2009年6月6日
第1649回N響定期Aプロ
NHKホール(18列中央ブロック)

プログラム

ストラヴィンスキー;管楽器のための交響曲
プロコフィエフ;バイオリン協奏曲第一番

ラヴェル;優雅で感傷的なワルツ
ドビュッシー;交響詩「海」

指揮;ジョナサン・ノット
バイオリン;庄司紗矢香

今夜のようなちょこちょこした曲を詰め込んだようなプログラムは何か損をしたような気がする。やはりメインにちょっと骨のある曲を設定してもらうとうれしい。ドビュッシーの海が不満というわけではないのだが!

ただプログラムをよむと指揮者の意図がよくわかる。全部フランスに関係しているのだ。もちろんラヴェルとドビュッシーはフランス作曲家だからああそうかと思うが、ストラヴィンスキーはこの曲がドビュッシーの追悼のために書いたということ、プロコフィエフはパリで初演したということが共通点だそうな、ちょっとこじつけみたい。

さて、「海」を除いて全部初めて聴く曲。ストラヴィンスキーは全く退屈だった。どうも耳に音楽が入ってこない。

プロコフィエフは第一楽章が夢のような曲だ。ちょうど二番の協奏曲の第二楽章のようだ。特に出だしの数分は美しい。これもまるで「ロメオとジュリエット」の一場面みたいだ。二楽章は逆にスケルッツオで技巧曲。そして聴きものは第三楽章で独奏が二度ほどクレッシェンドで駆け上がってゆくところ、オーケストラが強奏で駆け上がってゆきながら横で独奏が超技巧的な演奏をするところなど初めて聴いた曲ながら手に汗を握る。庄司の音は鮮烈とは言えないがさわやかな音で難曲をさらりと演奏する趣あり。アンコールはバッハの無伴奏バイオリンソナタのラルゴ。このごろ?協奏曲のあとにアンコールを入れるケースが多いが無駄だからやめたほうがよい。バッハなどを細切れで聴いてもつまらない。

ラヴェルだがこれはつまらない曲。まあダフニスにしてもボレロにしてもラヴェルの曲は何かひとつ物足りない。

最後の「海」、これは非常に熱くなった演奏だった。一楽章の出だしはよかったのだがオーケストラ全体が動き出すと何か冴えない。こりゃ駄目だと一瞬思ったが、第二楽章「海の戯れ」の後半から俄然オーケストラが生き生きしてきた。ドビュッシーのオーケストレーションの妙を堪能した。そして三楽章の「風と海との対話」は速いテンポでぐいぐい進む。一番良いのは金管が美しい、うるさくないのだ。特にトランペットはよかった。オーケストラが全強奏になると今の席では少しうるさいのだが今日は実に良かった。そして弦が実に滑らか、ティンパニの強打も相まって興奮させられた三楽章であった。決してフランス音楽風ではないあえて言えば北海のような厳しい海の情景のようである。以前にコリン・デービスの/ボストンの「海」を聴いたときも同じような印象をもった。ジョナサン・ノットはデービスと同じイギリス人だからこうなったのかはわからない。実に厳しい「海」であった。これをさらに進めるとカラヤン/ベルリン(1978)になってしまう。こうなるとちょっとおおげさで何回も聴く気が起きない。その点アンセルメ/スイスロマンドはきびきびしたテンポで安心して聴ける。

余談だがカラヤンは時々こうなる。たとえばプッチーニの「マダムバタフライ」フレーニパヴァロッティ、ベルリンフィルの演奏(74年)は名演だとは思うが第一幕の蝶々さんの登場シーンはあまりに大げさでブルックナーみたいな演奏でちょっと笑ってしまう。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。セラフィン/テバルディ/ベルゴンツィ(58年)をつい聞いてしまう。しかしカラヤンの素晴らしいのはそういうところもあるが第二幕の花のコーラスから幕切れまでが本当に泣かせる。もちろんセラフィンも泣かせる。とにかく蝶々さんを聴くと泣いてしまう自分がいつも恥ずかしい。

ちょっと支離滅裂になってきましたので戻す。ジョナサン・ノットはバンベルグの指揮をしていて先年来日した際にベートーベンの七番を聴いたが実にきちんとしたてらいのない演奏だったのを覚えている。ヤルヴィノリントンジンマンラトルのような個性的なベートーベンがもてはやされる昨今だがこのような堅実な指揮者もいることを忘れてはいけないと思った。彼の演奏でモーツァルトやハイドンを聴いてみたい。

                               〆