ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2010年01月

2010/1/29
サントリーホール(19列中央ブロック)

第617回日本フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会

指揮
飯森泰次郎

小山清茂:管弦楽のための鄙歌第二番
湯浅譲二:交響組曲「奥の細道」

ブラームス:交響曲第四番

前半の日本人の作品は日本フィル再演企画第4弾で日本フィルの委嘱作品でもある(小山)。
2曲のうち面白かったのは小山の鄙歌である。なんとも懐かしい音楽が素のままでてくるような趣である。たとえば子供のころ祖母が仏壇の前で口づさんだ御詠歌、たとえば子供のころ良く見に行った東映のチャンバラ映画の音楽、、たとえば民謡を惹起させるような演歌の趣である。日本人が昔からもっている日本人の心に、それも直に触れるような、なんともいえない懐かしい音楽であった。4部からできている小品(約15分)。
和讃たまほがい(魂の交流)、ウポポ(アイヌ民謡の意だそうだがアイヌと特定しなくて祭りの音楽とでも言える音楽)最後が豊年踊りで打楽器の乱舞で興奮を呼ぶ、の4つからなる。後半の2つが音楽に動きがあり耳触りも良い。

湯浅の奥の細道は谷川を流れる清水の様なひんやりとした音楽で、小山の鄙歌とは趣が異なる。芭蕉や日本を感じるよりも現代音楽を聴いている感じ。したがって標題音楽であっても純音楽風に自分には聴こえた。わずかに打楽器(種類は多数)やヴァイオリンの胴を指先でトントン叩く音が日本的と言えば日本的。そういう切り口で見ると3曲目の「夏草や兵どもが夢のあと」や4曲目の「閑さや岩にしみいる蝉の声」が印象的であった。

日本フィルも生き生きしていてこの2曲はとても楽しんだ。多彩な打楽器陣は迫力もあり良かった。またとりわけ湯浅の作品の楽想に日本フィルの硬質の弦があったように感じた。昨年の黛敏郎や芥川也寸志(読響)の音楽でも感じたがどんなに多彩な楽器を用いてもアウトプットとして出てくる音楽は水墨画のようなモノトーンに自分には聴こえるのがいつも不思議である。

最後はブラームスの四番である。これは飯守らしい堂々としたブラームスだ。しかし演奏は素晴らしいというには少々傷があったように感じた。
1楽章出だしが非常に遅い、そのせいか、そろわないのでハラハラしてしまった。演奏時間からするとクライバー/ウイーンフィルよりわずかに遅いのだが時間差以上にもっさりした印象。美しい2楽章も何か冴えない。3楽章からオーケストラも音楽のせいか俄然生き生きしてきてとても迫力のある演奏。しかし終わりが何かしまらない。ばらばらのように感じる。最後の4楽章が最も良かったかもしれない。出だしは勢いがありその後ゆったりした変奏に入ると腰を落として丁寧に音楽を聴かせた。聴かせどころではあるにしても、フルート→クラリネット→オーボエの一連の受け渡しはとても美しく、今夜の一番の聴きもの。ここだけでも満足したくらい。そして終結部に入る。ここも大いに盛り上がるがどうもティンパニと金管が妙に雄弁で、それを支える低弦がずっしりとこないので、今一つ圧倒的な高揚感というか充実感がなかったのは残念。そして最後も何かばらばらに終わってしまったような印象を受けた。部分的には美しいし迫力もあり立派な音楽を飯守はもたらしてくれたが細部の詰めが甘かったのではないだろうか?

今夜感心したのはトランペット。実に伸びやかな気持ちが良い音であり刺激的な音も全くない。それとティンパニがとても力強く迫力があった。
                             終わり

2010年1月22日
於:サントリーホール(14列中央ブロック)

指揮:マリン・オルソップ

バーバー:交響曲第一番
マーラー:交響曲第一番

オルソップはアメリカ出身の女性指揮者、小気味の良い指揮をする。現在はボルティモア交響楽団の12代音楽監督である。関係ないがボルティモア交響楽団て確かフルート奏者が映画「レッドドラゴン」でハンニバルに食べられてしまうんではなかったか?のっけから脱線。袖にちらっと赤い柄がみえるジャケットで決めているところは女性らしい。しかし音楽は若々しくダイナミックだ。

