ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2009年07月

DVD寸評

クラウディオ・アバド指揮ベルリンフィルハーモニー
ベートーベン、交響曲全曲演奏会
於:サンタチェチーリア音楽院(ローマ)
2001年ライブ
1,2,3,4,5,7番を聴いた印象。まず音色。編成が通常のベートーベンに比べると弦が1/3くらい少ないので全体にすっきり軽やか。またテンポが全体に速い。アバドの解説DVDを聞くとメトロノームに忠実に演奏した結果だそうだ。きりりとしたさわやかな演奏はいかにも現代風である。3,4,7が特に良かった。アバドは病み上がりのためかなり痩せているが精力的な指揮でそれを感じさせない。


リカルド・ムーティ指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団
モーツァルト「ドンジョバンニ」
於;アンデア・ウイーン劇場
1999年ライブ
ドンジョバンニ:カルロス・アルバレス
レポレロ:イルデブランド・ダルカンジェロ
ドンナアンナ:アドリエンヌ・ピエチェンカ
ドンナ・エリヴィーラ:アンナ・カテリーナ・アントナッチ
ツェルリーナ:アンジェリカ・キルヒシュラーガー
ムーティの指揮はテンポが速く颯爽としたモーツァルト。舞台はアンデア・ウイーン劇場という狭い劇場のためスペースが限られており中央に階段状の段がありそこを中心にくるくると場面転換する。演出はロベルト・シモーネという人。ドンジョバンニは貴族というよりも単なる女たらしであまりしまりがない。レポレロは忠実な従者であるがあまりブッファの役らしくなくかなりまじめでちょっと面白くない。女性陣はなんといってもツェルリーナが素晴らしい。昨年もコシファントゥッテで歌っていたが声も、姿も美しい。続いてドンナエルヴィーラが良い、というより自分は最も彼女に共感してしまうのでとにかくこの役の歌が好きなのである。地獄落ちはあまり怖くない。通常のデモーニッシュなドンジョバンニを期待するとがっかりするが歌唱を楽しむには十分な一枚である。


アレーナ・ディ・ヴェローナでのライブ(2004年)
プッチーニ「マダマ・バタフライ」
演出はフランコ・ゼフィレッリ
指揮:ダニエル・オーレン
蝶々さん:フィオレンツァ・チェドリンス
ピンカートン:マルチェロ・ジョルダーノ
シャープレス:ファン・ポンス
アレーナ・ディ・ヴェローナは屋外の舞台のためとにかく巨大であるのでこれをどうさばくかは演出家の腕前のみせどころ。日本で良く見るのは中央に日本の家らしきものを配してあとは周りに桜の木なんていうのが定番だがこれではヴェローナの舞台は生きない。ので真ん中に日本家屋らしきものを配するのは変わらないが家の周囲が岩場になっておりそこをいろいろな人が絶えず往来するような設定にしている。もちろん二重唱や「ある晴れた日に」などの時は往来が止まる。しかし困ったのはワダ・エミの衣装だ。日本だか中国だか得体のしれない衣装。これはちょっとひどいと思ったがイタリア人には受けるのかもしれない。
歌手ではチェドリンスはさすが、特に二幕に入ってからが素晴らしい。彼女の凄いのはもちろん歌唱は素晴らしいが、その演技にはいつも感心させられる。しかし一幕はちょっと気持ち悪い。なぜなら15歳になろうとしてそれらしく歌おうとするのでこれは自分の趣味にあわない。しかし二幕は本当に胸を打ち眼がうるうるしてしまう。ただ自害するシーンは今一つ心が動かなかった。これは演出の問題かもしれない。もうひとりファン・ポンスのシャープレスも素晴らしかった。特に二幕の後半で蝶々さんに子供を渡すように言う場面など涙なしには聴けない。ピンカートンは本当に嫌な奴だ。
この二人以外は凡演、特にゴロー、大官、ケート、すずきは悲しいくらい下手。これなら新国立の日本人たちのほうが倍くらいうまい。
指揮のダニエル・オーレンはめりはりの利いた指揮で聴かせる。良いのは緩急が自在でなかなかよかった。



