽章のカデンツァもむやみに突っ走らず落ち着いていたのも良く、終楽章も大いに盛り上がり、もうこの一曲で帰っても良いくらい満足した。
アンコールはなんと3曲:最初はガーシュインのembraceable you、2曲目はストラヴィンスキーの火の鳥からフィナーレ、最後はモーツァルトのソナタk282の1楽章。火の鳥は実に爽快な演奏。

後半はアルプス交響曲である。これも感心してしまった。聴かせどころは言うまでもなく山の頂~景観である。大フィルのオーケストラの機能を十分発揮した演奏。第一にどんな大きな音を出しても高弦は常にさわやか、決して嫌な音を出さない。在京のオーケストラは残念ながら、この点で匹敵しているのは東響くらいだろう、あとは強奏になるとどうしてもキンキンしてしまう。第二に低弦が充実している。これは朝比奈のころの伝統だろう。そして立派なのは金管群、非常に安定しており安心して聴けた。特にホルンが良かったように思う。危険を恐れずに言うとドイツの音でドイツの音楽を聴いている感じだ。大植は長い間ドイツで活躍していたからドイツの音が体に染みついていて、このような音を出せるのかもしれない。演奏時間は愛聴盤であるティーレマン/ウイーンフィルとほぼ同じの51分、ティーレマンに負けない充実したアルプス交響曲だった。ちょっと褒めすぎかなあ。褒めついでに言うと「嵐の前の静けさ」や「余韻」のような静かな曲も非常に澄明な音であった。
珍しくアンコールがあり、同じくシュトラウスの最後の4つの歌から「モルゲン」だった。弦楽とホルン中心の曲だがなかなか考えたアンコールだった。でもいらない。
演奏が終わった後何か得意そうな顔をするのがちょっと「キザ」だったがまあ良い演奏だったから仕方ないか!
若手の指揮者では飯森範親とならんで今後注目したい指揮者である。4月の日本フィルの定期に登場してワーグナーとメンデルスゾーンを振るから楽しみだ。あの日本フィルからどういう音を引き出すのだろうか?
                               終わり

2010年2月19日
第490回読売日本交響楽団定期演奏会

マーラー:交響曲第七番、夜の歌

指揮:レイフ・セゲルスタム


久しぶりに読響の実力発揮の演奏だった。特に5楽章は素晴らしいと思った。5楽章冒頭、強烈なティンパニで始まるがこれがすさまじい。読響のティンパニがこれだけ強烈な音を出したのは初めてではないかと思う。その前の楽章が夜曲で沈潜した雰囲気の音楽だけに一気に解き放たれたようにティンパニが弾け、金管が咆哮する。正にオーケストラを聴く醍醐味である。5楽章は大きな波が何度も何度も寄せては返すように音楽が襲いかかるがなかなか頂点に達しないのでいらいらする、逆にそれだからこそ最後の頂点に達した時のオーケストラの音はすさまじいのだ。ものすごい効果だと思った。久しぶりにサントリーホールの天井が抜けるような音を感じた。5楽章は少しテンポを上げてきているので最後のたたみかけが相乗効果で凄くなったのだろう。
セゲルスタムと言う指揮者はフィンランドの指揮者で読響はもう常連になっている。100kは優に超える巨貫である。今日の演奏はプログラムには77分になっていたが実際は82分30秒である。これはバーンスタイン/ニューヨーク(新盤)とほぼ同じ時間である。だからというのはちょっと変だがテンポはゆったりしている部類にはいるだろう。ショルティ/シカゴは5分くらい早い。自分はショルティのすかっとした演奏が好きだ。一度アバドを聴いてみたい。
この曲は難物だ。何年か前は六番も難物だったがアバド/ルツェルンの演奏を聴いてからとても好きになった。しかしこの七番は本当に難しい。なにしろ夜曲が二つあったり、レントラー舞曲のスケルツォあり、おまけに最後の5楽章
がおもちゃ箱をひっくり返したようなすさまじい音楽なんだから全く全体がつかみどころのない。
第1楽章が特につかみどころがない。今夜は演奏時間も長く何かもっさりとした印象。ただ開始後10分後あたりのアダジォは美しかった。コーダの部分も鮮やか。
2と4楽章の二つの夜曲は今一つ雰囲気に欠けたように聴こえた。ここはカウベルやマンドリンなどいろいろな楽器が独奏ででてくるのでオーディオ的にも面白い。読響の独奏陣ではホルンがすこぶる美しく、気持良い音だった。特に4楽章の中間部のホルンとハープが絡む部分は本当に美しい。これで弦がもう少しふっくらしてくると自分のイメージ通りの音になるように思う。
3楽章は異様な音楽だ。不気味な金管、ティンパニの炸裂、木管の絡みなどがぎくしゃくと進む。難物。
5楽章は前記のとおり。今日は5楽章に尽きる演奏会だった。
                              終わり

2010年2月17日
於:東京文化会館(10列中央ブロック)

