2009年12月31日

於:東京文化会館小ホール(P列中央ブロック)

ベートーベン弦楽四重奏曲 中・後期9曲演奏会

演奏:
ルートヴィヒ弦楽四重奏団(7,8,9番、ラズモフスキー)
クァルテット・エクセルシオ(12,13、大フーガ)
古典四重奏団(14,15,16)

年末にベートーベンを聴くというのは昔は第九だったが、今は交響曲全曲を一気に演奏してしまう。12/31の東京文化会館である大ホールである。その隣の小ホールではひっそりと後期弦楽四重奏曲の演奏会が2006年から行われている。
私は2007年から聴いている。今は後期だけでなく中期の傑作群であるラズモフスキーの3曲を合わせて9曲を一気に聴いてしまう。交響曲9曲は精神的にも肉体的にも辛いので聴く気にならないが、弦楽四重奏曲なら精神的には交響曲と同じくらいの負荷だが、肉体的にはかなり楽であるので、もう今年で3年も通っている。休憩をはさんで8時間だからかなり疲れるが、今回はあっという間に終わってしまったという印象。昨年ブタペスト弦楽四重奏団のベートーベン全曲CDセットを購入してから、かなり聴きこんできたからだろう。終演は9時半近かった。隣の大ホールでは第7交響曲を演奏していた。

最初はルートヴィヒによるラズモフスキー3曲である。ルートヴィヒは常設の四重奏団ではなくオーケストラの首席級で編成されているようである。
7番(作品59-1)は冒頭からそろりそろりの安全運転でベートーベンの決然たる歩みを表わしていない。3楽章のアダージョも決してすすり泣きになっていない。
8番(作品59-2)断然この曲の演奏のほうが良い。冒頭からベートーベンの音楽だ。2楽章が特に良く、終楽章は出はもっさりしていたが後半は堂々たるもの。
9番(作品59-3)8番でみせた集中力が途切れたような気がする。4楽章の推進力は凄いが少し前のめり気味で落ち着かない。この曲では第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが入れ替わっている。常設の四重奏団ならこのようなことはしないのではないかと思う。それゆえかどうか、この四重奏団の音はばらばらとはいわないが何かまとまりがないように感じた。また各楽器のバランスが不安定にも感じた。それが7番や9番にでているのではないだろうか?おそらく8番は彼らに合っているか、ものすごく弾きこんでいるのではないだろうか、と感じられた。なお3曲ともブタペストより演奏時間は若干速い。

好みから言うとラズモフスキーより「ハープ」や「セリオーソ」を演奏してもらいたかった。

次はクァルテット・エクセルシオによる演奏。この四重奏団は女性3人と男性1名の構成で常設の四重奏団である。
12番(作品127)1楽章の出だしを聴いただけで4つの弦楽器が一つの様に鳴っているのがよくわかる。演奏時間はブタペストに比べるとかなり遅い。弛緩はした感じはしないがもう少しきりりとさせても良いのではないかと感じた。2楽章と4楽章が特に良かった。4楽章では何かベートーベンがぶつぶつ言っているような趣が出ていたように感じられ面白かった。

13番(作品130)12番以降の曲は自分にとっては未踏の山々のようだ。特に13番以降はそれを強く感じる。おそらく13,14,15番は4楽章形式をベートーベンが壊してしまったからではないかと思う。13番は6楽章、14番は7楽章、15番は5楽章である。なかなか頂上の見えない山のようなもので、音楽全体が良く見えないのである。この13番もわずかにカヴァティーナが耳に優しい。そのせいか今夜もこの楽章が最も感動的だ。演奏時間は43分ほどありブタペストと比べるとかなり遅くここでは少々弛緩した部分も感じられた。

大フーガ(作品133)もともとこの曲は13番の最終楽章として作曲されたものだが難解で新たに最終楽章を書き、この曲は作品133として別の曲として演奏されるようになった。個人的にはこれを最終楽章にもってきたオリジナルで13番をそろそろ演奏しても良いのではないかと思うが?
この大フーガは16分ほどの曲だが未踏の山の一つである。フーガの渦に巻き込まれたら最後自分がどこの部分を聴いているのかわからなくなるような気がしてしまう。そして最後に埒が開いたような開放感でいつも感動してしまう。今夜もその開放感を味わえたが、それよりなによりフーガの大渦がいったん収まった後の谷間の様な静かな部分が特に良かった。ベートーベンは何を想ってこの曲を書いたのだろうか?

14番(作品131)未踏の山の最大のものである。この曲から演奏は古典四重奏団に変わる。古典の構成も女性3に男性1である。楽器の配置が通常と異なり左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンとなる。なお彼らは暗譜で弾く。エクセルシオよりも古典の音は更に一体感が強い、一体感というより親密感と言うほうがふさわしいかもしれない。特筆すべきは第1ヴァイオリンの川原の音色である。とにかく美しい。穏やかな音色ながら伸びきっているのである。古典の全体の音楽は彼女が支配しているように思う。あてずっぽうではあるがおそらくストラディヴァリだと思う。というのは先日聴いたイザベラ・ファウストが使っていたストラディヴァリのスリーピングビューティというヴァイオリンと音色が似ているような気がしたからである。

さて、この14番はなんとフーガで始まる。そして7楽章全曲を休みなく演奏するようになっている、誠にユニークな四重奏曲なのである。今夜の演奏時間は33分ほどでブタペストと比べるとかなり速い。そのせいかこの大曲を一気に聴いてしまったという感触が残る。特に印象に残ったのはアダージョから終楽章のアレグロの部分と1楽章である。川原のヴァイオリンは本当に魅力的である。

15番(作品132)演奏時間は約45分で今度はブタペストより遅い。これは3楽章のアダージョから始まる変奏曲がかなり遅いのと5楽章のアレグロもブタペストより遅いからだと思う。3楽章の病の癒えたものが神に感謝する音楽はいつ聴いても感動的だが、今夜は病が癒えて平穏な気持ちになってゆく音楽から次第に新しい活力を得て明るくなってゆく様子が十分に描かれていて感動的であった。この3楽章から一気に休みなく5楽章まで演奏されたが今夜最も印象に残った部分である。

16番(作品135)最後の曲は後期では最も短くそして、4楽章形式に戻る。しかしこれも一筋縄ではいかない。諧謔的な(?)1,2,4楽章に対して3楽章の天国的な静謐さはどうみたらよいのだろうか?今夜はやはり3楽章が最も印象的である。ここは悲しみの音楽と思っていたら、後半は慈しみといおうか慰めというべきか、今夜の演奏はその変化を明らかにしてくれた。
                             終わり