アレーナ・ディ・ヴェローナからもう一曲
ヴェルディ「リゴレット」
演出:シャルル・ルポー
指揮:マルチェロ・ヴィオッティ
リゴレット:レオ・ヌッチ
マントヴァ侯爵:アキレス・マチャード
ジルダ:インヴァ・ムーラ
この舞台は感心した。中央に大きなリゴレットの家を模した建物がありそれが中心に芝居が動く。それが四幕ではスパラフチーレの家にもなる。一幕はマントヴァ侯爵の屋敷の広間であるが群舞シーンが広い舞台をうまく使って面白かった。
歌手ではレオ・ヌッチはさすがである。よかったのは二幕冒頭の「同じ穴の貉か」であったが肝心な「悪魔め鬼め」があまりにテンポが速すぎて落ち着かなかったのは少々残念。
ジルダ役はアルバニアの新人らしいが素晴らしい声で魅了「カロ・ノーメ」も素晴らしいしマントヴァとの二幕の二重唱も聴かせた。聴衆も大いに沸いてこの二重唱はアンコールされてまたまた盛り上がった。日本ではなかなかないシーンである。
マントヴァ侯爵役はヴェネズエラの期待のテノール。これも美しい声(容姿は冴えない)でジルダとしっかり張り合っていた。「女心の歌」も軽々と歌い、これもアンコール、なかなかサービス精神旺盛の公演であった。こういうのもいいなあ。
その他の歌手はマッダレーナ、スパラフチーレ、マルッロ、モンテローネなど脇役は冴えない。どうも主演級にお金を使いはたして脇役陣はギャラをケチったのではないかと思われるくらいである。
指揮はかなりテンポが速いがそれほど違和感がなかった。前述のとおり「悪魔め鬼め」だけがちと不満。

バタフライよりも録音はこちらのほうがずっとよくDVDとしての完成度は高い。
                                以上

2009年7月16日

読売日本交響楽団第162回東京芸術劇場名曲シリーズ

指揮;尾高忠明
ヴァイオリン;戸田弥生

プログラム

オールメンデススゾーンプログラム

序曲「フィンガルの洞窟」
ヴァイオリン協奏曲
交響曲第三番

今夜は名曲シリーズ、定期は都合悪く行けなかったので、振り替えてもらった。メンデルスゾーン生誕200年プログラムの一環である。どれも名曲揃いでなじみの曲。

「フィンガルの洞窟」はワーグナーも絶賛したらしいがとてもわくわくするような曲である。これだけでなく今夜の曲は何か人をわくわくさせる雰囲気に満ち溢れた曲ばかりの様に思う。メンデルスゾーンの恵まれた人生のおこぼれの様な曲といったら怒られるかな?決してベートーベンのように人を鼓舞・叱咤激励するような音楽ではなく何か幸せな、気分を高揚させる音楽だ。ある本にベートーベンがあのような曲たちを書いたのは苦悩に満ち満ちた彼の人生と環境があったからだとあったが、メンデルスゾーンも裕福で金銭に苦労のない人生だったからこういう曲を書けたのだろうか?二人とも音楽の天才であったわけだが、ベートーベンメンデルスゾーンのような境遇だったらこのような曲は書いただろうか?メンデルスゾーンベートーベンのような境遇だったら「英雄」のような曲が生まれただろうか?などループにはいってしまう。

閑話休題、フィンガルの洞窟で聴き惚れたのは終結部近くで弦のトレモロをバックにクラリネットが印象的なメロディーをかなでるがここが実に気持ちが良かった。

ヴァイオリン協奏曲は古今の名曲である。高校生のころから聴いているが今はほとんど聴くことがない。高校一年のときにその当時のコロンビアの約4万円のステレオを買ってもらった。最初はレコードを買うお金がなくお金をためて少しずつ増やしていった。ポール・パレー/デトロイトのベルリオーズの幻想交響曲、バーンスタイン/ニューヨークのドボルザークの新世界交響曲、そしてメンチャイ(メンデルスゾーン・チャイコフスキー)のヴァイオリン交響曲などが極々初期のコレクションだったこれしかないので結局毎日同じような曲ばかり聴いていた。今夜の演奏を聴くとその当時を思い出す。その当時聴きこんだメンデルスゾーンは誰のヴァイオリンだったか残念ながら覚えていない。今はハイフェッツミュンシュ/ボストンのCDしか持っていない。今夜の演奏は時間的にはハイフェッツとほぼ同じの25分であったが一楽章はかなり緩やかに感じた、2楽章は予想に反して速めのテンポ。ヴァイオリンはグアルネリである。今夜は戸田のヴァイオリンの音色に参ってしまった。今はカルミニューラバティアシビリの二人がお気に入りのヴァイオリニストだが戸田のヴァイオリンも負けてはいない。本当に魅力的な音であった。