ヴェルディ「オテロ」二期会公演初日

指揮:ロベルト・リッツィ・ブリニョーリ
演出:白井 晃
オテロ:福井 敬
デズデモーナ:大山亜紀子
イアーゴ:大島幾雄
エミリア:金子美香
カッシオ:小原啓楼

管弦楽:東京都交響楽団
合唱:二期会合唱団、NHK東京児童合唱団

先日友人達にイタリアオペラとドイツオペラそれぞれひとつづつあげてもらったらドイツオペラはリングを除けば「トリスタンとイゾルデ」、イタリアオペラは「オテロ」となった。
このオテロの魅力はどこにあるのだろう。まずその輝かしい音楽。1幕の冒頭から度肝を抜かれる音楽。2つ目はシェークスピアの「オセロウ」をボイートが天才的にアレンジしていること。もうこれ以上考えられないくらい。(ボイートは自作のオペラ「メフィストフェレ」ではゲーテのファウストをこれほどうまくアレンジ仕切れていなかった、やはりヴェルディから触発されたのだろうか?)そしてその時にオテロはもちろん主役だがイアーゴに霊感のこもった歌詞(例えば2幕冒頭のクレド)と音楽を与えていることではないだろうか?まあ異論はあるかと思うが自分はそう思っている。

さて、今夜の二期会の公演、もちろん日本人だけの公演だ。聴きおわっての印象はオテロを楽しむのに充分な演奏であったと思う。歌手も管弦楽も一昔前では考えられないような水準のような気がする。それは音楽だけでなく芝居もうまくなった。日本人が西洋人の所作をする時の一種独特の気恥ずかしさはなくほとんど自然な演技のように感じた。おそらくこれは演出の白井(演劇出身だそうである)の指導の賜物ではないか?

ブリニョーリの指揮は緩急を思い切りつけている。例えば1幕の口づけの場面では止まりそうなくらいゆっくりだし、4幕の「柳の歌」や「アヴェマリア」もかなり遅い、それとむやみに休止が長いのでところどころ音楽が停滞するように感じた。そういう意味ではヴェルディの推進力のある力強い音楽が、自分のイメージで再現されたとは言えない。ただ2幕の終わりなど畳み込むようなオーケストラはとても興奮した。
今夜の文化会館の席は前から10列目だったがオーケストラの音がいつもと違うように聴こえた。まず総奏になっても音が盛り上がらない。ティンパニだけがパンパンと威勢が良い。弦や金管などはあたかも文化会館の巨大な空間に音が呑み込まれるように思えた。やけにデッドなのも気になった。不思議なことに木管などの独奏になるとホール全体に美しく響くのである。昨年の新国立でのオーケストラは実に迫力があって楽しめたが今夜は音の面で少々がっかりした。これは指揮者か演出かそれともホールのせいなのかはわからない。
一番よかったのは4幕の大詰め、オテロがデズデモーナを殺害するシーンから最後の「もう一度口づけを」まで、ここにきて今夜初めて音楽と歌と演出が一体になったドラマを感じた。誠に胸の熱くなる感動的な場面であった。正直いってここまでは自分自身が音楽と芝居をなぞっているようでいまひとつ感情移入ができなかった。
歌手陣のなかでは大山のデズデモーナがゆとりのある声と舞台栄えする姿でよかった。ただ柳の歌とアヴェマリアはテンポが遅すぎて緊張感が持続しなかった(聴き手の問題かも)のか一本調子に聴こえた。福井のオテロは熱演ではあるが高潔な英雄というオテロのもう一方の姿が1幕や2幕でもう少し演じて(声で)欲しかった。これではイアーゴに一方的に引きずりまわされている惨めな男のようだ。これが演出サイドの狙いなら自分のオテロ像とはだいぶ違う。イアーゴの大島の歌唱をどうみたらよいのだろうか?正直、最初はちょっと面食らった。いままで聴いてきたイアーゴとは何か歌い方から違うように聴こえた。例えばクレドも朗々と歌うのではなく「矮小で邪悪な」イアーゴに聴こえた。そういう狙いの演出だったら面白い。ティト・ゴッビのイアーゴは映像やCDでしか知らないが邪悪なイアーゴであるが矮小ではない。しかし大島のは矮小さが強調されているように感じた。本当に嫌なやつだ。

舞台は実に簡素なもの。映像でしか見たことがないがウイーラント・ワーグナーのバイロイトのステージのよう。1幕は舞台右手に桟橋のような架設舞台のようなものがあり、それが後方に向かってなだらかなスロープで上っている。左手は同じく架設舞台のようなものがあるだけ。この2つの舞台はつながっていなくて切れている。2幕も3幕も同じようなものだが、すかしの入った大きなパネルが上がったり降りたりしている。例えば2幕では左手にこのパネルが架設舞台に降りてきていて、パネルの後ろでデズデモーナがカッシオの嘆願を聞くようになっているが、舞台右手から登場するオテロにはパネル越しでしか2人を確認できないという寸法。4幕は少し変わって、舞台左手にベッドのような箱型のデズデモーナの部屋がある。その箱の各辺は30センチくらいあって、最初は黒く塗られている。しかしデズデモーナが柳の歌やアヴェマリアを歌うにつれ、その黒い塗装がだんだん白くなる。彼女が潔白だということ表しているのか?舞台右手は大きなパネルが降りてきて寝室のドアの役割をしている。衣装は男性の主役級は黒っぽい衣装、合唱は男女とも薄いベージュや白のガウンのようなものを着ている。衣装や舞台からして何やら象徴劇を見ているようだ。演出も余計なことをしていないのがよかった。昨年の新国立は舞台をヴェネティアに移してこまごまとした演出をしていた。それはそれで面白いが今夜はそういうわずらわしさはなかったように思った。
                                          終わり

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