マーラーの一番は生きの良い若々しいマーラーを狙ったように感じた。なにしろマーラーが29歳の時の曲なのだから!ホーネックとは違ったアプローチでマーラーの若々しさに迫っているような印象。一気呵成に音楽が突き進むのである。しかしアウトプットとして出てきた音は少々慌ただしくはなかったか?たとえば四楽章の終結部の爆発は猛スピードですさまじい。しかしためにためて解き放たれたのとは違ってトップスピードのまま最後の爆発にむかうので今一つ感激の度合いが薄いように感じた。呆気にとられるようなスピードで音楽は盛り上がるがその割には音響的には良く言えば小作り、悪く言うとせせこましくサントリーホールが大伽藍に化すようには鳴ってくれない。

正直言ってこういうマーラーにはちょっとついていけなくなっている。ちょうどバーンスタインの旧盤とほぼ同じ演奏時間だ。バーンスタインの2枚のCDのうちどちらを選ぶかと言えば新盤を選んでしまう。演奏時間は3分近く遅いのである。もちろん旧盤のダイナミズムや3楽章の不気味さは捨てがたいのではあるが!

良かったのは1楽章である。主題がとても滑らかに演奏され思わずいいなあって叫びそうになってしまった。終結部の前はしばらく静かな音楽が続くがこれがパノラマのように音が拡がってゆく様はとても素晴らしかった。終結部は大いに盛り上がる。4楽章の様な猛スピードではないので音楽としての集中力はこちらのほうが良かったように思う。
2楽章はあまり弾まない、なにかしんねんむっつりした音楽で少々退屈。緩やかな部分もあまり美しくない。
3楽章も丁寧に指揮しているようにみえるのだが音楽はあまり冴えない。シャイー/ライプチッヒ``の時はオペラの様な美しさや歌を感じたが今夜は地味。オルソップはこういう音を志向したのだろうか?

読響は熱演だったがどういうわけか弱奏の部分での金管が何か聴いていて不安であった。別に破綻したわけではないが。ただ強奏部分では実に気持ち良く音が出ていて楽しめた。トランペットが思い切り音を伸ばしていたが実に気持いい。一方弦はいつもよりおとなしく感じた。全く嫌な音は出さないがだからといって艶やかな美音であったわけでもない。これらが今夜の緩やかなパートでのわずかではあるが不満につながっているように思った。今夜良かったのはティンパニ。しっかり叩いていて気持ち良い。

今夜はむしろ最初のバーバーのほうが読響はずっといきいきしていたように思う。バーバーはヴェトナム映画の傑作のひとつ「プラトーン」のバックに流れた弦楽のためのアダージョぐらいしか知らない。この一番も初めて聴いた。バーバーがまだ20代の作品である。1楽章形式だが4つのパートに分かれており4楽章のように感じた。アンダンテと最後のパッサカリアがとても気持ちの良い演奏であった。12音楽のように難解ではなく映画音楽のように耳触りのよい音が続く。いつも思うが読響はクラシックより20世紀に入ってからの音楽のほうが生き生きしているように思う。ヴァンスカが指揮したアホの第七交響曲も本当に楽しそうに演奏していた。             終わり

追記
どうもオルソップのマーラーが自分にとって不完全燃焼であったので今朝(1/24)アバド/ベルリン/89年を聴いてみた。一聴してはっきりわかるのは音楽の「ため」ではないか?アバドは思い切りためてから音楽を爆発させるから心に響く。オルソップは「ため」が少ない。それがマーラーの音楽の若さに通じるのなら良いのだがそうとも思えない。わずかに1楽章はためを感じたが肝心の4楽章ではあまり感じられなかった。たとえばアバドでは4楽章冒頭の爆発のあと音楽は落ち着くがオルソップはここをさらっとやってしまっているように思う。そして中間の爆発があった後また音楽は落ち着くがここのアバドは実に美しい。そして最後の爆発。思い切りためにためてオーケストラを解き放つから盛り上がりがすさまじい。シャイー/ゲヴァントハウスでもそうだった。時間ばかり言っても仕方がないがオルソップはこの楽章を18分で突っ走っているがアバドは20分である。このあたりにも原因があるように思う。オルソップがどういう意図でこのマーラーを振ったのか聴いてみたい。
                       2010/1/24

2010年1月9日
於:NHKホール(18列中央ブロック)