交響曲第3番は滅多に聴かないメンデルスゾーンの中ではもっとも聴くほうである。アバド/ロンドンを聴いている。クレンペラーが良いらしいがまだ聴いていない。アバドの演奏時間は42分でかなり遅い。尾高は35分であった。もしかしたら反復を省略したのかもしれない。それは別としてもかなり速い。特に一番好きな四楽章、アレグロ・ヴィヴァチッシモで盛り上がった後、休止があってアレグロ・マエストーソ・アッサイのコーダに入るその部分がかなり速くてせせこましい音楽でがっかりしてしまった。ヴァイオリン協奏曲で気分がよくなったところで水をさされてしまった感じだ。音楽は盛大に盛り上がっているのに何か凝縮しなくてせこせこと終わってしまった。ちょっとしりつぼみの夜であった。終わった後の拍手に応えるのも3-4回で「もう寝るから終わり」といった仕草で早々に帰ってしまった。尾高もこの曲では気合いが入らなかったのかもしれない。

2年ほど前彼がN響を振ってブルックナーの八番をやったが、実はあまり期待していなかった。しかし実際は実に立派な音楽でN響もそれに応えて聴きごたえがあった。決して重量級ではない、すっきりした音楽ではあったがブルックナーを堪能した記憶がある。それを聴いたので日本のオーケストラもこんなに立派になったのだと感じN響の定期の会員になったくらいである。今日の演奏も悪くはなかったがどうしても尾高でなくては駄目という演奏ではなかったように思う。悪いがこれなら我が家のタンノイでアバドの演奏を聴いたほうがずっと良いのである。戸田の音楽は今夜のこの場で戸田しかだせない音で作っていたから感動したのではあるまいか?

これで今年の前半の自分の音楽会は終わり秋シーズン(9月)までお休み。秋はスカラ座ありウイーンフィルあり、チェコフィル、ゲヴァントハウス、新国立は「オテッロ」で開幕など楽しみ満載である。
おわり

2009年7月12日
於:サントリーホール(19列中央ブロック)

曲目

ブラームス;ピアノ協奏曲第二番
シューマン;交響曲第三番

ピアノ;ホン・クワン・チェン
指揮;ユベール・ズダーン


今日の演目はなかなか重量級で聴きごたえがあった。良い選曲だと思ったが九分の入り、暑いからかも。

ブラームスのピアノ協奏曲第二番はこのごろは聴かなくなったが学生のころは一時、ほとんど毎日聞いていた。演奏はバックハウスベーム/ウイーンフィルのゴールデントリオ。そのころはお金もないのでスピーカーはパイオニアのPAX20F、アンプはトリオの真空管、プレーヤーはスペックスのターンテーブルにグレースのトーンアーム、シュアーのカートリッジで聴いていた。そのころはなんて良い音だろうと聴いていたが今聴いたらどうだろう?

この曲は良い曲だが実は四楽章が苦手である。第二主題が出てくると何か妙になまめかしくてそれまでの三楽章とはまるで違うような気がするのだ。ドイツ人がイタリアに狂うとこういう音楽になるのだろうか?

ピアノはホン・クァン・チェンという台湾生まれのピアニストによる、いろいろなコンクールでの入賞歴があるとプログラムに書いてある。現在は上海で活躍しているそうだ。中国から呼ばなくても日本にいくらでも生きの良いピアニストがいそうな気がするが、まあ辻井さんとは言いませんが、いかなる理由で彼が選ばれたかは定かでない。ただ音楽を聴いていると豪壮な、オーケストラと張り合うような、ピアニストではないような気がした。オーケストラのなかにうまく溶け込んでいるのだ。だから聴いていて凄く居心地が良い。それが理由でズダーンが選んだのかもしれない。

もうひとつこのピアニストは右手が強いというのか特に最高音がものすこく輝かしくて印象的であった。たとえていうと高音がサントリーホールの天井まで届くようなそういうイメージである。いろいろなピアニストを聴いているがここまで響く人は初めてである。まあだんだん鼻についてくるが。

全体で52分弱、我が家にあるギレリスセル/ベルリン(1972年)とほぼ一緒のテンポ。第一楽章も18分で、ギレリスと全く一緒。ズダーンの指揮は豪快でブラームスの音を引き出していた。一楽章のピアノのイントロの後オーケストラの強奏に入るがその重厚な音はいかにもブラームスという感じでわくわくしてしまった。一楽章の終結部のピアノとオーケストラの掛け合いも迫力満点、手に汗握った。第二楽章も同じ。ギレリスとほぼ同じテンポであるが速く感じた。これも終結部が大いに盛り上がった。

