ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

2009年03月

新国立劇場 ワーグナー「ラインの黄金」
 2009/3/15 (15列中央)

演出:キース・ウォーナー
指揮:ダンエッティンガー
配役
 ウォータン:ユッカ・ラジライネン
 ローゲ:トーマス・ズンネガルド
 アルベリヒ:ユルゲン・リン
 ミーメ:高橋 淳
 フリッカ:エレナ・ツィトコーワ他

 2001年キース・ウォーナー演出のいわゆるトウキョウ・リング、その再演である。初演当時はなんというひどい演出かと憤ったがかなりの年月を経て今回聞いてみるとそれほど違和感がなかった。最大の理由は昨年続けてパリオペラ座の引っ越し公演「トリスタンとイゾルデ」および昨年のバイロイトにおける「リング」体験したことである。世界ではこのような演出が何の疑問もなくグローバル標準になっているのだ。したがってウォーナーの演出なんて世界レベルでいえば可愛いもの。こういうこともあってこの15日の公演、自分としては初めてのときに比べれば受け入れやすかった。もう一つあげれば再演ということもあって演出が練れてきたのではないかと推量する。

 演出について先行したが演奏はどうか?指揮のダン・エッティンガーは新国立の常連、でこの劇場はなれたもの。オーケストラの東フィルもおなじみ。全体通しで二時間四十分かかっている。参考までにベームの67年のバイロイトは二時間十六分、ブーレーズの80年のバイロイトは二時間二十三分だからエッティンガーの演奏はかなり遅い。第一場はそう感じなかったが二場のローゲの歌や三場の場面転換の音楽、四場のアルベリヒの呪い、ドンナーの雷の場面、そして神々の入場などかなりゆっくり。でもだからといって間延びしてはいない。唯一退屈だったのはローゲの二場の愛をたたえる歌。オーケストラもこれにこたえて頑張ったと思う。巨人たちの入場のティンパニなどは新国立では初めて聞くような迫力。また金管群も指揮者が思い切り伸ばすので大変だったと思うが良く付いて行った。重厚感にはかけるものの日本のオーケストラとしてはかなりの線を行っているように思う。

 歌手陣は正直言ってウオータン以外はあまり感心しなかった。ウオータンは決して神々しくなく、重々しくないがこの演出に声質を含めて合っていたように感じた。アルベリヒは声も立派で良いが小人族の王であるので声はもう少し軽いというか明るいほうがよいのではないか?ちょっと立派すぎるように思う。ミーメはちょっとがっかり。ファフナー、ファーゾルトは日本人の中では健闘。

 さて演出に戻る。今回の演奏、冒頭なかなかしゃれたことをやった。指揮者はバイロイトのように初めからオーケストラピットに入っている。したがって照明が落ちるとただちに低減、金管の導入に入る。バイロイトを思い出した。
 2001年の時の演出は腹が立ってほとんど覚えていないが今回は冒頭述べたように学習効果がありかなり面白い発見をしたのでいくつかご紹介します。とは言え全体としては枝葉末節であるが!
1.フライアが巨人族にさらわれ不老不死の黄金のリンゴを食べることのできない神々は力を失うがローゲがひとつフライアからもらって隠しておいたものをウォータンに渡したのでウォータンはそれ を食べたので元気にニーベルハイムに行けたと言いたいようだ。ウォーナーはかなり細かいことにこだわるようだ。   
2.ニーベルハイムにてアルベリヒの情婦らしき女性をアルベリヒが虐待している。プログラムによると彼女がハーゲンの母親ではないかと思わせる演出という。
3.ウォータンがアルベリヒから指輪を強奪する場面、なんと指輪をしている指を切り取ってしまう指から強引に抜き取るシーンであるが切り取るのは初めて見た。ブーレーズーパトリス・シェロー版では指に血を滲ませているのがDVDでは見てとれるのでもしかしたらシェローの演出からウォーナーがヒントを得たかもしれない。
4.ニーベルハイムの財宝をアタッシュケースに入れている。アルベリヒが化けた蛙もアタッシュに入れている、なんとも財宝が味気ない演出。もっともシェローの演出も財宝をポリ袋に入れていたから財宝にはあまり思い入れがないのかもしれない。こういうところも軽さにつながっているように思う。
5、ファーゾルトがファフナーに倒されるシーンのあとフライアがファーゾルトに同情を示す。ファーゾルトは単純な家庭人と描いておりフライがそれに共感したという演出か?
6.神々のワルハラへの入場の際にローゲが宝剣「ノートゥンク」らしき剣をウォータンに渡す。
  などなどきりがない。好き嫌いは別にしてウォーナーが細部までよく考えていることはわかる。
  しかし個人的にはこのような演出は否定したい。ワーグナーが書いたト書きどおりの演出が望ましいと私は思う。

最後に今日の配役の衣装やらなんやらから判断したキャラをご紹介する。
  ウォータン:セクハラ大学教授
  ローゲ  :あやしげな手品師
  アルベリヒ:安キャバレーの支配人
  巨人族の兄弟:アメリカ映画の喜劇のなんたら兄弟
というわけだから楽劇そのものも重々しくも神々しくもない、今日的な公演と私は感じた。
                                        以上