第1664回NHK交響楽団定期演奏会

指揮:尾高忠明(もともとローレンスフォスターの予定)
ピアノ:若林 顕

ヨハン・シュトラウス
「こうもり」序曲
常動曲
アンネンポルカ
ポルカ「観光列車」
皇帝円舞曲

ヨーゼフ・シュトラウス
ワルツ「天体の音楽」

リヒァルト・シュトラウス
ブルレスケ
組曲「薔薇の騎士」

なかなか考えた曲編成。別にニューイヤーコンサートを意識したわけではないだろうがフォスターに何か考えがあったかもしれない。

面白かったのはブルレスケ。昨夜のフィトキンを思わせるようなピアノとティンパニの掛け合い。フィトキンがこの曲に触発されたのかも。後半のピアノの連打は昨夜を彷彿とさせる。若林の熱演はよかったが終わったあとに何も残らないのは不思議な感覚。メロディーが全く思いだせない。(昨夜初めて聴いた曲)シュトラウスはブラームスのピアノ協奏曲一番や二番の二楽章のようなロマンあふれる情熱的な音楽に触発されたという。音楽の輪廻というべきか!

薔薇の騎士はシュトラウスの中ではもっとも好きなオペラでこの組曲のように良い場面をつなぎ合わせた組曲もいつも楽しんでいる。昨年、上岡の指揮はとてもよかったが今夜もN響の充実した演奏を楽しめた。ただほんの少し荒っぽいかなあという声が心の中で小さく聴こえてきた。プログラムによるとこの組曲は誰が編集したかわからないのだそうだ。知らなかった。あとでチェックしたらロジンスキーらしい。

シュトラウス兄弟のワルツやポルカも楽しい音楽。天体の音楽は久しぶりに聴いたがスケールが大きくとてもよかったと思う。全体に立派な演奏で、もう少し遊び心が音楽的にあっても良かったのではないかとも思った。
                                〆

2010年1月8日
於:サントリーホール(19列中央ブロック)

東京交響楽団題574回定期演奏会
指揮:大友直人
ピアノ:キャサリン・スロット
シューマン:序曲、スケルツォとフィナーレ
フィトキン:ピアノ協奏曲「RUSE]
ベートーベン:交響曲第七番

今夜のプログラムは何か意図のわからない編成である。この3曲にはあまり連関がないような気がする。
今夜の聴きものはフィトキンだ。本邦初演だそうな。フィトキンはイギリスの作曲家でまだ40代である。
3楽章形式であるが切れ目がなく続けて演奏される。1楽章はピアノの連打である。オーケストラは弦5部と2台のティンパニのみ。ティンパニとピアノの連打が果てしなく続く。このままで終わってしまうのかと心配になったくらい(なにせ日本初演だからどういう曲か見当がつかないのだ)。7-8分ほど続いて突然静まる。2楽章は「パパパパーン」という4拍目にアクセントのある静かな主題が支配する。この主題が繰り返し現れてきて、あまりにしつこいので、だんだん不安になる。
そしてまた突然連打になる。この連打はクレッシェンドだが同じ音が繰り返しでてくるので2楽章同様不安になる。突如おさまったかと思うとまた始まる。この繰り返しは何か追いつめられたような気分になるが突然静かになりまた2楽章のあの主題が帰ってきて終わる。不思議なことに連打の後にこの静かな主題がでてくると何かほっとした気分になり埒があいたような気持ちにさせられる。実に不思議な作品であった。しかしピアニストへの負荷は相当なものだと思う。スロットの熱演に拍手。東京交響楽団の弦もしっかりついていっており充実した日本初演だと思った。