三楽章がまた美しい。特に後半のピアノとチェロ、オーボエなど木管とのやりとりは聴き惚れてしまった。そして四楽章だがそれほど違和感がなかった。弱いところはちょっと照れ臭くなるのだが今日はそうでもなかった。

二曲目のシューマンの交響曲三番はシューマンの曲の中では最も好きな曲の一つ。おそらく彼がデュッセルドルフに赴任したばかりで非常に高揚感があったからだろう。ラインが好きだったらしい。

この曲はクーベリック/バイエルン放響(1979年)の演奏が一番好きだ。なによりオーケストラの音がいかにもドイツらしい。重厚で弦も落ち着きがあり金管やティンパニも重々しい。デュッセルとミュンヘンは同じような地域なのでご当地ソングか!。カラヤン/ベルリンは何か華やかな気がして自分のイメージには合わない。持っていてもほとんど聴かない。カラヤンのCDで全集というのは一種類しかないからカラヤンももしかしたら苦手だったかもしれない。

ズダーンの今日の演奏は前回の一番と同様、マーラー版だそうである。マーラーが演奏した時の彼が手を入れた楽譜が残っておりそれをもとにしての演奏である。正直、違いはあまり分からない。時々金管があれっと思うようなところで鳴るのでそれかなあと思うが気のせいかもしれない。

演奏は若干イメージより早め、特に一楽章の入りは少々速いのではと感じたがそのうち落ち着いてきた。全体では33分弱でクーベリックよりちょっと速いくらい。今日の東響の音は少し華やかなような気がした。シューベルトのときのような落ち着いた音を期待したのだが、決して嫌な音ではない。金管が大変な技巧を要求される曲だと思うが全く破たんがなく安心して聴けた。少し華やかなのが不満と言えば不満。これは自分がメジャーであるから,他のお客さんがどう感じたのかは? 弦も幾分華やかだが気持ちの良い音。

一楽章の主題の提示から大きく盛り上がりわくわくしてしまう。オーケストラを聴く醍醐味である。終結部も大変な熱演で興奮した。

良かったのは四楽章、これはCDで聴くと今一つで退屈なのだが楽器がうまく溶け合い「荘厳」という表示どおりの演奏であった。

そして最終楽章も期待通り。ブラームスもシューマンも良い音楽を聴いた充実感があり、満足して帰途に就いた。

それにしてもこの頃のお客のマナーの悪さは生で音楽を聴く楽しみを奪ってしまう。ベストをあげると:
・私語を交わす,今日の前の席のお客。
・プログラムをぱらぱらめくる、プログラムをみても音楽は聴こえないのに。
・一緒に指揮をする、気持はわかる。
・音楽に合わせて体を動かす、これもわかるが許容範囲があるはず。
・遅刻してくる、まあ事情はあるでしょうが。
・水を飲む、今日は自分の前の席のお客が演奏中に飲んでいた。
・演奏中かばんをごそごそやる。のどあめを出すケースが多い。
・小さな子供をつれてくる。大体招待されている人。トリスタンに幼稚園以下の子供を連れてきてしかも子供に演奏中にストーリーを説明し始めたのはたまげた。一幕で帰りました。
・扇子やうちわであおぐ。バイロイトではわざわざ扇子禁止令を出したそうです。まあ日本人ですね、犯人は!

まだまだありますが最小限のマナーはすべて常識の範囲です。演奏者に敬意を表し、同席の観客の気持ちをおもんぱかることにつきます。

                               おわり

2009年7月10日
第612回日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会

プログラム

ハイドン;交響曲第92番「オックスフォード」
武満徹 ;樹の曲
ストラヴィンスキー;詩編交響曲

指揮;広上淳一
合唱;東京音楽大学

今夜のプログラムは一体何だろう、と、パンフレットに書いてあって何かわけのわからない理由が書いてあったが不思議な寄せ集めであった。これが広上のセンスだったら何か寂しいし事情があってこういう曲になったのであったら悲しい。