2009/3/7(土)
菊池洋子モーツァルトピアノソナタ全曲演奏会第三回
於:紀尾井ホール 1階14列17番
いよいよ三回目になった。今日は好きなKV322(12番)があるので朝から期待。
前半はピアノフォルテで弾き後半はモダンピアノで弾くというスタイルは変わらず。
前半のプログラム
 15(18)番KV533/KV494
 12番
 7番 KV309
 面白い組み立てである。作曲年代の古い順から弾くような構成。15番は寄せ集めのような曲なので今一つ冴えない。今日ももっとも乗らない曲だった。12番がよかった。ピアノフォルテではこの一楽章の感情の起伏を描けないのではと危惧したが全然問題なかった。実にデリケートかつ力強い演奏。彼女もこの曲が好きなのではないか?それにしてもこの一楽章いつ聞いてもインパクトが強い。最初は普通のモーツァルトと思いきや突然激情が走る。モーツァルトはどのような思いでこの曲を作ったのだろう。演奏も肌に粟を覚えるほど感動を与えてくれた。

 7番がピアノフォルテに最もふさわしいかなと思っていたが案の定、繊細なピアノフォルテの音に身をひたした。ただ紀尾井ホールにはピアノフォルテは広すぎやしないかと思う。

後半は幻想曲KV475と14番KV457.慣例に従い二曲セットで演奏された。
 この曲はモダンピアノで演奏された。さすがにスケールが違う。この短調の曲を彼女はまるでベートーベンのように弾く。実に力強く気持のよい音。日ごろ、モーツァルトのピアノソナタは内田を聞く。内田の演奏は今最も気にっている(80年代に録音)。音も20年以上前だが実に自然である。彼女は丁寧に弾いている。おそらく演奏時間は菊池より長いのではないか?ひとつひとつの音を実に大切に弾いているように思う(楽譜が読めないので感覚だ)。彼女のシューベルトはその延長線上にありどの曲も素晴らしい。録音もエリックスミスによってソフィエンザールで行われ豊かで温かく彼女のシューベルトにぴったりである。話を元に戻すと、菊池の演奏はこのような内田の演奏とはちょっと違う。冒頭述べたようにもっとダイナミックである。しかも二楽章のようにデリカシーも欠いていない。この曲はちょっと苦手であったが今日改めて聞き不遜ながら見直した。

アンコール二曲目にモーツァルトの作品2のメヌエットがピアノフォルテで演奏された。この曲は彼が子供のころ作曲したものだそうだがピアノフォルテにふさわしくチャーミングな音だった。
                                            〆

3月6日日本フィルハーモニー交響楽団定期
於:サントリーホール(20列32番)
雨のせいかお客の入りが少ない。8割程度か?シーズンチケットは上述の席しか取れなかったのに当日中央ブロックにもかなり空席があったのはいかなるわけだろうか?察するに昨今のコンサートはスポンサー付きがほとんどで良い席はそちらに回っているように思う。そのチケットはスポンサー会社内や関係先に配布される、大体ただでもらったものは義務感もないから雨が降ったら行かないとなる、というのは僻みか?

それはさておきこの日の曲目は二つ。
最初はベートーベンのバイオリン協奏曲、バイオリンは渡辺玲子、指揮はJoseph Wolfeというイギリス人。どういうわけか出だしから冴えない。最初の主題の提示、オーケストラ、は好きなところだがさらっと終わってしまいがっかり。何かおそるおそる演奏をしているようだ。オーケストラが気になってバイオリンに集中できないで一楽章は終わってしまった。
 二楽章もそんな感じかなあと思ってぼーっと聞いていたらものすごく美しいバイオリンが耳に入ってきた。やっとベートーベンがはじまった。この楽章は本当に良かった。渡辺の音はふっくらとして暖かい。ちょっとそれるが最近バティアシビリというグルジアのバイオリニストの演奏を聞いた。N響の定期でジンマンと協演しショスタコビッチを弾いたがこれは鮮烈といおうかすさまじい美音で圧倒されてしまった。その後CDでベートーベンを弾き振りしているのを買って聞いた。レコ芸ではあまり評判はよくなかったが録音もよく美音を楽しめるので愛聴している。今まではベートーベンはハイフェッツとミュンシュで決まりと思っていたが。
また話がそれるがカルミニョーラも目を離せない。来日時紀尾井ホールでオールヴィバルディプロをやったがこれも素晴らしい音楽会。特に後半カルミニョーラが登場してからは息もつけないほど素晴らしかった。CDもどんどんだしておりアバドと協演したモーツアルトやムローバと協演したヴィバルディのバイオリン協奏曲集などどれも見逃せない。
 三楽章はオーケストラも眠りから覚めたかバイオリンに相呼応して盛り上がった。

 二曲目はエルガーの交響曲一番、初めて聞く曲。1908年初演という。マーラーの七番の初演の年だそうだ。イギリスの作曲家はなじみがすくない。ホルストの惑星があればいいやと思っていたからこの曲はひそかに楽しみにしていた。一楽章冒頭の主題が全体をカバーして、各楽章で顔を出す。第四楽章の最後もこれで盛り上がるところはブルックナーのようだが肌合いは大分ちがう。少し淡白なようだ。アングロサクソンとゲルマンの違いか?シューベルトから始まってブルックナー、マーラーの系譜は時々聞いていてそのしつこさに辟易する瞬間があるがエルガーはそこはマイルドである。逆にそれが物足りなさでもあるから人間はあまのじゃくだ。美しいメロディがそこここちりばめられており再聴してみたい曲だ。
                                            〆

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