ベートーベンの七番はこの数カ月で3回目である。在京のオーケストラの選曲のワンパターンにはあきれる思いだ。もう少し調整できないもんか!
しかし、3回の演奏はほぼ同じ演奏時間にもかかわらず印象はかなり違うからそういう面では良い経験をした。
インバル/東京都は巨匠的なゆったりした歩みと都響のピュアな響きに感心したし、ヴァンスカ/日本フィルのダイナミックレンジの広い、スケールの大きい演奏は良かった。さて今夜の大友はいかに。昨年このコンビで幻想交響曲を聴いたがとても満足したので実はとても期待した。
ゆったりした第1楽章の序奏、今まであまり気にとめていなかったがオーボエが実に存在感があった。そして主部に入ると少々駆け足になり何か落ち着かないがしばらくすると落ち着いてきて実に聴きごたえのある第1楽章だった。演奏時間も13分強で遅め。2楽章は木管群の掛け合いが実に美しくまたテンポも小気味よくこのアレグレットの持ち味を引き出していたと思う。あまり美しいのであっという間に終わってしまい物足りないくらい。演奏時間は約8分でクライバーとほぼ同じ。
3楽章以降は少々居心地が悪かった。スケルツォは滅法速い。それは良いのだが(むしろ自分はこのくらいのテンポが好き)何か空回りしているような落ち着きのなさを感じた。テンポが上がってもやはりベートーベンはどっしりしていなくてはならない。トリオは逆にゆったりしている。この対比は常套手段のようなものだがスケルツォが落ち着かない(スケルツォだから落ち着かないのだという意見もあるかもしれない)のでバランスが悪いのである。
4楽章も出だしから前のめりの様相。クライバーとほぼ同じ演奏時間なのに印象はかなり違う。クライバーは出は少々ゆったり目だがコーダがすさまじいのだ。大友は鼻からトップスピードで途中で手綱を緩めている。だからコーダでスピードを上げても出と一緒だからあまり盛り上がらない。どうせならカラヤンのように同じテンポで一気呵成に駆け抜けるほうが興奮するように思う。今夜の演奏でびっくりしたのはコーダで金管の強奏の部分があるがこれが突拍子もなくでかい音だった。ちょっとバランスが悪いのではないだろうか。幻想ではこの効果は凄かったがベートーベンではそうはいかないと感じた。この音バランスという意味ではインバルに一日の長があるように思った。演奏時間もテンポもヴァンスカとほぼ同じなのになぜか印象は違うのである。これがライブの面白さかもしれない。
今夜の東京交響楽団はいつもより若干華やかに聴こえた。好みとしてはもう少し渋い音が良い。特に金管が華やいでいた。反面低弦(バス)は少々物足りない。1楽章のコーダの部分で同じ音型を繰り返すバスの音はもっとゴリゴリやってほしい。そうでないと金管とのバランスが崩れるように思われる。金管でひとつ付け加えると3楽章のトリオの終わりの部分でホルンが「もごもご」吹くところがあるがここが手風琴みたいで実に良い感じだった。
シューマンの曲は正直よくわからなかった。これは機会音楽なのだろうか?まさか習作ではないだろうが!
                              〆

2010年1月5日

このお正月休みで二つのリングを聴いてしまった。そのきっかけは二つある。
一つは一昨年のバイロイトのライブ録音が緊急発売されたこと。この公演については一昨年バイロイトでこの公演を聴いているので思いいれは深い。発売日に買いに行ったが、なんと14枚で14000円というからびっくりであう。

もうひとつのきっかけはデッカの至宝である、ショルティ/ウイーンフィルによる「リング」がエソテリックによってSACD化されたのである。この録音はラインの黄金が1958年に録音されそれからおよそ7年かけて録音されたもので発売当時から初めてのリングということで評判をとったものである。こちらは1000セット限定で14枚56000円であるから上記とはだいぶ違う。


ショルティ/ウイーンフィル

主な演奏者
ウォータン:ジョージ・ロンドン(ラインの黄金のみ)、ハンス・ホッター
ローゲ:セット・スヴァンホルム
ミーメ:パウル・キューン(ラインの黄金のみ)、ゲルハルト・シュトルツェ
アルベリヒ:グスタフ・ナイトリンガー
フリッカ:キルステン・フラグスタート(ラインの黄金のみ)、クリスタ・ルートヴィヒ
ジークムント:ジェームス・キング
ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
フンディング:ゴットロープ・フリック
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
ジークフリート:ウォルフガング・ウイントガッセン
ハーゲン:ゴットロープ・フリック
グンター:ディートリッヒ・フィッシャーディースカウ

この豪華な配役はもう今ではあり得ない。これとほぼ同じメンバーが60年代のバイロイトの舞台で聴けたなんて信じられない思いである。

最初のラインの黄金が発売された時は私はまだ学生だった。とにかく欲しかったが三枚組でたしか6000円ぐらいしたと思う。仕方がないのでハイライト盤を買ったが録音で度肝を抜かれた。このレコードをプロデュースしたのはジョン・カルショーと言う人だが彼がラインの黄金で始まったこのリング録音にまつわる話を「リング・リサウンディング」という本にまとめている。これは滅法面白い。
リサウンディングというのはワーグナーのト書きを音にしたいということである。彼がバイロイトでウィーラント・ワーグナーの象徴劇のような舞台を見てがっかりしなければリングの音化なぞは思わなかったかもしれない。