それはさておき、今夜のハイドンは素晴らしかった。これだけで帰っても良いくらい。ハイドンは今年は記念イヤーのためかいろいろなコンサートで選曲されている。年初のブリュッヘンによる新日本フィルのロンドンセットがとてもよかった。それはモダンオーケストラによる演奏ながらヴァイオリンにビブラートをかけないなど古楽的な奏法によるものでとてもフレッシュであった。それまではハイドンと言えば古いヨッフム/ロンドン(1972年)による演奏しか知らなかったからとても新鮮だった。

現在はクイケン(91年)やラトル(2007年)の新しい録音を主に聴いている。この92番オックスフォードはラトル/ベルリンによる演奏を聴いて知った。ラトルはもともとモダンオーケストラを使って古楽的なサウンドをだしていたからハイドンなどはぴったりでのりのりの演奏である。

今夜の広上の演奏はモダンオーケストラをたっぷり鳴らしたとても気持ち良い演奏だった。第一楽章、序奏が始まったところであれれ、なんか元気ないなあと思ったが、第一主題が鳴ったとたんあまりに気持ちの良い「なり」だったのでほれぼれしてしまった。ティンパニーもパンパン言わせて気持ち良い。弦もいつものようにきんきんせず美しい。第二主題のモーツァルトのような旋律は何かパパゲーノを思わせるようなユーモラスな雰囲気がでてこれも聴き惚れた。とにかく気持ち良い演奏という表現が一番フィットするように思った。

第二楽章は木管の掛け合いが素敵だ。中間部で突然音楽が厳しくなるが広上もしっかり対応していた。

第三楽章はメヌエットで、後半二本のホルンが角笛のような旋律を鳴らすがこだまのように響きここも聴き惚れた。そして第四楽章は冒頭からティンパニーの強打がすさまじい。たしか三回ほど連打がつづくが広上は徐徐に音量を上げてゆき効果抜群であった。また金管も相呼応して炸裂しハイドンの哄笑が聞こえるようだ。ということでシーズン最後の日本フィル定期を楽しむことができた。

しかし、最後にもかかわらず入りは悪い。一階席で7分もはいってないように思う。ハイドンのあとのブラボーも空虚に聞こえた。やはりプログラムのせいだろうか?そう言われても仕方のない構成だとは思うが。しかも今夜は休憩が二回もあった。最初のハイドンが25分で休憩15分、武満が9分の演奏で15分の休憩、そしてストラヴィンスキーが23分の演奏。9分の演奏のためにいくら楽器編成上とはいえ15分休憩をとるなんておかしくはないだろうか?そんなに今この武満の曲を演奏しなくてはならない理由でもあるのだろうか?。三曲通しで57分の演奏である。ブルックナーマーラーの一曲よりも短いのだ。しかも終演はほぼ通常と一緒。当たり前だ、休憩が2回で30分もあるのだから。音楽会の価値は時間ではないということはわかっていても何か釈然としない。誰の選曲なんだろう。

武満の曲は申し訳ないが耳のスイッチが切れて楽曲が耳に入ってこない。50年前の曲らしいがそれが今日、音楽会のプログラムに載ってこないのは何か理由があるのではないか?

ストラヴィンスキーはバレー三曲で精力を使い果たしたのではないか?特に新古典主義の時代の曲はあまり魅力を感じない。カラヤン/ベルリン(1979年)の演奏で予習していったがこの「詩編交響曲」もその中の一つ。全体に映画の「オーメン」のようなおどろおどろしい音楽。特に一曲目がそうだ。三曲目はその中では耳を惹きつける。冒頭のハレルヤは美しい。そのあと歌詞は全部頭に「LAUDATE];ほめたたえよ、がつくのでしつこいこと極まりない。楽器編成が変わっていてヴァイオリンとヴィオラがない。代わりに合唱とピアノが二台あった。ということで今夜はハイドン一曲で満足の夜でした。
                                おわり

2009年7月6日
第484回読売日本交響楽団定期演奏会
於;サントリーホール(14列中央ブロック)

プログラム
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ホルスト:組曲「惑星」

指揮:パオロ・カリニャーニ
ピアノ:館野 泉

久しぶりのピアノ協奏曲。ピアノは動かすのが大変なのか、このごろのプログラムで協奏曲は大体バイオリンである。そしてこのラヴェルのピアノ協奏曲は、学生のころ確かアルゲリヒのピアノだったと思うが、レコードで良く聴いたので今夜はとても楽しみであった。

CDになってからはほとんど聴かなくなった。大体ラヴェルのCDは「展覧会の絵」とか「ダフニスとクロエ」やオーケストラピース、たとえば「ボレロ」などのCDが何枚かあるだけである。まだドビュッシーのほうが多い。どうしてかわからないがあまり好きではないのかもしれない。

このラヴェルのピアノ協奏曲は1931年の作曲でほとんど現代曲だが全く違和感がない。いままで1楽章の派手な部分にばかり耳が行っていたのが今夜は2楽章のアダージョがとてもよかった。最初ピアノソロがしばらく続きついで管弦楽が入ってくる、そしてひとしきり盛り上がったところで静かに管弦楽とピアノの掛け合いがあり、静かに終わるわけだが特に木管との掛け合いが美しく耳を奪われた。イングリッシュホルンのもの悲しい音にはほろりとさせられる。

今夜の演奏で最も気に入ったのはピアノとオーケストラのバランスがすこぶる良いこと。ピアノは単独でも巨大な音が出るせいか協奏曲でもピアニストが頑張って(本人はそう思っていないでしょうが)とてもでかい音をだして全体で何か化け物みたいな演奏になってしまうケースもなきにしもあらず。いつだったかN響定期で某ピアニストでラフマニノフの二番の協奏曲を聴いたが出だしのあの鐘の音からしてものすごい音でたまげたことがあった。ムードもなにもなく音また音のラフマニノフだった。こういうもんかなあと釈然とせず会場を出たのを覚えている。

しかし今夜は小編成(ホルストに比べれば)の管弦楽と館野のピアノの音のバランスがよく楽しめた。館野のピアノは初めてであったが二楽章は特に美しく良かった。また管弦楽も弦が美しく木管も美しい。しかも一楽章の終わりの盛り上がりも立派なもの。アンコールはラベルの「亡き王女のパヴァーヌ」、このような組み合わせのアンコールならまだ許容範囲だ。

今夜のカプリングはフランスのラベルにたいしてイギリスのホルストである。なかなか面白い取り合わせ。カリニャーニはイタリアの指揮者である。頭がスキンヘッドなので年齢が良く分からない。あまり流麗な指揮をするタイプではなさそう。ホルストの惑星の最初の火星などはごつごつした指揮で面白かった。まあアルミンクのわざとらしい指揮よりずっと良い。

この曲も20世紀初頭に書かれた(1916年)。マーラーの九番の交響曲と10年も違わないのだ。それにしても国は違うとはいえ音楽は随分違うものだと思う。どちらも名曲だとは思うが!火星、木星、土星、天王星が管弦楽の機能をフルに発揮した曲。金星、水星、海王星が静かな独奏を引き立たせる曲でどれも一度聴いたら忘れられない。木星はポピュラー音楽に編曲されているくらいである。

日ごろは滅多に聴かないが聴くときはカラヤン/ウイーンフィルのHQCDを聴く。録音は古い(1962年)がデッカの技術の素晴らしさか、今聴いても全然古くない。今のあまりに拡がった嘘っぽい音場の録音より音が凝集していて個人的にはこの時代の録音が好きだ。

カラヤンは約50分で演奏している。今夜のカリニャーニもほぼ同タイム。とにかく管弦楽の能力が試される曲。火星は巨大な音の塊になってサントリーホールを揺るがす。この強奏になっても音は決してうるさくなくごちゃごちゃにならないのが良い。大体それが良いオーケストラでは当たり前のことなんだが。読響もこういう素晴らしい音を出す半面マーラーブルックナーでは今一つ食い足りないのはいつも不思議である。ティーレマン/ミュンヘンが来日したときにブルックナーの五番を聴いたが四楽章の大伽藍のような巨大な音楽は忘れられない。こういう音楽が日本のオーケストラで聴きたい。

さて金星と水星は室内楽のよう、各楽器の掛け合いがとてもきれい。そして木星はまた盛り上がる。ラテンミュージックのような金管の咆哮など聴きごたえがあった。有名な弦での主題も分厚くうるささは全くなくよかった。土星は老年の神、重厚な音で、オルガンも加わりこれも聴きごたえがあった。天王星は各楽器の名技が試される音楽。ティンパニの強打もすさまじい。
最後の海王星の女声合唱(国立音大合唱団)はバックステージ右そでから美しく響き消え入るように全曲を閉じる。

カリニャーニも読響とは三回目だそうで良い組み合わせの様だ。良い協奏曲と管弦楽を聴いた夜だった。夕方から体調が悪かったがコンサートが終わったら気分がだいぶ良くなった。音楽の力はすごい。
                               以上

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