さてラインの黄金に戻るがウォータンが地底に潜るシーンで鍛冶屋の音を再現しているがなんと金床を18台も用意したそうだ。これはワーグナーの指定だそうであるが、舞台では再現されることはまずない。アルベリヒが隠れ頭巾をかぶってミーメを脅すシーン、子供たちを使って録音したニーベルンク族の恐怖の声、ドンナーがハンマーを振るって雷雲を呼びそのハンマーで岩を打ち砕くシーンなど録音がすごい。その後、ジークフリート、神々のたそがれ、ワルキューレの順で録音された。それぞれで録音的にいろいろ工夫がされており細かく挙げればきりがない。ジークフリートの溶鋼歌、鍛造歌ににおける音響、神々ではジークフリートがグンターに化けるシーンがあるがウイントガッセンの声をなんとバリトンに変えてしまう、神々のワルハラ城が崩壊するすさまじい音などはごく一例に過ぎない。

しかしこの当時のデッカレコードのこの作品は決してこけおどしのオーディオマニア用の録音ではない。まず配役はこれ以上望むべくもない。惜しいのはラインの黄金とそれ以降で歌手が変わってしまうので一貫性に傷があることだ。特にウォータンのジョージ・ロンドンの品のない声はいただけない。ミーメもできればシュトルツェで聴きたい。まあラインの黄金はどちらかといえば主人公がいるようでいないようなイントロのような扱いを受けているが、すべての話の始まりはここにあり作品としては扱い以上に素晴らしいと自分は思っているのだが!
歌手に加えてオーケストラがウイーンフィルであることがこの作品を更に素晴らしくしている。弦の素晴らしさは言うに及ばず金管の迫力とつややかさは再生装置からもうかがえる。
ショルティの指揮については異論もあるかもしれない。最初、カルショーはクナッパーツブッシュを考えていたそうだがステレオのごく初期のころの技術や、それ以前に録音する作業そのものに関心を全く持たなかったクナッパーツブッシュではリングの音化は難しいとカルショーは考えたようだ。その点ショルティは若く、柔軟性もありカルショーに協力的であったようだ。カルショーがショルティに関心をもったのはショルティがバイエルン国立歌劇場でワルキューレを振っていたのを聴いて偉く感動したのが発端だそうな。7年間でショルティも大いに変わりラインの黄金の時はダイナミックな音楽作りだったが最後のワルキューレでは柔軟な音楽作りになっておりスケールもその分大きくなった。一人の指揮者の成長過程もうかがえて面白い。この間、ショルティはコベントガーデンの音楽監督をしていたというからそういう経験もこのレコードに生かされているのだと思う。

さて今回エソテリック社によってリマスターされてSACD化されたものを改めて全曲通して聴くと初めて聴いた頃のことが思い出されて懐かしい。もともとこれは97年にリマスターされてCDで発売されており自分はそれを10年以上聴いているわけだが今回のエソテリック盤はその延長線上の音ではなくむしろ初めてこの曲をレコード盤で聴いた頃の音を思い出させたのである。そのころは最初はシュアーその後オルトフォンというメーカーのカートリッジでパイオニアの同軸型のスピーカーを鳴らして聴いていたわけだがその装置でラインの黄金を初めて聴いた衝撃が今回のSACD化で蘇ったように感じた。要は昔のデッカのつややかな音が再現されたのである。
高弦はつややかで低音は沈み込むように深い。ダイナミックレンジも大きい。声もつややかできつい音はほとんど出さない、それともともとそうであったが特筆すべきは音場である。舞台が手に取るように分かるのである。97年の盤は全体におとなしくこれはこれで良いのだが少々味が薄い。このエソテリック盤を聴いてしまったらもう後戻りはできないだろう。このエソテリック盤は演奏、録音とも今考えられる最上のリングではないだろうか?

さて、ショルティ/ウイーンのリングと合わせてかれこれ20年近く聴いてきたのはカール・ベーム/バイロイト/67年ライブ盤である。この演奏は歌手がショルティとかなりかぶっており舞台で聴くリングの最上のものだと思う。今聴くと録音は大分古くなってきたがライブの迫力は何物にも代えられない。ただライブといっても実際はゲネプロなどの録音も混ぜているらしい。

昨年の12月にこの録音のライバルが突如現れた。それが冒頭申し上げた2008年のライブ盤である。これは最後に拍手やブラボーの声が入っておりライブ盤に間違いないと思う。ただ録音の月は書いてあるが日付まで書いていないので自分の聴いた公演かどうかはわからない。ライブ盤は日付もいれてこそレコード芸術として価値がでてくるのではないだろうか?

さて、主な演奏者は以下の通り

指揮:クリスティアン・ティーレマン

ウォータン:アルベルト・ドーメン
ミーメ:ゲルハルト・シーゲル
アルベリヒ:アンドリュー・ショア
ジークムント:エンドリック・ヴォトリッヒ
ジークリンデ:エヴァ-マリア・ウエストブルック
ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン
ジークフリート:ステファン・グールド
ハーゲン:ハンス-ペーター・ケーニッヒ

今回CDが発売になり改めて聴きなおしてみると印象としては一昨年(8/21-25日)と大きくは変わっていない。

以下当時の日記と今回と比べてみよう。「 」は当時の日記。

ラインの黄金だが8/21に期待に胸を膨らませて臨んだが「どういうことか
バイロイトの最初の音は何か軽い。凄みもない。ティーレマンはこんなはずはない。おかしいおかしいと思っているうちにどんどんオペラは進んでゆく」「ミーメ、アルベリヒ、ローゲはラインの黄金では重要人物だが水準以上、特にミーメが良かった、アルベリヒの声には違和感があったが大きな不満ではない」と言った具合。CDで聴くと軽いとは思わないが何かもっさりしたというか勿体をつけたというか、たたみかけるときにブレーキをかけられたようなもどかしさを感じた。特にオーケストラが浮き彫りになる場面転換の迫力ある部分が物足りない。歌手はアルベリヒが声質が明るいせいか今一つ凄みがないので少々物足りない。神々の黄昏の二幕の冒頭では結構良かった。ミーメは良かったがおそらく演技を見ての評価だと思う。このように音だけだとちょっと声質が低くイメージが合わない。むしろローゲ役の声のほうが合っているように感じた。

次にワルキューレ「昨日の今日である、半ば不安のまま着席。ワルキューレは分厚い低弦でジークムントの逃走をあらわす切羽詰まったような音楽で始まる。これが昨日とは全然違う。ものすごい迫力。鳥肌が立つ。ジークムントとジークリンデもまずまずで満足。」CDはどうか?やはり一幕の冒頭は凄かったし、ジークムントとジークリンデはとても良い。特にジークリンデは今公演の歌手陣では最良と感じた。その他ブリュンヒルデは舞台では高水準と思っていたがCDで聴くと高音をひきずるというか独特の癖があり少々耳触りである。ウォータンは悪くはないと思うのだが少々荒っぽく感じた。わざと荒々しさを出しているのかもしれない。

ジークフリートはあまりに演出がひどいので日記にはそのことが中心。ただティーレマンの指揮について第二幕の溶鋼歌・鍛造歌で少々触れている。「しかし音楽は凄い、溶鋼歌ではぐっとテンポを落とし巨大な音楽にしているがちょっとわざとらしいかもしれない」。さてCDでその部分を聴いてみるとやはり少々わざとらしさを感じる。これが自然と出れば真の巨匠なのだろう。こういう部分はいろいろでてくる。緩急つけているのだが緩のところが少々緊張感が薄れるように感じた。ラインの黄金がその良い例ではないだろうか?

最後はいよいよ神々の黄昏である。「ジークフリートラインへの旅立ちの音楽はいつ聴いても胸が躍るがティーレマンの演奏は推進力があって好きである。・・・・第一幕は長大で苦手であったがティーレマンの演奏は全く緩むことなく一気に聴けた。ブリュンヒルデとワルトラウテの対話はいつ聴いても退屈だが今回は良かった。ジークフリートとギービヒ兄弟との絡みも面白かった」「二幕の冒頭のアルベリヒとハーゲンとの二重唱は二人の声が好みではないのが残念だったが良かった。特にハーゲンの声は凄みがあって良かった。アルベリヒは声が軽く悪役っぽくない。二幕の幕切れは見せ場だが今一つだった。ブリュンヒルデ役に今一つ凄みがなかった」。CDを聴いてもこの印象は変わらない。ハーゲンはCDでもとてもよく聴こえた。ジークフリートだが昨年の新国立の秋の公演でオテロを歌ったが、その時はもう少し重々しい声と思ったがCDでは軽く若々しい声で驚いた。舞台でこのような声だったのだろうか?
ショルティ盤、ベーム盤、そしてティーレマン盤で当分「リング」は満腹です。
                              〆

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